♮ フィアと課外学習
今回から各話タイトルを整理しました。
現代のお話には♮、未来には#、過去には♭がつきます。
魔導学院、それは王国の栄えある魔導士養成校。魔力という目に見えぬ不確かながら、魔法として確かにあるもの。不可思議なそれを追求し、現代生活を支えるための研究を行う魔導士を輩出する国営学校である。
日ごろは学び舎に集う魔導士の卵たちであるが、ときには慣れた場所を離れて新たな学びを得る。カリキュラムがそうなのだと言われればそれまでだが、将来を見通せばありとあらゆる場面で魔法を行使できねばならないだろう。
それは学院最高峰の魔導士――歩く魔導書、その弟子も例外ではない。ボサボサのミディアムヘアは黒、意思の強そうな瞳は紅、纏うローブはカラス色。そんな見た目の魔導士見習い、フィア・ウォーレンは紅い瞳を充血させ、一層赤くさせては奥歯を噛んで泣くことは堪えていた。
「ふん、泣きたきゃ泣け。そんで尻尾巻いて逃げろ。したら、喜んで単位不認定のサインをしてやるよ」
「やだ! じゃない。泣かない逃げない、諦めたくないです。もう少し、やらせてくださいっ」
厳しい声にも即決でノーを返す。意思を再度表明した彼女へ、課外授業の担当教員は眉を顰めてみせる。長く伸びた赤髪が揺れ、威圧が上乗せされる――その様は歩く魔導書に並ぶ魔導士、レーラ・キルシュタインが何故西の魔女との名で呼ばれ怖れられているかを示しているようであった。
「頑張る頑張るでできりゃぁ魔法なんて要らないんだよ。自分が学院に相応しいと言うのなら、魔導で示すんだね」
だから私はあんたらが嫌いなんだ。顔まで顰めて吐き捨てられた台詞に込められたものは、一体どんな感情であったのか。怖れに立ち向かうことで精いっぱいな彼女には、汲み取る程のゆとりも育ちも足りていない。
(くそぅ、何ておっかない人なんだ……、流石は御師様の好敵手、なのか?)
心で毒づいて自身を鼓舞してみせるが、ともあれ、フィアが選ぶのはチャレンジの一択だ。レーラは師匠アーヴァインの好敵手なだけでなく、自分の好敵手であるリィーンの師匠なのだ。
逃げることは、師弟丸ごとの敗北につながる。
「不服さが面に滲んでるぞ。アーヴァインの弟子なら――」
「レーラ・キルシュタイン先生、自分の不出来さが漏れてしまい、すみませんでした」
「わかりゃぁ、いい。初等部で私の授業は滅多に受けられないんだ、続けたければね、あのボンクラメガネを見習ってお行儀よくしておきな」
“ボンクラメガネ”なるワードに眉が吊り上がりそうにもなるが、魔力を動員してでも魔導士見習いの少女は表情筋を押さえ込んだ。
(御師様はメガネだけどボンクラなんかじゃない! 何だこいつ、邪悪の塊じゃないか!)
