願望感情受信現象Part2
■ 2018年8月23日(木)
今朝はポツポツと雨が降っているが午後から天気が回復するようだ。日差しがないがジメジメするのは雨のせいだろうか。昨晩、笹原莉奈と村瀬真也に電話をして、25日の土曜日の沢登りにもう一人女性が来るとは伝えておいたが、女優の新垣優が来るとは伝えなかった。莉奈には「気が合って友達になれそうな女性が来る」と言ったらすごく嬉しそうに楽しみだと言っていた。まだ俺は「莉奈ちゃん」と呼んでいるが莉奈は俺のことを「祐樹君」と呼ぶようになってきた。莉奈の敬語は相変わらずだが、ゆっくり関係を進めていけばいいと思っている。
今日も10:00前に出勤して自分の席に座ってパソコンの電源を入れた。業務をしているとアプリケーション事業部から『今日も一緒に大里さんと帰りたいなあ』という女性の声が聞こえて、恋する感情が伝わってきた。『今日もって』ことは前にも一緒に帰ったことがあるということと、おそらく大里というのはアプリケーション事業部の大里哲也のことだろう。ということは、この女性はアプリケーション事業部の向井理恵の声なのかもしれない。前に大里哲也が『向井さんと一緒に帰りたい』と言っていたので、二人は両想いということになる。この二人に両想いだと伝えてあげたいが、俺達が介入する問題ではないのだ。しばらくすると他のほうから男性の声がして感情が伝わってきたが、大したことではなかった。またしばらくすると総務部から『もう死にたい。こんな仕事ばかりうんざり』という小松結衣の声が聞こえてきて絶望的な感情と落ち込んだ感情が同時に伝わってきた。死にたいという願望はどこまで本気かわからないが、何か物騒な感じがする。すると西浦真美からメッセンジャーが届いた。開いてみると”今から休憩室に来て!”というメッセージだった。
休憩室に入ると西浦真美が座っていた。俺も椅子に座ると西浦真美が冷静に話しかけてきた。
「さっきの小松さんの発言と感情だけど、水嶋君はどう思う?」
「死にたいという願望はあまり穏やかでないけど、どこまで本気なのかわからないんだよ。それに同時に伝わってきた絶望感と落ち込んだ感情についてもよくわからない」
「もう小松さんをこのまま放っておけないわ。何か大きな事情を抱えていると思うのよ。なんとかして本人から聞き出す方法はないかしら?」
「西浦さんは小松さんとよく話したりするの?」
「昨日も言ったけど、小松さんにはいろいろ助けてもらってること多いのよ。だから仕事で話をすることはあるけど、プライベートな話をすることはないのよ」
「そっか。まあ、いきなり事情を話してとは言えないしね。うーん・・・昼食に誘って”落ち込んでるように見えるから悩みがあるなら話して”という流れを作るのも難しそうだね」
俺と西浦真美は沈黙しながらどうやって小松結衣から事情を聞きだそうか考えていた。西浦真美は小松結衣と仕事上で話をしているので面識はあるが、俺は全く話したことはなく面識もないのだ。小松結衣の願望の一つはデザイナーの仕事がしたいということだった。それが今日は死にたいという願望になっている。まずはデザイナーの話から仕事の話をしていくのはどうだろうか。そう思った俺は口を開いた。
「まずは今日、小松さんを昼食に誘ってデザイナーの話から今の仕事について不満があるのか聞いてみるのはどうかな?誘い方は西浦さんがいつも助けてもらってるから昼食代をおごりたいってことにする」
「なるほどね。でもそこに水嶋君がいることをどう説明するつもり?」
「俺はいい相談役になるからっていう理由にして、仕事に不満があるなら何でも相談するといいよみたいな感じで言えばいいんじゃないかな?遠藤さんの時と同じような感じで紹介してもらえればいいかも」
「そうね。水嶋君のことはいい相談役になる人ということで紹介するわ。でも、問題は小松さんがどこまで話してくれるかよね」
「とりあえず、俺達はまだ小松さんの話を何も聞いてないわけだから、せめて少しでも何かしらの話を聞くことからはじめるしかないよ」
「たしかにまだ小松さんの話を聞かないとはじまらないわね。わかったわ、今日、昼食に小松さんを誘ってみる」
「うん。いつものファミレスに行けばいいね」
「あそこのランチなら安いから小松さんの昼食代はわたしが出すわ」
「あと、全然話変わるけど、アプリケーション事業部の大里さんと向井さんって両想いだったんだね」
「ああ、そのことなら、もう大里君にメッセージ送っておいたわよ。向井さんをどんどん誘いなさいってね」
