第5話 我慢の限界
アルジーナは、鋭い刃のような銀色の瞳で、アデルを睨み付ける。彼女の背後には、3人の部下の聖騎士と、あの小太りした宿主の男もいた。
アデルは、聖騎士達に挟み撃ちされた。
「気を付けろ! そいつは、空を飛ぶ!」
アルジーナは、裏庭側で構える聖騎士達に、大声で注意喚起する。
「さあ、『赤リボンのアデル』! 覚悟しろ!」
「一体、私をどうしたいのよ……?」
「醜き害虫の貴様に、制裁を下す! 我ら高潔の星、『銀星聖騎士団』の聖なる刃で!」
「本当に、鬱陶しいんだけど……。あなた達、ずっと私を捜し回っていたわけ?」
うんざりした顔で、アデルは訊いた。
「その通りだ。貴様ら害虫を駆除することが我らの使命。他の班の者にも協力してもらって、貴様を捜し出した」
「大した捜査能力ね」
「貴様を捜し出すのは容易だった。貴様から放たれる邪悪な魔力を、半霊の私は敏感に感知することが出来る。神の僕たる我々から、魔法使いは逃れることは出来ない!」
アルジーナの台詞が、いちいちアデルの癪に障る。高潔ぶって自己陶酔に浸った眼前の聖騎士に、アデルは、強い嫌悪感を覚える。
「で、そこの豚野郎は、最初から私を陥れるつもりだったの?」
アデルは、アルジーナの背後に隠れている宿主の男を睨み付ける。宿主は、魔女の冷たい眼光を向けられて、身震いをする。
「この男は、買い物をしている最中に、我々が捕らえた。彼は、愚かにも、貴様ら魔法使いに寝床を提供するなどという罪深い商売をしていたようだが、我らの高潔な志に打たれ、改心した。今までの醜い所業を悔い改め、巨大な邪悪『赤リボンのアデル』を討つことに協力すると。残念ながら、貴様に毒を飲ませるという彼の作戦は失敗に終わったが、我々は、高潔な使命に勇んで協力しようとした彼に、敬意を払う」
アルジーナが、宿主の代わりに答える。宿主は、調子良く、彼女の背後で頷いていた。すっかり、聖騎士達の従順な下僕となっていた。
アデルは、何となく事情が読めてきた。
宿主の男は、最初からアデルを教会に売り渡すつもりは無かったのだろう。もし、最初からその気でいたのなら、他者の心が読めるメメが、気付いてアデルに警告していたはずだ。
おそらくは、アデルの潜伏先を突き止めた聖騎士達が、『赤リボンのアデル』を討伐する作戦を練っている内に、ちょうど買い物で外に出ていた宿主を捕らえて、討伐作戦の協力を依頼したのだ。依頼したというより、脅した。具体的にどのようなやり取りが宿主と聖騎士達との間で行われたかは分からないが、宿主にとって、トラバの都市を支配する聖騎士達の依頼を拒む選択肢は事実上無かったのだろう。
宿主としても、このような事態になったのは、思わぬ不運な出来事だったのだ。だからといって、アデルが、彼に怒りを覚えることには変わりないのだが。
アデルは、長い溜息を吐いた。今日一日で、もう何度溜息を吐いたことだろう。本当に、嫌になってくる。
アデルとしては、出来るだけ、揉め事を起こしたくなかったのだ。この都市には、ただ旅の途中で立ち寄っただけで、体を休めさせれる場所を確保し、ワインなんかを買って飲めればそれで良かったのだ。それが、どうして、こんな面倒くさい事に巻き込まれなくてはならないのか。
アデルは、一瞬だけ、目を瞑る。ここは我慢すべきか、と考えた。しかし、どうも、今日一日中我慢しすぎて、吐きそうだった。自分でも不思議なくらい、強い吐き気があった。
「もう、いいや」
自棄気味に、アデルは呟いた。その指先には、魔法の光が灯る。
その瞬間、膨大な魔力がアデルから迸った。アデルの周囲にいた者達は、魔力の波動に、身体が揺すぶられる感覚に襲われる。特に半霊であるアルジーナは、痛みを感じるほどに強く、魔力を感じ取る。
「っ!? 来るぞ! 総員、注意!」
アルジーナの掛け声とほぼ同時に、周囲に謎の光が駆けて行った。彼女は、眩しさに思わず目を閉じる。そして、光が収まり、目を開けると、突如、異変が起きた。
「神は偉大なりいいいぃぃぃ!」
奇声を上げたのは、アルジーナの背後にいた、宿主の男だった。
