イリヤ・ブラックストン
「カーペンターズですね、懐かしい」
「そっか、イリヤの世界にも活躍してたんだね」
伊吹がイリヤをカラオケボックスに連れて来て、伊織が関係者しか見れないよう投稿したギターの弾き語り映像を見せたところ、イリヤもカーペンターズの事を知っていた。
「えぇ。テレビで流れたり、親世代が好んで聞いていて知っている程度ではありますが」
伊吹は、前世でも米国人だった転生者に、ネイティブな英語でカーペンターズの楽曲を歌ってもらえないかと考えてた。
その対象となるのは、今のところイリヤだけである。
「ですが、私の声は割と高く、あの低くて印象的な歌い方は出来ないと思います。
それに……、私は前世でも今世でも、歌が不得意です」
イリヤは心底困った表情を浮かべ、伊吹に頭を下げる。
本来であれば伊吹のお願いを何でも聞きたいイリヤであるが、日本のサブカルには興味を持っていても、自国の昔の楽曲にはあまり触れていなかったのだ。
なおかつ、致命的にリズム感がなく、音痴でもある。
「そうなの?
うーん、人前でライブしろ、ワールドツアーしろ、とは言わないから挑戦してみてほしいんだけどなぁ」
人前でライブをさせるつもりはないが、歌の収録やMVの撮影はさせる気満々の伊吹。
自分自身がすでに麻痺しているので、歌の収録やMV撮影がどれほどプレッシャーの掛かるパフォーマンスなのかを忘れてしまっている。
「じゃあ他の誰かに頼むしかないかぁ」
イリヤは必死に自分には期待に応えられないと訴えて、ようやく伊吹を諦めさせる事に成功した。
「この歌詞がどこまでこの世界で伝わるのか分かりませんが、この歌を歌う女性は世界中から嫉妬と羨望の眼差しを受けるでしょうね」
伊吹は、ただただ昔の名曲として深く歌詞を意識せずに聞いているが、歌詞の内容はかなりこの世界の女性達を刺激するような、もっと言えば煽り散らかすような内容となっている。
「私はあなた(伊吹)に愛されているから世界一幸せなの!」と受け取れる歌詞であり、場合によっては過激な安藤子猫に命を狙われる可能性も考えられる。
「まぁ、あながち間違ってはいないのですが……」
カラオケボックスのソファーに座っているイリヤの膝に、伊吹が頭を乗せている状況。
今現在、イリヤがこの世界の頂点にいると言っても過言ではない状態である。
その状態で手元のスマートフォンを見ながら伊吹が歌うものだから、声が振動してイリヤの体内にまで響いている。
「ちょっと、もぞもぞしたら歌いにくいんだけど」
「も、申し訳ありません……」
伊吹がさらに頭をイリヤのお腹へと密着させた状態で歌い始める。
伊吹がわざとこの状態で歌っている事に気付くイリヤだが、だからといって抵抗したり抗議したりせず、ただじっと耐えている。
「ひぃやぁっ!?」
ただじっと耐えているイリヤの服を捲り、伊吹がイリヤのお腹に唇を押し付けて思い切りぶるぶるぶるっ! と息を吐いた。
突然の事に驚き、イリヤが甲高い悲鳴を上げる。
「高いなぁ。
カーペンターズじゃなくてマイケル・ジャクソンにする?」
伊吹がイリヤを見上げながらニヤリと笑う。
「貴方様、私はダンスも得意ではありません」
そんな伊吹を見下ろして、イリヤが少し不機嫌そうな表情を見せる。
「ごめん、やり過ぎた」
伊吹がイリヤの膝枕から頭を上げようとすると、イリヤが肩を押さえて伊吹を止める。
「怒ってはおりません。
私はあくまで人工知能開発など、元々持っている技術や知識で貴方様をお支えしたいと考えております。
不得意な事をやれと言われても、困ってしまいます」
「あー、そっか、その通りだね。
悪かったよ、カーペンターズはなぎなみ動画でデモバージョンを流してオーディションでも開催するかなぁ」
デモバージョンの曲を聞いた視聴者が、自分のカメラやマイクを使って歌ってみた動画を投稿する。
それを他の視聴者の反応も見た上で、特に良いと思われる歌い手に声を掛けてCDデビューさせる。
まさに伊吹の前世世界で行われていたアマチュア歌手のプロデビューの道の一つである。
「貴方様、オーディションで歌手を探すのは良いですが、夜のお供を増やすのはほどほどにして下さいね?」
イリヤが光のない瞳で伊吹を見つめる。
「ははは、それはちょっと約束出来ないなー」
伊吹は様子の変わったイリヤに冷や汗を搔きながら、棒読みで答える。
「……それもそうですね。でも、今だけは私のものです。
さぁ、参りましょうか」
イリヤは伊吹を立たせて、カラオケボックスを出てラブホ風個室へと向かうのであった。




