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四人は門番をしている戦闘クラスの者に呼び止められることもなく、校外へ出た。バンダナの効果がさっそく表れていた。
ひとまず四人は大学からそう離れていない箇所まで歩いて行く。大学周辺は弱い魔物しかいないため、沙耶の絶好の練習場になる。目的の場所につくと、すんなり魔物が姿を現した。
「お、茸の魔物じゃん! ちょうどいいね」
花菜が茂みから出てきた魔物を指差した。
あれは何度もルシファーの炎で倒してきた茸型の魔物だ。歩みも遅く、攻撃的でもない。だが、実際自分が直接対峙しているのだと思うと、ルシファーに戦ってもらっていたときよりも随分と緊張する。沙耶は普段よりも早い鼓動を聞きながら、鉄パイプを握り直して茸の魔物に近付いた。小さく息を吐き、大きく吸い込む。ぐっと両手に力を込め、鉄パイプを振りかざした。
「むん!」
息が漏れるように声が出た。振った鉄パイプは魔物の胴体の側面に当たる。鉄パイプを持つ沙耶の手に反動が、間髪入れずに重さが伝わってきた。重い。重量のあるものを殴りつけているのだという感覚がひしひしと伝わってくる。沙耶は腕に力を更に込め、魔物ごとパイプを振り抜く。魔物はうめき声のような奇声を上げたかと思うと、僅かに吹っ飛んだ。吹っ飛んだと言っても所詮女の細腕程度の力だ、殴りつけられた勢いで倒れ込んだといったほうが正しい。地面に倒れた魔物はビクビクと体を震わせている。だが消えはしない。
まだ倒せていないのだ。
「沙耶さん、まだです! 消えるまで殴り続けてください!」
「――あ、うん!」
英樹が呼びかけに、はっとして沙耶が再び鉄パイプを振りかざした。結局魔物が消える、倒し切るまでに三回魔物を殴る必要があった。殴りつけた後粒子となって消えゆく魔物を前に、沙耶は荒れた呼吸を整えていた。運動量としては大したことはないだろうが、全力で生き物を殴りつけるという今までの人生で経験したことのない行為に、心臓が早鐘を打っていた。
魔物が消えた後には小さな魔結晶が転がり落ちている。沙耶は鉄パイプを持っていない反対の手でそれを摘み上げようとした。だが摘んだと思うと、指先が震えていて魔結晶が零れ落ちた。今度はもう一度手の平全体で掴み上げた。握りしめた手の平の内側からごつりとした感触が伝わる。
「で、できた……」
そっと手の平を開けると、魔結晶がころりと転がる。知らずにかなり力を入れて握りしめていたようで、手の平に石の跡がついていた。
その手が未だに震えている。これは恐怖心からではない、興奮しているのだとわかった。力の限り鉄パイプを殴りつける。普段まず決してすることなどない行為を思いきりできる感覚は、新鮮で爽快感すらあった。そしてその結果としてこうして成果物すら手に入る。ぞくりと興奮が背中を走り、表情が緩む。
“こ、これを快感と感じるのはよくないのでは……。いや、でもこれは……”
沙耶が思わず「快感」と感じてしまいそうになるその心境と葛藤していると、その表情を見たルシファーがにやりとほくそ笑んだ。
「ふうん、随分とご満悦そうだな。そんなに気に入ったか、魔物を殴り殺すのが」
「うぐっ! い、いや、そんなことは……ないって」
図星を突かれたように、沙耶が気まずげな顔を逸らす。
そうなのだ、沙耶が感じてしまっている感覚とはつまりそういうことなのだ。魔物を思い切り殴りつけるのが楽しいと、そう思ってしまったのだ。これではまるで猟奇的殺人者のようではないか。
「くっくっく……。ごまかしきれてねえぞ。はん、いいじゃねえか。俺も手応えのある魔物をやったときはスカッとするぞ。気分がいい。お仲間だな」
「ぐうう……! そこルシファーと同じ感覚なの、人としてマズい気がするんだけど」
にやにや笑うルシファーに、沙耶が顔をしかめる。すると背後から花菜が飛びついてきた。
「やったね! 沙耶ちゃん初の独力でのゲットだよ!」
「う、うん。そだね、ありがと」
「ふふ、やはりちょっと複雑な気分になりますよね。俺は初めて魔物を倒した時は無我夢中だったので何も感じませんでしたが、次第にちょっと楽しくなってきちゃって、こう、やってはいけないことをやっているような……。もう慣れましたが」
「そっか……。でもまあ何を今更って感じだよね」
曖昧な表情で苦笑する英樹を見て、沙耶も眉を下げて乾いた笑みを浮かべた。
考えてみればこれは普段ルシファーにやってもらっていることで、そのルシファーにやらせているのは沙耶自身なのだ。爽快感の影に隠れて尾を引く罪悪感。「今更」としか言えなかった。
花菜は不思議そうに英樹と沙耶の顔を見比べた。
「ん? まあ、よくわかんないけど、じゃあ沙耶ちゃんが独り立ちするまでどんどんやって慣れてこー!」
「そうだね」
花菜の呼びかけに、沙耶も気持ちを切り替えた。思うところはあるが、楽しいと思ってしまったものはどうしようもない。ならばもうその感情を誤魔化すことはすまい。




