第6話 容赦ない復讐
試合開始の合図の直後、ルイーザは、素早く呪文の詠唱を済ませ、杖をアデル目掛けて振るう。
ルイーザの目が嗜虐的な喜悦で輝く。胸の高鳴りが彼女の口元を吊り上がらせる。獲物に飛びつく獣さながらの、鋭い笑みだった。
ルイーザの頭の端には、微塵も、敗北という言葉が存在しなかった。彼女が頭に巡らせることは、対戦相手がいかに惨めに悶えてれるか、どのように無様に悲鳴を聞かせてくれるか、という相手が自分に屈する光景しかなかった。
嬉々と振るわれたルイーザの杖の先から、炎の玉が放たれる。
炎の玉は、アデル目掛けて、紅蓮の尾を引いて疾駆する。静かに佇むアデルに、灼熱の塊が、迫り来る。
ルイーザは、一本取ったと確信した。
だが、炎の玉がアデルに直撃しようとする寸前、広場に凄まじい魔力の波動が迸った。皮膚が千切れそうな、無数の刃を乗せた風__のようなものが全身を過ぎ去る感覚を、広場に集まった人々は覚える。
「なっ……!?」
そして、ルイーザは驚愕することになる。
アデルに襲い掛かる炎の玉が、彼女のほんの鼻先で、嘘のように霧散する。
炎の輝きも、たった一瞬で、儚く消え失せる。万物を焦がさんとばかりに燃え盛っていた炎は、まるで蝋燭の小さな火が人の吐息で消し飛ぶように、呆気なく虚空に姿を消したのだった。
「そんな、馬鹿な……!?」
ルイーザは、眼前の光景が理解できなかった。
「どうしたの? ほら、時間なら取らせてあげるから、撃ってきなさい」
アデルは相変わらず静かに佇んだまま、そう挑発する。
よく見ると、アデルの指先に光が灯っている。そして、その身体の周りには、奇妙な光がカーテンのように揺蕩っていた。
「このっ! ゴミ虫!」
ルイーザは、再び呪文を詠唱し、杖を振るう。そして、放たれた炎の玉は、アデルに襲い掛かるが、一発目と同様に、その鼻先で霧散し、標的には届かない。
ルイーザは、何回も攻撃魔法を繰り返す。今度はより大きな火の玉で。炎の玉が駄目なら雷撃で。雷撃が駄目なら、氷の矢を放って。それが駄目なら、土塊を形成し、投擲して。次は、風の魔法で。果ては、呪術も試して。
しかし、いずれも功を奏しない。ルイーザが試した全ての魔法は、悉くアデルの前で打ち消される。
「超万能な魔法の障壁を張っているわ。どんな魔法も、私を傷つけることはできない。ましてや、あなたみたいな三下の魔法なんて」
したり顔で、アデルはそう教える。
アデルの身体を包む光の正体は、魔法の障壁。物理的攻撃は勿論、魔法攻撃、そして、魔法的干渉といった、アデルに害を為す一切の攻撃は、その障壁の前で無効化される。
アデルは、残り1回の魔法を、その障壁を形成するために使用したのだった。
「そんな、……この私の、魔法が……!?」
息を切らすまで魔法を行使し続け、アデルへの攻撃を図っていたルイーザは、唖然となる。
「さて、じゃあ、今度はこちらの攻撃ね」
アデルは、悠然と、ルイーザのもとへ歩み寄っていく。
ルイーザは、無駄だと分かっておきながらも、歩み寄ってくるアデルに、恐怖に駆られて炎の玉を放ち続ける。ルイーザの、それまでの余裕を捨てた、半狂乱の叫び声とともに放たれる炎の玉は、やはりアデルの鼻先で光の障壁に阻まれて霧散する。
アデルは、放たれてくる炎の玉が眼前で霧散していくのを眺めながら、反撃することなく、ただルイーザのもとへと歩み寄っていく。
ルイーザの魔法がアデルに有効打になることがない。しかし、アデルの方としても、既に一週間で使用できる3回の魔法を使い果たし、『赤リボンの呪い』によって、これ以上は魔法を使えず、本件決闘において魔法による有効打を得ることはできない。