御師様もリーク先生も優しいのにと思わずにはいられない。教えを守り、淑女たらんとフィアは心で目いっぱいの渋面を切った――感情に良いも悪いもない、心は自由と師は言ってくれている。
何より、今日の授業はアーヴァインがレーラへ頭を下げて成立したものだ。歩く魔力炉を連れて学院外で魔法の訓練をする、このことの意味がわからぬフィアではない。
「教科書を開きな。もう一度だ」
「はいっ」
植物を対象とした魔法を成立させるために必要十分な魔力量――タイトルを見るだけでアレルギーが涌きそうだ。そもそもこれは中等部の教科書だぞ、リィーンのやつはこの鬼とどうやって会話をしているんだ、と心の毒づきまた一つ。
教科書に目を落とす少女は、先生役の見る目が変わったことに気づかない。ただ問答が始まるので真剣に答えるのみ。
「ウォーレン、なぜ植物を対象とした魔法を初等部で学ぶ?」
「はい、キルシュタイン先生。それは、魔力は未だに判明しておらず、初学者が人を対象とした魔法を扱うことは魔導倫理に反するからです」
「ではウォーレン、植物を対象とした魔法を本格的に学ぶのが中等部になるのは何故だ?」
「はい、キルシュタイン先生。それは……、えっと、おそらくになりますが、“植物魔法”という括りが、本来であれば雑な種類分けだから、と考えることができます。初等部ではぜんぶをやろうとすると……、魔導として一貫させるには、植物を理論で捉えるには、初学者には複雑すぎるからです」
「ほう、なるほど。類推もあるがよかろう。では、教師陣が“植物魔法”と敢えて括っていること、それが意味するものはなんだ、ウォーレン」
「はい、植物は土地が変われば同じ種であっても姿形、生長……、植生? が、異なります。ですけど、異なるものを異なる分だけバラバラに分けて扱うとすれば、まとまりが……、えっと、体系化ができない? 北部植物魔法、東部植物魔法と分けることはあってる、適切なのでしょうか。それは、魔導理解を目的とした種類分け、その本来の意味から遠くなる、離れてしまうからです、キルシュタイン先生」
「……そうだね。人間相手に行うには危ない魔法も、植物相手ならば心配も少なく変化を観察しやすい。だが、本来の植物を対象とする魔法は種々の知識とよくまとまった理論が必要。だから本格的に取り扱うのは中等部からになる」
フィアが必死に専門用語を用いて紡いだものを、先生は噛み砕いてまとめてくれた。自分も最初からこう言いたかったのだが、中等部以後は先の問答のような解答の仕方が求められる。
満点ではないが、及第点以上。お褒めの言葉だったかはわからないが、校外での課外学習が始まってから続いた問答を何とか終えられたようで、少女は安堵から大きく息を吐く。
「植物魔法に堪能なリークの教え子であることを差っ引いても、その年齢でその受け答えができれば十分だろう。流石はアーヴァインの一番弟子というところか」
「えっ――」
一瞬言葉を疑ってしまった。まさか本当に褒められるとは思ってもみなかったのだ。
緊張を解いていたフィアは、先ほどまで押さえ込んでいた無表情を崩す。これにはレーラも溜め息を吐いた。
「あんたね……、そこは堪えるか喜ぶかするところだよ。ったく、そんなところもあのタコスケの弟子らしい」
「あ、はい。気を抜いてごめん。褒めてくれてありがとうだ、先生」
クスリと笑うレーラの姿に少し違和感も残るが、素直に礼を述べる。
教室丸ごと氷づけ事件のときに受けた仕打ちを思えば、当然苦手意識というかトラウマだとか、ヘビに睨まれたカエルが如き態度をフィアが取るのも無理からぬこと。
(よくよく考えたら、あのときの鬼さ加減は……、リィーンを心配されてのことか)
ときを経て、なるほどと思った。御師様も自分がケガをしたときには大変お叱りになられるのだ。まだ目の前のレーラ先生は怖いが、そらそうだよね怒るよね、と考えられるようにもなった。同時にあのときの自分の行いを振り返ると別の怖さも湧き立つ。
「いいかい、ウォーレン。何度でも言うが、私はあんたが学院に来ることには反対している」
突然の告白に「な、なんだ、また意地悪だな!」と反応してしまう。やっぱりこの人苦手だ、と感情からの反論を試みたところで視線に制された。
