第14話 殺人鬼の祈り
“ありがとう、レオ”
掠れる意識の中、レオは、幻聴を聞いた。
それは、幻聴に間違いなかった。なぜなら、その声の持ち主は、近くて遠い場所__赤い瞳の魔女の足元で気を失っている。
助けたかった。
エマは、『赤リボンのアデル』に殺されようとしていた。だが、魔導書を失ったレオに、エマを助ける力はもう無い。
レオは、自嘲気味に笑う。今さら、誰かを助けようとなどと考えている自分自身に、呆れてくる。
レオは、たくさん人を殺した。出来る限り惨たらしく殺してやった。その被害者達が、今の無様な自分の姿を見れば、きっと、いい気味だと喜ぶだろう。レオは、そんな事を思った。
レオは、涙を流す。確かに、これが、自分に相応しい最期かもしれない。連続殺人鬼が、中途半端に善行を試みた、然るべき結末なのかもしれない。
だけど、それでも、助けたかった。
自分が善人か、悪人かなんて関係ない。過去の自分の所業も関係ない。誰に何と言われようが、エマの事だけは助けたかった。
レオは、神様に祈った。
大した信仰心も持ち合わせていない彼は、この時だけ、いるかどうかも分からない神様に乞い願った。無力な自分が、万能の魔女からエマを救い出せるとしたら、それは、奇跡が起こること以外にはあり得ない。
__自分は、神様に祈る資格のない罪人だ。そんな事は分かっている。だが、それでも、祈らせてほしい。
この先、どんな地獄を見ることになっても構わない。どんな罰も受けてみせる。その覚悟はある。
だから、神様、どうか、エマを助けたいというこの願いだけは、聞き届けて欲しい__
そう、レオは、祈った。
もはや神様に祈るしかできない無力さに打ちひしがれていたレオは、霞む視界の端に、散らばった部屋の中に紛れて、きらりと光るものを発見する。
それは、袋から転がった、2個の魔法石だった。
それは、蹲るレオのちょうど手の届く場所にあった。
それは、レオにとって奇跡の煌めきだった。
「……あっ……」
レオの視界が明るさを取り戻す。全身に不思議な力が流れる。その瞳に、希望の光が宿る。
その魔法石は、移動魔法を閉じ込めたものだった。レオが、以前殺害した二名の憲兵から奪い取ったものだった。換金用にとっておいたその魔法石が、まだ売らずに手元に残っていたのを忘れていた。
レオは、手を伸ばし、その2個の魔法石を手に取る。
「何……?」
アデルは、不審な動きを見せたレオの方へ目を向ける。彼女の頭上には新たに光の刃が形成されており、それを足元のエマの身体に突き刺す直前のところだった。
だが、アデルは、レオが手にした魔法石を確認した瞬間、顔色を変えた。
「あなた……それ……!?」
レオが手にした魔法石の事は、アデルも良く知っている。移動魔法の魔法石だ。魔法石の触れたものを一瞬で、別の場所へと転移させることが出来る。帝国憲兵が、緊急脱出手段として、常備している使い捨ての魔法石だ。魔力を込めれさえすれば、誰でも、魔法石に閉じ込められた移動魔法を使用できる。
報告によれば、レオ・クラインは、彼を追跡した憲兵2名を殺害している。その憲兵達から奪い取ったものだと、アデルは察した。
そして、今この場でその魔法石を使われては非常に厄介だ。レオに逃げられてしまう。
アデルは、レオがその魔法石を使って即座にこの場から離脱するのかと思った。しかし、レオは、そうはせず、立ち上がり、アデルの方へ向かって来た。
アデルは、レオの狙いが直ぐに分かった。レオは、エマを助けるために、こちらへ向かって来たのだ。レオの手には2つの魔法石がある。二人分を移動させられる事が出来る。レオは、自分とエマの二人をこの場から離脱させるために、アデルの足元へと接近を試みたのだ。
「うおおおおおおっ……!」
レオは、咆哮を上げ、血塗れの満身創痍の体を奮い立たせて、アデルへと向かって行く。
ほんの少し魔法石にエマの体を触れさせるだけで良い。レオは、それだけのために、全身全霊を掛けた。
「無駄よ」
アデルは、余裕綽々の表情で光の刃をレオの方に向け、放った。
レオが独りで離脱しようとするならともかく、そうでないと分かっているなら、そこまで慌てる必要は無かった。最強の光の精霊を召喚し使役させているアデルには、レオをエマに近づけさせないようにするなど、あまりにも容易い事だった。
光の刃は、レオの右肩に突き刺さる。勢いよく血飛沫が舞う。レオは激痛に呻き声を上げる。__だが、立ち止まらない。
「おおおおおおっ!」
「……なっ!?」
レオは、アデルへと突進し続ける。アデルは、レオのその執念に、多少なりとも動揺した。
