叔母上とデューイ
レンが、戸惑った顔で言う。
「逃げるって、なんで?」
「ララノア殿は、ひどい絡み酒なのだ! 普段は嗜む程度だが、数年に一度のペースで女王と大酒を飲んで泥酔される……捕まったら最後、朝まで酒に付き合わされて一睡もできんぞ!」
レンの顔色がサッと変わる。
「そ、そりゃやべえ。だったら、早いとこ……!」
と、我々の動きを察知したのか、ララノア殿がバタンと扉を閉めて立ちふさがる。
私は即座に指示を飛ばした。
「レン! 裏口だ、裏口から出ろ!」
レンが走る。ララノア殿が叫んだ。
「させるかっ。行け、デューイ!」
その一声で、頭に乗ったカルマン猫が素早く裏口のノブにベタリと貼りつき、高い声で「ニャ、ニャーン!」と鳴いた。
レンは猫を引きはがそうとするが、石みたいに固まって動かない。
「な、なんだこの猫!? おい、リンスィールさん! こいつ、びっちり張り付いて離れやしねえ!」
「やられた! 『硬化』の魔力を使っているのだ……おのれー! こやつ、伯母上の手下か!?」
ララノア殿が、ニヤリと笑う。
「勝負あったようだね……ひっくぅ」
酔っぱらってしゃっくりする叔母上に、私は必死で訴えかける。
「ララノア殿、このような真似はおやめください! レンは聖誕祭でのラメン作りを控える、大事な身体です!」
「それは、お前ら次第だよ……オレの願いを聞いてくれたら、大人しく解放してやろうじゃないか。さあ、二人とも席に着きな……えっくぅ」
伯母上は酒瓶を机にドンと置くと、懐からピスタチオの袋を取り出して殻を剥いて食べ始めた。
それを見て、レンが言う。
「……なんか、見覚えある袋だな」
「ああ。きっと、アイバルバトから貰ったのだろう。ララノア殿は、なぜか動物に好かれてな。城ではあやつに、よく求愛行動されている」
「えっ。あいつ、オスなの?」
「幻獣に性別などないし、向こうも男女など意識してない。ああいう存在のことは、あまり深く考えない方がいいぞ。なにしろ、人知を超えた生き物だからな……とにかく我々の負けだ、大人しく従おう」
私たちは、渋々と椅子に座る。
ララノア殿も椅子に座り、ピスタチオの殻を床に食べ散らかしながら言った。
「オレだけ酔ってるのはつまらない。お前らも飲みなよ」
私はため息交じりで酒瓶を手に取り、カップに注いで一口舐めて顔をしかめた。
「む、ブランデーですな……? まったくもう。このような強い酒をガブガブ飲まれるから、みっともなく酔っぱらうのですよ。それでは伯母上殿、解放の条件を聞かせてください!」
一人で達成できるものなら、私が犠牲になればよい。
そう思って尋ねたのだが……。
「ラメン、作って」
「……はぁ?」
「だーかーらーっ。ラメン、ラメン、ラメン! ラメンが食べたーいっ! 今からラメン、作ってぇーっ!」
予想外の答えに、レンと二人で顔を見合わせる。
ララノア殿は、悔しげに言う。
「一緒にお酒飲んでたら、アグラリエル様が楽しそうに言うんだよ……レンのラメンは、『ヤサイマシマシニンニクアブラ』が凄いんだって。赤いの、白いの、透明なの、トロトロの……色んなのがあって、どれも夢のように美味しかったって……しかも、『カエダマ』とかいうのでお代わりできるんだってさ! その話を聞いてたら、二十年前のタイショのラメンを思い出して食べたくなっちゃって……もう、我慢できないんだよーっ!」
彼女の叫びに、私は呆れる。
「お、叔母上殿。あのような薄味でマズいスープを作っておきながら、なんというワガママを……! 大体、晩餐会でもお腹いっぱい食べたでしょうに。まだ欲しがるとは、意地汚いですぞ!」
ララノア殿は上目遣いで、憐れみを誘う声で言う。
「なんだよリンスィール、お前はいいよ! 外で散々、美味しい物を飲み食いしてんだからさぁ! でもオレなんて、里を守るために旅もできず、ずーっとここの食事ばかりだ。たまに女王様と外の世界に出かけても、アイバルバトの面倒みなきゃいけないから、自分で焼いたパンを持ってって、あいつと二人で半分こして食ってんだぞ……。ねえ、リンスィールぅ。可哀想だと思うだろう?」
そして、机に突っ伏しておいおい泣き出した。
だがおそらく、泣き真似である……時々、顔を上げてはチラチラ見てくる。
デューイが心配そうに近寄って、ララノア殿の頬を舐めると悲しげに「ニャァン」と鳴いた。
「くっ。やめてください、叔母上! そんな、みっともない……おい、デューイ! 貴様も白々しい小芝居はやめろ、涙など出ていない!」
私は身内のわざとらしい演技に、恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
そんな我々を見て、レンが苦笑した。
「……なあ、ララノアさん。明日になったら、試作品のラーメンを食べさせてやるよ。それじゃ、ダメなのかい?」
レンの優しい言葉に、ララノア殿は首を振る。
「やだ……やだやだやだ。今がいい……今すぐ、美味しいのが食べたいの!」
子供かっ!?