「あんた、勘違いしているようだからハッキリ言っておくよ。先の問答、大したもんだ。よく学んでいる証拠さね。あたしゃね、魔導を真摯に学ぶやつは嫌ったりしないよ」
むしろ好きさね、などと伝えられる始末。じゃあ何でそんなに厳しく当たるんだよ、と思わざるを得ない。すっかり表情に現れているフィアを見兼ねたか、言葉が続く。
「もうわかってんだろ、ウォーレン。あんたが学ぶには学院の初等部は軟く、中等部は狭い。高等部、なんてもんは魔境で言うに及ばず――」
御師様にもリーク先生にも、リィーンにもエンファにも向けられたことのない表情がそこにあった。
これが何の感情であるのかは、今のフィアにはわからない。ただ、大事な話をされていることだけはわかった。だから、わからなくても真剣に聴くことだけはするのだ、と姿勢が自ずと正される。
「“歩く魔力炉”なんて誹られてさ、のびのびと学べやしない。他人のやっかみなんか買うことはないんだから、私はアーヴァインやボルドー先生に言ったわけよ。“この子を魔導士にするなら、アーヴァイン、あんたの手元だけで育ててやった方がいい”とね」
「……レーラ先生」
胸に複雑な想いが廻れば、名前を呼んで返すことしかできない。戸惑う少女へ尚も丁寧に話は続いた。
「まぁ、ヴァンのやつは魔導士どころか、あんたを真っ当な人間に育ててやりたかったらしいじゃないか。学院に入れりゃ七面倒くさいことばかりなのに、頑なに聴きやしなかったよ」
弟子の危機に浮かべた怒りでも、問答後の微笑でもない。レーラがここまで語った後で見せた表情は、どこか悲しいような可笑しいような、何とも言えないものだった。
問答であればそれなりに答えられるが、これになんと応じればよいのだろうか。わからない。けれども、やっぱりわかっていることがある。御師様とのお約束だ。
「レーラ先生、ありが――」
「よしな、魔導士は言葉を大切にする……、それを言うのは私にじゃない。あんたを引き取ったアーヴァインに言うことだよ」
「うん、わかった。でも、レーラ先生にもありがとうだよ」
「言った矢先からそれかいね。まぁよかろう。聞いてやるよ、ウォーレン。私へ礼を言ったのは何故だい?」
またしても問答が始まってしまった。だけど、答えは決まっている。ようやくフィアはいつもの笑顔で言い切った。
「あたしは自分のことを知らなさ過ぎる。だから、教えてくれてありがとう、だ」
御師様は過保護なところがある。ここまで来たら親なしであることや、他人と違うことに怯えるなんてことはないのに。秘密主義はいただけないぞ、そのようにフィアは思う。
言い付けどおり、きちんとありがとうが言えた。それも怖い怖いレーラ先生にだ。何だか満足感がある。
しかしこれは校外での学習であった。にこやかなフィアに相対する先生の表情が、再び険しいものへと戻された。
「言葉遣いを正せ。魔力を乗せる呪文、その元となる言語は厳密であるべきだ。魔導士は言葉を大切にする、二度も言わせるな、ウォーレン」
「はい、キルシュタイン先生っ」
やっぱりどうあってもこの人は苦手だ。
今度は魔力に頼らず表情を制御し、フィアは無駄のない回答を返した。
その後、二人は森の中を歩き続けた。課外授業――正しくは正課外授業。多くは学院を離れて、日ごろでは学ぶことのできない魔導を学ぶカリキュラムだ。
課外授業の真っただ中にあるフィアは、不思議な心持ちをしていた。一緒に歩いているのが師の好敵手であるレーラということもある。だがしかし、それ以上に並んで見える風景が不思議なのだ。
「どうした、私の顔に変なもんでもついてるか?」
言葉は砕けているものの、授業が再開されれば顔つきはいつもの険しいレーラ先生になっている。それにつられてフィアも緊張感を持っていた。
歩いているのは御師様の工房近くにあるいつもの森であった。これが不思議さを助長する。御師様と歩いた森をおっかない先生と歩く、フィアの日常で試しが行われる、課外学習にわざわざこの森が選ばれる……、数えればキリがない。
釈然としない想いには持ち前の素直さで少女は応じる。