レオは、魔法石を握り締め、笑っていた。
全身血塗れで今にも倒れそうだったレオは、不思議にも、痛みを辛いと感じなかった。
視界は冴え渡っていて、呼吸を止めても胸に苦しみを覚えない。体が異常に軽い。まるで、今まで自分を覆っていた重い帳が、すっかり消え去っているようだった。
闘う目的が、無力な彼に力を与えていた。
「無駄なのよ!」
アデルは、焦りながら光の刃をもう一度形成すると、突っ込んでくるレオに放った。光の刃は、斜め上からレオの胴体を貫き、床に釘付けにする。
「……がっ……はっ……!」
レオは、血を吐き、体の動きを止める。明らかに、致命傷になる一撃だ。そして、光の刃に釘付けにされて、動けない状態となった。
だが、レオは、諦めない。その手にはまだ、2個の魔法石がしっかりと握られている。
アデルは、執念深いレオに、溜息を漏らす。
「もうじっとしていて欲しいんだけど? 諦めて、大人しく死になさい」
「……そうだな……、もう……諦めるとするよ……」
レオは、口から血を垂らしながら、しわがれた声でそう言った。だが、その瞳には、まだ強い光が残っている。
「__ただし、諦めるのは、俺の命だけだ」
レオは、魔法石に魔力を込める。握り締めた魔法石の一つが光輝き、そして砕ける。移動魔法を使ったのだ。レオの体が光に包まれ、それから煙のように消え失せる。
その魔法が使われたのは、レオ自身が逃げるためのものだと、アデルは思った。
そして、そうであるなら、先ほどの一撃で致命傷を負ったレオの事など、大して気にする必要はない。あの傷なら、彼の寿命は、あと数分と持たないだろう。つまり、レオが移動魔法を使ったところで、彼の死体を探す面倒が増える程度だと考えていた。
しかし、そうではなかった。アデルのスカートの下から光が浮かび上がり、そこから突如、レオの体が出現した。
「アデル、下だよ」
と、メメが教えてあげる。
「……っ!? はあ!? 何だ、変態野郎!?」
アデルは、レオの出現に気が付く。
まるでスカートを覗き込むような位置に現れたレオに、アデルは顔を赤くして飛び退く。そして、驚きと怒りに任せて、レオに蹴りを入れた。
だが、レオを蹴っている場合ではなかった。アデルは、すぐさまに、レオの息の根を止めるべきだった。なぜなら、レオがアデルのスカートの下に現れたのは、なにも痴漢行為をするためではない。
レオの目的は、あくまで、アデルの足元に転がっていたエマに接触するためだ。そして今、レオの手は、エマの体に届いている状態だった。レオの手にある移動魔法の魔法石が、エマの体に触れている。
「あっ__」
アデルが、自分の失態に気が付いたときにはもう遅い。
レオは、魔法石に魔力を込める。エマに触れている魔法石は光輝き、砕ける。
移動魔法が発動する。エマの体が光に包まれ、消えた。
小屋に残されたのは、唖然と口を開けたアデルと、血塗れで床に伏したレオだけになった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「……あなた、やってくれたわね……」
エマが移動魔法で消えた後、アデルは、床に伏したレオを静かに見下ろした。その声から、彼女の苛立ちが伝わってくる。
「私は、自分の思い通りにならないことがイライラするの。予想外の出来事に腹が立つの。ねえ……私、言ったわよね? 大人しく死になさいって」
レオは、血を吐き出して、不敵な笑みを浮かべる。
「……そんなに悔しいか、『赤リボンのアデル』?」
アデルは、眉間にしわを寄せる。
「悔しいわけじゃない。意味不明なだけ。……こんなことして、何の意味があるの? あなたは、もしかして、あの子を救い出したつもりかもしれないけど、それは大きな思い違いよ。
あの子は助からない。私の魔法で気絶していて、数時間は意識を回復しないわ。魔法石の移動魔法で転移できる範囲もたかが知れている。そして、あなたとあの子を処分するために、多くの要員が憲兵から割り当てられている。現に、この小屋を、大勢の憲兵が取り囲んでいるわ。あの子が目を覚ます前に、憲兵が捕まえてくれるでしょう」
アデルは、残酷な現実をレオに突き付けてやった。
「だから、あなたのやったことは無意味よ。残念でした」
レオは、笑みを崩さない。
「無意味じゃないさ……、少なくとも、今この瞬間、お前にエマが殺されずに済んだ……」
レオは、か細い呼吸の中で、掠れた声を出す。
