第5話 弱虫だったはずの妖精
妖精の森に送られた傭兵団が壊滅した後も、第二の傭兵団がやって来た。
今度の傭兵団は、より人数が多く、より装備が整えられていた。ボレルの町の人間達が、妖精の森の“魔物”討伐に対して、相当本腰を入れていることが窺えた。だが、膨大な魔力を手にした妖精達には、それでも敵わなかった。
蔦を操って不意打ちをし、身体を拘束し、後は、怪物の花に食らい付かせる。これまで通りの手順で、傭兵達を悉く無力化し、惨殺し、勝利する。そのように、ピエリスを筆頭にする妖精達は、いつも通り、凄惨な悪戯を楽しむだけだった。
ピエリスは、怪物の花々が泣き叫ぶ人間達を貪り食う光景に、満面の笑みを浮かべる。彼女は、人間が妖精の力に屈する様が、愉快で堪らなかった。
__何もかもが順調だ。裏切り者のルビアが忠告していた、人間達の仕返しなど、気にすることはない。妖精に、怖いものなどもう無い。現に、今回の悪戯も上手くいった。そして、これからも、上手くいき続けるのだろう。
ピエリスは、自分達妖精の力が人間のそれを上回ったと確信する。これからは、この森に、妖精の時代が訪れると、胸を高鳴らせる。
ところで、今回の悪戯でほんの少し変わったことがあった。それは、気に留めるようなことではないような、全く些細なことだ。だが、ピエリスは、今回の悪戯の勝利の余韻に浸る中、妙に、その事に引っ掛かりを覚えていた。
本当に些細な事ではあるが、今回の悪戯に、スワロウが参加していなかった。
今回の悪戯の前に、ピエリスとスワロウの間で、こんな事があった__
その時ピエリスは、ちょうど食事をしていた。妖精の森でピエリスが勝手に縄張りとしている美味しい果実が成る木がある周辺で、彼女が果物を齧っていたところ、スワロウが突然やって来たのだった。
「何、あんた。ここ私の縄張りよ。知っているでしょ? 誰の了解を得てここにやって来たの?」
不快感を露に、ピエリスは、スワロウを睨み付けた。
「話があるの、ピエリス」
スワロウは、話を切り出した。その声は落ち着いていて、そして、彼女の目は、一切の光が失せたように、驚くほど虚ろだった。眼球の代わりに硝子玉でも嵌め込んでいるかと思うくらいだ。彼女の黒い羽も相俟って、まるで冥府の死霊のような様相を呈していた。
「話? 一体何の話よ?」
ピエリスは、スワロウの様子がおかしい事に眉をひそめつつ、問い掛けた。
「人間を殺すのを、もうやめて欲しいの」
ピエリスは、まず、スワロウからその言葉が出て来たことに驚いた。本気で聞き間違えたかと思い、数秒固まった。
「何て?」
「人間を殺すのを、もうやめて欲しいの」
聞き返しても同じ言葉が出て来た。ピエリスは、手に持っていた食べかけの果実を荒く放り投げると、スワロウに怒気を纏って迫った。
「どういう事よ、スワロウ? どういうつもり?」
ピエリスは、近づいてスワロウの片方の頬を摘まみ上げた。
「……言った通りだけど。人間を殺すのをやめて欲しの」
スワロウは、片方の頬を摘まみ上げられながらも、変わらずそう言った。スワロウの虚ろな瞳が、ピエリスを見つめ続けた。スワロウの表情に、いつものような怯えた影が現れない。
ピエリスは、そんなスワロウに、不気味さを感じた。スワロウではない、スワロウによく似た人形でも摘まみ上げている気分だった。
「あんた……っ!」
ピエリスは、さらにもう片方の頬を摘まみ上げて、スワロウの様子を窺がった。両頬が摘まみ上げられたスワロウの表情が、痛みで歪んだ。ピエリスは、その反応を見て、目の前にいる妖精が間違いなくあのスワロウである事を実感し、安心する。
