第6話 運命の日
その日は、運命の日となった。
妖精の森に、人間達の第三の傭兵団がやって来た。
森の入り口付近で見張りを任されていた妖精達は、すぐさま駆け出して、他の妖精達に、傭兵団の襲来を伝えた。その知らせは、リーダーのピエリスの耳にも届いた。ピエリスは、敵の数と装備の様子を聴き取ると、すぐさまリーダーとしての行動に移った。
ピエリスは、“悪戯”の戦闘要員を、彼女の前に集合させることにする。30人程度の妖精達が、ピエリスの呼び掛けの下に集った。見張りの報告によれば、敵が50人程度と大規模で、しかも、前回からより増して武器の装備が充実していたという事で、それなりの戦闘要員を集めたのだった。
その集まった戦闘要員の妖精達の中に、スワロウの姿は無かった。スワロウは、ピエリスに人間を殺すのを止めるように言ってきたあの出来事以来、彼女の前から忽然と姿を消していた。ピエリスも、あの出来事があった以降、特にスワロウを探す事をしなかった。
ピエリスは、ちょうど良い虐め相手だったスワロウの事を、今や、気色悪い奴だとして拒絶感すら覚えていた。したがって、戦闘要員として、スワロウに呼び掛ける事はしなかったのだった。そして、今後も、呼び掛けるようなことはしないだろう。
ピエリスは、ずらりと並んだ妖精達を見下ろせる位置まで飛び、そして、腕組をして振り返って、集まった自分の兵士達を満足そうに見渡した。まるで、軍隊の指揮官になった気分であった。
「さて、諸君__」
ピエリスは、意気揚々と喋り出した。兵士を鼓舞する指揮官の真似事を始める。
「性懲りも無く、また人間どもは我らの妖精達の神聖な森に汚い足を踏み入れてきたわ。全く、不愉快極まりないわね。まだ奴らは、自身の矮小さに気が付いていないよう。まだ、奴らは、森を好き勝手荒らせるものだと、思い込んでいるみたい。
諸君、あの害獣どもに思い知らせてあげましょう! 今まで不当にも、理不尽にも、不条理にも、惨めな思いをさせられ続けていた我ら高尚な種族である妖精は、天上から正義の力を授かった! もう人間に我らの森の貴重な資源を譲る必要などないわ! 我らは、あるべき森の支配権を取り戻す! これ以上、人間どもに__」
長くなりそうな演説の途中、その異変は突然現れた。
森を、波が過った。
「えっ……?」
ピエリスの体を、凄まじい魔力が掠める。皮膚が引き裂かれたのかと錯覚してしまうくらい、膨大で強力な魔力が体を過ぎ去っていくのを感じた。ピエリスは、驚き、口を開いたまま固まってしまった。
そして、次の瞬間、宙に浮いていたピエリスは、両足が地面に向けられて強く引っ張られていくような感覚を味わう。ピエリスは、気が付けば、地面に向かって落下していた。
急に浮力を失い落下するピエリスは、口を開けたまま、腰のあたりを強く地面にぶつける。
「いっ……!?」
腰を地面にぶつけたピエリスは、苦悶の表情を浮かべなら、不格好にうずくまる。他の妖精達は、急に落下してきたピエリスに驚いて、痛そうに体を震わせる彼女を、不思議そうに眺めた。
「な……何なの……一体……?」
急に浮力を失った原因が分からず、ピエリスは、痛々しげに腰を摩りながら、困惑する。
暫く腰の痛みに震えていたピエリスは、痛みが多少収まったところで、よろめきながら立ち上がり、ある事に気が付く。
「……何これ」
ピエリスは、白い羽を動かし、自分の両手を見つめ、両目を落ち着きなく瞬かせる。
「魔力が無い……!」
ピエリスは、驚くべき事実を確認し、体を震わせながら、声を荒げる。
「魔力がない!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
妖精達の間で、騒めきが起きていた。
「魔力が無いわ! どういう事!? すっかり無くなっている! 空も飛べないし、どうなっているの!?」
ピエリスは、他の妖精達にヒステリックな声で訴える。そして、試しに宙を飛ぼうとするも、羽が虚しく動くだけで、身体が宙に浮かない。
