♭ アーヴァイン少年と学院の人々
魔導学院の存在理由は今も昔も変わらない。四半世紀に満たぬ時を昔と呼ぶと抗議の声も上がりそうだが、今より以前は昔といって差し支えないだろう。魔導の追求、人々の暮らしを支えるその目的は変わらないが、魔導の進展は日進月歩。
今からではどうにもできない、でも過去があったから今がある。いずれ未来につながる在りし日のお話。
初夏。この春に中等部へ入学した少女も少しばかり学院というものに慣れてきた。
ライトグリーンの肌色をした彼女は、陽の光を求めて早朝から学院の中庭へ足を運ぶ。この時間帯ならば学友たちから冷ややかな視線を浴びることもない。尤も、学院の門をたたくことを決めた時点で、植物魔法を極める野望を抱いた時点で彼女――リークは他人と比較されることはあっても自身を誰かと比べることを手放していた。
「こんな時間から登校か。流石は変わりもの」
中庭のベンチには先客がいるではないか。早朝からわざわざ学院の中庭で本を読み耽る声の主へは、「バッカス先輩、ちっすちっす」と陽気とも能天気ともとれる声で挨拶を返す。
(いやぁ、この人の方がよっぽど変わりものなんだよなぁ……)
胸中で独り言ちつつもベンチには座らず、その隣へと移動した。素足の彼女が歩くとぺたぺたと足音が鳴る。周囲に植えられた木々と並び陽を浴びながら、リークは横目で一学年上の先輩を眺めてみた。
身に纏うローブは見習いのカラス色ながら、黒く長い髪を首元で雑に束ねた姿は魔導士らしい。目の下は隈が濃いがメガネに隠されている。ただし眉間の皺と書物へ向けられた瞳は鋭く尖らされており、一度見れば早々忘れられそうにない。
この風貌且つ孤児であるので、リーク以上に学友どころか上級生、果ては高等部の人たちにも睨まれているのが学院きっての変わりものことアーヴァインであった。
「バッカス先輩こそ早いっすね。実は今日も呑み比べをして朝帰り?」
ケンカは売らないが、売られるケンカはちょいちょいと買ってしまう不良学生だ。しかし見習いといえども魔導士本気のケンカはご法度。野郎同士の争いはエールの吞み比べになったりする。度数の低いエールはこの年齢ならば適法、ではあるのだが、魔導士見習いが朝帰りは如何なものか。
周囲がアーヴァインを敬遠するなか、彼へ親しみを込めて異国で崇められる酩酊の神様の名で呼ぶリークも、やはり変わりものに違いない。
出された軽口にも微動だにせず、アーヴァインは一言、「キミと同じさ」と答えて本を読み続けた。この返事にはリークもにっこりと微笑んで足裏から地面へ根を生やす。
「誰にも邪魔されぬこの時間、日向ぼっことしゃれこみましょうか」
学友らにはいくら弁を講じても理解が得られないものだが、ここでは無理に理解を求める必要もない。これから行う植物との交信は彼女にとっての日課であり修行。静謐に包まれ、ページの捲られる音を耳にしながらリークは瞳を閉じた。
早朝からしばらく。日が少し高くなり学院全体が明るく照らされ始めた。それでもまだ授業開始までにはゆとりのある時間帯であったが、騒がしさからリークは目を開く。
「ヴァンっ! ねぇ、ヴァンったら、聞いてるの?」
少女特有の高い声。それも声量が張られるものであればオチオチ交信もしていられない。あくびを噛み殺しながら現実へと意識が戻されては瞳が細められた――アーヴァインへ必死に声をかける彼女もまた魔導士見習いだ。
彼と同じ程の長さの髪は櫛こそ通されているが無造作に流されており、色合いは燃えるような紅。朝一番から直視するには眩しすぎた。
「……」
「ねぇ、どうして工房に帰ってこないのよ……。ご飯、一緒に食べるって約束したじゃない」
朝っぱらからうるさいなぁ、がリークの正直な心情であった。
交信を中断されて胸がモヤつくことに変わりはないが、少女の切なる訴えが聞こえてくるのでモヤつきは間もなくザワつきに変わる。
(この先輩はレーラ、と言ったかな……)
バッカス先輩と同じく、ストレシア・ウォーレン先生のお弟子さんだった筈。何せアーヴァインともう一人の悪名が高すぎて、こちらは印象に薄くなる。
声を聞けばはじめは気の強さに焦点が当たるも、よくよく見やれば可憐なお嬢さんにも思えてくる。ヴァン、ヴァン、と健気に声を掛け続ける姿が目に入ると何とも応援したくなってしまった――が、他人と比べることを手放したリークは、隣に並ぶ木々に倣って静観する以外の手を打つ気もなかったが。
