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湖面の少年  作者: 高山 由宇
ハルキとアキ 〜ひとつのものを手に入れるには大きな代償が必要である〜
2/17

第1章 湖面の友人

 アキと出会って1週間が過ぎた。そして、ハルキの人生に光が差し始める。普段の生活は相変わらずの毎日だったが、アキという友人を得たことで、気持ちが軽くなったようだった。

 今日はアキに会いに行こう…そう思うと、心なしか口元が緩む。そこへ、

「おい、ハルキ」

 怒声にも似た声に呼び止められた。ハルキは緩んだ口元を引き結ぶと、恐々とした表情で振り返る。

「……なに?」

 震える声で尋ねると、体の大きな少年が青色のランドセルを投げてよこした。ハルキはとっさに手を伸ばし、それを受け取る。また、体の大きな少年の少し後ろに控えるように立っていた2人の少年が、薄緑色のランドセルと水色のランドセルを、それぞれ教室の床に放り投げた。

「今日も、わかっているだろうな」

 凄みの利いた青いランドセルの少年の声に、無言でうなずくしかなかった。そして、3人の少年たちは高笑いで教室を後にする。後に残されたハルキは、手の中にある青色のランドセルを抱えるように前に、空いた両手で薄緑色と水色のランドセルをそれぞれ持ち上げた。ふと、目尻に涙が浮かぶ。だが、それを拭うこともできない。ハルキは、ひとりきりになった教室をとぼとぼと後にする。そして、西日を横目に帰路に着いた。

 3人の家にランドセルを届け終えた頃には、夕陽は半分以上沈んでしまっていた。青と赤のコントラストが映える空を見上げる。そこには星が輝き始めていた。

「アキ……」

 ハルキがつぶやく。

「今日こそ会えると思ったのに」

 昨日も3人組に邪魔をされて、会いに行くことができなかったのだ。

「今から行こうかな…」

 ハルキは林に爪先を向けた。だが、すぐに思いとどまる。

「駄目だ。また、カミナリが落ちちゃう」

 1週間前、夜遅くに帰宅したハルキは、自宅の辺りが明りに包まれているのを目撃した。帰りの遅いハルキを探すため、集落の大人たちがライトを片手に集まってくれたらしい。

 その後、ハルキは両親から散々叱られた。集まった大人たちは、「見つかってよかった」と、本当に喜んでくれた。みな、自分の息子や孫のようにハルキを大切に思ってくれているのだ。それは、幼いハルキにもわかった。だが、一方で、ありがた迷惑であると感じないわけでもない。なぜなら、小さな集落の中において、隠し事をすることは難しいからだ。

 ――明日、学校に行きたくないな……。

 ハルキは思った。きっと、明日には今夜の事件が知れ渡ってしまっていることだろう。そして、あの3人組にとっては、格好の良いネタを見つけたとばかりにいじめに磨きをかけるのだろう。

 ――明日なんて、こなければいい。

 そんなハルキの願いも虚しく、いつも通りに朝日が昇る。その日、ハルキは予想した通り、3人組の格好の餌食となったのだった。

「やっぱり、今日は帰ろう」

 ハルキは林の奥に行くことを諦めた。今からでは、アキのもとに辿り着いた頃にはすっかり陽が沈んでしまう。かといって、明日は行けるとも限らない。昨日も行こうとして行けなかった。そして、今日も……。やはり、あの3人をなんとかしない限り、アキに会いに行くことはできないだろう。

