西園寺公望が生きた明治初期
明治初期の時代、約260年間続いた徳川幕府がついに倒れ、また、鎌倉時代以来約800年に渡り続いてきた武家政権もまた、幕をおろした。
しかしながら、今後の明治の治世が、このまま順風満帆にいくとは誰も思っていなかった。
会津から久々に京の都に帰還した西園寺公望。
ところが、京の都に帰ってきてみると、公望らが戦場に行っている間にも、様々な進展があったようなのだ。
公望に仕える友麻呂からの報告。友麻呂は公望の幼少の頃から仕えているが、なぜか年をとらないという。しかしそれでも、公望のためにあれやこれやとやってくれる。
「公望様。既に書状にて報告してあることですが、改めてご報告いたします。」
「かまわん、言ってみろ。」
「まずは、睦仁様が明治天皇になられた事。」
「それは書状にて見た。あの睦仁が、幼少時より遊び相手となっていた、あの睦仁が、明治天皇になるとはな…。
まあ、いずれ先帝の後を継ぐことにはなると、思ってはいたがな、実際にそうなってみると…。」
「それからもう1つ、お伝えしたいことがございます。
実はもうまもなく、我が国の都は、京の都から、江戸に移るのです。」
「江戸に!?」
京の都から江戸に都が移る、つまり朝廷が、天皇家が江戸に移る。
江戸といえば、ついこないだまで、徳川幕府が政治を行ってきたところ。
まあ、徳川幕府の頃から既に、政治の中心地は江戸になっていたようなものだったがな…。
「それから、江戸を、東京と改めるそうです。
東の京都と書いて、東京となります。」
なるほど、江戸は東の京都で、東京か。睦仁が考えたのか?
それとも岩倉らが考えたのか、いずれにしても、この国の都は、西の京都から東の京都、江戸改め東京に移るということが、正式に決まったようだ。
そして公望は、その京都から江戸へと向かう道中、睦仁=明治天皇になったばかりの明治天皇?の身辺警護のため、近習として同行することになった。
万が一、くせ者などに襲撃された場合に、公望たち近習が、命をかけてくせ者たちを追い払い、明治天皇らを守る、という役割だった。
「睦仁!睦仁!」
公望は幼少時のように、わざと『睦仁』という呼び方をした。
「おお!公望が護衛役か!それならば道中、安心じゃ!」
立場は今や、天皇とその近習という関係になっていたが、その後、公望は明治政府の要職を歴任することになるのだから、明治天皇もまた、公望に絶対の信頼を置いていたものと思われる。
「これより、江戸改め、東京に向け、しゅったーつ!」
そして明治天皇とともに東京へと向かう大行列は、京の都をあとにする。
「これで京の都とも、しばしの別れか…。」
公望は京の都の神社仏閣、そして街並みを、名残惜しそうに見つめながら、大行列の一員として、明治天皇の護衛役として、京の都を発った。




