京都から江戸までの道のり
明治天皇らの行列は、江戸に到着した。
京都から江戸に向かうまでの間にも、名古屋、静岡、小田原、鎌倉、横浜を経由した。
そして、織田信長が天下統一に乗り出す最初の拠点となった、清洲に立ち寄った。
ここから歴史の旅が始まる。
「ここは、織田信長が天下統一に乗り出す、一番最初の居城だった清洲城。
ここから、その後の日本の歴史が動き出していったということです。」
説明をするのは、公望だった。
「ほほう、ここが清洲か…。」
これから、自分らが治めていく日本という国の歴史を、まずは見ていこうということだった。
清洲から、名古屋へ。ここは尾張徳川家の居城、名古屋城があったが、しかし、これからは明治の治世。
将軍家だけでなく、各藩の諸大名たちも、それぞれ城を明け渡すことになった。
参勤交代なども、明治の世になったことで、無くなることになる。
名古屋で一泊。江戸までは、あと何日かかるだろう…。
静岡に入り、まずはかつての徳川家の居城の1つ、駿府城をみてまわる。
駿府城は、徳川幕府の祖、徳川家康が、この地に建てた城。
徳川家康は幼少の頃、駿府の地で今川家の人質生活をしていたという。
家康亡き後は、三代将軍家光と将軍の座を争い、命を落とすことになる、
駿河大納言、徳川忠長の居城になっていた時期もあった。
「駿府城に関してはこんなところかな。」
気がつけば、公望が1人で説明している。幼少時より英才教育を受けていることもあり、当然歴史に関する知識も豊富だった公望。
「それより、早く富士の山を見てみたい!」
静岡を通るということは、当然、富士山の見えるところを通りかかることになる。
「帝!ご覧あれ!あれが富士の山にございます!」
公望は興奮ぎみに明治天皇、睦仁に、富士山が見えるということを知らせる。
まるで物見遊山のような気分の公望だったが、
「これ!これは物見遊山ではないのだぞ!
帝を江戸改め、東京まで無事にお連れするための、大事な役割なのだぞ。」
先輩の近習にクギをさされて、あわてふためく公望だった。
「も、もうしわけございません…。」
やがて行列は、駿河、遠江を通りすぎ、相模に入る。
北条早雲が城主となって以来、後北条氏の居城として、その城下町として栄えた小田原に差し掛かり、
源頼朝が鎌倉幕府を開き、武家政権の始まりの地となった鎌倉に差し掛かり、
やがて、新たな貿易港として栄えることになる、横浜に到着した。
「ここから、もうまもなく、品川の宿、そして、江戸にたどり着きます。
といっても、江戸から、東京に名を変えるのでしたな。」
そして、品川を通り、行列はついに江戸まで到着する。
その間の沿道には、新しい明治の治世を歓迎するかのごとく、
また、帝の豪華絢爛な行列を一目見ようという人々が、人垣をつくっていた。
「いやー!さすがよのう。ここが江戸の町、そしてあちらに見えるは千代田の城、つまり江戸の将軍様が、ついこないだまで住んでいた城じゃ。」
公望は心なしか、感激していた。
ところがその江戸城は、将軍、慶喜が去った後、放置され、荒れ果てていた。
「なんと…!これではとても住まえる状態ではない…。」
そこで合議を行った結果、江戸城は周囲の門や城壁、やぐらなどを残してあとは取り壊し、その跡に皇居を新たに建てるということで合意した。
その間、明治天皇以下皇族の人々には仮住まいを用意して、そこにいったん住んでもらい、皇居が完成したら、あらためて皇居に移ってもらうということにした。
「睦仁、それでよいか?」
公望がたずねる。
この場において明治天皇を『睦仁』と呼ぶことができたのは、実は公望ただ一人だった。
「致し方ない…。そうしよう…。」




