第15話 狂った選択
任務を終えたアデルは、その後日、ヴァイス長官に呼ばれ、再び中央憲兵司令部本部の執務室へ戻って来た。
「入るわよ、ヴァイス長官」
アデルは、一声掛けて、ドアを開けた。
執務室には、ヴァイス長官が一人、椅子に腰を掛け、赤髭を撫でながらアデルを待っていた。ヴァイス長官は、入室して来たアデルを、じっと見つめる。
「ご苦労だった、赤リボン殿」
まずは、淡白に労いの言葉を述べた。
「報告は既に聞いている。連続殺人鬼レオ・クラインは貴女によって討たれ、メ―リアン魔法研究所の実験体も何とか確保された。無事任務は達成された。感謝するぞ」
事の顛末は、ヴァイス長官の耳に届いていた。
レオ・クラインの所在地を突き止めたヴァイス長官率いる憲兵隊は、そこへアデルを送り込んだ。ヴァイス長官の予想通り、そこには、実験体のエマもいた。アデルは、レオと交戦の後、見事に彼を打倒し、息の根を止めた。交戦中にエマの方は、逃がされてしまうが、レオを片付けたアデルが、直ちに背後に控えていた憲兵らに事情を伝え、エマの捜索が開始された。それから、憲兵が気絶していたエマを見つけ出して確保するのに一時間も掛からなかった。
「件の殺人鬼なんて、どうってことなかったわよ。随分と注意してくれたけど、私にかかれば楽勝よ」
「そんなこと言ってアデル、油断してもう一人のターゲットを逃がされちゃったじゃないか」
「黙れ、楽勝だったわ」
アデルは、頭上のメメを強く握り締めた。
「さて、赤リボン殿、報酬の話なのだが__」
次にヴァイス長官、報酬の話を切り出す。
「まずは、世界各地に存在するマジックアイテム、及び我が国の各魔法研究所で保管されているマジックアイテムの情報をまとめた報告書を用意してある。後日、資料室で閲覧させよう。必要ならば、報告書をそのまま交付しても良いが、なんせ量が多いので、そこは赤リボン殿に任せる。……これを、報酬の一つとして数えても構わないか?」
「ええ、分かったわ」
ロートヘルム帝国は、アデルの魔法の取引の対価として、しばしば様々な有益な情報を提供してくれる。その情報は、アデルの旅の指針にもなる。
「それと、報告が遅れたが、赤リボン殿が厄介がっていた魔法結社の一派閥の案件が片付いたそうだ。我々の工作活動が功を奏して、例の一派は自ら魔法結社を脱退し、新たな組織を結成した。その後、魔法結社と事を構えて、一派のメンバーはまとめて始末された」
「それは朗報ね」
ロートヘルム帝国がアデルに差し出す対価は、物や情報に限られない。帝国は、その国家権力そのものを取引の対価として差し出すことが出来る。アデルは、今まで幾度なく、帝国の権力を利用して、各地に作ってしまった自身の敵対勢力を潰すことをしていた。
「さて、赤リボン殿は、メ―リアン魔法研究所の実験体についての依頼も達成してくれた。貴女のおかげで、例の実験体を確保することが出来た。貴女の任務達成は、しっかり記録しておく。その報酬として、何か要望あるかな?」
「そうね……。アース王国のノークって町で私がやったことが少し騒ぎになっているって聞いているし……、この前にグロス教会の銀星聖騎士団とちょっと揉めたりしたし……色々処理してほしい案件はあるけれど……」
「……そうか」
この女は相変わらず各地で厄介ごとを作ってきているな、とヴァイス長官は、内心で苦笑いした。
「色々と要望はあることが分かった。また後で詳しく事情を伺おう。とりあえず、メ―リアン魔法研究所の実験体の依頼についても、赤リボン殿の達成した任務の一つとして計上しておく」
「ええ、よろしく。……あと、少し気になっているんだけど__」
「ん?」
「そう言えば、あの実験体、あの後どうなったの?」
アデルは、ふとそんな事を聞いた。