「いや、なんだろう。うまく言葉にできないんだが、しいていうなら、この授業のねらいはなんなのだろう……、そう思っていたところだ、ところです」
若干しどろもどろになってしまった。それでも言いたいことは言えた。
これにはレーラも表情を緩めて感心を示した。
「魔導士は常に意図を持て――我が師の言葉だ。まさかあんたに教えられる日が来るとはね」
「きょうしゅく? です」
「ハッハ、愉快だ。いいだろう、教えてやるよ。ここが課外授業の目的地さね」
丁度森を抜けたところで足が止められた。上機嫌で語る先生に倣って魔導士見習いも傍に並ぶ。ここは――
「お墓のところだ」
御師様と一緒に何度か来たことがある。
森を抜けた先にあるものは小高い丘、その先には名前の刻まれていない墓標が立っていることをフィアは知っている。
(御師様は、ここにくるたびに複雑な顔をされていた)
果たしてこの場に何のねらいがあるのか。フィアは好奇心と少しばかりの怖さを覚えていた。
「ウォーレン、ここを見てどう思う?」
「どう、とは……、いえ、キルシュタイン先生。なんだか寂しい気持ちです」
どうと問われれば、やはり素直に答えるしかない。その真摯さにはレーラも同じ熱量で応じる。
「そうさね。寂しいなぁ……。だからよ、ここを寂しくないようにするのが、課外授業のメインさ」
「ん?」
無機質なお墓、森の切れ目にある殺風景なこの場所をどうやって寂しくないようにするのだろうか。少女には皆目見当がつかなかった。
「なんだ、魔導理論はそこそこやるのに察しが悪いねぇ」
そう言われても困る。だが御師様が頭を下げてまでこの授業を頼んだ人が、レーラ先生だ。フィアは灰色の脳細胞を輝かすべく、うぬぅ、と唸る。真剣に考えてみるも、紫色の煙と咽る香りに思考は中断された。
何事かと横を見やれば、引率の先生がタバコを吸っているではないか。
「あーーーーっ、タバコはいけないんだぞ!」
ノータイムで叫んでみるも、当人は非難をさらりと往なす。
「あん? ヴァンの弟子にしてはお堅いねぇ。一々気にしていたらキリがないぜ?」
「ダメなもんはダメだ! この時期の木や草花は燃えやすいんだ、先生だろうが誰だろうがダメなんだぞっ!」
必死の抗議を前に、西の魔女と怖れられる魔導士は大いに笑う。わかったわかったと言いながら、残る紙巻タバコを魔法で燃やしつくてみせた。喫煙は中止したし、物証も消えた。こうなってしまえばフィアも追撃の仕様がない。
苦し紛れにゴミを捨ててはなりません、と伝えたところ「灰は肥料になるんだぞ?」などと煙に巻かれてしまう。嘘なのか本当なのかフィアには判別がつかないので、今度こそ追求は終わってしまった。
「まったく、ヴァンのやつは真っ当な教育をし過ぎだ」
あいつこそ真人間ではないのに、との言葉にフィアは再抗議の準備を始めようとした。
だが待てよとも思う。
思えば師はお酒を好むし、お料理は美味しいが準備にやたらめったら時間がかかる。更に残念なことに時間の緩さというか約束すっぽかしがあった――弟子にはお約束は守りましょうと言う癖にだ。
うぬぬ、と唸っているとレーラがしたり顔で「ほれ、あんたにも思うところがある様子じゃないか」と笑われてしまう始末。屈辱、ではないが、何とも言えない気分になったので、フィアは魔導士見習いらしく問答で切り返すことで精いっぱいの抵抗を図った。
「キルシュタイン先生、あたしの察しの悪さ、その回答がまだです」
そうだったね、とつぶやいて先生は本題へ舵を切り返す。
「故人が眠るには随分殺風景じゃないか。ここの植物たちを活気づける、それが課外授業の課題さ――あん? あんだその顔は……」
いいえ、キルシュタイン先生。そのように答えながら二つのことにフィアは大いに戸惑った。一つは、先生って案外ロマンチックなんだなとの想い。もう一つは、ここの植生を見て物を言っているのか、なにを簡単に言ってくれてるんだとの抗議からだ。
「いえ、じゃないんだよ、やるんだよ。ついでに言えばね、大成する魔導士は往々にして理想主義者なもんだ」
「いやいや、浪漫だけで何が――」
「愚か。現実の課題を見据え、理想を追求する。これができないやつに、新しい魔導を築くことなどできやしない」
違うか? との問いには、「はい、キルシュタイン先生」と応えざるを得なかった。