「西浦さん、そんな介入していいの?俺達が介入することで変な関係になったりしたらまずいよ?」
「そのくらいいいんじゃない。何の問題も起きないと思うわ。わたしはただ二人の愛のキューピットになっただけよ」
「まあいいんだけど、どうして西浦さんがそんなことを知ってるのか疑われたらどうするの?」
「そこは上手く言っておいたわ。二人が一緒に帰ってるところを目撃したってね!」
「西浦さんはそういうことに手際がいいねえ」
「ふふふ・・・じゃあそろそろわたしは行くわ。小松さんを誘っておくからまたお昼休みにね!」
「うん!じゃあまたね」
少し休憩室で話すぎたかと思いながら俺は自分の席に戻った。時計をみるともう11:20を過ぎていた。しかし、小松結衣は本当に昼食に来るのか心配だった。
昼休みになりエレベーター前に行くと西浦真美と小松結衣が待っていた。小松結衣は24歳で莉奈と同じ年齢で、背丈は155センチくらいの細身、黒髪のクセッ毛のセミロング、少し細い目に下唇が厚く卵型の形の顔で笑顔に愛嬌があってキュートな感じだ。俺は「お待たせ」と言って二人と合流して三人でエレベーターに乗った。会社のビルの外へ出て近くのファミリーレストランに入った。窓側の四人席に案内されて、俺の向かい側に西浦真美と小松結衣が座った。今回俺はチキンステーキランチ、西浦真美はエビドリア、小松結衣は半熟卵のドリアを注文した。注文してすぐに西浦真美が「この人はシステム開発部の水嶋君でいい相談役になる人なの」と俺のことを小松結衣に紹介した。そして「こっちは総務部の小松さんで、わたしがいつも助けてもらってるの」と俺に小松結衣を紹介した。俺と小松結衣はお互いに目を合わせながら「よろしく」と挨拶をした。それから少し沈黙が続いて注文したランチが運ばれてきた。三人とも黙ってランチを食べていた。話は食べ終わってからになるのかとあれこれ考えながら俺はチキンステーキを食べていた。三人がランチを食べ終えると食後のドリンクバーを取りにいった。俺はアイスティー、西浦真美と小松結衣はカフェオレをグラスに入れて席に戻った。ドリンクを少し飲むと西浦真美が小松結衣に話しかけた。
「小松さんは今の仕事に不満とかない?あるならどんなことでもわたしと水嶋君で聞くので話してくれないかしら?」
俺はいきなり直球な質問をするなあっと思いながら小松結衣のほうを見た。
「今の仕事に不満ですか?あるにはあるんですが・・・」
「あるのね?いつも小松さんには助けてもらってるし、よかったら話してもらえない?」
「今ってわたし、パンフレットやポスターのデザインをしながら総務部の仕事もしてるじゃないですか?デザインの仕事は楽しいんですが、総務部の仕事って事務作業で計算とか数字入力とかが正直しんどい感じです」
「そうなのね。たしか小松さんってデザイナーとして入社したのよね?ごめんなさいね。総務部の仕事させちゃって」
「いえいえ、西浦さんとのお仕事は楽しいので・・・でも今は事務作業のほうが多くてやっぱりちょっとしんどいです」
「もしかして今の仕事を辞めたいって思っていたりする?」
「そうですね。正直、事務作業ばかり続いているので、辞めたい気持ちはあります」
ここで俺が話に入った。
「小松さんはどんな仕事がしたいの?やっぱりデザインかな?」
「そうですね。デザインの仕事がしたいです。事務作業ってわたしには向いてないって思うんです」
「どんなデザインをしてみたい?例えばDTPデザインとかWEBデザインとかいろいろあると思うんだけど」
「DTPもWEBデザインもしてみたいですね。デザイナーのお仕事なら何でもいい感じです」
「なるほど。それなのに事務作業で入力業務ばかりしてるのはしんどいよね?」
「そうなんですよね・・・でも、だからといって本気で今のお仕事を辞めるわけにもいかないですし・・・」
「どうして仕事をやめるわけにいかないの?」
「それは・・・ちょっと事情がありまして・・・」
「深い事情があるみたいだね。話せないならそれ以上は聞かないけど、何か落ち込んでることとかあるんだね?」
「落ち込んでることは・・・ありますね。でも話してもどうにもなりませんので・・・」
これは相当深い事情があるようだが、これ以上つっこんで話を聞くのは辞めておこうと思った。ここで今度は西浦真美が話はじめた。
「小松さんはデザインの仕事がしたいのね?うちの会社にデザインの部署はないから困ったわね」
「すみません、こんな話をしてしまって・・・あっでも西浦さんとお仕事している時は楽しいので大丈夫ですよ」
