第十九話「打開」
「千夏拉ツキル。その女は死んでいない」
「「!」」
抜け殻となってしまったシニアの身体を抱えるツキルに、起伏の無い声が告げた。
「誰だ、アンタは」
ツキルは空中に浮いたまま、声のした頭上へと顔を上げる。
お互い面識はあったが、ツキルが気付けないのは当然だろう。”十怪”の一人、ルナ・ピューターの現在の風貌は、政府庁で見た時から大きく変わっていた。
(ここここここの人……!?間違いない、シニアと二人で話してたときに見た、”十怪”の……!)
ワンダは驚愕の面持ちでルナを見つめる。それと同時に、先程まで大きなショックで心身を打ちのめされていたというのに、既に思考でいっぱいになっている自分の頭にも驚いていた。
おそらく、”シニアが生きている”という言葉を聞いて、力の抜けた身体に気力が戻ってきているのだ。
例えそれが、確かな情報で無くとも。
「それは今重要な事ではtt@d@w(#y……」
ルナの言葉が、途中で何かに遮られるように詰まった。一瞬の硬直の後、彼女は自分の口が最後まで回っていなかった事に気付くと、すぐに咳払いをして取り直し、また続けた。
「……失礼。知夏拉ツキル、あなたはあの男を打倒せねばならない」
(どうしよう、声をかけるべき?ていうか敵なのかしら?でも今はそんな感じ無いし……ああダメ、次から次へ大変なことが起きて思考がまとまらない!シニアが死んでいないってどういうこと!?)
「シニアが死んでいないってのはなんなんだ」
まるでワンダの心を代弁するかのように、ツキルが言った。
「そのままの意味。その身体は”核”を奪われ崩壊した。だが、その”核”自体は壊れていない」
ツキルは黙って話を聞いている。
「あの男……田中ゆうたが今、それを持っている」
「なるほど」
ツキルは神妙な表情で、顎に手をやってうつむいた。
「理解したのなら、早く行動を起こしたほうがいい。今にあの男が動き出す」
「なるほど」
ツキルは神妙な表情で、顎に手をやってうつむいた。
(あっ……)
ワンダが何かに気付き、慌てて口を出した。
「あのー、それを取り戻せば、その!シニアは生き返る、の……?」
「?あなたは……」
ルナはこの時初めてワンダの存在に気付いたらしく、箒に乗った彼女を見て少し驚いていたようだった。
「あの、私はワンダっていいます……救助科の」
「もちろん存じています。ワンダ・プレーリー……しかし、あなたは優秀な人材ですが、ここにいるのは余りにも危険です。すぐに脱出しなさい」
「危険なのは承知してます!でも今は、やらなきゃいけない事がありますから……あの、それでさっきの質問は」
「……そうですか。ええ、あなたの解釈で合っています。ゆうたを倒し、”核”を取り戻す。それで彼女は生き返る」
「だってツキル!」
飛んできたボールをリズムよくパスするようにワンダが言った。ツキルは手でグッドを作り、元気よく返事をした。
「分かったぜ!!」
「知夏拉ツキル。ひとつだけ聞いておきたい」
ゆうたを吹き飛ばした地点へと飛ぼうとしたツキルに、ルナが声をかける。
「なんだ?」
「その胸のペンダントは」
ルナが指差したのは、ツキルが胸につけている白いペンダント。弱体化の魔法が込められた魔法石が、金の額縁に納められたものだ。
「ああ、これは魔女の人から貰った!それが?」
質問の意図が分からず、ツキルは首を傾げた。
ルナはその答えを聞き、静かに目を閉じる。なにか物思いにふけっているような、感情的で、彼女らしくない仕草だ。
「……いえ、何でもありません。急かしておいて呼び止めて申し訳ない。ご武運を祈ります」
ルナは目を開けて、抑揚の抑えられた冷たい声で言った。開かれた彼女の目は、やはり無機質で、機械的だった。
「あぁ!」
___
一方その頃、イタヤ街では無数のシスターが至るところへ散り、とある人物の捜索を行なっていた
「見つかったかッ!?」
彼女らシスター達の長であるヤクソクが、捜索活動をしているシスター達に呼びかけた。
これは民間人の救助も兼ねており、逞しい彼女らの働きによって、この街で逃げ遅れた者は既にもう一人としていない。
「いえ!」「どこにもいません!」
シスター達から声があがる。それを聞いたヤクソクは歯噛みし、赤く染まった空を見上げて悔しそうに呟いた。
「ルナの奴。一体どこへ行っちまったんだ……」
____
「シニアを返せッーーー!!」
ツキルは手を伸ばしながら、高速で空中を駆ける。その声を聞いたのか、地面に伏していたゆうたは起き上がり、近づいてくる彼を炎の双眼で見上げた。