「憲兵に確保されたことまでは聞いているけど、その後のことは聞かされてないの。ちゃんと処分したの?」
「……聞きたいか?」
「……? ええ、一応……」
実際のところアデルとしては、件の実験体の末路の事などにそこまで興味は無かったが、ヴァイス長官の妙に意味深な口調は気掛かりだった。
すると、ヴァイス長官は、姿勢を正して、件の実験体のその後を語る。
「実験体の少女であったエマは、私の紹介で、帝都外の孤児院に預かってもらうことにした」
「……ん?」
「そして、彼女の体にある魔術の刻印は、手術によって摘出することになった。何名かの、信用出来てなおかつ表社会には出てきていないような魔術師の知り合いを頼ることにした。正直、手術は成功するかどうか分からないが、私の出来る限りの手配はしたと思う」
「いや、ちょっと待ってよ」
アデルは、ヴァイス長官の説明を止める。そして、訊かねばならぬ点が、一つあった。
「ヴァイス長官……あなた、もしかして、あの実験体を殺さないの?」
「そうだ」
ヴァイス長官は、一言そう答えたが、それで片付けられる話ではない。
「そうだ、じゃないわよ。あなた、私にあの実験体を殺せって命令したわよね? あの実験体の体に、違法な実験の跡があるから、それを隠滅するために」
「私は、“殺せ”とは一言も言っていない」
「はあ!?」
予想外の発言に、アデルの声が裏返る。
「何言ってんのよ? 私は、あの実験体を殺すように命じられたはずよ。そして、実際、私はあの実験体を殺そうとしていたの。ねえ、どういう事……? 私は、命令を聞き間違えでもしていたわけ?」
「私は、実験体を“処分してくれ”と言っただけだ。殺せとは言っていない」
「本当にあなたは何を言っているのよ? 処分するってことは、殺すって事でしょ。少なくとも、あなたには、私があの実験体を殺そうとしていたこと分かっていたはずよ。それなのに、あなたは黙って私を行かせた。私があの実験体を殺すことを黙認していた」
「……そうかな?」
「ちょっと待って、これはしゃれにならないわよ」
ややとぼけたような態度を取ったヴァイス長官に、アデルが殺気立って詰め寄った。アデルは、ヴァイス長官の机の上に手を置いて、彼を睨み付けた。
アデルが殺気立つのも尤もだった。
ヴァイス長官の言う通りであるなら、アデルは命令を誤解していて、したがって、命令に違反するところだった、という事だ。軍務において命令に反して人を殺せば、軍法会議で重い罰が下されることもあり得る。冗談で済む話ではない。
「ヴァイス長官、ふざけないで答えてくれる? あなたは、最初からこのつもりだったの? 私に命令違反させて、嵌めるつもりでもいたの?」
「そう怖い顔をしないでくれ、赤リボン殿」
「いいから答えろ」
「……分かった。納得いく説明をしよう」
ヴァイス長官は、困ったように赤髭を撫でた。
「嵌めるなんて、『赤リボンのアデル』にそんな怖いことは出来ない。ただ、気が変わっただけだ」
「気が変わった?」
「部下が件の実験体を確保し、私の元に引き渡した。それで気が変わった。殺すのではなく、別の方法はないのかと」
「どうして気が変わったの?」
「可哀想だと思ったからだ」
アデルは、流石に耳を疑った。
「は? 何て?」
「可哀想だと思ったのだ。確かに、違法な実験の跡を消し去るには、実験体を殺す事が最も確実で、そして、最も容易な方法だった」
「そうね、殺すのが一番合理的な選択だわ。だから、“処分”とは、当然、殺せという意味だと思ったのよ」
「しかし、実物を目の前にして、別の方法もないかと検討したくなったのだ。多少無理やりであるが、実験体の処分を私の一存に委ねさせることにした。そして、私の権限と人脈を駆使して、殺す以外の方法で処分する目途を立てた」
「それは、殺すのが可哀想だから?」
「そうだ」
