第4話 聖騎士の罠
もうすっかり夜だった。
アデルが宿主に用意された部屋は、宿屋の一番奥の薄汚れた部屋で、非常時の裏口に最も近い場所に位置した。ベッドと小さなテーブルのみが置かれた狭く、埃っぽいその宿泊部屋に、金貨3枚支払っていると思うと、やはり釈然としない気持ちは湧き上がってくる。
アデルは、テーブルの上には畳んだローブを置き、さらにその上にメメを乗せ、ベッドに座っていた。床に置いた蝋燭の小さな灯りに照らされた彼女の表情から、不機嫌そうな雰囲気が漂っている。
「本当に気が狂った連中よね、グロス教徒って」
アデルは、メメに話掛ける。随分と棘のある口調だった。
「確かにおかしな人もいると思うけど、全員がそういうわけじゃないと思うよ」
「いや、あんな宗教を信じている奴なんて、分かり易く狂った奴か、それとも、分かり難く狂った奴しかいないわよ。つまり、全員狂っている。この世の害虫達」
流石に言い過ぎだと、メメは思った。そのように悪態を吐くアデルの様子に、彼は、とある疑問を抱く。
「アデルは、グロス教会に何か恨みでもあるの?」
「恨み……? 今日、この町で色々と嫌な目に遭ったじゃない」
それは、確かにそうであるが、もっと、深い何かがあるような気がした。
「それ以外は? 過去に、何か深い因縁とか……。それこそ、僕と出会う前とかに……」
「いや、特に無いわ。ただ単に、頭空っぽな連中が、偉そうにしているのに虫唾が走るだけ」
アデルに、嘘を吐いている様子はなかった。メメは、今テーブルの上から彼女を視界に捉えていて、心を読めている。
だが、やはり、メメには疑問だった。前々から思っていたことだが、アデルは、グロス教会に対して、強い嫌悪感を抱いていた。それは、不思議と言って良いくらい、強い嫌悪感だ。その強い嫌悪感の原因は、メメの能力を以ってしても、十分に解明出来なかった。
まあ、それは、ともかく__
「__それにして、遅いわね、あの宿主……。あの豚野郎……」
アデルは、部屋のドアを見つめながら、ぽつりと呟いた。
実は、今、アデルは、宿主にある事を頼んでいる最中だった。
アデルは、宿主に教えられた地区での買い物は出来なかったが、やはり、ワインが飲みたかった。そこで、彼女は、宿主にワインを買って来てもらうことにしたのだった。本当は、自分が実際に商品を見て、購入し、飲んでみる、というのが、彼女の最も粋だと考えるワインの嗜み方ではあるのだが。
ところで、アデルが宿主に、ワインを買って来てもらう事を依頼する際に、また多少揉めたのだった__
「じゃあ、あなた、私のためにワイン買って来て。お金は出すから」
アデルは、そのように、宿主に依頼した。そして、彼女としては、それですんなり宿主が承諾してくれると思っていた。
「なるほど。では、手間賃は銀貨3枚といったところで」
その宿主の言葉に、アデルは、意を突かれた。
「は……? 手間賃て、何?」
「いえ、ですから、ワインを買ってくる手間の代金ですが……。頂けるんですよね?」
アデルの驚いた表情に、宿主がきょとんとした。
「いや、言っておくけど、“お金は出すから”ってのは、当然、買って来てもらうワインの代金の事だからね」
「ああ、なるほど……」
「じゃあ、よろしく」
「……。……あの、お客様、もしかして」
「ん?」
「タダでワインを買ってこい、って言うんですか?」
アデルとしては、まさに、そのつもりだった。ただワインを買ってくるくらい、サービスの範囲内として、無償でやってくれるものだと思っていた。
「何? まさか、あなた……たかだかワインを買って来るだけで、銀貨3枚支払わせるつもりだったの?」
「はい」
宿主が、何の躊躇も無く頷いたことに、アデルは愕然とした。
「ちょっと、嘘でしょ、あなた……」