「……エマに、生き延びられる可能性を……ほんの少しでも与えられた……。それだけで、十分だ……。……俺は……、それだけの為でも……、俺の、全てを捧げてやる……! ……たとえ、無意味に終わろうとも……、俺は……どんな事だってやってやる……!」
アデルは、静かにレオを見降ろして、彼の話に付き合っていた。死にかけのくせに、随分と饒舌に喋るものだと、関心と呆れを覚えた。
「はいはい、感動的ね。本当に下らない勇者ごっこ。あなたの空虚な自己満足に付き合わされるこっちの身にもなってよ。ひどい迷惑だわ」
アデルは、強い嫌みを込めて言ってやった。
「……勇者ごっこか……、そうかもしれないな……。……なあ、『赤リボンのアデル』……」
「ん?」
「……お前は、最低の女だ……」
「あら、そう」
「だが……、俺に、最高の舞台を用意してくれた……」
レオは、最後の力を振り絞るように、不自然なほどに口角を上げ、アデルに向かって笑顔を向けてやった。
「……腹の虫が治まらないなら、……俺を、好きにすると良い……。……いくら痛ぶってくれても、お釣りが出るくらいだ……」
アデルは、思わず舌打ちする。素直に絶望して死んでいけば良いものを。ひどく気障ったらしい負け惜しみを聞いた気分だ。
「私があなたに望むものは一つも無い。何度も言うけど、大人しく死んでいなさい」
アデルは、素っ気なく返した。
「そうか……」
レオは、静かに瞼を下ろした。言われ通り、大人しく、もうじき訪れる死を待つことにしたのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
瞼を下ろしたレオが息絶えるまでの僅かな間に、彼に話し掛ける声があった。
<……おい、レオ、聞こえるか……?>
それは、サマウスの声だった。
サマウスの魔導書は、レオの傍らに立ったアデルの懐にある。そこから、サマウスは、声を発しているようだった。
<随分ひどい有り様だな、おい。あと、数分も持たないな>
レオは、サマウスの声が聞こえていた。だが、もはや言葉を返す力すら残っていない。
<これで満足か? あのガキを逃げさせられて、勇者ごっこ出来たもんな>
決して満足ではない、とレオは言ってやりたかった。
レオ自身も分かっていた。エマに移動魔法を使って一時的にこの場を離脱させてやったところで、大した意味は無いと。考えたくはないが、おそらく、エマは助からない。結局、憲兵につかまって、殺されてしまうことだろう。
__出来るなら、エマを救い切ってやりたかった……。
それでも、レオにとっては、エマに与えてやれた僅かな希望が、とても輝かしいものに見えたのだ。虚ろな人生を歩んできたレオ・クラインという男にとっては。
<全く、下らない自己満足だぜ>
同じことを『赤リボンのアデル』にも言われた。そして、レオ自身も、その通りだと思った。
<レオ、お前は、善人でも悪人でもない、間抜けのクソ野郎だった。最初はお前に期待していたんだがな……、失望させられた>
サマウスからの失望は、少なからずレオの胸を痛ませた。別に、この悪魔に認められたかったわけではなかったが、どこか申し訳ない気持ちになった。
<だが、所詮人間てのは、そんなもんだ。俺を失望させてきた奴は山ほどいる。お前は、その中の一人に過ぎない。……それに、何だかんだ楽しかったぜ、相棒。今回は俺も、久々に暴れ回れたと思う。クソ野郎だったが、お前に出会えて良かったと思っている>
__俺も、サマウスに出会えて良かった。
レオは、そう言い返してやりたかった。
こんな気持ちになるのは変な事かもしれないが、レオは、サマウスに感謝していた。
サマウスに出会いさえしなければ、自分は連続殺人鬼になることもなく、そして、今こうして死に追いやられる事にならなかったかもしれない。サマウスとの出会いを呪っても良いくらいだ。
だが、サマウスに出会わなければ、自分はこのまま、虚ろな人生を歩み続けていたのかもしれない。そして、間違いなく、エマには出会わなかった。こんなにも熱く心地良い気持ちにはなる事はなかった、のかもしれない。
そして、レオは、サマウスに友情を感じてさえいた。邪悪な悪魔だったとはいえ、レオにとっては、数少ない仲間と呼べる存在だった。
<じゃあな、相棒>
__ああ、じゃあな。
わざわざ別れの挨拶をして来たサマウスに、レオも心の中で別れを告げた。
相棒には聞こえない別れの挨拶をしてから、レオの意識は遠退いていき、やがて、彼は息絶えるのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