「……よし」

 ハルキは、なにやら意を決したように歩き出す。

「明日、アキに会いに行こう」

 大股で大手を振って歩く姿は、絶対に行くんだという強い意志を感じさせた。


「ただいま」

 玄関の戸を引いて入ると、ふわりと夕食の匂いが鼻孔をくすぐった。

「おかえり、ハルキ」

 母は台所に立ち、忙しなく動き回っている。父もすでに帰宅していたようで、缶ビールを片手にテレビを見ていた。

「毎日毎日、なんでこう遅いの?」

 母が尋ねるが、本当のことなど言えるはずもない。無言となったことをどう解釈したのか、

「遊んでばかりいないで、少しは勉強もするのよ」

と、呆れたようにため息を漏らした。ハルキはうなずくと、手を洗って食卓につく。

「こんなに遅くまで遊んでくるなんて、そんなに仲がいい子ができたのか?」

 父の問いに、母が笑顔で答えた。

「そうなのよ。リョウ君、タクミ君、レオ君って子たちと仲良くしてもらっているのよ。ね?」

 母に同意を求められ、ハルキはこくりとうなずいた。それに気を良くしたようで、母はまた明るく話し出す。

「本当に引っ越してきて良かったわ。私、こういう田舎の生活にずっと憧れていたのだもの」

 それには、父も笑顔を向ける。

「うん。ここは本当にいい所だな。ハルキがいなくなった時だって、あんなに心配して探してくれて……。都会では、そんなことはないだろうからな」

「本当ね。それに、都会の学校よりも田舎の学校の方がいいと思うわ。都会では、いじめで不登校だとか自殺だとかのニュースをよく聞くけど、田舎でそういったことが起きたなんて話は聞かないもの。きっと、都会の学校は先生の数に対して生徒が多すぎるのだわ。だから目が向けられないのよ。その点、今の学校は9人しか生徒がいないし、先生は女性なのだけれど、ひとりでも充分なのよ」

 そう言って、母はまたもハルキに同意を求める眼差しを向ける。ハルキはなんと答えて良いものかわからず、うなずく代わりに茶碗の中のご飯を口の中にかき込んだ。

 翌日、ハルキはいつもよりも早く支度を済ませると、早めに家を出た。

 ――今日こそアキに会うんだ。

 その思いを胸に、学校への道のりを急ぐ。

 アキが教室に着いて20分後くらいに、毎日一番に登校してくる女の子が入ってきた。女の子は、自分よりも早く席について準備をしているハルキを見ると、驚いたように目をぱちくりさせていた。ただ、ハルキが何事もないかのように、

「おはよう」

と声をかけると、女の子も、

「おはよう」

と、はにかみながら返して席に着いた。

 その後、次々に生徒たちが教室に入ってきた。最後に入ってきたのは、例の3人組だ。母は彼らとハルキが仲良しと思っているようだが、実のところは違う。ハルキは、毎日、彼らに陰湿的ないじめを受けていた。

 3人のうち、最初に顔をのぞかせたのは体の大きなリョウだ。彼はハルキよりもひとつ年上の小学6年生である。そして、リョウの後ろに隠れるようにして入ってきたのは、タクミとレオだ。この2人は双子で、顔だけでなく中身までそっくりな兄弟だった。年齢はハルキよりも2つも下の小学3年生だが、あとから入学してきたハルキの存在が気に入らないのか、ガキ大将のリョウにくっついてハルキを毎日いじめていた。

 リョウたちは、先生や中学生クラスの3人には決してわからないように、ハルキをいじめることを楽しんでいた。他の小学生たちは、ハルキをかわいそうと思いながらも、自分に矛先が向くことを恐れて何も言わない。その辺は、都会も田舎もあまり差がなかった。