1000歳越えの年寄りのくせして。
「ララノア殿。無理を言うものではありません。レンが困っています」
と、レンがやれやれと言った様子で腰を上げる。
「じゃあ、仕方ねえ。いっちょ料理すっか」
「酒には私が付き合いますから、聞き分けてください。無理なものは無理なので……えっ、なんだってぇ!?」
レンは昼間に買ってきたラメン作りの材料や、私が土産に持ってきたスパイス類を吟味しながら言う。
「まあ、さすがにラーメンはちと無理だが……酒に合うつまみくらいなら、作ってやれる。明日の分も残さなきゃだし、使える材料は鶏肉と卵と野菜が少々……あと、ピスタチオだな。よし、始めるぜ!」
レンは自分の調理道具を広げると、まず金属製のボウルに酢と塩とオリーブオイルに卵黄いくつか入れて、泡だて器と一緒に私へよこした。
「リンスィールさん。これ、しっかり混ぜ合わせてくれないか?」
「ふむ。魔法を使っても良いかね?」
「なんでもかまわねえ」
「では……ヴェティエ、リエルデ、ダルグレット!」
すると小型の渦が生まれ、器の中を回り出す。
「へえ、便利なもんだなぁ……この分なら、すぐできそうだ。もう、火を使っちまおう!」
レンは竈に火を入れると、タマネギとキノコをみじん切りにし、鶏肉を切り分け始める。
鶏の皮を剥がし、肉を食べやすい大きさに切ると、肉だけをみじん切りに埋めた。
皮の方は一口サイズに切ってフライパンに入れ、弱火でじっくりと焼き始める……滲み出た脂がジュクジュクと音を立てて、いい匂いが漂ってくる。
そこに砕いたピスタチオと大きめに刻んだニンニクを、たっぷり入れた。
ピスタチオとニンニクが、鶏の脂にパチパチと炙られる。
レンはフライパンを火から降ろすと、ボウルの中を覗き込んだ。
「お、すげえ。もう、しっかりとマヨネーズになってるじゃねーか! リンスィールさん、魔法の渦を消してくれ」
ボウルに中には、ドロリと乳化した黄白色の混合ソースができあがっている。
そのソースに多目のコショウを振ると、フライパンに入れて鶏皮と絡め、皿に盛りつけレタスを飾った。
「よっしゃ、完成! すぐにもう一品作るから、これ食って待っててくれや」
鶏皮には粘りのある白いソースがまとわりついて、その中にコショウの黒い粒と、ニンニクとピスタチオの欠片がチラホラと見える。
さっそく、ララノア殿と一緒にフォークで突き刺して口に入れると……。
う、おお!? 美味い……なんとも酒に合う味だっ!
鶏皮はカリカリでクリスピー、脂を吸ったピスタチオはしっとりと、ニンニクはホクホクしてて、そこに絡んだ『マヨネーズ』とかいう濃厚ソースがたまらない!
鶏の旨味とピスタチオの香ばしさが絡み合い、口の中が濃いニンニクとマヨネーズのしつこい油塗れになるのだが、それをブランデーで洗い流すとコショウのピリッとした刺激がほのかに残り、またすぐに次の一口を食べたくなる……。
すこぶる下品な味付けで、酒を飲む手が止まらんぞ!