アルジーナが、驚いて振り返ると、奇声を上げた宿主は、目を見開き、歯を剥き出しにして、襲い掛かってきた。
「なっ!? ぐっ……!」
宿主がアルジーナの喉元を両手で掴み、強く握り締める。アルジーナは、獣のように豹変した宿主に、一瞬たじろぐも、咄嗟に拳を彼の腹に叩き込んだ。拳を叩きこまれた宿主は、ボールのように廊下の奥へと吹っ飛び、白目を剥き、床の上に伏した。
アルジーナは、締め付けられた首を摩りながら、息を整える。
彼女には、一体何が起きたのか理解できなかった。首を掴みかかってきた宿主には、殺意が宿っていた。あのまま大人しくしていれば、そのまま、絞殺されていただろう。それまで従順に協力してくれていた彼が、何故、急にそのような行動をしたのか。
「「神は偉大なりいいいぃぃぃ!」」
再び、奇声が響く。アルジーナが驚きと疑問を解消出来ない内に、次なる異変は起こった。
奇声を上げたのは、アルジーナの3人の聖騎士の部下の内の2人だった。2人の聖騎士は、喉を破裂させるような勢いのけたたましい奇声と共に、天に掲げるように剣を振り上げた。
「ひぃっ!?」
悲鳴を漏らしたのは、聖騎士の部下の内のもう1人だ。彼は、突如奇声を上げた同僚に驚き、それから、振り上げられた剣の殺意の目標が自分であることを気付き、顔を青くする。
そして、狂気の奇声と共に、2振りの剣が振り下ろされる。1振り目は、反射的に自分の剣で受け止めることが出来た。しかし、続く2振り目まで受け止める余裕はなく、首と肩の隙間に、刃が深々と刺さった。
同僚の剣にやられ、鮮血を撒き散らしながらよろめいて倒れる聖騎士の男に、追撃が襲い掛かる。
「「グロス教を信じよ! グロス教を信じよ! グロス教を信じよ!」」
呪詛のように同じ言葉を繰り返し叫び続ける2人の聖騎士は、倒れた聖騎士の男に素早く伸し掛かり、その身体に何度も何度も剣を突き立てていった。
「班長、助け……」
か細い声で助けを求める聖騎士の男は、アルジーナの方に手を伸ばした。だが、伸ばした手は、剣で叩き切られる。彼は、狂気の同僚に蹂躙されるままとなり、悲鳴を上げるも、すぐに目を虚ろにして、動かなくなった。
「「グロス教を信じよ! グロス教を信じよ! グロス教を信じよ!」」
そして、血塗れになって息をしなくなった聖騎士の男の身体を、二人の聖騎士は、奇声を上げながら、なおも剣で刺し続ける。まるで獲物を食い漁る、野獣の食事でも見ているようだった。死体で遊んでいるようにも見えた。
「お、お前達……何を……」
唐突に繰り広げられた意味不明な悪夢の光景に、アルジーナは、頭が真っ白になって硬直していた。
「何をしているんだっ!」
そして、我に返ったアルジーナは、狂気に憑りつかれた部下の凄惨な死体遊びを止めさせようとした。
だが、また別の方向からも、奇声が響く。
「神は偉大なりいいいぃぃぃ!」
奇声は、宿屋の裏口の方からだった。アルジーナが、驚いてそちらの方を振り向くと、目を見開いてこちらを凝視する4人の聖騎士がいた。
4人の聖騎士達は、剣の切っ先をアルジーナ向けている。殺意を、向けている。
「神は偉大なりいいいぃぃぃ!」
さらに追加で、それまで床に伏していた宿主の男は、急に奇声と共に起き上がってきた。
アルジーナは、後退りする。
「なっ……、何だ、お前達……、一体どうして……」
4人の聖騎士達と宿主の男は、アルジーナの声に応えることなく、奇声を上げて彼女に襲い掛かった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
アデルは、狂気に憑りつかれた聖騎士達の混乱に乗じて、魔法の箒ノノを呼び出し、宿屋の裏庭上空まで昇って、聖騎士達の様子を窺がっていた。
「あーあ。やっちゃたね、アデル」
「これで良いのよ。魔法は、あと2回もあるし。今夜12時には回復するし」
「グロス教会と揉め事を起こさない方が良いんじゃないの?」
「まあ、出来るだけね。だけど、今回のこれは、理性的な私であっても我慢の限界。容赦なく反撃させてもらったわ」