俺はふと思った。デザインの仕事がしたいが、今は事務作業ばかりしているのがまず問題なんだろう。小松結衣はデザインの仕事なら何でもいいと言っていた。それならばうってつけの仕事がある。俺の判断で決めることはできないが、提案してみるか。そう思った俺は話しはじめた。
「小松さん、さっきWEBデザインもしてみたいと言ってたよね?」
「はい。デザイン関連の仕事であればしてみたいです」
俺は西浦真美のほうを見て話した。
「西浦さん、それなら小松さんを俺のいるシステム開発部に異動させるのはどうかな?システム開発部のデザイナーって池上さんしかいないから今募集してるんだよ。ただ、俺が決めれる問題じゃないけどね」
「それいいわね。小松さん、システム開発部でWEBデザインの仕事をしながら、DTPの仕事もしてもらうのはどうかしら?」
「WEBデザインのお仕事ならしてみたいですけど、そんな簡単に異動させていただけますか?」
小松結衣は少し驚いた表情をしながらそう言った。
「それは俺が日根野部長に聞いてみるよ。ただね、小松さん。WEBデザインだからWEBのことを覚えないといけないよ?CSSとかHTMLとかレイアウト調整やちょっとしたWEBプログラムなんだけどね」
続いて俺がそう言うと小松結衣が
「デザインのプログラムですよね?それなら頑張って覚えます」
と言った。
俺は西浦真美のほうを見て
「西浦さんのほうからも、なんとかこのことを社長にも言ってもらえないかな?」
と言うと西浦真美が
「社長には事情を説明して言っておくわ。それはいいとして、小松さん、他に落ち込んでることがあるって話せないことなの?」
と言った。
小松結衣は少し困った表情しながら沈黙していた。仕事のことはシステム開発部にうまく異動すれば解決するが、問題は落ち込んでる感情のほうなのだ。これが今回起こっている現象の鍵になっているはず。昼休みの時間がそろそろ終わりそうだが、小松結衣が話してくれるのであれば少しくらい過ぎても構わない。それは西浦真美も同じように思っているだろう。そう考えていると小松結衣が口を開いた。
「あのですね・・・実は二つのことがありまして・・・あっ!昼休みの時間大丈夫ですか?」
「ちょっとくらい昼休みの時間が過ぎても大丈夫よ。それより二つのことって?」
「一つはわたしの父が心筋症という病気で入退院を繰り返していまして、うちの家計がその・・・大変というか・・・」
「そうお父さんが病気で入退院を繰り返しているのね。それは大変よね」
「はい。ですので今わたしがお仕事を辞めるわけにいかないんです」
「そうだったの。小松さん、かなり苦労してたのね。話してくれてありがとう。それでもう一つは何?」
「もう一つはその・・・ちょっとシビアな問題でして・・・あの、これはちょっと引かれるかもしれません」
「大丈夫だから話してみて。水嶋君もわたしも引いたりしないし、誰にも言わないから安心して!」
「あのですね・・・わたし、あの・・・家計が大変だったので副業をしようとしました」
「副業?それで?」
「と、友達というか、知り合いに紹介してもらったお仕事なんですが・・・それが、あの・・・デートクラブみたいな感じで・・・」
「デートクラブって紹介された男性とデートしてお金もらう仕事なの?」
「そうなんですが、わたし最初はただ男性と歩いてお話するだけでいいからって言われて・・・それで、その、先週、指定された待ち合わせ場所に行くと30代くらいの男性がいました」
「それでその男性と歩いて話をしたの?」
「はい・・・でもそこから大変なミスというか、わたしがお財布を出した時、その男性にうっかり社員証を見られちゃったんです」
「あらら。それは大変なものを見られちゃったね。それでどうなったの?」
「うちの会社ってちょっと有名じゃないですか?それで、こんな会社で働いてる社員がこんな副業してるってバラされたら大変だろって言われて、バラされたくなかったら俺の言うことを聞けって言われました」
「うわーそれって脅迫じゃない?それで小松さん言うこと聞いていたの?」
「とりあえずデート代は支払わないって言われて、それから連絡先を教えろと言われました」
「それで連絡先を教えちゃったのね?」
ここで、さすがに昼休みの時間が過ぎてまずいと思った俺は、ちょっと会社に電話してくるといって、日根野部長に電話をした。日根野部長には「ちょっとある社員に問題があって厄介なことになっているので、もう少し戻るのが遅くなります。それと後でお話があります」と言っておいた。そしてファミレスの席に戻って小松結衣の話の続きを聞くことにした。