言われてみれば、御師様も似たようなことを言っていたではないか。納得とばかりに首をコクコクと三往復ばかりさせたが、同時にどうすればよいのかは依然としてつかめない。
「いいか、ウォーレン。よく観ることだ」
燃えるような赤髪をした西の魔女、その瞳が髪色と似た色に煌めく。その途端、周辺の空気が根こそぎ震えだす感を肌で味わうことになった。
「これは、なんて――」
なんて綺麗なんだ。後に続けるべき言葉も呑まれた。
空気を震えさせる魔力の波が色とりどりの紋様を出現させているではないか。その煌めきも美しくあった。しかし、フィアが瞳を奪われたのはそれではない。
この小高い丘を、空を覆う程に視覚化された文字が躍っている。ここにある植物を活気づけるための魔法、それを成すための式、言葉、膨大な量の呪文が目の前にある――何が怖ろしいか、これだけの文字数であるのに無駄がまるでない。
こんなに美しい呪文群をフィアは視たことがなかった。
「教科書は読んだろ? お膳立てはしてやった。さあ、やってみせろ」
「はい、キルシュタイン先生。いえ、キルシュタイン先生、この式から魔法を成立させるには膨大な魔力と繊細な制御が必要です。制御は苦手ながらやりますが、量が問題です」
率直に魔導士見習いは答えた。
中等部で習う魔導だ。しかも大規模を同時に行うだなんて、初等部の自分には無茶が過ぎる。
「現実をよく吟味したね。しかしあんたは大事なことを忘れている。そうではないか?」
そうだろ、ウォーレン。キレイに整えられた爪、その先が指すのはフィアの左腕。
確かに、と思わなくもない。
歩く魔力炉と呼ばれる彼女には、左腕に強過ぎる魔力を押さえ込む制御装置が巻き付けられている。師曰く、彼女の親からは名前とこの制御装置だけが与えられていたと。
ずっとつけていることが当たり前だった。それを――
「そうだ。外せ、今、ここで。そんで、やってみせろ」
「――っ」
緊張から生唾を呑んで喉が一つ、ぐっと動く。
(外す? これを? 御師様が決して外してはならないとお言い付けの、これを?)
この間に、フィアの紅色をした瞳はあちこちへと彷徨った。瞳が動くのと連動して思考も全力で廻る。直感を頼るように、記憶を辿るように右往左往する。どちらを探ろうとも、こんなことは今まで一度もやったことがない。
ましてレーラ先生の前だ。以前にやからした教室丸ごと氷づけ事件が脳裏どころか前面に過ぎる。
「結果を考えればそうもなるな……、だがアーヴァインが私を頼ったのは、これだろう。あんたさ、この墓が誰のものか聞いたことはあるかい?」
未だ思考は止めることなく、しかして突然の問いにフィアはぱちくりと瞳を二三度瞬かせた。
そうかい、あのタコスケはこんなことも伝えてないのかい。レーラの表情が見るからに曇ったが、すぐに堅くも慈しみあるものへと戻される。
「このお墓はね、ヴァンと……、うん、それと私の師匠のものさ。この世界で五本の指に数えられる大魔導士、ストレシア・ウォーレン様が眠るお墓さ」
ウォーレン、その響きにフィアは目を開く。
「あんたを最初に引き取り、ファミリーネームを授けた人だよ。あの方がもう少し長く生きてくれたら、そう思わない日はない。アーヴァインも、きっとそう思っているだろう」
きっとね、と繰り返されるその音韻には寂しさが含まれていたかもしれない。
情報の洪水に呑まれ、小さな魔導士見習いは狼狽えた。これまで師を真似て手を合わせていたこの墓にルーツに近いものがあるかもしれない。
今更、親なしの誹りに怯えることもない。そうとは思ったが、目の前に突き付けられたらば惑いに惑ってしまう。
いや、感情を置き去りにしても御師様の御師様が眠るお墓だ。再び唾を吞み込んでは眉間に深い皺を刻み込んでいた。
「どうした、やるのかやらないのかとっとと決めろ。私はこれで結構多忙だ」
「だ、だって、だって……」
今も瞳を彷徨わせるフィアへ、どうして迷う? と問いが出された。
「あたしは歩く魔力炉だ。溺れる程に溢れる魔力は、レーラ先生の繊細な魔導式を壊してしまう」
率直に答えた。だが、それがすべてではなかった。