 そうして、放課後となった。

 先生が教室を出て、その後すぐに中学生の先輩たちも退室する。それを見計らったかのように、あの3人組がハルキの席にやってきた。

「おい、ハルキ。今日も……」

 リョウがそう言いかけた時、がらっと教室の引き戸が開いた。

「ハルキ君」

 先生の明るい声に、3人は固まった。ハルキだけがほっとしたように、

「はい」

と返事をする。

「えっと、算数だったよね? わからないところ」

 先生が教科書を持ってハルキの席まで歩いてくる。

「あら、リョウ君、タクミ君、レオ君。君たちも今からお勉強する?」

 その言葉に、リョウは一歩後ずさった。それに倣うように、タクミとレオも一歩ずつ下がる。

「ハルキ君ったら、偉いのよ。今日はいつもよりも早く登校してきてね、わからないところがあるから放課後に少し教えて欲しいって、お願いにきたの」

 先生はハルキに笑顔を向けると、そのまま3人を見つめる。

「さあ、みんなもわからないところがあったらじゃんじゃん聞いてね」

「いや、俺らはいいよ、先生」

「そう? でも、この間のテスト、決していい点だったとは言えないんじゃないかな?」

 そう言いながら、先生は明らかにリョウを見つめている。なかなか凄みのある笑顔だった。

「わかってるよ。次のテストは頑張るよ」

「ふうん? なら、期待してるわ。みんなも、ハルキ君を見習ってちゃんと勉強するのよ」

 このままここにいては勉強をさせられるとでも思ったのか、3人組はすごすごと教室から出て行った。こうして、まんまと彼らから逃げおおせたのである。

 ハルキは、先生に算数をほんの少しだけ教わると、

「やり方がわかったから、あとは自分で勉強します」

 そう言って駆け足で教室を飛び出した。そして、まっすぐに林の奥に向かって走って行った。


「アキ」

 林の開けた場所にある湖に着くと、ハルキは大声で呼んだ。だが、返事はない。

「アキ」

 呼びながら湖の畔に手を着き、のぞき込む。すると、

「やあ、ハルキ」

 自分にそっくりなアキの姿が、1週間前と変わらずにそこにあった。

「久しぶりだね」

 ハルキが言うと、アキは少しばかり首を傾げたしぐさを見せた。

「そうかな? ついさっき、会ったばかりじゃないか」

「さっきって、1週間前だよ?」

「1週間?」

「1週間は7日で…ていうか、もう8日経ってるよ」

「7日……8日……」

「あれ? もしかして、時間の数え方が違うのかな」

 アキはハルキが何を言っているのかがまるでわからないらしく、ただふるふると首を振るだけだった。

「時間……ていうの? 僕、そういうのわからないや。考えたことないんだ」

 アキが言う。

「ねえ、ハルキ。君の世界の話を聞かせてよ」

「いいけど……」

 言いながら、ハルキは俄かに顔をしかめた。

「退屈で、つまらない話だよ」

 ハルキは、日常のことをアキに語って聞かせた。アキは、それを興味深そうに聞いている。

「ハルキはいじめられているの?」

 アキの直接的な言葉に、ハルキは黙ったままうなずいた。

「僕がよそ者だから、みんな僕のことが嫌いなんだ」

「みんなって、その3人だけなんだろう?」

「でも、誰も助けてなんかくれないもの。きっと、僕がよそ者だからだよ。それに、僕は純粋な日本人でもないからね。ほら、見ればわかるだろう? 僕の髪は金色だし、目の色は青いんだ」

 だが、アキは困ったような顔をして言った。

「純粋な日本人っていうのがどういうものなのか、僕にはわからないんだ」

「日本人はね、上から下まで真っ黒さ。黒髪に黒い目。それが日本人だよ」

「なら、ハルキは何人なのさ?」

「何人でもない。僕は、日本人とイギリス人のハーフだよ。お父さんがイギリス人なんだ」

 ハルキは、出会った人の大半に、まずは自分が何人なのかということを語らされることが多かった。だから、きっとアキもそれを聞いてくるだろうし、聞きたいのだろうと思っていた。しかし、アキは聞かなかった。また、ハルキがハーフであるということを知っても、それについてはたいして興味もなさそうであった。

「転校してきて、すぐにいじめられるようになったのかい?」

 アキは、話を戻して尋ねる。

「いや、今の状況になったのは1年くらい前だったと思う」

「なら、その辺りに原因があるんじゃないのかな?」

「アキまで僕のせいだって言うのっ?」

 アキの言葉に、ハルキは思わず声を荒げていた。すぐに我に返って見ると、わずかに波打った湖面には驚いたようなアキの顔がゆらゆらと揺れて映っていた。

「ごめん……」

 アキが言う。

「違う、僕の方だ。ごめん……」

 ハルキも謝った。

「僕ね、クラスメイトの女の子から、はっきりと自分の考えを伝えないといじめはなくならないって言われたことがあるんだ。それは、わからなくもないけど……」

「それが、できないんだね」

 ハルキはこくりとうなずいた。

「僕もね、東京にいた頃、同じことを言ったことがあるんだ。その頃、僕はいじめられてなくて、いじめられてる人の気持ちがわかってなかったんだと思う。いじめられている人に、その女の子と同じことを言ったんだ。たぶん、僕はその子を傷つけたと思う」

「どうして? ハルキも、その女の子の言葉で傷ついたからかい?」

「ううん。僕がそう言った翌日から、その子は学校に出てこなくなったんだ。女の子の言葉は確かに傷ついたけど、でも、僕が言って傷つけた言葉と同じだったから…僕の言葉が僕に返ってきたんだ。やっぱり、僕が言ったことで、あの子は傷ついて不登校になったんだなって思ったら、少し悲しくなったんだよ」

