到着、我がふるさと
ファーレンハイトから飛び続けること20時間、ようやくエルフの里だ。
途中、結界の維持にかなりギリギリな場面もあり、アグラリエル様は起こしてからもしばらく寝ぼけてて使い物にならなかったりしたが、なんとか辿り着くことができた。
時差があるので、到着は早朝である。
雲を突くようなユグドラシルの木に一体化するように建てられた城の中庭に、アイバルバトが降り立つと同時に、ショートカットに純白のライトアーマーでツリ目の女エルフが走り寄って来た。
「アグラリエル様ーっ、やっと帰ってこられましたか!?」
親衛隊長のララノア殿だ。
ララノア殿は、我らを見て驚かれる。
「お前、リンスィール!? それに……人間の男だと。女王様、これは一体!?」
女王は、地面に降り立ちながら答えられる。
「彼は、レン。わたくしの大事なゲストです。明後日の聖誕祭に貴賓として出席いたしますので、粗相のないように」
「ええ!? に、人間の男が聖誕祭にですか……あのう、彼は王族かなにかでしょうか?」
「いいえ。ラメンシェフです」
ララノア殿の目が点になる。
女王は、冷静な顔で言葉を続けた。
「ララノア。聖誕祭のイベントに、少し手を加えます。五分後に部屋に来なさい。レン、わたくしは公務が残っておりますので、これで失礼いたします。ささやかですが、今夜は晩餐会を開いてもてなしたいと思います……では、リンスィール。彼に、エルフの里を案内してさしあげなさい」
アグラリエル様はアイバルバトを幼女の姿に変えると、一緒に城へと入って行かれた。
残されたララノア殿が苦笑し、こちらを見る。
「五分後か。どうやら、気を使っていただいたようだ……リンスィール、オレとお前が立ち話する時間くらいはありそうだな。元気にしていたか?」
私は、彼女に頭を下げた。
「はい、お久しぶりです。ララノア殿もお変わりないようで、なによりです」
ララノア殿は、レンへとチラリと視線を走らせてから言う。
「その男について、色々と聞きたい事はあるが……帰って来たばかりで、質問攻めも嫌だろう。詳細は、女王にお聞きすることにする」
「それはありがたい!」
と、ララノア殿はコホンと咳払いして、懐から折りたたまれた一枚の紙を取り出す。
「あー。ところでな、リンスィール……オレの新作を、見て欲しい!」
受け取って開いてみると、そこには凶悪なツラをした世にも不思議な四本足の動物が描かれていた。
牙は鋭く尖り、目は赤く燃えて、毛並みは逆立って、非常に不細工な顔である。
……レンが後ろから覗き込んで、あまりの迫力に「うおっ」とのけぞった。
私はそれを、しばらく鑑賞した後で言った。
「ふむ……? なるほど……これは、熊。いや、イノシシですな!?」
「猫だ」
「………」
「………」
予想外過ぎる答えに、レンと二人で絶句する。
ララノア殿は、真剣な顔で言う。
「うちで飼ってる、カルマン猫のデューイだよ。まだ子猫でな、よく寂しがって、城までオレを探しに来る。それは、撫でて欲しいとオレに甘えてきてる様子だ。どうだ、可愛いだろう!?」
ゴクリと喉を鳴らしてから、私は言う。
「あ。あー……その。ひゃ、百年ほど前に見せていただいた、子犬の絵よりはよく描けてます。……独特で、素晴らしい絵だと思いますよ」
ララノア殿は、得意気に胸を反らす。
「どうだ、リンスィール? たった数十年会わないだけで、オレもだいぶ上達したのだ! なあ、そちらの人間の男。レンとか言ったな……その絵、どう思う?」
話を振られたレンは、絵をジッと見た後で口を開く。
「芸術はよくわからんが、すごい絵だと思う。少なくとも、誰かが真似して描けるような作風じゃねえ」
ララノア殿はてれてれしながら、嬉しそうに身をよじる。
「ふ、ふふふ……そうだろう? そうだろう!? えへへっ」
それから、懐中時計をチラリと見て言う。
「おっと! そろそろ行かないとマズい……では、また後ほどな。レン、リンスィールと仲良くしてやってくれ!」
足早に立ち去るララノア殿を見送り、私は絵を懐にしまってからため息を吐いた。
「……あの方も300年ほど絵を趣味にしていらっしゃるが、まったく上達せんなぁ。ところでレン、空の上ではピスタチオしか口にしてないし、腹が減っているだろう? 私の家に行こうじゃないか、エルフの里の郷土料理をごちそうするよ」
「お、そりゃいい! ぜひ、お願いするぜ。ここの食生活がどんなもんか、調べる必要もあるしな」