「その男性に連絡先を教えてから、何を言われるんだろうと思っていました。すると一昨日、その男性から電話がかかってきまして、また金曜日の夜にデートしろと言われました。あとデート代に10万円持ってこいと言われました」
「金曜日って明日よね?ちょっとそれ、もう脅迫じゃない。まさか小松さん、明日の夜10万円持っていくつもりなの?」
「いくしかないです。会社にバレたらわたし、もう終わりです・・・」
小松結衣は涙目になりながら話していた。なるほど、これで願望と落ち込んでいる感情が同時に伝わってきた内容がわかった。それにしても世の中には酷いやつがいるもんだ。さて、これをどう解決させるかが問題だ。これはもう脅迫罪になるが、警察に行くと大事になる。なんとかする方法はないものか。俺はあれこれ考えて願望感情受信現象について考えてみた。この現象は俺と西浦真美に他人の心の声が聞こえて感情が伝わってくるわけだ。そうだ、声だ!そう思った俺は小松結衣のほうを見て話しはじめた。
「小松さん、明日の夜、その男性に会いにいくといいよ。どこで何時に待ち合わせしてるの?」
「明日の夜、19:30に会社のビルの裏の公園です」
またあの公園か。あそこは以前、池上有希が遊び人風の男に現金を渡そうとした場所だ。あそこはそういう変なことが起きる場所なんだろうか。俺は話を続けた。
「その代わり、10万円は持って行かなくていいのと、もうこういうことはやめてほしいとその男性にハッキリ言えばいいよ」
「そんなこと言っても無理だと思います。だって、言うこと聞かないと会社にバラされて、わたしは終わりです」
「終わらないよ。その男に脅迫し返してやればいいんだよ。俺と西浦さんもこっそり後をついていくから俺の言う通りにして!」
俺は、その男性に会った時の手順を小松結衣と西浦真美に説明した。西浦真美は「なるほどね」といって納得していた。小松結衣は恐れながらも「わかりました」と言った。脅迫する手はずが整ったところでファミレスを出て会社に戻った。
会社に戻ったのは13:40で日根野部長にかなり怒られたが、俺は必死に事情を説明した。そして総務部にいる小松結衣をデザイナーとして異動させることはできないかということも提案した。
「水嶋君、その総務部にいる小松さんだけど、WEBの知識はあるの?」
「本人は必死に覚えますといっています。デザイン力は会社のポスターやパンフレットを作成しているのでかなりあると思います」
「うちのパンフレット作ってるのがその小松さんなんだ。総務部の人員のこともあるから総務部と人事部に聞いておくよ」
「はい。西浦さんのほうからも社長に話をするといってましたので、よろしくお願いします」
「社長にも話をするのか。社長から異動を命じられたらうちの部に配属させるしかないね」
「ちょっとその小松さんに複雑な事情があったので、戻るのが遅れて申し訳ありませんでした」
「そのことはもういいよ。まあ、うちの部のデザイナーは池上さんしかいないから来てくれると助かる。それにしても水嶋君と西浦さんはよく二人で何かしてるみたいだが、一体どういう関係なんだ?」
「いや、どうも西浦さんと変なことに巻き込まれたり、社長から仕事を依頼されているだけですよ」
「それならいいんだが・・・まあ、ほどほどに頼むよ」
「わかりました」
それから午後の業務をしながら、明日のことについてずっと考えていた。小松結衣を救うのであればもうこの方法しかないのだ。そして、それがおそらく、この願望感情受信現象の終わりになるだろう。その後も他方から人の声が聞こえてきて感情が伝わってきたが、どれも大したことではなかった。
■ 2018年8月24日(金)
今朝はすっかり天気が回復して晴れていた。起きてから会社に持っていくものを鞄に入れていた。もちろん小松結衣を助けるための道具を入れておいた。いつも通り10:00前に出勤して自分の席に座ってパソコンの電源を入れた。午前中も他方から人の声が聞こえて感情が伝わってくる。もうすっかりそんなことに慣れた感じだった。今日はやはり小松結衣の声は聞こえてこなくなっていた。お昼休みになったが、昨日はお昼休みを延長したのでコンビニ弁当を買ってきて、食べながら業務をしていた。午後になって西浦真美からメッセンジャーが届いた。開いてみてみると”社長に小松さんの異動について話しておいたよ。総務部は先日の田中部長の処分で人員が増えたから問題ないらしいわよ”というメッセージだった。これで全てが整った。あとは厄介な願望感情受信がこないことを願うだけだ。他方からは金曜日ということもあって『早く帰りたい』や『今日は定時までに業務を終わらせたい』などのたわいもない声が他方から聞こえてきて帰りたいという感情が伝わってくるだけだった。そしていよいよ19:00になり勤務時間終了となった。