「理性とは」
メメの失笑気味の声に、アデルは、彼を強く握り締めて、言い返す。
「平和的に共存を望む者同士であれば、お互いに身を引いて我慢し合うのも正しい選択かもしれない。だけど、そうでない連中に対しては、身を引いて我慢するより、容赦なく反撃してやる方が合理的よ。身を引けば、向こうが良い気になるだけ。そういう連中を大人しくさせるためには、とにかく痛い目に遭わせて、こちらに手を出させることの不利益を理解させることが肝心なのよ」
「へえ、凄いなアデルは。君はさっき、そんな事を考えながら、理性的に魔法を使うことを決断したのかー」
「そうよ。なんだ、分かってるじゃない、メメ」
「……。皮肉で言ったんだよなあ……」
「は?」
そんな会話をしていると、宿屋の裏口から、殺気立った雰囲気を纏ってアルジーナが独りで飛び出て来た。彼女は、すぐに上空のアデルに気付く。
「これは、貴様の仕業か、『赤リボンのアデル』!?」
アルジーナは、アデルに向かって怒鳴った。その銀色の目には、涙を湛えていた。その表情は、酷く憔悴し、純白のマントは、血塗れですっかり赤く汚れていた。高潔を気取っていた半霊の聖騎士は、ものの数分で、随分と痩せこけてしまったように見えた。
「仲間の人達は殺してきたの? 超敬虔なグロス教徒にしてあげたんだけど」
アデルの薄笑いに、アルジーナの唇が震える。彼女の聖騎士の剣には、鮮血が滴っていた。
聖騎士達が狂気に憑りつかれた原因を作った張本人であるアデルには、宿屋の中でのアルジーナの苦しい奮闘を何となく察することが出来た。
アルジーナのマントに派手に付着した血飛沫は、仲間の聖騎士のものだった。彼女は、狂気に憑りつかれた仲間達を、殺す以外の方法で上手く処理することが出来なかった。仲間に剣を向けることは、彼女にとって、やむを得なく、悔しい選択だったが、それ以外の手段を採る余裕は無かった。
「一体何をしたんだ、魔女め! 私の仲間に、何を! これは、呪術か!?」
「ええ、そうよ」
アデルは、面白がって、説明してあげることにした。
「超敬虔なグロス教徒になる呪いを振り撒いてあげたの。呪いに掛かった人は、自分が息絶えるまで、呪いに掛かっていない人を見つけて、とにかく殺そうとする。グロス教を讃える言葉を叫びながら、ね」
「なんと悪趣味な……」
「呪いは、この辺一帯に取り合えず振り撒いてあげたわ。精神に干渉する呪いは、効き目に個人差があるけど、大体、7、8割くらいの人が呪いに掛かったんじゃないかしら」
「何だと……!?」
アデルの魔法は、聖騎士達だけに向けられて放たれたわけではない。
町中に奇声と悲鳴が響く。いくつもの奇声と悲鳴が、湧き上がる。「神は偉大なりいいいぃぃぃ!」と叫ぶ声が、遠くから微かに聞き取れる。逃げ惑う人たちの足音が騒然と行き来する。町の喧騒が、徐々に濃くなっていくのが感じ取れた。
「早くなんとかした方が良いんじゃないの? 呪いに掛かった人達は、他の区域の方まで足を運んで熱心な布教活動に励んでいくと思うわ。きっと、この辺りの住民は、もう助からないかもしれないけど、私なんかに構ってないで、被害が拡大しない内に、手を打つことをお勧めするわ」
そう、アデルの呪いは、付近の住民にも振り撒かれたのだ。アルジーナが体験した悪夢は、宿屋の中に止まらない。今頃、辺りでは、呪いに掛かった人が、奇声を上げ、グロス教を賛美する言葉を吐きながら、呪いに掛かってない人に襲い掛かっているところだった。
「貴様……、こんなことが許されるとでも……!」
「あなたの悔しそうな顔が見れて嬉しいわ。大切な部下をその手で殺した感想でも聞いてあげたい気分だけど、私は、まだやることがあるの」
「待てっ!」
「じゃあね」
そう言ってアデルは、さっさと箒に乗ってどこかへ飛んで行ってしまった。
アルジーナは、歯ぎしりをして、奇声と悲鳴が入り混じる、すっかり悪夢の都市と化したトラバの街路を駆けて行った。
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