「”シニア”?誰だ?それ?ふひひぃ!!」
ゆうたは炎の顔面を愉悦に歪ませて嘲笑う。
「黙れッ!!!」
空から地上へ向かって一直線で下降していくツキルと、それを迎え撃つ体勢のゆうた。
二人の距離はだんだんと縮まっていき、そして重なり合うかという、まさにその瞬間だった。
ゆうたがゆっくりと言ったのだ。
「よく見とけ」
それはとても不吉な声色で、ツキルは思わず繰り出そうとした右拳を彼の眼前で止めてしまう。
「っ!」
「これで、これで一緒だからねぇ……!!」
化け物は、信じられない行動に出た。
歪んだ炎の顔のゆうたは、口にあたる部分を大きく開き、手に持っていた赤く発光する”核”をその中に投げ込んだのである。
「な、にやって……!?」
ツキルは拳を握ったまま、彼の行動に困惑した。
「お前……!!」
ツキルは握った拳を、ゆうたの顔面へと叩き込むべきかと考えた。しかし、そんな勇者の迷いを見切ったのか、化け物は勝ち誇った笑みで言う。
「辞めておけよ」
「もうぼきとナシャたんは一心同体になったんだ」
「ぼきを殺せば、この中にいる君の片想いしている子が死んじゃうよ?」
「な、何を言って……」
ツキルは理解をしたくなかった。目の前の敵を打倒し、何としてもこの街を、ワンダを、シニアを救わなければならない。
だが敵を殺せば、そのシニアも……死ぬ?
「死ねぇ!!!」
ゆうたは攻撃を躊躇するツキルへ、全力の拳を叩き込んだ。
「ッ!?」
その拳はツキルの顔面を真っ直ぐ捉え、深くめり込んだ。
一瞬間を置き、勇者の身体は後方へと大きく吹き飛ばされる。
「ひぃ!ひぃ!ひぃ!馬鹿がぁ!!ぼくちんに勝てると思ってんのかぁ!?」
身体を大きく逸らして笑うゆうた。その時だった。
(((ツキル……)))
「!?」
赤く光る化け物の肉体の内部から、小さな、小さな囁きが反響したのだ。
シニアの声である。
ツキルは建物の隙間を抜けて吹き飛ばされながら、その声を確かに聞きとった。
やがてそびえ立つ赤レンガ外壁が彼を受け止めた。凄まじい衝撃音と共に、大きく上がる茶色の煙が辺りを朧げにする。
(((シニア!)))
瓦礫に身体を埋めたツキルは、朧げな視界の中、意識に語りかけてくるような声に言葉を返した。
(((ツ……キ……)))
帰ってきたシニアの声はか細い。ツキルは反射的に、彼女との物理的な距離が原因だと察する。ならば。
「シニアッ!!」
ツキルは瓶から勢いよく抜けたワイン栓のように素早く瓦礫の山から飛び起きると、地面を一度蹴り、身体を前傾姿勢にしてゆうたのいる方向へ飛んだ。顎が地面と擦れるのではないかというほどの低空飛行である。
視界は吹き飛ばされた時の逆再生のように建物を通り過ぎていき、やがて人影が見えてきた。
田中ゆうただ。
(((……キル!ツキル!)))
ゆうたへと近付いていくにつれ、周波数が合っていくラジオ音声のように、かすかに聞こえていただけだったシニアの声が次第にはっきりと大きくなっていく。
「テメェッ!!なにしようってんだよぉ!」
ゆうたは顔の炎を揺らぎ散らし、再び向かってくるツキルへと恐ろしく吠えた。
「返してもらう!」ツキルも吠え返す。
両者の距離は瞬く間に縮まり、数秒後には無くなった。衝撃波が辺り一体を焼き焦がし、二人は一瞬にして炎の中へと包まれた。
「お前ぇ……お前お前お前ェ!」
「くっ……うおおおおっ!」
二人は組み合い、互いに力を出し合った。一見拮抗状態のようだが、余力はツキルの方があるように見える。そして実際、彼がそうしようと思えば、この拮抗から強引にイニシアチブを握り、ゆうたの顔面を殴りつけることができただろう。
だがツキルにはその選択が出来なかった。迷っているのだ。
(((ツキル、なぜ拳を打ち込まぬ!)))
シニアが怒鳴り声がツキルの脳内に響き渡った。
それと同時に、組み合った腕が徐々にツキル側へと押され始める。
(((お主、まさか攻撃を躊躇しておるわけではあるまいな……!)))
(((うるせぇ!)))
そんな疑いを払拭するかのように、ツキルは力を込めてゆうたを押し返した。
「ぐ、ぐぐぐ、オマエ……!!!」
ゆうたは全身の筋肉を躍動させ、押し返される腕に全力を込める。
「やってやるぜっ………!!!」
「生意気生意気生意気ぃ!!!!」
やがて両者は全く同じ距離に腕を伸ばし、対象的な影を足元の地面へと描き、またお互いの血肉をかけた拮抗状態に戻った。
(((見損なったぞ!)))