俺はすぐに小松結衣のところへ行ってある機器を渡した。そして「その男性と会ったらすぐにこのボタンを押してね。こっそりね!」と言って小松結衣は「わかりました」と言った。少し時間が経つのを待って19:20になると小松結衣は退社して会社のビルを出た。続いて俺と西浦真美が小松結衣について行った。小松結衣は会社のビルの裏通りを歩いていき小さな公園に入っていった。俺と西浦真美は以前と同様にその公園の横側にあるブロック塀にしゃがみこんで話を聞くことにした。公園にはまだ誰も来ていなくて、小松結衣が一人で立って待っていた。すると30代半ばくらいで背丈は170センチメートルくらい、黒髪のソフトリーゼントに紺と白のボーダーTシャツに紺色のコットンパンツをはいた男性が公園へ入っていった。小松結衣は鞄の中に手を入れた。おそらく渡した機器のボタンを押したんだろう。その男性は小松結衣の前に立って話はじめた。
「ちゃんと金は持ってきたんだろうな?」
「あの・・・もうこんなことやめてもらえないでしょうか?」
「はあ?何言ってんだ!これからお前が持ってきた金で俺とデートすんだろ?」
「わたしは、そんなの嫌です。お願いですからもうやめてください」
「だったらお前の会社に全部バラしてやってもいいだぜ?お前がいかがわしい副業してたってことをな!」
「お願いですから会社にはバラさないでください。もうやめてください。あなたとデートなんてしたくありません」
「バラされたくなかったら俺の言うこと聞けよバカ!言うこときかなかったらどういうことになるかくらいお前にだってわかるだろ」
「もう嫌です。本当にやめてください」
「いいから、行くぞほら!今夜はお前の持ってきた金で飲んでホテルで俺と一晩つきあうんだよ!」
「嫌ー!やめてー!!」
小松結衣がそう叫んだ瞬間、俺と西浦真美は公園の中へ走っていった。俺が男性の前に立って、西浦真美は守るかのように小松結衣の左隣に立って手を握った。俺は男性を睨みつけながら「おっさん、あんたの脅迫行為は全て見させてもらった。このまま警察に行くか?」と言った。その男性は「なんだてめえら!脅迫行為?なんのことだ?」と俺を睨んでいる。俺は「会社にバラすなら勝手にバラせばいい。その代わり、あんたは警察送りだ!」と攻撃的に言った。その男性は「俺が脅迫した証拠があるのか?証拠があるなら今すぐ見せろ!」と大きな声で言った。西浦真美が「わたし達が聞いたことが証拠よ!」と強気な態度にでた。俺は強気に出るのはいいが、西浦真美も女性なんだからと思った。その男性は「てめえらが聞いたことが証拠?あはは!そんなの証拠になるかバカ!」とあざ笑いながら言った。俺は小松結衣の鞄の中から機器を取り出して「おっさん、だったらこれでどうだ!」といって機器のボタンを押した。その機器とはボイスレコーダーだったのだ。この男性との会話が全て録音されていた。そう、小松結衣が男性と会った時に押したボタンは録音ボタンだったのだ。その男性はボイスレコーダーに音を聞いて怯みだした。俺は勝ち誇った表情をしながら「おっさん、これを今すぐ警察に持っていったらあんたは脅迫罪で終わりだ。ちなみに、俺のスマホにも今の会話録音してあるけど、さあどうする?」と大きな声で言った。そう、念のために俺もスマホに小さい音だが録音していたのだ。男性は「わかった、わかった、だから警察だけは勘弁してくれ」と弱気な発言になった。俺は「だったら、もう小松さんに近づくな!さっさとうせろ!」と言うと、その男性は「わかったわかったから警察だけは勘弁してくれ」といって走って公園から逃げていった。
小松結衣はよほど怖かったのか涙目になっていたが、西浦真美が慰めていた。俺は優しく「小松さん、よくがんばったね」と言った。小松結衣は「怖かったです。でも、本当に助かりました。水嶋さん、西浦さん、ありがとうございました」と涙を流しながら言った。これで小松結衣に関する問題はほとんど解決したのだ。公園のベンチに座ってホッと一息ついていると頭の中でコーラルピンクが光った。そして頭の中にある緑色の光と合わさって心の中に入っていく感じがしたのだ。これは前回の予知夢共有現象の終わりに起こったのと同じ。まるで西浦真美の心と俺の心が合わさって心の中に入っていく感じなのだ。俺は「西浦さん、今のわかった?」と聞くと西浦真美も「うん、わかった」と言った。小松結衣は何の話かわからず不思議そうな表情で俺と西浦真美をみたが、俺は笑顔で「小松さん、これで解決できてよかったね」と言った。