新緑の葉に囲まれた木漏れ日が照らす、森の中のエルフの里。
風は植物の香りを運び、枝はザワザワと揺れる音を鳴らす……私は、レンと一緒に懐かしい故郷の道を歩き、数十年ぶりになる我が家へと招き入れた。
「さあ、入ってくれたまえ。ここが、私の家だよ」
レンは扉をくぐると、シーンとした家の中を見渡してから言う。
「お邪魔します。……誰もいないな。リンスィールさん、家族は?」
「両親は死んだ。ここは、私を育ててくれた伯母上の家になる」
「そっか……それは悪いことを聞いたな」
その言葉に、私は首を振る。
「なんの。もう、昔の話だからな。悲しみなど、とうに消えたよ」
「おばさんってのは、今どこに?」
「さっき、会ったろう? ララノア殿だ」
言いながら、壁を指さす。
その一角には、彼女の描いた大量の絵が所狭しと貼ってある。
不気味なの、怖いの、恐ろしいの、ふにゃっとしていて力が抜けそうなの……私はその端っこに、先ほど渡されたカルマン猫の絵をピンで貼り付ける。
レンがそれを見て、声をあげた。
「おおう!? すげえ、百鬼夜行みてえだ。……そうか、あの人がリンスィールさんのおばさんか。それで俺に、リンスィールさんと仲良くしてくれなんて言ったんだな」
「ララノア殿は、里でも数少ない千歳越えのエルフでな。普段は、女王様の護衛役をしている。短剣の達人で、めっぽう強い。伯母上はアグラリエル様と一緒に、君の父上のラメンを食べた事もあるんだぞ!」
私は台所へと行き、鍋や戸棚をのぞき込む。
「ふむ? スープが残っているな。パンも捏ねてあるようだ。よし、これを食べるとしよう」
竈に火を入れるとパンを放り込み、鍋を温めて用意を終える。
皿によそったスープを一口飲むなり、レンは眉をひそめた。
「……味が薄いな。それに、コクがまったくない」
私は苦笑する。
「マズいだろう? 野菜やキノコを適当に切って、お湯で煮て塩を入れただけの料理だからな」
「ララノアさんは、料理が苦手なのか?」
「いいや、そういうわけではない。エルフの里で食べられてる食事は、どれもこの程度だよ。たまに肉や卵が入ったりするが、味付け自体は大して変わらないだろう」
レンがパンをちぎって、口に放り込む。
「お? こっちのパンは普通だな。焼き立てで香ばしい」
「うむ。だが普通過ぎて、なんの特徴もない。強いて言うなら普通のパンより発酵が長く、酸味があると言ったところか」
レンはマーマレードをパンに塗り、一口齧った。
「でもジャムをつければ、結構いけるぜ」
「ジャムね……ふっふっふ。君は三食すべてに、甘いジャムを塗るつもりかね?」
私は里の食文化レベルの低さに、情けない思いでいっぱいだった。
スープを匙でかき回しながら、自嘲気味に言う。
「レン。エルフの里が、他種族からなんと呼ばれてるか教えてやろう。曰く、エルフの里は風光明媚で、暮らす人々はみな麗しい。しかし、食事は粗末で薄味の料理ばかりである。どんな旅人も三日で逃げ出す……ついたあだ名が、エルフの里は『美しき食の墓場』だよ!」
これが、私を育てた『味』である。
忘れたくても忘れられない、懐かしきも悲しい味。
伯母上殿のスープの味。死んだ母が作ってくれた、思い出の味。
かつては当たり前だった、なんの刺激も感動もない……胃を満たすだけの食事の味だ。
レンがアイバルバトの背の上でやってた遊び
アグラリエル「私たち」
リンスィール「私たち」
アグラリエル「この日を どんなに」
リンスィール「この日を どんなに」
アグラリエル「待ちのぞんでいたことでしょう」
リンスィール「さあ 祈りましょう」
アグラリエル「さあ 祈りましょう」
リンスィール「ときは 来たれり」
アグラリエル「いまこそ 目覚めるとき」
リンスィール「大空は おまえのもの」
アグラリエル「舞い上がれ 空たかく!」
レン「ふっへへへ。くっくくく!」
リンスィール「……えっと、あの、レン。これ、どういう……?」
レン「ままま、いいからいいから。なあ、アグラリエル。ちょっとこっちへ来てくれないか?」
アグラリエル「は、はい……」
レン「で……ここに立ってだな……ごにょごにょ」
アグラリエル「サラマンダーより、ずっとはやい!!」
レン「うふ、ぐふふふふふふっ!」
アグラリエル「…………」
リンスィール「…………」
アグラリエル「わあ、レンが嬉しそうでよかったです!」
リンスィール「女王様っ!?」
次回はきっとすぐです。