「本気で言っているの? ねえ? あんたがそんな馬鹿な事いうなんて? 怒りを通り越して驚きなんだけど? あんた、何か変な物でも食べた?」
ピエリスは、強く摘まみ上げながら訊ねた。
スワロウは、ピエリスを虚ろな瞳で見つめ続けた。ただ見つめ続けて、何も喋らない。両頬を摘まみ上げた手が邪魔で喋れないと言わんばかりに、何か言う気配も無く、ただピエリスを見つめ続ける。
不気味な沈黙が二人の間に続き、遂に、痺れを切らしたピエリスが両手を放した。
「何なのあんた……、何か喋りなさいよ」
「__ルビアちゃんの願いだから」
「は?」
「ルビアちゃんが、あなた達が人間を殺さない事を願っていたから、私は、あなたに言いに来たの。人間を殺すのをやめて欲しい、って言うの」
スワロウは、腫れた両頬の痛みに頓着することなく、そう言い放った。毅然としたスワロウの態度に、ピエリスは強い反感を覚えた。
「生意気よ、スワロウ!」
ピエリスは、かっとなって、再びスワロウの片方の頬を摘まみ上げた。より強く、摘まみ上げた。スワロウが痛みに顔を歪めるが、相変わらず、虚ろな瞳がピエリスを見つめ続けていた。
「あんたごときが、あんたみたいな雑魚妖精が、この私に意見するなんて1000年早いのよ! ……何が、人間を殺すのをやめて、よ! あんた、あの裏切り者の影響を受けているんじゃないわよ! この私が再教育して上げるわ!」
「ルビアちゃんの願いは消えない。たとえ、あなたがルビアちゃんを殺しても、その思いは私が受け継ぐ。私だけじゃない……、人間との友好を望む全ての妖精達に受け継がれる。ルビアちゃんを殺しても、ルビアちゃんの願いを殺した気にならないで」
次の瞬間、ピエリスからの鋭い平手打ちがスワロウの頬に飛んだ。スワロウは、よろめいて地面に座り込んだ。
「あ、あんた……! よくも、そ、そんな事を! ……あのっ! あの裏切り者がっ!」
激しく息を荒げるピエリスが、飛び付くようにスワロウの首を掴んだ。
「あの裏切り者が、間抜けをやってああなったのは、因果応報ってやつよ! 私達妖精の敵である人間を変に助けようとしたからああなった! 天罰よ! 天罰を受けたのよ! あいつの罪深い行いが、あいつを……!」
「……違うよ、同胞殺し。ルビアちゃんを殺したのはあなただよ」
「同胞殺し!?」
スワロウが首を掴まれながら掠れた声で告げた言葉に、ピエリスは、顔を真っ赤にする。そして、怒鳴り、白い羽を震わせて、怒りのままに力を込めてスワロウの頬にまた平手打ちを食らわした。
「誰が同胞殺しよ! 私は悪くない! あの裏切り者が全部悪い!」
「……あなたが、お花達を、暴走させた……」
平手打ちを受けながらも、スワロウの虚ろな瞳はピエリスを見つめていた。
「黙れ……っ!」
「……ムキになって、魔力を……、注ぎ過ぎた……。だから……」
「黙れ! 黙れ! 黙れ!」
「あなたが、殺した」
ピエリスは、怒りに吠えると、スワロウの頬を思いっきり叩いた。気が付けば、既にスワロウの頬が、酷く腫れ上がっていた。
「黙りなさい、スワロウ! それ以上言うと、本当にただじゃ済まさないわよ!」
「……殺すの? 私も、殺すの? ルビアちゃんを殺したみたいに……」
「あんた……っ!」
ピエリスの頭に血が昇る。我を忘れた彼女は、スワロウを殴り続けた。今までにないくらい、何度も何度も殴った。その殴打に、スワロウは悲痛な呻き声を漏らす。その呻き声が、ピエリスを安心させる。
