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湖面の少年  作者: 高山 由宇
ナツキとアキ 〜大切なのは、環境を変えるのではなく自分の心を変えること〜
15/17

第4章 初めての…

「ナツキちゃん、ごめんなさい」

 ミクからそう言われたのは、冬休みに入る前日だった。

 半年前に、ミクから一方的に絶交宣言ともとれる言葉を投げかけられて以来、会話らしい会話はしていない。ミクがナツキに向かうのは、挨拶をする時か、せいぜい何かの連絡事項がある時だけである。

 それが、この日、ミクとの絶縁状態に終わりを迎えることとなった。半年前、絶交を言い渡した本人の言葉によって…。

「ナツキちゃん、私…」

 ミク自身バツが悪いのだろう。次の言葉を探して言い淀むミクに、

「ミクちゃん、もういいよ」

と、ナツキが許しの言葉をかけた。実際、ナツキにはもうどうでも良くなっていた。半年前、「関わらないで」と言われた時はかなりの衝撃を受けた。その後、ミクがなぜそんなことを言うのか考えて悩んだ。だが、ナツキは、どうしたってミクのことを嫌いにはなれなかったのだ。

「よくないよ」

 珍しく声を張るミクに、ナツキは目を丸くする。

「ナツキちゃん、明日、もう一度会ってくれない?」

 そう言うミクからは、緊張がひしひしと伝わってきた。

「うん、いいよ」

 ナツキが答えると、ミクは少しほっとしたように笑顔を見せるのだった。


「それでね、明日ミクちゃんと会うことになったんだ」

 湖に向かって話すナツキは、とても嬉しそうだ。

「仲直りできて、良かったね」

「うん」

 アキの言葉に、ナツキは盛大に首を振った。

「ねえ、ミクちゃんってどんな子だい?」

 アキが興味津々に尋ねる。

「すっごく可愛い子だよ」

 ナツキは力いっぱいに答えた。

「色白で、細くて、可愛くて、なんかふんわりした雰囲気の女の子だよ」

「ふうん」

「女の子って、こういう感じの人を言うんだろうなあって子だね。私とは正反対だよ」

「え、なんで?」

「え? だから、私にないものばかり持ってるなあって…」

「なんで?」

「なんでって…」

「だって、ナツキは色白でしょ?」

「うん、まあ、白色人種の血が入ってるからね」

「それに細い」

「うん…運動するのが好きだからね」

「それから、可愛いじゃない?」

「かわっ…!」

 可愛くないよ、と言おうとしたが、あとの方は声にならなかった。

「あれ? ナツキ?」

 ナツキは、アキから隠れるように湖から顔を背ける。

「もう…帰る」

 湖に顔を出すことなく言うナツキに、

「え、どうして?」

 おろおろとアキが尋ねる。ナツキはそれには答えず、

「またね」

 そう言うと、大股で林に向かって歩いて行った。

 翌日、ナツキは早くに起き出すと、自室のある2階の窓を開けた。冬の朝の突き刺すような寒さに、思わず身震いをする。

 辺りはまだ暗がりに包まれていた。だが、東の空にぽうっと白い光が見える。それが、夜明けがもうじきであることを知らせていた。

 ナツキは、毛布を担ぐと、ベランダの柵を越えて屋根瓦の上に下りた。一瞬にして素足が凍るかと思えるほどに冷たかった。すぐに毛布を敷き、その上に座ると余った毛布にくるまる。

