第九話:忍び寄る悪意
安易な言葉で言い表せばそれは賭けという形になるのだろう。それはつまり拳銃を所持する犯罪者に飛び掛かり取り押さえられる選択と、このまま自分が大人しく撃たれて女の子が助かる選択を秤にかけた結果の懸念点。ミコトは後者を選択したが、犯罪者がミコトを撃ったからといって女の子を撃たない保証は犯罪者が勝手に始めたゲームのルールしかないのだ。けれど他に道はない。
自分の死を受け入れるようにしてミコトが目を閉じる。こんなところでは死ねないという感情と女の子を救いたいという願望が瞼の裏に広がり、それが迷いとなってミコトに溶け込むが―――それは弾速の如き速さで過ぎ去った。
自分の感情を優先させるか、女の子の身を優先するかなんてことは現場に来た時から決まっている。―――その決断は並大抵の人間が出来ることではない、しかしそれがミコトの真の強さというものなのだろう。
「あの世でな。」
ゲームの終わりとミコトの人生に終止符を打つ弾丸が放たれると思いきや、その場に響いたのは銃声ではなくスマートフォンの着信音だった。
拳銃をズボンに挟み、ズボンのポケットから鳴り響くソレを取り出した犯罪者はまるでその着信を待っていたかのように電話に出た。拳銃を直にズボンに挟み込む様子を見れば、NIAの職員が着用していたホルスターの便利性を改めて感じさせられる。
「はい、もしもし・・・・・・了解。」
この状況では拍子抜けする音を聞いたミコトは戸惑いながら恐る恐る目を開けた。
スマートフォンを耳から離し液晶画面をタップして通話を切った犯罪者はこれまでの出来事が全て演技だったかのように顔色を変えた。
「もう終わった、止めていいぞ。」
その言葉は自分に投げかけられたのだとミコトは最初に考えたが、それはどうやら誤りだったようだ。
あれほど怯えていた女の子が打って変わってスタスタと犯罪者に近づいて行く。
「・・・撃たないのか?」
口から零れ落ちるようにミコトは喋った。眼前の出来事に理解が及ばず、これは現実なのかという疑念の中を彷徨いながら。
「んな事しねーよ。それから俺、犯罪者じゃねーから。気を休めろ。」
ミコトは緊張がほぐれたのか全身の力みが一気に抜け、腰を抜かした。そうさせたのは犯罪者だと思っていた人物の台詞。謎は多いがその台詞がミコトと犯罪者の関係性を一変させた。それに、その人物が犯罪者ではないと女の子の行動が裏付けている。
「死ぬかと思った。」
麻痺している思考をフル回転させてミコトから出た言葉は銃口を向けられた時の心情。視線はキョロキョロと辺りを流浪し、今でも落ち着かない様子だ。
「俺だって正直こんなことしたくないが、これも仕事なんでな。」
片手でのジェスチャーを混ぜながら、犯罪者の役をしていた男も自らの心情を吐露した。
「仕事?なんの?」
フランクな感じでミコトが犯罪者役だった男に訊いた。その姿は友達に話しかけている様にも見える。
「まぁ、そうなるはな。だが気にする事じゃない、誰だって殺されそうになった直後に全て嘘っぱちでしたなんて言われても信じらんねぇよ。」
「・・・・・・訳が分からない。」
ミコトの頭にはクエスチョンマークが絶えず浮かぶ。
進展が無いまま時間だけが過ぎていくのを見かねてか、犯罪者役だった男が頭をポリポリと掻いてからミコトがこの日に体験した事件の本質を口にした。
「つまりはNIAに試されてたんだよ、お前は。」
それならば規制線の向こうで佇む二人のNIA職員とセブンの行動にも合点がいく。
そして犯罪者役をしていた男はNIAの人間であろう。だが女の子の方は言わずともNIAの人間ではない。ミコトの件は例外としてだが、犯罪者の言った「止めていいぞ」という言葉からしてNIAが役者を雇ったのだろう。これまでの行動、仕草、表情の全てが演技であれば役者経験の有る人物だと考えるのが適切だ。
とは言え秘密主義のNIAが情報を第三者に渡して、協力を求めるのは相当なリスクだった筈だ。それほどこの試験に重きをおいていたのだろう。
「少し、整理させてくれ。」
胡坐を掻いたミコトは目を瞑り両のこめかみに人差し指を当てて皮膚をクルクルと回し始めた。それをすればゴチャゴチャになっている情報を整理しやすくなるとミコトは思っている。
犯罪者役だった男はミコトと話していた所為か、意識の片隅に追いやってしまっていた女の子がいつの間にか自分を見つめている事に気が付いた。
「まだ何か用か?ギャラなら前払いしたろ。」
犯罪者役だった男は女の子と顔の高さを平行にするためにしゃがむ。ミコトの器を確かめるベタな試験を終えたというのに、人質役の女の子は未だに犯罪者役の男の前から立ち去ろうとしなかった。
「私のこと投げ飛ばした分。シナリオにはなかった。」
眉間にシワを寄せた女の子は犯罪者役の男に右手を差し出す。
「・・・なるほど、追加報酬って事か。」
女の子が首をコクコクとさせる。