ヴァンとの呼び声が無視され続けると、次第に声は小さく涙の混じった音に変わってしまう。いい加減リークの心に不憫の二文字が浮かび始めた頃、新たな闖入者が現れる。
「レーラっ、本の虫にそれではダメよ?」
その声はこの場にいる三人とはまるで異なる、生粋の明るさが感じられた。あまり人間に興味関心を示さないリークなのだが、ついつい視線を傾けてしまう。
「……出たわね、根明」
一転して溜め息を吐くレーラ、その視線の先にいるのはこれまたストレシアの直弟子、彼女からすると同門の同期、悪名の高い方だ。
ストレシアと同じ灰色の髪は肩口まで伸ばされたミディアムヘア、レーラが学生に許される範囲での化粧を施すのとは対照的なすっぴん。鮮やかな緑色の瞳が、キリリとした眉が勝気な印象も見るものに与える。
同期に只今評されたとおり、根っから明るい人柄がすぐにわかろうものだ。
リークが観察するこの間も読書に耽るアーヴァインを視界に収め、レーラは溜め息を重ねた。ぶん殴ってもこいつ動かないじゃないか、との思いは別として。
「貴女が言わんとせんこともわかるのよ、オーガスタ。でもね、いくら何でも手を上げてまでして言うことをきかせるだとか、魔導士にあるまじきじゃなくて?」
「ははっ、おかしいことを言うね。私たちは未来の魔導士。であれば上げるのは手ではなく、魔法よ!」
もっとダメよ!――その制止の声も空しく、無視する同期を無理からにでも振り向かせるべく、掲げられた左腕を中心に流され始めた魔力は一帯の空気を揺るがせる。
(魔力が濃い)
これから成立されるであろう魔法、それを構成する魔導式をリークが思わず幻視してしまう。それ程に素直な魔力の流れがここにあった。
「なんでナチュラルに殺意高い魔法を構築しちゃうのよ!」
当然同門のレーラも魔法構成因子を見抜いていた。ごく小規模ながら爆発系魔法が成立せんとする。流れるような魔法行使は、流石はストレシア・ウォーレンの直系、オーガスタ・ウォーレンであろうか。しかし、あまりに素直な魔導式であったため、魔法になる前にそれは別の魔導によって解体される。
魔導式が打ち消されて行き場を失った魔力が散っていく。煌めく粒子が流れていく様はミニチュアの流星が如くでもあり、綺麗でもあった。
自ら放った魔力の行く末をオーガスタは緑色のキラキラした瞳で追いかける。当初の目的は一体どちらへ? 魔法合戦で高揚する同期を前に、紅の髪を戦慄かせてレーラはが鳴った。
「あーーー、もうっ! あんたら何? 話せばわかることにも魔法を垂れ流して……、ヴァンもヴァンよ! 反魔法式なんてしなくても、そもそもベンチから動くなり返事するなりすればいいじゃない!」
嫌いよ、あなたたち、大嫌い! 目の前で繰り広げられる魔力の無駄遣い。その極地を前に、オーソドックスな魔導士を目指すレーラは地団駄を踏みながら吠えた。
「やるわね、ヴァン!」
「違うでしょっ! そうじゃないでしょう?」
「……」
「あんたもいい加減しゃべりなさいよ、ヴァン!」
どこまで叫んでも話が通じず、魔導士見習いの少女は紅い髪を掻き毟る始末。木々たちと一緒に眺めていたリークは他人事ながら面白さを覚えた。
(この先輩、不憫で可愛い人だ)
面識のあるアーヴァインを除くと、今ではこの赤髪の先輩へ特に関心を抱いている。
自分はこの二人と違うんだ、と声を張り上げているが、貴女も他の二人と同じ先生の門下生ですよね? 結局は同じ魔導領域に入りますよね? などと思うのも自然なこと。
「ふぅ、仕方ないわねヴァン、レーラはあなたと同じくらい頑固なんだもの」
「あたしをそこのボンクラ魔導オタクと一緒に括らないでっ」
「そう、ヴァンは魔導オタク。だから、読書中断は魔法でもダメ。勉強になったわね?」
「やめてね、あたしが魔力を無駄遣いしたみたいな言い方、本当にやめてほしい」
じゃれ合いは続いたが、気づけば授業も開始目前の時間帯に差し掛かっていた。遊びは終わりとオーガスタはコホンと咳払いを一つ挟む。
「ヴァン――」
囁くようなそれにも本の虫は反応を返さない。
さて一体どうなるのか。リークは授業に遅刻しないよう地面に根付いた足を戻しながら事の顛末を見守る。
「お母さんに言い付けるよ」
パタン。途端に本は閉じられ視線が持ち上げられた。
「……お師さんを出すのは反則だろう、ガシィ」