「まだ星が見えてる…」

 白い息とともに吐き出した。

 寒さに耐えながらしばらくそうしていると、東の空が益々白さを増し、まばゆいばかりの光に辺り一帯が包まれた。日の出である。

「わあ…」

ナツキは感嘆の声を上げる。

「今日がいい日になりますように」

 左手をベランダにかけていたので手を合わせることはしなかったが、ナツキは朝日に向かい願いを込めてつぶやいたのだった。

「ナツキ!」

 母の声だ。ナツキは部屋の窓を見上げる。母の焦ったような顔がこちらを見下ろしていた。

「家の中に風が入ってくるから変だなと思ったら…」

 焦りが呆れに変わる。母はため息をひとつつくと、

「早く部屋に入りなさい。ご飯にするわよ」

と言い、部屋のドアをばたんと強めに閉めたようだ。

 ナツキはゆっくり立ち上がると、毛布をくるくるとかき集めて担ぎ上げる。そして、ベランダの柵をよじ登ると、開け放たれた窓から部屋の中に戻った。

「おはよう」

 着替えを済ませたナツキがリビングに着くと、

「手と足を洗ってきなさい」

 母がぴしゃりと言った。それを聞いていた父が、ナツキを見て苦笑をこぼす。ナツキは、ここは素直に従おうと、ズボンの裾をまくり上げて風呂場に向かった。

「もう、朝から危ないことしないでよ」

 ナツキが食卓に着くと、母は第一声にそう言った。

「部屋の戸を開けたらナツキはいないし、窓は開いてるし…びっくりするじゃない」

「ごめんなさい…」

「何を見てたんだ?」

 重い空気の中、父が明るい声で尋ねる。

「朝日」

 ナツキは、隣で朝食を摂る母を気にしながら答えた。

「昇るのを待ってたのか?」

「うん」

「寒かったろう?」

「うん。でも、綺麗だった」

「そうか」

「うん。なんかね、今からすべてが始まるんだ、みたいな…。今日という日はここから生まれるんだ、みたいな感じ」

「今日という日はここから生まれる、か。ナツキは詩人だなあ」

 あははと笑う父に、

「あなた」

と、母が制止の声を上げる。

「朝日なら、玄関から出て、庭で見たらいいでしょう? もう、絶対に屋根には上らないこと。いいわね?」

 有無を言わさない母の迫力に、ナツキも、そしてなぜか父までもが、

「はい」

と、二度と屋根に上らないという誓いを立てさせられたのだった。

 朝食を終えると、ナツキはすぐに家を飛び出した。向かった先は、学校に行く途中にある空き地である。

 空き地に着いたナツキは、はあはあと白い息を吐きながら辺りを見回す。そこにはまだ誰もいなかった。

「まあ、そうだよね」

 ナツキはつぶやく。家を出たのは9時前だ。ここまでは20分もあれば着く。それも、家からずっと走ってきたのだ。約束の時間は10時だった。

 その空き地には土管があった。ナツキは歩きながら息を整える。突如として風が吹いた。肌に突き刺さるような寒さから逃れるように、ナツキは土管へともぐり込んだ。

「ナツキちゃん?」

「ミクちゃん…?」

 土管の中には、どうやら先客がいたようだ。驚きに目を見開くナツキを前に、ミクは体育座りのまま土管の奥へと進み、ナツキに隣に座るよう促す。ナツキはそれに従って、ミクの隣に座った。