「馬鹿げているわ」
ヴァイス長官の説明は、とても納得できるものではなかった。
アデルは、侮蔑の眼差しをヴァイス長官に向けた。アデルには、ヴァイス長官の行動が全く理解できなかった。狂っていると思った。
「気が変わった? 可哀想? そんないい加減な気持ちで任務をしているわけ? あなた、良くそれで中央憲兵の長官にまでなれたわね」
「そうだな。自分でもそう思う」
ヴァイス長官は、自嘲気味に笑う。
「いずれにしろ、私は、赤リボン殿を陥れようとしたわけではない。仮に貴女が件の実験体を殺したとしても、それについて、一切咎めるつもりはなかった」
アデルは、腕を組み、ヴァイス長官を見つめた。
「……ねえ、気が変わったなんて言うけど、よく思い返してみれば、あなた最初から様子が変だったわよ。最初から、殺す気が無かったように見えた。これは、私の勝手な推測なんだけど__」
アデルの赤い瞳が、ヴァイス長官の顔を覗き込んだ。そのアデルの表情には、意地悪い笑みがあった。
「あなたは、どうしても、あの実験体を自分が殺したことにしたくなかった。あなたは、あくまで、自分が善良な人間でありたいと思うから。だから、私が勝手に命令を誤解して殺してしまったことにしたかった。そういう事にして、自分の心を納得させたかった。最初から、そのつもりで私に依頼した。……違う?」
「貴女の想像に任せる」
「なら、私の中では、あなたは、どうしようもないクソ野郎よ」
アデルが、厳しく言った。
「あなたは、私に悪役を押しつけようとした。だけど、私があの実験体を殺し損ねた瞬間__私に悪役を押し付けられなくなった瞬間、あの実験体を生かすことに決めた。呆れた半端者ね。はっきり言って、悪人より性質が悪いわ」
「アデル、そのへんにしときなよ」
暴言を吐き始めたアデルを、メメが注意する。
すると、ヴァイス長官は不敵な笑みを浮かべた。
「かつての私の友人に、“自分の事を善人だと思っている間抜け”だと言われたことがあったよ。そのことを今、思い出した」
「なかなか的確なことを言っているじゃないの、その友人は」
「そうかもしれないな」
それから、ヴァイス長官は、机の上に両手を置いて、やや身を乗り出し、とある提案をする。
「赤リボン殿が私を罵倒したいなら、好きなだけするが良い。だが、その前に、聞いてもらいたいことがある」
「何よ?」
「今回の事を報告書にまとめてもらう必要があるのだが、報告書には赤リボン殿が__アーデルハイト・ロートシュライフェ特別憲兵予備役が、連続殺人鬼レオ・クラインと実験体エマをまとめて現場で始末したことにして、書いてもらいたいのだ」
「虚偽報告を記載しろ、って言うのね?」
ヴァイス長官は、頷く。
「そうだ。……赤リボン殿としても、実験体を一度取り逃がしたということよりも、何のトラブルも無く始末出来たとする方が良いだろう」
「構わないけど、これは大きな貸しになるわよ? 私に虚偽報告に付き合わせるなんてね」
「そうだな。……だが、赤リボン殿も、私に大きな貸しを作ることになる。それで、相殺だ」
ヴァイス長官は、アデルのローブを指差した。アデルは、ヴァイス長官の言っている意味が分からなくて、首を傾げた。
「虚偽記載に付き合ってくれるなら、赤リボン殿が、その魔導書を横領しようとしたことを黙っておこう」
アデルは、どきりとした。ヴァイス長官の指を差したローブの内側には、レオ・クラインから奪い取ったサマウスの魔導書が入れられていた。
「何のこと……?」
アデルは、動揺を堪えて、惚けることにした。ヴァイス長官は、アデルに鋭い視線を向ける。
「そこに魔導書を隠しているのだろう。私には、全てお見通しだ。分かっていると思うが、それは、帝国の所有物だ。勝手に持ち去ろうとすれば、当然それは、犯罪行為だ。今ここで素直に私に渡して貰おうか」