その後、もう他方から声が聞こえたり感情が伝わってくることはなくなった。今回の願望感情受信現象もおそらく俺と西浦真美が特殊能力者として良きパートナーになる試練だったように思う。また別の現象が起こっても二人で乗り越えていこうと思う。ちなみに小松結衣は9月よりシステム開発部に異動となりWEBデザイナーとDTPデザイナーの二つを担当することになった。
■ 2018年8月25日(土)
朝4:00に目覚まし時計が鳴って起き上がった。今日は神仙谷へ今年最後の沢登りに行くのだ。カーテンを開けて窓の外をみてみると、まだ薄暗いが天気は申し分ない快晴になるだろう。部屋を出て静かに階段を下りて洗面所で顔を洗った。そしてキッチンへ行ってトーストを焼いてインスタントコーヒーを飲んでいた。笹原莉奈と村瀬真也には今日はもう一人女性が来るとは伝えているが、それが女優の新垣優だとは言ってない。二人とも女優が一緒に行くと知ればびっくりするだろう。部屋に戻って装備のチェックをしておいた。昨日の夜、黒岩優に電話をして沢登りの装備品が揃ったことを聞いたが、予備の防水ザックは一応持っていこうと思う。神仙谷も毎年のように行ってるのでルートの確認はする必要はなかったが、林道の通行止めなどの交通情報を確認しておいた。時計をみると5:40になったので急いで沢装備を持って家を出て車に積み込んだ。
駅前のロータリーに着いたは5:55だった。既に笹原莉奈と村瀬真也が二人で話している姿が見えたので車から降りて「おーいこっち」と大きな声で呼んだ。二人とも車に向かって歩いてきて「おはようございます」と挨拶をして荷物を積み込んだ。黒岩優はどこにいるのだろうかと駅前のロータリーを見渡すと、駅の階段前に紺色のTシャツにインナーは白い長袖Tシャツをきてグレーのハーフパンツに黒のタイツをはいてベージュのキャップをかぶってサングラスをかけた女性が立っていた。栗色の髪で背丈も160センチメートルくらいで防水ザックと茶色のバッグを持っている。俺はその女性の前まで歩いていって「黒岩さん?」と声をかけると「はい」と答えた。変装しているつもりだが、みるからに不自然な格好だった。俺は黒岩優を車まで連れてきて、莉奈と村瀬君に「今日、一緒にいく黒岩さんね。黒岩さん、荷物は後ろに積んでね」と言って二人に紹介した。そして「こっちは彼女の莉奈で、こっちは以前に一緒にいた石岡と同じ山仲間の村瀬君」と二人を黒岩優に紹介した。3人とも「よろしくお願いします」挨拶して村瀬君が助手席に乗って、莉奈と黒岩優は後部座席に乗った。そして神仙谷へ向かって車を走らせた。
車を走らせるとすぐに黒岩優が「はぁー」と言いながらキャップをぬいでとサングラスを外した。俺はバックミラーで黒岩優のほうをみながら「黒岩さん、変装したつもりなんだろうけど、それ余計に目立つから!」と笑いながら言った。すると莉奈が「あれ?どこかで見たような・・・あっ!もしかして女優の新垣優さんですか?」と言った。村瀬君も振り向いて後部座席の黒岩優を見て「本当だ!新垣優さんですよね?」と聞いた。俺は「二人とも黙っててごめんね。実は女優の新垣優さんなんだよ。でも本名は黒岩優なので俺は黒岩さんと呼んでるんだけどね」と言った。黒岩優が「新垣優こと黒岩優です。水嶋さんと彼女さん、それと村瀬さん?ですね。今日はよろしくお願いします」と言った。莉奈が「祐樹君、どうして新垣優さんがくるって言ってくれなかったんですか?」聞いてきたので俺は「いや、先に言ってしまったら二人とも動揺するんじゃないかと思って、今日合流するまで言わないでおこうと思ったんだよ」と答えた。そして俺は「莉奈と黒岩さんはきっと仲良くなれると思うから二人ともいろいろ話してね」と言っておいた。しかし最初のうちは四人ともほとんど会話がしなかった。俺以外の三人とも初めて会ったので緊張しているんだろう。