他の妖精達は、互いに顔を合わせる。皆、酷く戸惑っている様子だった。なぜなら、異変が生じたのは、ピエリスの身体だけじゃないからだ。どうやら、他の妖精達も、自分から魔力が無くなっているようだった。皆、試しに宙を飛ぼうとするも、全く体が浮いてくれない。
ピエリスは、周囲の森に、興奮した目を巡らす。
「森から……、森から魔力が無くなっている……。どうして……?」
先ほどまで周囲に満ち溢れていた魔力は、まるで夢幻だったかのように、すっかり消え失せていた。ピエリスは、その事に気が付いた。そして、理解不能なこの状況に、愕然となった。
妖精の魔力は、周囲の環境に依存している。周囲の魔力が無くなれば、妖精は一切魔法が使えず、宙も飛ぶことすら出来ない。その妖精の特性自体、妖精達は理解している。しかし、分からないのが、どうして今突然、周囲から魔力が無くなってしまったのかだ。
ピエリスを含めた妖精達に騒めきが起こる。原因が分からないこの異常事態に、彼女達は恐怖し、混乱する。森から魔力が無くなるなど、未だかつてない事態だった。そして、宙を飛ぶことをはじめ、生活のありとあらゆる事について魔力に頼っている彼女達にとって、とても深刻な事態だった。
妖精達は、森の中を小さな足で駆けた。魔力が無くなった場所は一部だけで、別の場所ならばあるいはと考えたのだ。しかし、必死に駆け回っても、魔力を感知できる場所は見つけられない。
「本当に、どうなっているの……?」
ピエリスも息を切らしながら、他の妖精達と一緒になって駆け回っていた。
「まずいわ……もうすぐ人間達も来るというのに……」
その時、森の茂みが大きく揺れた。ピエリス達は、不穏な茂みの音に、一斉に顔をそちらへ向けた。
茂みの奥から、ゆっくりと獣の足が出て来た。黒い肌の犬の足だ。鋭く光る爪が、妖精達の目に映る。驚き立ち竦んだ彼女達は、揺れる茂みを注視する。そして、怯えた視線が集まる中、爛々とした赤い両眼を携え、黒い猛犬の顔が茂みから現れる。
妖精達は、息を呑む。黒い猛犬が緩慢な動きで茂みから全身を現すのを、ただ黙って見上げて震える。
妖精達が、見た事のない黒い猛犬だった。妖精の森に棲んでいる動物ではない。外から来た獣だ。__敵だ。
黒い猛犬は、妖精達の存在に気が付く。すると、影のように静かに現れた黒い猛犬は、急に鞭が打たれたかのように全身を滾らせ、獰猛な赤い瞳を輝かせ、牙を剥き、空気を引き裂くように吠える。この黒い猛犬から、殺気を向けられている事を、妖精達は感じる。
「ひっ……!?」
妖精達は、恐怖の声を漏らす。今の彼女達にとって__魔力が使えない彼女達にとって、眼前の黒い猛犬は、敵いようがない恐怖の存在だ。
そして、黒い猛犬は、妖精達に飛び掛かかるのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
魔力を失った妖精達は、襲い掛かってきた黒い猛犬に逃げ惑う。
そう、彼女達は逃げ惑うことしか出来ない。汗を噴き出しながら呼吸を荒げ、地上を駆けながら、ただひたすらに逃げる。今の彼女達には、植物を操って敵を撃退することが出来ない。それどころか、宙を飛ぶことすら出来ない。
黒い猛犬は、妖精達を追い回す。鼻をひくつかせ、優れた嗅覚を存分に発揮し、草や木の影に怯えて隠れていた妖精を見つけると、牙を剥き噛み付く。噛み付かれた妖精は、悲鳴を上げながら、その小さな体で何の抵抗する事も出来ずに、血を撒き散らして体が猛犬の牙によってズタズタの肉塊にされる。猛犬は、泣き叫ぶ妖精をそのように仮借無く噛み殺すと、ぞんざいに妖精だった肉塊を地面に向かって吐き出し、次の標的を探して森を駆ける。
黒い猛犬は、一匹だけではない。妖精の森に現れたこの猛獣は、何十匹といて、草木をかき分け、恐ろしい赤い両眼を輝かせて妖精を探し、駆け回っていた。