アデルは、静かに唸り、考えた。
このまま惚け続けるべきか。どういう訳か、ローブの内側に魔導書が隠している事自体は、すっかりお見通しのようだった。
「赤リボン殿、変に話をややこしくするより、私の言う通りにするのが一番賢明だと思うのだが? その魔導書が貴女にとってそこまで価値があるならともかく、そうでないなら、私と友好的に利害を擦り合わせるべきだと思わないかね?」
確かに、ヴァイス長官の言う通り、アデルにとってサマウスの魔導書はほぼ無価値だった。使える魔導書と思ってレオ・クラインから騙し取ったが、試しに使おうとしたものの、魔導書は全く反応してくれない。これでは、意味不明な文字が書き連ねられているただの本だ。ヴァイス長官は、その事まで見通していた。
アデルは、考えた後、ローブの内側から、サマウスの魔導書を取り出して、ヴァイス長官の机の上に置いた。ヴァイス長官は、魔導書を受け取って確認する
「別に横領しようとしていたわけじゃない。拾ったのを、うっかりそのままにしていただけよ。犯罪行為なんてしていない」
「繰り返すが、変に話をややこしくするのはよせ。私には、全てお見通しだ。少なくとも、客観的に見て、貴女は横領を疑われる行為をしている」
ヴァイス長官は、言い訳をしようとしたアデルを、素早く制した。アデルは、顔をしかめる。
「随分強気ね、ヴァイス長官。あなたがやる気なら、私にも考えが__」
「やめなよ、アデル。ヴァイス長官は、本当に全てお見通しみたいだよ。悔しいかもしれないけど、彼にたてつかない方が良い。ここで変に揉めて、君に特に利益がある訳じゃないだろ。冷静になりなよ」
他者の心が読める能力を持つメメが、アデルに折れるように勧める。アデルは、口を噤み、ヴァイス長官を睨み付けた。
「……。……分かったわ」
アデルは、ヴァイス長官にも聞こえる露骨な舌打ちをして答えた。不承不承といった様子だった。声に不機嫌さが滲み出ていた。
ヴァイス長官は、赤髭を撫でながら、椅子に座り直す。
「そうか、分かってくれたか。それは、助かる。……私の言葉が拙く、気分を害してしまったのなら、謝罪するが?」
「ふん。いらないわ。じゃあ、もう失礼するわよ」
苛立った様子のアデルは、そう言って退室しようとする。
「そうか、しかし、やはり私は貴女が怖いので、勝手ながら謝罪の意味を込めて、私個人の出費で、今回の依頼達成の特別な賞与として何かプレゼントしよう。……確か、ワインが好きだったな」
「ん? ワイン……」
アデルの不機嫌そうな表情が、ほんの少し和らいだように見えた。
「いくつか上質なワインを持っている。どうだろうか?」
「……私の機嫌を取りたいなら、樽の2、3個は持ってくるべきね」
「なるほど。それは、なかなか大変な出費になりそうだ」
ヴァイス長官は、少しだけ顔を引きつらせた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
アデルが、執務室から退室し、部屋にはヴァイス長官のみが残された。
「さて……」
ヴァイス長官は、独り呟き、机上に置かれたサマウスの魔導書に目を遣ると、おもむろに手に取り、広げた。
その瞬間、魔導書から黒い霧が立ち昇り、部屋の天井に広がり充満した。ヴァイス長官が、蠢く黒い霧を黙然と見上げる中、黒い霧は次第に凝縮していき、漆黒の大蛇を形作る。
漆黒の大蛇は、ゆっくりうねって、ヴァイス長官を見下ろす。
<久しぶりだな、ラインハルト>
そうして、ヴァイス長官を名前で呼んだ。
「ああ、久しぶりだな、サマウス」
ヴァイス長官は、複雑な気持ちで、かつての友人に挨拶するのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