「いえ、ワインを売っている店を探して、買って来ることには、一応、労力は使いますよね? ましてや、夜のこの時間だと、大抵の店は閉まって、それなりに手間が……」
「いやいや、そんなの大した労力じゃないでしょ。ましてや、銀貨3枚ほどの労力にはならないでしょ?」
「お客様は、私がワインを買ってこなければ、ワインを飲むことは出来ません。それならば、お客様にとって、銀貨3枚を支払う価値くらいはあるのでは?」
すかさず反論して来る宿主に、アデルは、再び苛々し始めた。先ほどそれなりに緊迫した状況になったのにも関わらず、臆することなく、金稼ぎに頭を回転させ続ける彼の態度には、呆れ果てるばかりだ。
アデルは、また長い溜息を吐いた。
アデルとしては、もうこれ以上、心の平静を乱したくなかった。お金には余裕があるのだ、心の平静を保つための対価として、銀貨3枚は安い。そのように考えて、さっさと、宿主との苛立つ交渉を切り上げたかった。
「……銀貨3枚、ね」
「はい」
アデルは、思わず舌打ちをする。銀貨3枚の手間賃を受け取るのが当然、と言わんばかりの宿主の口振りが、気に食わなかった。しかし、今度こそ話は纏まった、と思った。
「じゃあ、ワイン5本くらい、適当に買って来て」
「5本、ですか……、じゃあ、銀貨15枚ですね」
アデルは、固まった。
銀貨15枚……、一体何の金額だ……。と、少し頭を巡らせて、手間賃の銀貨3枚に、彼女が買うように指示したワインの本数5を掛け算すれば、ちょうど出てくる金額であると気付いた。
「あなた、まさか……」
「どうしました、お客様?」
「ワイン1本の手間賃が銀貨3枚で、5本買って来るから、その手間賃も5倍って、こと……?」
「はい」
アデルは、再び愕然となった。今述べたような馬鹿げた理屈に基づいて、銀貨15枚を平然と要求してくる宿主に、もはや狂気すら感じた。
「あなた、私を馬鹿にしているの……? ワイン1本買うのと、5本買うの、いったい何が違うっていうの……?」
「ワイン1本買うより、5本買う方が、労力を使いますよね?」
「ワインを5本買うことが、1本買うときより、5倍疲れるとでも言うの?」
「何倍疲れるかは、良く分かりません。しかし、お客様にとって、1本買って来てもらうより、5本買って来てもらう方が、5倍喜ばしいことで、すなわち、5倍価値があるのでは?」
「いやいや、あなた、めちゃくちゃよ」
「……不満なら、私は1本しか買ってきませんが?」
結局、最後の一言が、最も強力な言葉だった。トラバの都市で買い物が出来ない魔法使いのアデルは、宿主の要求する理不尽な要求金額を受け入れるしかない。
アデルは、額に青筋を浮かべ、荒々しく袋の中に手を突っ込み、硬貨を掴んで、宿主に投げつけた。投げつけられた硬貨は、金貨3枚。
「それで買ってこい!」
「わ、わっ……! 金貨3枚……、こんなに良いのですか?」
「それは、ワインの代金と、その狂った手間賃と、そして、私の切実なお願いを聞いてもらうためのチップを含めたお金よ! 私は、これ以上、あなたの薄汚い声を聞きたくない。くだらない無駄口を閉じて、さっさとワインを買って来て!」
「ありがとうございます、お客様」
「早く買いに行け、豚野郎!」
アデルは、そう怒鳴ると、踵を返して、床を踏み抜くような勢いで派手に足音を立てながら、自分の宿泊部屋に歩いて行った。
__ということがあったのだ。
それから、随分と時間が経ったが、未だに宿主は帰ってこない。もしかして、渡した金貨を横領して、そのままどこかへ逃げたんじゃないかとさえ思ってしまう。
小さな蝋燭の灯りしかない暗い部屋の中で、アデルはじっとしていた。それこそ、そろそろ就寝してもよい時刻であったが、今日は何だか、ワインを飲まなければ気が済まない気分だ。