妖精の森のあちらこちらから、妖精の断末魔が上がる。妖精達は、突如あらわれた黒い猛犬の群れに、蹂躙される。
ピエリスは、白い羽を慌ただしく揺らし、同胞である妖精達の悲鳴を聞きながら、森の中を走っていた。謎の猛獣に恐れ慄き、足を縺れさせながらも、どこか安全な場所を探して必死に走る。
「……何なの……何なのよ……!」
ピエリスは、涙目になりながら、呟き続けた。
謎の現象に、謎の敵。ピエリスは、悪夢を見ている気分だった。自分は、先程まで、これから行う人間達に対する“悪戯”に心を躍らせていたはずだった。そして、今頃は、愚かにも森に侵入してきた人間達に、自分達妖精の圧倒的な力を見せびらかすはずだった。それなのに、今、こうして無様に地上を走り回る羽目になっている。
状況が把握できないピエリスは、恐怖に駆られるまま、とにかく走り続けていたが、茂みから姿を現した悍ましい影に、足を止める。
「……ひっ!?」
ピエリスの行く手を阻むようにして、黒い猛犬が姿を現した。猛犬は、ピエリスを見つけると赤い両眼が輝かせ、彼女に向かって吠える。身の毛も弥立つ猛犬の咆哮に、ピエリスは顔を真っ青にして、慌てて踵を返す。
死にたくない。ピエリスは、そう思った。
震える足を動かして、ピエリスは走った。情けない喘ぎ声を出しながら、生き延びるために走った。背後では、猛犬が吠えて、こちらに駆け出してくる気配を感じた。
あまりの恐怖に、ピエリスは僅かな地面の凹凸で転んでしまう。地面の土に顔を派手に擦り付ける。その彼女の背中に、黒い猛犬の足が伸し掛かった。
ピエリスは、背中に押し付けられた恐ろしい肉球の感覚に、呼吸が止まりそうになる。もう駄目だ、と彼女はうつ伏せで動けない状態のまま、猛犬に噛み付かれるのを震えながら待った。
ピエリスは、恐怖の時間を耐える。あの猛犬が噛み付いてくるその瞬間に、怯える。もうすぐ、自分も仲間の妖精同様、無残に噛み殺されるのだろう。
だが、恐怖の時間は続いて行く。目を瞑り、じっと動かないピエリスは、いつまでも自分が噛み殺されないことを、不思議に感じる。
「その白い羽……あなた、もしかして、ピエリス?」
声がした。女性の声だ。
ピエリスは、瞑っていた目を開けた。
「__そう、なるほどね。それは、運命的ね。全く、感動的じゃないの」
その女性は、誰かと話しをしているようだった。そして、猛犬の足に踏みつぶされているピエリスの前に、その女性が屈み込んだ。ピエリスは、面を上げて、その人物を確認する。
一人の魔女がいた。闇色のトンガリ帽子にローブを纏った、長い金髪の魔女だ。その瞳は、悪魔的な煌めきの赤い色。胸には、目立つ赤色の大きなリボンが飾られている。
「誰……?」
ピエリスは、その魔女に訊ねる。
「アデル。万能の魔女『赤リボンのアデル』よ」
その魔女、『赤リボンのアデル』は得意げに名乗った。
「万能の魔女……? 『赤リボンのアデル』……?」
「あら、知らないのかしら。まあ、こんな森に引きこもっている妖精風情は知らないか」
その魔女は、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「そして、こんな森に引きこもっているからこそ、あなた達は自分達の実力を過信したのね、ピエリス」
「どうして、私の名前を……」
「この子に教えてもらったの」
すると、不敵に微笑むアデルが、自分の手の平へと視線を落とす。黒い猛犬の肉球に押しつぶされているピエリスは、顎を必死に上げて、アデルの手の平の上を見上げる。誰かいた。彼女の手の平には、黒い羽が覗いていた。
「こんにちは、ピエリス。まさか、あなたに会う事ができるなんて」
聞き覚えのある声だった。彼女は、アデルの手の平から立ち上がり、姿を見せる。
「あなた……!」
ピエリスは、驚きに目を見開く。
姿を現したのは、黒い羽の妖精スワロウだった。
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