したがって、本件決闘の決着のために、アデルの採るべき行動は、ルイーザに決闘を放棄して貰うように働きかけることだった。具体的には、以下の通りである__
アデルは、息を荒げるルイーザの目と鼻の先に立つ。
「な、何よ、貴女……」
「ねえ、降参してくれないかしら? 私、もう魔法が使えないの」
「は?」
アデルが明かした事実に、ルイーザは驚く。
「『赤リボンのアデル』の噂で聞いたことがない? 私、一週間に3回しか魔法が使えないのよね。今使っている防御魔法で、3回分を使い切ったのよ」
「え……、じゃあ、貴女、今はもう、攻撃魔法をつかえないの……?」
「そういうことになるわね」
「……ハハ。ハハハ! 何それ! じゃあ、貴女どうやって私に勝つつもりなの? 馬鹿じゃないの!」
ルイーザは笑う。
彼女が笑うのも尤もであった。魔法行使回数に制限であれば、それを有効打になる攻撃魔法ではなく、防御魔法に使うのは愚かなことだった。そもそも、決闘方法の設定において、有効打の回数を3回にしたこと自体が間違っている。
更に言えば、自身がこれ以上魔法を使えない事実をわざわざ相手に伝えたことは、間抜けとしか言いようがない。しかも、その事実を告げたうえで“降伏して”などと、よく言えたものだと、ルイーザはアデルのお頭の弱さに、笑うのだった。
「ハハハ! 貴女、本当に馬鹿ね! ハハ__」
次の瞬間、嘲笑するルイーザの頬に、その笑い声を遮るようにして、アデルの拳が飛ぶ。アデルの拳は、鈍い音を立てて、ルイーザの頬に直撃する。勢いよく殴られたルイーザは、脳が揺さ振られ、全身の力が抜けるようにして、地面に座り込んだ。
ルイーザは、何が起きたのか分からなといった様子で、重い痛みが伸し掛かる頬に手を添えながら、目を丸くして、アデルを見上げる。
「ルイーザお嬢様、あなた勘違いしているようだけど、私の目的は、あなたとの決闘に勝つことじゃないのよ。__いい? 復讐よ。私は、あなたに暴力を容赦なく加えて、痛み付けて、あなたが惨めに泣き喚きながら自ら敗北を認め、死の恐怖に狂う姿を見たいのよ」
赤く暗い瞳で、ルイーザを睥睨するアデルは、座り込む彼女の髪を掴んだ。ちょうど耳の上あたりの髪を。
「え、何……?」と、困惑するルイーザ。
「__えいっ!」
アデルのその声とともに、ルイーザの髪の毛が、ぶちっ、と大きく音を立てて、思いっきり引き抜かれる。
「いっ!? いぎゃああああああぁぁぁぁぁぁ!」
数十本もの髪の毛の根が、頭皮から無理やり引き抜かれる激痛が、電流のように脳を貫いた。ルイーザは、引き抜かれた耳の上の箇所を手で押さえ、鼻水と涙を滴らせ、周囲の目も憚ることなく悲鳴を上げて、地面を転がった。
アデルは、「汚い……」と吐き捨てて、手に絡まったルイーザの髪の毛を、地面に振り払った。
「わっ、私の髪の毛が……! 美しい髪が! ……このっ!」
「ほら、降参する? 降参すれば、これ以上暴力は振るわないわよ」
アデルは、薄笑いを浮かべながら、痛みに悶えるルイーザに対して、そう勧める。
「黙れ、このゴミ虫ぃ!」
怒りに顔を真っ赤にしたルイーザは、けたたましい叫び声を上げながら、立ち上がり、アデルに掴みかかろうとする。だが、アデルを掴もうとしたルイーザの手は、アデルの片手で払い除けられる。次いで、アデルのもう片方の手が、ルイーザの頬を再び殴打した。
「ぶっべ!?」
再度殴られて、よろめくルイーザ。目の玉が飛び出すような激痛だった。今度は倒れはしなかったが、頬の痛みに、怒りの勢いは挫かれ、身体を震わせ立ち竦む。
「殴り合いをご所望のようね、お嬢様。ほら、構えて」
「ちょっと、待っ__」
誰も、殴り合いなど所望していない。しかし、今のルイーザにその拒否権はない。