添え合わせのレタスもコントラストが美しく、口休めにいい感じだ。
ララノア殿は、信じられないといった表情をしている。
「な、なんだ、この白いソース……? まろやかで優しい酸味で、千年生きてて初めて食べる味だよ!」
レンはフライパンを手早く洗うと、先ほどみじん切りの中に入れた鶏肉を取り出し、焼き始めた。
肉に焼き目が付くとフライパンから皿に移して、今度は残ったタマネギとキノコを炒める。
タマネギが飴色になると、そこにマーマレードとハチミツ、粒マスタードと塩を加えて、オタマでグリグリと潰し混ぜる……ソースを小皿で味見してから鶏肉を戻し、しっかりと絡めてから皿によそった。
「よし、二品目も完成だ!」
鶏皮とピスタチオのマヨネーズ和えに夢中になっていた私たちは、ハッと気づいてそちらも口に入れる。
おお……先ほどの下品な味付けと違って、こちらはなんとも格調高い一品であるな!
オレンジの爽やかな風味に鶏の旨味が、絶妙にマッチしている。
ハチミツとマーマレードの華やかな甘みに、粒マスタードのピリっとした辛味がアクセントを加え、鶏肉を噛みしめるたびにじんわりジューシーな肉汁が溢れ出る。
複雑かつ、計算されつくした甘さとしょっぱさ、辛みのバランス……素晴らしいっ!
ララノア殿が、目を丸くした。
「これ……市場で買ってきた鶏肉だよな!? 柔らかい。老鶏なのに、すごく柔らかい!」
「タマネギやキノコには、たんぱく質を分解する酵素が含まれている。みじん切りにして漬け込むことで、硬い肉質を柔らかくできるんだよ……ララノアさん、ブランデーを使うぜ」
レンは広口の瓶を手に取るとブランデーを注ぎ、先ほどマヨネーズを作った際に残った卵白と、砂糖をザッと入れてから赤ワインも注ぎ入れ、その上からレモン果汁をギューッと絞った。
蓋を閉めるとシャカシャカとリズミカルにシェイクして、三人分のジョッキに注ぐ。
「ほらよ、カクテルのできあがりだ!」
ジョッキの中には、ピンク色した美しい酒がキラキラ光る。
口に含むとブランデーの強いアルコールが、レモンのフレッシュな酸味と砂糖の甘さ、ワインの芳醇な香りと卵白のまろやかな口当たりに包み込まれて、格段に飲みやすくなっていた。
ララノア殿が一口飲んで、呆けたように言う。
「う、うまぁい……! こんな美味しいお酒、飲んだことなぁいっ!」
「そりゃよかった。最後にもう一品、作っておくか」
レンは今度は、ボウルに卵と水と小麦粉を入れて、ざっくりかき混ぜる。
そこにニンジン、芋、タマネギなどの野菜類を細長く切って入れ、鍋に多めのオリーブオイルを熱すると、オタマ一杯を掬って落とした……パチパチと油の爆ぜる音がする。
どうやら、揚げ物らしい。
美しく黄色に揚がったそれを皿に乗せ、塩を振りかけると私たちに差し出す。
「かき揚げだ、食ってくれっ!」
私と伯母上は、先を争うようにして手を伸ばす……その『カキアゲ』という料理は、レストランで食べられるフライ料理よりも、ずっと軽い食べ口であった。
カラッと揚がった生地はシャクシャクと脆く崩れ、中に入った細切り野菜の自然な甘みと歯ごたえが存分に感じられる。
ニンジンはサクポリ、イモはホッコリ、タマネギはシャキシャキと食感が楽しい。
シンプルに見えて、繊細な技術で作られているのがわかる。
油モノなのに後口も軽く、いくらでも食べられてしまいそうだ!
あまりの美味さにララノア殿は、グウの音も出ずに黙り込んでしまう。
こんな短時間で、しかもありあわせの食材だけで、ここまで美味い料理を何品も作ってしまうとは……!
感動した私は、称賛の声を上げる。
「レン……すごいな、君はっ! ラメンだけじゃないのだな!?」
するとレンは椅子に腰かけ、自分もカクテルを飲みながら不思議そうに首を傾げる。
「はぁ? なーに言ってんだよ、リンスィールさん……俺はラーメンと関係ないことなんて、ひとっつもやってないぜ」
「え、なんだと。これが全部、ラメンに係ることなのか!?」
次回……ようやくリンスィールがラメンを食べる。
完成、エルフの里のゴトーチ『ラメン』
お楽しみに!
ウィンナーと長ネギを1センチ幅に切り、油をひかないフライパンで焦げ目がつくまで焼いて、火を止めてからマヨネーズと味塩コショウをたっぷりぶっかけて絡めた料理が、下品な味付けでご飯のオカズにするとビールが飲みたくなる……。
ポイントは火を止めてからマヨかけることで、熱し続けると卵のタンパク質が固まって油が分離してドロドロになってしまうぞ!