「寒いね」

「うん。今日から冬休みだもんね」

 話していると、くすくすとミクが笑った。

「なに?」

 尋ねるナツキに、ミクは自分の首元を指さして言う。

「走ってきたの?」

 その言葉と仕草に、首元に手を置いたナツキははっとした。家を出る時にはしっかりとしてきたマフラーが、今では布切れを引っかけたような状態になっている。

「寒そう」

 そう言って笑うミクに、ナツキも笑い返した。

「急いでたから気づかなかったよ」

「まだ、約束まで時間があるわ」

「うん。でも、早くミクちゃんに会いたかったから。ミクちゃんこそ早かったね」

「うん。…私もね、ナツキちゃんに早く会いたかったの」

 しばらくの間、温かい沈黙が流れた。それを破ったのはミクだった。

「ねえ、私…ナツキちゃんにひどいこと言ったわね。ごめんなさい」

「もう、いいよ。全然、気にしてない…」

 言ってから、ナツキは咄嗟に口を噤んだ。以前、同じような会話をした時、ミクの機嫌を損ねたことを思い出したのだ。

「ううん、違う。気にしてなくなんかない」

 そう言ってみたものの、それも違うなと思い、ナツキはまたも口を噤んだ。すると、ミクは声を上げて笑った。そして言う。

「前に私が言ったことでナツキちゃんを悩ませちゃったのね。ごめんね」

「もう、ミクちゃん。そんなに謝らないでよ」

「私、前に、もう私に関わらないでって言ったでしょう?」

 そう問われ、その時のことが思い出されてずきりと胸が痛んだ。

「ごめんね」

 ミクは、まっすぐにナツキを見据えて謝罪する。

「私、何をするにしても遅いし、はきはきしてないし、勉強も運動もそんなにできないの」

「え? なに言ってるの?」

 ミクの突然の告白についていけず、ナツキは前のめりに尋ねる。だが、ミクはそれに答えることなく続けた。

「私なんかといたら、ナツキちゃんはきっといろんなことを我慢しないといけなくなる。ナツキちゃんは優しいから、隣の席の私を気にかけてくれるんだろうけど…。私といることで、ナツキちゃんまで私みたいにクラスで浮いた存在になっちゃうことが嫌だったの」

「なに言ってるの?」

 ナツキは再度尋ねた。今回は、いくらか怒気を孕んでいたという自覚はある。

「なんで、私がミクちゃんといると我慢しなきゃいけないの? どうして、私がクラスで浮いた存在になるの? なんで、ミクちゃんが浮いた存在なの?」

 半年間、ミクに避けられていたことに対する疑問が洪水のように押し寄せてきて、堰を切ったようにナツキは畳みかけた。

「私が、ミクちゃんに同情して話しかけるんだって思ってたの? ミクちゃんが浮いてるから、隣の席の私が話しかけてあげなくちゃって? それで、私が我慢して、ミクちゃんと一緒にいるようにしてたって言うの?」

 ナツキの怒声にも近い声に、ミクはうつむいて黙ってしまった。

「ふざけないでよ」

 ナツキが言う。

「私は、そんなに大人じゃないよ」

 ナツキは、ミクの肩をつかんで自分の方へと向き直らせる。

「私はね、ミクちゃんが好きなんだ」

 ミクの肩がわずかに震えた。

「私にとってミクちゃんは、たぶん憧れだったんだと思う。こんな女の子になりたいなっていうね」

「憧れ…? ナツキちゃんが私に…?」

「うん」

「うそ…」

「嘘なんかじゃないよ。ミクちゃんは私にないもの、いっぱい持ってるもの」

「それは、ナツキちゃんでしょ? スポーツも勉強もできるし、はきはきして自分の意見を言うことができるし、友達も多いし、クラスのみんなに頼りにされてるわ」

「ミクちゃんは、裁縫ができるし料理もできる。前に、私のハンカチに刺繍してくれたよね? それから、休みの日にミクちゃんが焼いたクッキー貰ったけど、すごく美味しかった。ミクちゃんが着ている服、いつも可愛いなあって思ってたんだ。私が着たら似合わないだろうなって思うけど、ミクちゃんが着るとすごく可愛いんだ。あと、あまりはっきり言わないところも、女の子らしくていいなあって思ってたよ」