「悪いが金は持ってないんだ。ギャラの事は別の奴に聞いてくれ。」
「うそよ、ズボンの後ろポケットに財布が入ってた!」
犯罪者役だった男が慌ててズボンの後ろポケットを触った。確かにそこには財布がある。
「何で知ってる?」
「さっき見えた。」
この流れで金欠を言い訳に嘘を突き通そうとも一瞬だけ考えたが幼い女の子の要求する額など大人からすればちっぽけな物だと判断して犯罪者役だった男は諦め半分、許容が半分の感情でお金を渡すことを承諾した。
「・・・わーったよ。んで、いくら欲しい?」
犯罪者役だった男が財布を取り出してファスナーを開く。
「一万。」
それは犯罪者役だった男には予想外の金額だった。それこそ幼い女の子とは無縁だと思っていた額の金。
「いち・・・・・・一万⁉嬢ちゃん、いくら何でも高すぎだぞ。百円玉でお菓子ぐらい買えるだろ⁉」
犯罪者役だった男は動揺したのか、言われてもいないのに女の子のお金の使い道だと勝手に決めつけていたお菓子の事を口に出していた。
「買いたいのそんな子供っぽいのじゃないし。」
「じゃあ聞くが、お菓子以外に子供は何を欲しがるってんだ?」
「ELENAのバッグ。」
―――ELENAとは高級ブランドの一つである。
「子供がそんなもの身に着けてどうすんだよ?」
ブランドやファッションに疎い彼でもELENAという言葉には聞き馴染みがあった。
「別にどうしたって勝手でしょ!はやくちょうだい。」
「へいへい。」
先程とは違い、男は諦めきってお金を渡した。女の子は手の平に乗せられたお金をクシャクシャになるほど握りしめてミコトが入って来た規制線の方へと戻っていった。
「今の子供は読めねぇな。」
犯罪者役だった男はジェネレーションギャップを感じながら財布を仕舞い、スマートフォンを取り出したポケットとは逆の脇ポケットから小箱を取り出し、チョコッと顔を出したタバコを口で咥えると小箱をポケットに仕舞った。
胸ポケットからはジッポーライターをつまみ出すと、いつもの事のようにキャップを開き回転ヤスリを親指で回した。
ジッポーライターを自分の胸ポケットに仕舞い込んでから犯罪者役の男がタバコを吸っていると、自分の脳内に潜り込んでいたミコトが両手をパンッと叩き合わせてから立ち上がった。
「よし!整理ついた。」
犯罪者役だった男は驚いた様子もなくタバコを人差し指と中指の間に挟み煙を一吹きする。
「早ーな。もうちっと待つかと思ったが・・・物分かりが良くて助かる。」
あの女の子とは違って犯罪者役だった男にはミコトに説明しなくてはならない事があるのだがミコトが動揺している状態では説明したところで聞き流されてしまうのが関の山、故にミコトが自分の中で整理をつけるまで待っていたのだ。
「要は誰も死なないって事だろ?」
妙に嬉しそうにしてミコトは犯罪者役の男に疑問を投げかけた。
「は?まぁ、合ってはいるが他に聞きてぇ事とかねぇのかよ?何のためにとか、なんで俺なのとか。」
犯罪者役だった男にはミコトの疑問は思いの外だった。
「気になることは沢山あるけど、とりあえずそれだけ分かればいいや。」
両手を後頭部で組んだミコトがそう答える。
「にしても良く気が付かなかったな。俺はてっきりバレるんじゃねぇかって思ってた。・・・ここだけの話しだけどな。」
辺りを見回しながらタバコの灰をトントンと落とす犯罪者役だった男が言った。その言葉を上層部の人間に聞かれたら色々とマズいのだろう、特にバスティール長官に。
「・・・・・・それタバコか?」
タバコはミコトの既知していない物の一つである。
「あぁ、子供の前じゃ吸えねーからな。」
「俺に一つだけくれ。」
この申し出はミコトの単純な興味なのだが駄目な物は駄目である。
「なに⁉ダメだ。お前確か十八だろ、未成年は吸っちゃいけませんって親に教わらなかったのか?・・・酒も飲むなよ。」
犯罪者役だった男がミコトの情報に目を通していて幸いだった。
「そうなのか?酒は知ってたけどタバコはリリーが見てた新聞で見ただけだったからな。大人になったら吸っていいのか?」
「大人っつうか二十歳をこえたらだな。二年後の誕生日にでも記念として吸ってみればいいさ。」
今吸えなくとも二年後には吸える年齢になるとフォローを交えつつタバコについての基礎知識をミコトに教える。
「ならそうする。」
少しガッカリそうにしながらもミコトは法を遵守した。
「・・・んじゃ、もう行くか。」
この場所でやるべき事を全てこなした犯罪者役の男はミコトの肩を一回だけ叩き、セブンとミコトが乗ってきた車に向かって歩いた。ミコトもそれに続く。
犯罪者役の男とミコトが今日中にやる事はあと僅か――――――その筈だった。セブンと二人のNIA職員を含めた全員が気付かなかったのだ、あるいは気付けなかった。仕組まれた人質事件が行われている上方で、工事現場の鉄骨が人為的に落とされそうになっている事に。