(((そんなの知るかッ!)))
その頃、脳内での二人の言葉の投げかけあいはヒートアップし、やがて言い合いに変化していた。
(((優しさと甘さは別物であろうが!!もともと不覚をとったのは我の落ち度!この化け物を殺し、我さえも屠ってみせろ!)))
(((やだね!!)))
(((この大馬鹿ものが……!!ではこのままお主は負け、街もワンダも、全てが破壊されるであろう!!)))
(((俺は負けない!!)))
(((話を少しは理解しろ!一体どうするつもり……)))
(((解決方法は決まってる!お前を救って、こいつを倒すッ!!)))
(((はぁ!?)))
_____
「ツキル……」
箒に跨った少女は、眼下に広がる戦いの光景を見て息を呑んだ。
「……」
横に浮かぶ機械少女も、瞬きもせずにそれを見守っている。
激しい戦いが行われている地上を見下ろす二人。ワンダとルナ。
二人の間には重たく真剣な空気が流れ、妙にしんとしていた。空気差のせいで、地上の光景はまるでスクリーン越しの出来事のように見える。
「ワンダ・プレーリー。私たちにも最後の任務があります」
「えっ?」
ルナが突然口を開いた。ワンダはびくりとして、その言葉の意味を確かめようと首を傾げて問い直した。
「任務……?」
「政府のデータベースから確認しましたが、あなたは”解除”のスキルを持っている。そうですね」
「はい、そうですけど……」
ワンダは頷いた。解除は、魔法が封印された石等からそれをひっぱり出すスキルであり、使用すると本人とその周りにいるものにまで効果が及ぶ。
「私は”解除”を持っていませんが……”譲渡”は持っています」
「譲渡!高等スキルですね、すごい……」
「今からあなたに、”譲渡”のスキル自体を譲渡します」
「えっ」
突然、ワンダの視界いっぱいにルナの美しく整った顔が入ってきたかと思うと、次の瞬間には唇を奪われていた。
ワンダは目を見開いて困惑と驚愕の表情を浮かべたが、目の前の機械少女はなかなか唇を離してくれない。無論ファーストキスだった。
「……!?」
やがて、何か温かいものが自分の中に流れ込むような感覚を感じた。それをもってルナはやっと顔を離し、無機質な表情でまたワンダを見つめるのだった。
「これでスキルの譲渡は完了です」
「ああ、あ、あ、あの、いったいなんでそんな」
次にルナはワンダの耳元に顔を滑り込ませ、吐息がかった声で自身の考えを説明した。
「――」
ワンダは恥ずかしさで顔を真っ赤に染め上げながらも、その内容に驚き、感心した。
「な、なるほど、それなら全てがうまく収まる……」
「成功するかどうかは運しだいです。失敗すれば、なにもかもが最悪の末路を辿ることになる。全てあなたにかかっています」
「……それでその、譲渡するときって……あれって絶対しないといけないの……?」
ワンダは口に出しながら、先程の濃厚な数秒間を思い出して猛烈に恥ずかしさを込み上げさせた。
「当たり前です。私の趣味だと言いたいのですか」
「めっそうもございません!」
ワンダは速やかに犬耳を立てて敬礼した。
「それでよろしい。援護は任せてください」
「えっ……そんなにボロボロなのに!無理はしない方が」
ワンダが助けを遠慮したのは、ルナがあまりにも痛ましい姿であったからだ。
右腕は肩から欠損し、あちこちにある身体の損傷部分からは黒い電流がばちばちと音を立てている。今の彼女は、誰がどう見ても満身創痍であった。
「ご心配なさらず。どのみちこの身体はもう長くありません。……そんな顔をしないでいただきたい。損傷ではなく、この得物のせいですので」
「槍……?」
得物と聞いて、ワンダはルナが持っている槍をまじまじと見た。
それは、雲極漆黒便宜会と戦っていた時にルナが握っていた槍とは違う。サイズはふた周りも大きく、禍々しい装飾が施されている。さらに時折、ノイズのようなざらついた音が穂先から鳴っており、普通の武器ではない事は一目瞭然であった。
ワンダがどう声を掛けるか迷っていると、ルナはふと視線を下方へと向け、呟いた。
「さて、そろそろ頃合いのようです」
それを聞き、ワンダも二人の戦いへと視線を戻す。
拮抗状態は続いていたが、周りに張り詰めた空気の緊張が更に高まっており、最早いつ激しい戦闘に持ち込まれてもおかしくない状況だ。
「ワンダ・プレーリー」
ルナは言った。
「健闘を祈ります」
続く