ピエリスは、安心したかった。__スワロウは、気弱で、情けなく、リーダーである自分に従順でなければならなかった。そうでないスワロウは、スワロウではなかった。だから、殴り、情けない呻き声を上げさせ、スワロウがスワロウであることの証明をしなくてはならなかった。
しかし、スワロウは、今までに見た事のない、あの虚ろな瞳をピエリスに向け続けていた。
「……はぁ……はぁ……、思い知った、かしら……?」
激しく殴り続けて、息を切らし始めたピエリスが、ぐったりとなったスワロウを、冷笑を浮かべながら見下ろした。
スワロウは、ぴくりとも動かず、まるで死んでいるみたいだった。もはや、口を動かす力も無い様子だった。
「……何か私に言うことは? 今ならまだ、さっきまでのあんたの不遜な発言は聞かなかったことに__」
「……人間を殺すのを、やめるつもりはない?」
だが、死体のようにぐったりしていたスワロウが、弱々しい声ながらも、再度そう訊ねた。スワロウが、僅かに動き、虚ろな瞳をピエリスに向けた。まるで、ルビアの亡霊が、スワロウの身体に乗り移って、操っているようだった。
「この……っ! まだそんな事を言うの!」
眉間に皺を寄せたピエリスが、スワロウに近付き、また殴ろうとした。
だが、殴ろうとしたピエリスの腕を、急にスワロウが掴んだ。
「……なっ!?」
ピエリスは驚き、後退りしようとするも、スワロウの手は意外にも強く、ピエリスの腕を掴んで放さない。
「人間を殺すのを……」
「な、何なの、あんた!?」
「やめない……?」
「放せっ!」
ピエリスは思いっきりスワロウを叩き、自分からスワロウを引き剥がした。ふらつくピエリスは、顔を歪めて忌々しげな視線を地に伏したスワロウに送った。
「さっさと失せなさい、スワロウ!」
スワロウは、痣だらけとなった身体を芋虫のようにくねらせて、ゆっくりとぎこちなく面を上げる。そして、痛む身体に顔を引きつりながら、虚ろな瞳をピエリスに向けた。
「……人間を、殺す、……のを、止めない……?」
「っ!? ……何なのよ、あんた……」
「……止めない?」
「止めるわけないでしょ!」
「……本当?」
「くどい!」
ピエリスの頬に汗が伝った。ここまで満身創痍に関わらず、相変わらず質問を繰り返すスワロウに、恐怖すら感じた。異常だと思った。壊れていると思った。
「失せなさい!」
「……」
「失せろっ!」
スワロウは、やはり虚ろな瞳をピエリスに向け続けていた。ピエリスが“止める”と言うまで、そうし続けるつもりのようであった。
ピエリスは、舌打ちをして、スワロウに近寄り足蹴りすると、
「気持ち悪い! 気持ち悪いわよ、あんた! 二度と私の前に姿を見せないで!」
そう吐き捨てると、鼻息を荒くしながら、逃げるようにその場から立ち去って行くのだった。
__と、こんな事があった。
それは、ピエリスが気に留める程もない、出来事のはずだった。
確かに、不愉快で、そして、不気味な出来事ではあったが、ただそれだけだ。何もピエリスを揺るがすものではない。雑魚妖精と見下されているスワロウの言葉が、ピエリスを翻意させることなどあり得ない。ピエリスは、今後も人間達に“悪戯”をしていくし、人間と抗争になれば、それに勝利していくつもりだ。
__何もかもが順調だ。ピエリスは、怪物の花に食されつつある人間達の死体を見下ろしながら、声を出して笑う。自身の中に潜む一抹の不安を吹き飛ばすように、声高らかに笑い続けた。
ピエリスは、笑わなくてはならなかった。何もかもが順調なのだから。そうであるはずなのだから。
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