 2人は、顔を見合わせてくすりと笑った。

「私たち正反対の性格だから、ナツキちゃんが私に合わせてくれてるんだと思ってたわ」

「そんな面倒なことしないよ、私は」

「私たち、自分にないところに惹かれてたのかしら」

「きっと、私のいいところ、ミクちゃんの方が知ってるんだろうなあ」

「今、全部話してあげようか?」

「いや、やめて」

 ナツキは、頬を赤くして苦笑を浮かべた。

「私、初めてだわ」

 ミクも白い頬を赤くして言う。

「こんなに長く、誰かと喧嘩したの」

「私もだよ」

 ナツキもうなずいた。

「でも、今回のは私の勘違いで、私が一方的にナツキちゃんを避けちゃったのよね」

「うん。でも、友達とこんなに長く話さなかったのは初めてだよ」

「ごめんね」

「もう、いいんだよ。お互いに誤解だったんだもん。それに、おかげでいろんな初めてを経験できた」

「いろんな初めて?」

「うん。初めての喧嘩と初めての仲直り」

 ナツキの頬が、また赤らんでいく。

「そうね」

 ミクも頬をさらに赤らめながら言った。

「私たち、遠く離れても、ずっと友達でいられるかしら?」

「うん、もちろんだよ」

 そう言ったあとで、ナツキは首を傾げる。

「遠く離れても…?」

 そこでミクは、伏し目がちに話し出した。

「私ね、小学校を卒業したら、東京の中学校に通うことになったの」

「え…」

「単身赴任のお父さんが東京に家を買ったの。だからね、私もお母さんも、来年からはそこに住むことになるのよ」

「そう…なんだ」

2人の間に沈黙が流れる。

「手紙、出してもいい?」

 ナツキが尋ねる。

「うん」

 ミクが答えた。

「今は持ってないけど、スマートフォンを買ってもらえるようになったらメールするね」

「うん」

「電話もしていい?」

「うん」

「ねえ、ミクちゃん…」

「ナツキちゃん」

 ミクのふわふわした手が、ナツキの手を取る。

「私と、ずっと友達でいてね」

「うん。ずっと、友達だよ」

 2人は、頬と鼻と目を赤くしながら、しばらくの間、手を取り合っていた。心が離れていた期間を一気に埋めるように、寒さも時が経つのも忘れて話し込んだのだった。


「さっきね、ミクちゃんに会ってきたよ」

 湖畔にて、ナツキはアキに報告をする。

 ミクとは昼頃に別れたのだ。そろそろ寒さが厳しく感じてきた頃、ちょうど正午を知らせるサイレンが集落中に鳴り響いた。それをきっかけに解散となったのである。

「ちゃんと仲直りできた?」

「うん。お互いにね、なんか誤解があっただけみたい」

「ふうん。喧嘩なんて、大抵の場合そうなんだよね」

「うん、そうかもね」

 ほっとした表情でナツキが笑うと、アキも笑った。

「でもね、来年には遠くに行っちゃうんだ」

 ナツキが悲しそうに項垂れる。

「東京に住むんだって」

「東京かあ。遠いね」

「あれ? アキ、東京ってわかるの?」

「わかるよ!」

 アキが声を張ったのを聞き、ナツキは失言に気づいた。

「僕は、君ぐらいの年まで、君の住む集落に住んでいたんだから」

「うん、そうだったね。…ごめん」

「いや、いいんだ」

「ねえ、アキ。やっぱり、外に出たいと思う?」

 ナツキは、この質問も失言だったと思った。それを証拠に、アキは黙ってしまった。

「ごめん…」

 そう言うしかなかった。聞かなくても、考えればすぐにわかることだった。

 -出たいに決まってるじゃないか…。

 アキは、ナツキと初めて会った時から、外に出して欲しいと言っていた。最近は言わなくなったので、もう思ってないのかと都合のいいように勘違いしかけていたのだ。

 -私のことを気にかけていたに決まってるのに…。

 アキが外に出るということは、ナツキが内に入るということだ。それをわかっているから、アキは我慢していたのだろう。いつ消えるともしれない恐怖の中で…。

「ごめんね…」

 何度も謝るナツキに、アキはため息混じりに笑う。

「何を謝ってるんだい? そんなに謝らないでよ」

「でも、もとはと言えば、アキが外に出られないのは私のお父さんのせいだから…」

「ナツキ、笑ってよ」

「え…?」

「僕ね、もうすぐ消えちゃうかもしれないんだ」

 それを聞き、ナツキはさらに項垂れる。

「だから、笑ってったら」

 アキが言った。

「僕は、消える瞬間に思い浮かぶのが、ナツキの笑顔だったらいいなって思うんだ」

 そう言って笑うアキに、ナツキはうつむく。先ほどとは違う理由で、なかなか顔を上げることができなかった。

「あれ? そこ、寒いのかな?」

 アキが尋ねる。

「ナツキ、顔が赤いよ」

 ナツキは首を振った。

「違うの。少し、暑いんだ」

 初めて芽生えた感情…この心に、ナツキは名前をつけ兼ねていた。今まで平気だったアキの顔をまともに見ることができない。

 -どうしたんだろ、私…?

 ナツキは、風邪かななどと思いながら額に手を当てたりするが、熱はなさそうだった。

「ナツキ?」

 不思議な行動をとるナツキに、アキが声をかける。そこで、アキを見ようとするのだが、やはりすぐに目を反らしてしまう。自分でもよくわからず制御できない感情にナツキは、

「なんでもない!」

と、アキに苛立ちをぶつけてしまうのだった。

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