そういえば、うっかり忘れそうになっていたが、アデルには、魔法の行使回数が残っている。しかも、今週は魔法を使う場面が無く、3回も残っている。今夜の12時を回れば、行使回数は回復するため、それまでに魔法を使っておかなければ勿体ない。
この際だから、魔法でワインを生成してやろうか、と思った。ワインの入手過程に多少こだわりを持つアデルとって、魔法で手軽にワインを出して飲んでしまうのはやや無粋ではあるが、全く飲まないよりは全然ましだった。実際、魔法の行使回数が余ったときには、魔法でワインを生成することも度々ある。
そのような事をアデルが検討し始めた頃、部屋の向こうから足音が聞こえてきて、ドアがノックされた。
「お客様、入りますよ」
「ええ」
アデルが返事をすると、ドアがゆっくりと開いていき、宿主が、微笑みながら小太りした顔を出してきた。彼は、片手にコップ、もう一方の手にワインボトルを一本持って、アデルの部屋に入ってくる。
「あなた、随分と遅かったわね」
「いやあ、ちょっと、手間が掛かりまして……。あ、すいませんが、テーブルの上の物をどかしてくれませんかね?」
アデルは、言われた通り、テーブルに乗せていたローブとメメを持ち上げて、ベッドの上に移動させた。宿主は、コップとワインボトルを空いたテーブルの上に置く。
「ねえ、ワインは一本だけ?」
「いえ、ちゃんと5本買って来てありますよ、お客様。今、残りの4本を持ってきます」
「お願い」
宿主は、微笑みを浮かべ続けながら、部屋を出て行こうとアデル達に背を向けた。
そこへ、メメが、
「ちょっと待って、おじさん」
静止するよう、一言声を掛ける。
宿主は、ぴたり、と動きを止めた。そして、やはり微笑みながら、くるりと顔をアデル達に向ける。
「どうされましたか?」
そして、メメは、衝撃の質問をする。
「おじさん、何で、そのコップに毒を塗っているの?」
メメの質問に、部屋の空気が凍った。アデルは、驚いて目を丸くし、宿主の男は、微笑んだまま硬直した。
あまりにも唐突で衝撃的なメメの質問に、アデルと宿主の無言の状況が続いた。
「どういう事……?」
アデルは、まず、ベッドの上のメメに振り向き、尋ねた。
「そのコップには毒が塗ってあるよ。そこのおじさんが、塗った」
「……。ねえ、どういう事……?」
アデルは、次に、微笑んだまま硬直している宿主に振り向き、尋ねた。
「ど、毒……? それは、何のことですかな……?」
「すっとぼけようとしても無駄だよ、おじさん。僕は、人の心が読めるんだ。今ちょうど、君の心を読んでいる。
……なるほど。教会の人達に指示されたんだね。ワインを買って帰る途中、捕まって、『赤リボンのアデル』を倒すことに協力するよう言われたんだね。それで__」
そこまでメメが言ったところで、宿主は、急に真顔になって部屋の外へと走り出した。小太りした体格からは考えられない、脱兎の如き俊敏さだった。
「アデル! ここから逃げよう!」
アデルは頷いて、畳んであったローブを広げ羽織り、メメを被って部屋を出た。そして、教えられていた裏口の扉を開け、小さな裏庭に出た。
いざというとき教会関係者から逃れるために教えられていた裏口であったが、そこを出た先にいたのは、裏口を取り囲む数名の聖騎士達だった。彼らは、裏口から現れたアデルに一斉に剣を向けた。
不愉快な白銀の鎧と純白のマント姿の連中に、アデルは、思わず顔をしかめる。
「そいつを逃がすな!」
アデルは、怒鳴り声がしてきた方向__背後の裏口の方を振り向く。見ると、宿屋の廊下の奥から、見知った顔の聖騎士がこちらに駆けて来ていた。
現れたのは、銀色の髪と瞳の聖騎士の少女__アルジーナだった。
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