2時間半ほどして神仙谷の駐車ポイントに到着した。車を降りて、それぞれ沢登りの準備をしはじめた。俺は「黒岩さん、念のため簡易ハーネスを装着してもらうね」といいながら黒岩優の体にスリングを装着してカラビナを取り付けた。そして四人とも準備ができて10分ほど登山道を下っていき入渓ポイントに着いた。いきなり透き通った水深があるブルーな沢の水が見えた。莉奈が「ここもブルーで綺麗!」と言うと黒岩優も「こんなブルーの水なんて初めて見ました。すごいです!」と言った。莉奈と黒岩優がお互いに顔を見合わせて「本当に綺麗ですよね!」と言った。このブルーの水に入って泳いでいく。いきなりだったので四人とも「冷たい」と言ったが、徐々に体が水温に慣れてきた。そしてそこから15分ほど沢を歩いていくとトンネルのようになったゴルジュが見えた。俺は「莉奈、黒岩さん、この沢の見所の一つであるゴルジュだよ」と説明した。莉奈も黒岩優も「何ここ!?すごい神秘的!」と感嘆の声をあげた。村瀬君はここに来るのは二度目だが、撮影に必死になっていた。ゴルジュの中を歩いていきながら、莉奈と黒岩優が二人で「すごいですね!神秘的ですね!」、「そうですね!」などと話をしている。ゴルジュを抜けて左側のカーブになったところで岩を登っていき、今度は右カーブになったところを過ぎると次の見所である落差10メートルの鍋滝が姿を現した。莉奈と黒岩優が「すごく神秘的な滝!」と言ったので俺は「帰りはこの滝をスライダーで滑るからね」と言ったら「ええー!」と二人とも驚いた。今回の難関はこの鍋滝の登りなのだ。左岸の岩場を登っていくのだが、途中からトラバースしないといけない。俺が先頭を進んで登っていき、トラバース地点で誰かが打ち込んだハーケンにスリングを取り付けた。このトラバース地点は沢靴でもかなり滑りやすいのだ。滑り落ちると滝壺なのでケガなどはしないが慎重に進んでいかないといけない。俺が最初にトラバース地点を通過すると、二番目に莉奈がスリングを持ちながらトラバース地点を通過した。三番目に黒岩優が怯えながらトラバース地点を通過していく。途中で足の置き場がわからなくなり、俺が左足をこっちへ、次に右足をこっちへなどと説明しながら恐る恐る黒岩優がトラバース地点を通過した。最後に村瀬君が通過するがすっかり慣れているようであっさり通過して取り付けたスリングを回収してくれた。
鍋滝の上部に立つと次は水深があるブルーの水に左側に小さな滝があり迫力ある岩が見えた。ここもまさに神秘的な場所で見所の一つなのだ。村瀬君が撮影していると莉奈と黒岩優が「ここもすごく神秘的!」と声を合わせて言った。俺は「沢登りをしないとこんな光景は見れないんだよ」と言うと黒岩優が「やっぱり水嶋さんの行くところは普通と違いますね」と言った。莉奈は「祐樹君はこんなところをたくさん知ってるんですよ!」と黒岩優のほうを見て言った。それを聞いた黒岩優は大きく頷いた。岩を登っていくと今度は河原歩きになる。ここからしばらくは見所がない。40分ほど歩いていると、村瀬君が小さな滝のところで「これ登りませんか?」と言った。時間はまだたっぷりあるのでちょっとこの滝を登って遊ぼうかと思った。最初に村瀬君が滝を登っていった。続いて俺が滝を登ろうとしたら滝の流れが強くて飛ばされた。そんな姿をみた他の三人は笑った。リベンジして俺が滝を登ると次に莉奈が試行錯誤しながら滝を登ろうとした。さすがに女性がこの滝の流れに逆らって登るのは厳しいだろうと思って俺は莉奈の手を掴んで登らせた。最後に黒岩優の手も掴んで滝を登らせた。その後、20分ほど歩いていって最後の見所である釜ノ滝に到着した。釜ノ滝はこの上部で分岐している左右の谷の合流地点になっていて左右からそれぞれ水が流れている神秘的な滝なのだ。滝壺はエメラルドグリーンでとても綺麗な水でもある。釜ノ滝をはじめて見た莉奈と黒岩優は言葉を失っているのか黙って眺めている。俺は「ここが釜ノ滝で二つの谷の合流地点になってる滝なんだよ」と説明した。すると莉奈が「すごい!すごい!こんな珍しい滝見れるなんて思わなかった!」と感動しているようだ。そして黒岩優も「本当にすごいです!自然の創り出した神秘の滝って感じがします」と言って感動しているようだった。村瀬君が釜ノ滝を撮影し終えると滝壺を泳ぎだした。それにならえという感じで莉奈が滝壺に入っていき、黒岩優も滝壺に入ってプカプカと浮いていた。四人とももう童心にかえっているのだ。釜ノ滝にいたもう一パーティーの人に記念撮影をしてほしいとお願いして、四人が釜ノ滝の前に並んで記念撮影を撮ってもらった。