「それだけじゃないだろう。素直さがあんたの取柄じゃなかったのか?」
「いえ、レーラ先生、あたしは、半端者だから……」
「誰しも初学者の内は半端者だよ。腕を磨かず、失敗もせず一人前になった者はいない」
「ですけど、あたしは、あたしは……」
どもるように声を漏らす少女を前に、大魔導士は大仰な溜め息を吐く。
失望の色孕んだそれを受け、フィアは益々身を固くさせた。その様を前に、紅い髪をした魔導士はゆっくりと口を開く。前口上に、二度は言わんぞ、と告げて。
「そんなではな、歩く魔導書、その一番弟子の名が泣くぞ」
その言葉は少女の小さな胸を穿つ。これは苦しい方だ。問答が上手くできずとも堪えていた涙も零れてしまう。
そこへ、だからあんたらは嫌いなんだと独白が混ざる。
「話は最後まで聴くもんさね。世間はヴァンのことを若き天才だと言う。あたしからしたら、ふざけんなって話さ。あいつの何を知っているというんだ! あれが天才なら、あたしゃここまで努力しなかったよ。ヴァンもあたしも、お師さんが目指した魔導をずっと追い求めている。では、あんたはどうだい?」
どうすんだい、ウォーレン。名を呼ばれ、少女は奥歯を噛んで涙を呑んだ。
カチリ――ずっと身につけていた制御装置が音を立てて外される。その途端、押しとどめられていたものが内側から外へ向かって暴れ狂う。
これから何が起こるかわからず、恐い。
何が恐いか。御師様に棄てられてしまうことだ。そんなことあり得ないとわかっているのに、魔導士になれなかったら失望されると思ってしまう。あの人に嫌われてしまったらどうしたらいいか、それこそわからない。
だが、それだけじゃない。
(ボンゴくん、ボンゴくんだ! こんなあたしを助けてくれる友達がいる。負けたくない好敵手がいる!)
勉強はできるが運動はからきしな細い美ゴリラ。彼の頑張りと、級友の励ましを思い浮かべ、フィアは泣くでも吠えるでもなく、淡々と呪文を紡いだ。
「それでいい」
曰くありの少女が見せた気概に微笑みもしたいところ。だがレーラは問答のときに見せたような険しい顔でいる。歩く魔力炉から放たれた魔力は自身の魔導式を起動させるのに必要な分量を越えた、が、強すぎる。
魔女と呼ばれるに相応しい顔つきで、荒ぶる魔力の波をそっと導かんと補ってみせた。
森を空を覆う程の光が煌めく。
「はぁ、はぁ……」
魔法を為した後、荒い息でフィアは辺りを見回す。
寂しい景色だったところから、幾らかの花が散見される程度にはなった。大規模な魔法行使だったが使った魔力の質と量を考えるとまるで割に合わない。助けてくれたレーラはといえば膝をついてすらいた。
「質問しても、よろしいですか?」
どうしてこんな不毛なことを、と尋ねたかった。しかし先生は問いを待たずして、清々しいまでの表情で言い切った。
「お師さんは花が好きだった。あいつはここに来たいけど、苦しさもある。だからさ――うん? わからないって顔だね……」
小首を傾げる子を前に、観念したように続けられた。魔導士がここまで詳らかにするのは大サービスが過ぎる。
「あたしはね、アーヴァインを――いやさ、ヴァンのやつを憎んでるわけでも悲しませたいわけでもない。できれば、その、少しでも笑顔でいてくれたら、とね」
語りながら見せてくれたその顔を、フィアはとても好ましいものだと思った。自然と、ありがとうが口をつく。
レーラは不可思議に思っただろう。だけど、言いたくなったのだから仕方がない。
「レーラ・キルシュタイン先生。魔導士は理想に燃える高潔な存在ってこと、知ってました。けど、実感したのは初めてです」
なんだい、改まって。そのように告げられるも少女は疲れと反してにこやかさを増していた。
御師様から当たり前のようにもらっていたものを、まさか別の先生からも貰えるとは思っていなかった。お墓に眠る人、自分にファミリーネームをくれた人が二人と出会わせてくれたのではないか。
真実はさておき、そうと思えばそこには浪漫があると思う。
「あたし“優しい”を知ってました。けど、今日はじめて、その形に触ることができました」
言葉は正しく使うものだぞ、ウォーレン。
魔導士としての叱責も受けたが、フィアの笑顔が崩れることはなかった。