アーヴァインの口からオーガスタの愛称が呼ばれる。一般にはガッシーだが、その発音を彼女は嫌っていることをよく知ってのことだ。
してやったりと悪戯っ子ぽく笑うガシィと授業に遅れるからと変わらず怒るレーラ、ベンチから腰を持ち上げても視線は本に注ぐアーヴァイン。三人を眺めながら、徐々に植物へと近づいてきた異色の魔導士見習いリークはそっと瞼を瞬かせた。
彼女らの個性的な髪や瞳の色が、学生生活のその一部が、眩しく映ったのかもしれない。
「お師さん。バカ弟子三人、ただいま戻りました」
帰宅の挨拶にも個性が出る。「ましたー」だけを言う省エネ行動のオーガスタ、師匠にお出迎えされたところで頭を下げるアーヴァイン。
「ようようお帰り。お風呂湧いてるから、ご飯前に入っておいで」
はーい、と答えて駆け出す娘と、「先にカバン片付けなさい」と小姑っぷりを発揮するもう一人の娘。その娘は二人分のカバンを持ちながら部屋を目指しつつ、足を止めて振り返った。
「ヴァン、今日は一緒にご飯を食べようね」
約束だよ。言葉を残してレーラも移動する。
「さてと、アーヴァイン」
「はい……」
「あの子らは長風呂だ、少し時間ができたね」
散歩にでも行こうか。
弟子が答えることを待たずして、師はローブを翻した。さっと扉が開かれれば、心地よい風が肌を撫でてくる。
「研究稼業についてから、夕方に散歩するのは久しくてねぇ」
先を歩きながらストレシアが話している。工房の方角の空は赤く染まり、二人はそれを背に森の中へと歩みを進めた。
夕闇の風が実の娘と同じくした彼女の灰色の髪を揺らす。ストレシアの髪は血のつながらない、もう一人の娘と同じく腰元まで伸びたもの。しかし風に揺られてもそこに威圧はない。無造作に首元で括った黒髪の息子と同じく、魔導士は髪に魔力を蓄えるからと、ただ機能的にそこにあるだけのものだ。
少年にしては背の高いアーヴァインと変わらぬ、女性としては長身の彼女は、年齢を曖昧にさせる程にスラリとしている。中年どころか初老の身にあっては病的な細さもある。
夜風程冷たくもないが、日中程暖かくもない。弟子である少年は師の体調を気にしてここでも言葉を呑む。そんな彼の心配など他所に、ストレシアは口元に微笑を携えてあれこれと尋ねた。
散歩中の問いは、新学期は慣れたか、授業は楽しいか、友達はできたか、と実に他愛ないことだった。程ほどに答えていたアーヴァインであったが、友達のくだりで少し言葉を濁す。
「そうか、お友達になれるかはおいて、お友達になりたい人に出会えたんだね」
「あちらがどう思っているかはわかりませんが、面白い人――人格のある植物かもしれないですけど」
お師さんにも会わせたい、そう言われればストレシアは笑みを増す。
「アーヴァインが外の人に興味を持ったなら、師匠としては言うことなしさ」
「ご心配をおかけしています」
師匠の言葉に見習い少年魔導士は眉根を寄せてみせる。学院にいるときとは眉間の皺の刻まれ具合が異なるが、それを指摘する人はこの場にはいない。
「しかしアーヴァインが他人に興味を持つとはねぇ……、全然かまわないんだよ、むしろ良い話なんだけどね。そいつが異性だったりしたら、うるさくなるやつがいそうだ――ああ、その顔でもうわかるよ」
くすくすと師匠は笑う。
それにどうリアクションしたものか。アーヴァインはメガネの淵を押さえて師の言葉を待つ。その様を見て、師匠は吟味した上で言葉を投げかける。散歩に誘ったのはこの話をするためだ。
「学院のことを聴かれれば、面白くないって顔を貴君はよくするね」
「……」
「貴君は、割と賢い部類だからねぇ。中等部の授業も面白くはなかったかい?」
「――残念ながら」
「素直でよろしい」
天下の魔導学院のカリキュラムをつまらぬと言う。面白いじゃないか。自身の窮屈な学生時代を思いだしつつ、師は散歩を楽しんでいた。授業をサボって図書室へ篭った日々も懐かしい。
他愛ない問答を繰り返し続け、程なくして目的地へ二人は辿り着いた。
工房近くの森を抜けた先、小高い丘には種々の花が咲いている。他の弟子二人には申し訳ないが、師匠を独占できる時間を、師匠が好きだというこの丘での語らいを少年は心待ちにしていた。
「何度来たとしても、いいところだろう?」
「はい、お師さん。ここは星も近いのですが、花々がいい。明るいときも暗がりも、そこにはこの花々がある」