本来は釜ノ滝でみんな昼食をとるのだが、人が多いところはあまり好きではないし、黒岩優だと気づかれると騒ぎになるかもしれないので左岸の山道を登って釜ノ滝の上へ行ったもう一つの滝壺の下で昼食をとることにした。俺がバーナーを取り出してお湯を沸かした。莉奈と黒岩優はすっかり意気投合したようで、二人であれこれ話をしている。村瀬君は独自でバーナーを出して、激辛のカップラーメンを食べていた。俺は「村瀬君、よくそんな辛いラーメン食べるよね?」と聞いてみると村瀬君は「体を温めるためですよ」と言った。俺と莉奈と黒岩優はそれぞれカップラーメンとおにぎりを食べていた。食べている途中で莉奈が「ところで祐樹君と黒岩さんはどこで知り合ったんですか?」と聞いてきた。俺は黒ヶ岳での出来事を話して「黒岩さんとはこれからも一緒に山に行く機会があるけど、あくまで内密にお願いね」と言っておいた。莉奈も村瀬君も「わかりました」と言った。昼食を終えてバーナーを片付けていると黒岩優が「今日は本当にこんな神秘的なところに来れてよかったです。水嶋さんありがとうございます」と言ってきた。俺は「黒岩さん、沢登り面白いでしょ?でも遊ぶのはこれからだよ」と言うと黒岩優は「すっごく楽しいです!登山もいいけど沢登りも楽しいですね!これから遊ぶって何するんですか?」と言った。俺は「これから滝をスライダーしたり飛び込んだりしていくんだよ」と言った。そして沢を戻っていく。まず釜ノ滝の上部に立って「さあ滑っていくよ」と言って最初に村瀬君が滑っていった。滝壺に滑り落ちてバシャッと水しぶきがあがった。莉奈はワクワクしている表情をしながら「次行きまーす!」といって滑っていった。続いて黒岩優が「ちょっと怖い」と言いながら恐る恐る座った。そして俺が「行ってらっしゃい!」というと黒岩優が「きゃー」といって滑っていった。滝壺に滑り落ちてバシャッと水しぶきがあがると黒岩優が大きな声で「うわーこれすっごく楽しいーーー」と言った。最後に俺が「やっほー」と言いながら滝壺へ滑り落ちた。それから一時間ほど戻っていくと今度は鍋滝の上部に着いた。今度は俺が最初にスライダーで鍋滝を滑っていった。そして滝壺を少し泳いで岩の上に立つと、次に莉奈が「いっきまーす」と言って鍋滝を滑った。莉奈は「この滝滑るの最高!」と黒岩優に向かって大きな声で叫んだ。続いて黒岩優が恐る恐る座って「いきます」といって滑った。そして滝壺を泳いで岩の上に立つと莉奈のほうを見て「莉奈ちゃんの言った通り、最高に楽しかった!」と言った。もう黒岩優は「莉奈ちゃん」と呼ぶようになっていたのかと思った。最後に村瀬君が両手をあげながら「おりゃー」と言いながら滑ってきた。もうすっかり四人は童心にかえっていたのだが、体がそろそろ冷えてきた。そこから40分ほど沢を戻って入渓ポイントまで戻ってきた。そして登山道を登っていき、駐車ポイントまで戻った。莉奈と黒岩優は木陰に隠れて着替えをして、俺と村瀬君はタオルを巻きながら着替えをした。ビショビショになった服や沢装備を車に積み込んで、助手席には村瀬君が乗って、後部座席には莉奈と黒岩優が乗って帰っていった。
帰りの社内で、莉奈と黒岩優はすっかり打ち解けたようで、二人で山の話や今日の沢登りの話をして「そうだね」や「うんうん、わかるわかる」などと話し込んでいた。やはり俺の思った通り、莉奈と黒岩優は気が合って絶対に仲のいい友達になれたようだ。お互いに敬語ではなく、すっかり仲のいい友達であるかのように話していた。莉奈の話を聞いた黒岩優が「水嶋さん、いつか前峰谷に連れていってほしいです」と言ってきた。今年はもう無理なので「来年一緒に行こう」と俺は言っておいた。そして今朝待ち合わせた駅前のロータリーに到着して三人とも荷物を降ろすと、黒岩優がまた不自然な変装して「水嶋さん、今日はすごく楽しくてすごく神秘的なものを見せていただいてありがとうざいました。またオフの日にどこか連れていってください!」と言ったので俺は「俺が神秘的なものを見せたんじゃなくて、自然が見せてくれたんだよ」と言った。そして解散となり、俺は自宅へ戻っていった。
自分の部屋に入ってスマホからメッセージ受信音が聞こえた。それは莉奈から「祐樹君、今日はありがとう!わたし、黒岩さんと仲良くなれそうでまた一緒に行きたい!」というメッセージだった。莉奈がこんなに喜んでくれて本当に良かったと思った。それにしても2033年から届いたメールに「芸能人(黒岩優)が俺にとって重要な人物となる」と書いてあったが、それが何を意味しているのか今の段階ではわからなかった。
昨日で願望感情受信現象が終わって、今日は最高の沢登りができた。そしていつの日か、莉奈を家に呼んで結婚前提に付き合っている人だと紹介しないといけない。莉奈が本当の婚約者になるのはいつなのかわからないが、そんなに遠い未来でもなさそうだ。8月はもう終わるので莉奈を紹介するとすれば9月になるだろう。そんなことを考えていたのだが、9月になって俺はとんでもない出来事に巻き込まれてしまうことになるのだ。