アデルの足が、ルイーザの股下の地面に踏み込まれ、次の瞬間、ルイーザの顎下から拳が振り上げられる。顎に拳が直撃する。その見事に決まった殴打で脳がぐらつき、意識が飛びそうになる中、今度は、頬が鋭く手の平で叩かれる。
今まで味わったことがない一方的な暴力による恐怖に、ルイーザは地面に手を付いて座り込み、震える。顔を汗と涙と鼻水で濡らし、窒息に喘ぐかのように呼吸を乱す。
「さあ、立ち上がりなさい、お嬢様」
アデルのその呼びかけに、ルイーザは、ただ大きく首を振って拒絶する。
「降参してくれないなら、殴り合いで決着を付けるしかないわよね?」
「こっ……、そんなの! 不正行為よ! 魔法使いの決闘なんだから、殴るのは反則よ!」
「殴って駄目なんて決めてないでしょ。ほら、現に、私の行為が不正行為なら、決闘は終わるはずよ」
「誇り高い魔法使いが、殴り合うなんて野蛮よ! こんなの、ありえないわ!」
「はい、じゃあ、続けるわよ」
「いやああああああ!」
アデルが、右手で握り拳を作って、構える。ルイーザは、恐怖に顔を歪めながらも、立ち上がり、一矢報いるべく拳を振るう。
ルイーザの振るった拳は、アデルの左手で呆気なく受け止められる。対して、アデルの右手の拳は、ルイーザの頬を殴打した。
両者における体術の力量の差は、歴然だった。アデルは、魔法行使回数に不自由がある分、幾分か体術に心得があるのだった。
「嫌っ! こんなのっ、おかしい!」
殴打され、痛みに震えながらも、ルイーザは立ち上がり、敗北を認めず、足掻き続ける。
「こんなの野蛮よ! こんなの違うわ! こんなの、魔法使いの決闘じゃない! ……そうよ、無効よ! 無効だわ! こんな決闘無効!」
「いいえ、有効よ。本件決闘は、魔法使いの慣習に基づき、一切瑕疵なく、正当な手続きを経て実現されているわ」
アデルが淡々と述べる事実が、ルイーザに残酷に響く。
「こんな……、こんなはずじゃ! 私は、誇り高い魔法使いの決闘を……」
「よし、もう一発行きましょうか」
「こんなの違うのおおおおおおお!」
そして、再度、両者の拳は振るわれる。自棄になって振るわれたルイーザの拳を、アデルは難なく躱し、そして、渾身の力を込めた拳が、ルイーザの腹部にめり込んだ。
「ごっは……!?」
腹部への重い一撃に、ルイーザは倒れ込み、嘔吐を催す。腹中から喉元目掛けて、熱くて痛い何かが掛け上げってくる感覚に、思わず口元を手で押さえて、身体を痙攣させた。
ルイーザは何とか、堪えて、吐しゃ物を地面に晒す無様を見せなかったが、彼女に暴力からの休憩は与えられない。アデルは、ルイーザの前髪を掴んで上に引っ張り上げ、無理やり身体を起こさせる。
アデルの手の平がルイーザの頬を叩く。ルイーザは、悲痛な呻き声を漏らす。
ルイーザの顔面は、既に痛々しく赤く腫れていた。
「ねえ、まだやるの? 降参する?」
「うっ……、ぐっ……、こっ…降参は、しない……」
ルイーザの拒否の言葉に、容赦なく平手打ちの暴力が飛ぶ。
「痛っ!? ひっ……!」
「降参しないんだったら、殴り合いましょうよ。ほら、拳を作って、ルイーザお嬢様」
「嫌っ! もう、嫌! 殴り合わない!」
「じゃあ、一方的に殴るわね。もう一度、お腹に痛いの行くわよ」
「やっ__」
アデルが拳をルイーザに見せつける。ルイーザの顔は、青ざめる。もう無理だった。今まで他人に碌に殴られたことがないお嬢様にとって、既に耐えられる苦痛の限度を越していた。
「やめて! 分かったわ! 降参よ! もう、降参!」
そして、遂に、ルイーザは敗北の言葉を口にする。
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