「そうなんだね」

「僕のお母さんはね、都会よりも田舎の教育の方が伸び伸びしていていいだろうって言うんだ。いじめもなくて、みんな仲良しで、大人も子供もみんな生き生きして暮らせる所だって」

「そう」

「お母さんは東京から出たことがなかったみたいだし、お父さんはイギリス生まれで、日本の田舎の生活に憧れていたんだと思う。でも、東京にだって田舎にだって、問題はあるよ。いじめだって、きっとなくならない」

「ハルキは、お父さんとお母さんの3人で暮らしているのかい?」

「そうだよ。お姉ちゃんもいるんだけど、東京に残ったんだ。お姉ちゃんは高校生だからね。この集落には高校はないから。それもね、いじめられる理由のひとつだと思うんだ」

「お姉ちゃんがいることがかい?」

「お姉ちゃんのおさがりが多いってことがだよ。ランドセルだっておさがりなんだけど、どう見ても女の子のデザインなんだ」

「そうなんだ」

「うん。薄紫の色でさ、ラメがついてるんだよ」

「ラメ?」

「うん。なんか、きらきらしたもの。男はつけないよ」

「へえ。でも、きらきらしたのなんて、宇宙を見ているみたいでかっこいいんじゃないかな」

「え、そうかな? 僕はそうは思えなかったけどな。実際にからかわれてるし」

「ふうん。そうなんだ」

 ふと、ハルキは自分ばかりが話していることに気がついた。

「ねえ、アキ。今度は君の番だよ」

 アキはきょとんとしている。

「僕のつまらない話よりさ、アキの話を聞かせてよ」

「ハルキの話はつまらなくなんてないよ。たぶん、僕の話の方がずっとつまらないと思う」

「そんなわけないよ。僕の世界なんて退屈だし、つまらないことだらけだもの。それとも、アキの世界も似たような感じなのかな。いじめとか、不登校なんかがあるのかい?」

 アキは首を横に振った。

「それはないよ」

「なんだ、それだけでいい所じゃないか」

 ハルキは、わくわくとした表情でアキに尋ねた。

「家族は?」

「さあ? 僕は気がついたらここにいたんだ」

「へえ。なら、小言を言われることもないんだね。それじゃ、学校はあるの?」

「あるよ。でも、別に行かなくてもいいんだ。学びたい時に行って、行きたくない時は行かなくてもいいんだよ」

「わあ、夢のようだね。だったら、僕はずっと行かなくてもいいかな。それなら、いじめとかもなさそうだよね」

「うん。ないね。そういうものがあるって、今初めて知ったんだ」

「羨ましいなあ。あ、そうだ、友達はいるの?」

「いる、と思う。でも、ほとんど会うことはないかな」

「まあ、友達なんていなくたっていいよね。僕は一生友達がいなくても平気だよ。あ、でも、アキとは友達でいたいかな」

 すると、アキは微笑む。

「うん。僕も、ハルキとはずっと友達でいたいと思うよ」

 2人の笑い声が湖を震わせた。

「はあ、もう帰らなきゃ」

 ハルキが心底残念そうにつぶやく。

「家に帰るんだね」

「うん。ほら、一番星が出てきちゃったもの。ここから家までは、40分くらい歩かなきゃならないんだ」

「40分? それって遠いのかい?」

「うん。少しね。今から帰ると、陽が落ちきる前に帰れるかなってところだよ」

「ふうん。いろいろと決まりごとがあって大変なんだね」

「そっか、アキにはそういう決まりごとがないんだね」

 ハルキには、アキのいる世界がどんな夢も叶う魔法の世界のように思えた。

「いいなあ。僕もアキの世界に行ってみたいな」

「そう?」

「そうだよ。凄く羨ましい」

「そうかな。僕には、ハルキの世界がいいように思えるけどな」

「ええ? どこがさ」

「なんか、色づいて見えるよ」

 ハルキには、この時のアキの言葉はまるで理解できなかった。きっと自分の世界がとても住みやすいから、少しばかり優越感に浸ってそう言っているのだろうと、そう思っていた。しかし、アキのこの言葉の意味を、ハルキは間もなく知ることとなる。許されざる、禁忌の呪法によって……。

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