「そうだね……、私もここは好きさ」
薄く笑うストレシア。何度とも来た地で何度とも交わされた言葉を、改めて噛みしめるように言うのは何故か。力のない咳が間に挟まれる。
「お師さん……」
「いやさ、弟子を勇気づけるつもりが、心配されてちゃ世話ないね」
細りはしたが、そこは世界で五本の指に入ると称される大魔導士だ。弟子にはにっこりと笑ってみせる。
「アーヴァイン、メガネをお貸し」
傾いた日も地平線の向こうへ沈んでいった。暗がりを星と月の灯りが照らすなか、師は弟子へ言う。続いて、学院での姿が嘘であるかのように、その弟子は瞳を覆っていたものを素直に師へと手渡す。
途端、これまで魔導措置を受けたガラスに隠されていた彼の生来の瞳が露わになった。
「今の世は不寛容なんだ。世を恨みこそすれどもね、人を恨まんでほしい……。そうは言っても、貴君の生まれを思えば今も恨まざるを得ないか」
「いえ……」
師がメガネに魔導を施すのを見ながら、孤児の少年は鮮やかな紅の瞳を瞬かせる。
「オレの親が悪いだけですよ……。いえ、オレが親だったとして、こんなに異様な生き物は許容できたかどうか……」
「できたよ、できるよ、貴君ならね」
はいよ、との言葉と共にメガネが返される。すぐに身に着けられれば、瞳は常人らと同じ黒。メガネ越しには異様は見受けられない。
メガネを掛けるまでそわそわとしていた弟子を見やれば、師は表に出さぬ範囲で心配を強くする。コホっ、と弱い咳を吐いて、長身ながらまだまだ幼い我が子へ手を伸ばした。
「お師さん?」
「うん?」
人を喰ったかのような何とも言えない笑みがそこにあった。頭を撫でられる、こんな些細なことにも違和感を覚える。己の異様さをまざまざと味わいにかかった。
「お尋ねは、オレ――私がしているところですよ」
「ああね、歳かな? 聞き洩らしがあるのさ」
師の呟きが嘘であることは考えずともわかる。だから、アーヴァインは師が向けてくれたように笑みで応える。
「アーヴァイン、貴君の心持ちな。ある種のところで魔導士には向かない。今の魔導士は冷たいやつらが多いから……。半分は私の愚痴さ、魔導ってのは人々を幸せにするものの筈なんだ。だけどね、うるさいやつらもいるし、追い出される人もいる。そいつを私はおかしいと思うし――うん。貴君もそう思っているのなら、ね」
学院を公然と批判する言葉、それにどう答えたものかとアーヴァインは思考を巡らせていた。答えたいが答えられない。しかし、そんなことは師匠にはお見通しであった。
弱い咳と共に言葉が紡がれる。
「無理に口にするな。魔導士は言葉を大切にするし、すべての言葉に意図を乗せる……。娘がいるのに、貴君にだけこう言うのもどうかとは思うがー……、うん。アーヴァインよ、ここまで来たんだ、もう少し、学院で学んでいこうな」
「……はい」
師が告げること、半分も理解はできないが真っ直ぐに少年は頷く。いや、わからなくともわかる。まだ腹落ちしていないだけなのだと。ストレシア先生がしてくれているように、いつかは自分もそうするのだ。
そうできるのか、自信などはまるでなかったが確信だけはあった。この偉大なる師の元で学ぶのだから、いずれ自分もそうなるだろうと。ただ子ども扱いには大いに不貞腐れるアーヴァインであるが、根は真面目。師の計らいには全力で応えようと思うものだ。
いつの間にか月が高いところに見えている。言葉もないが、どちらかともなくこの花芽吹く丘から現実へ足を踏み出した。
「アーヴァイン、同期との恋愛はやめておけといったが、撤回するよ」
「……はい?」
散歩の道すがら、とんでもない話題がぶち込まれた。これには規格外の弟子も困惑しきりだ。
それを愉快と師は笑う。
「ガシィは私の子ながら自由奔放だからね。だけど、レーラなら貴君のことを」
「……何をおっしゃっているやら」
「あらあら、魔導理論は堪能ながら、だ。あの子の先が思いやられるなぁ」
押し黙るアーヴァインへ、師は続ける。
「貴君がどうしようが、それは貴君の心次第。だけどね、ご飯を食べる約束をしたのなら……、ね? いつも帰ってこない人をいくらでも待ち続ける、こんな人は案外と少ないんだぜ?」
師の何とも言えない表情を見て、アーヴァインはこの後どのような行動を取っただろうか。
残念なことに、この師弟の会話ならばいざ知らず。弟子同士の会話となっては、記録にも残ってはいない。




