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魑魅魍寮へようこそ!  作者: 山田えみる
最終章:山田九十九の物語
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山田荘へようこそ!

 ぴぴぴぴ。


 まどろみの中、iphoneのアラームアプリの音が聞こえていた。わたしは大きなあくびをひとつして、布団の中から携帯電話に手を延ばす。が、当たりどころが悪くて、畳の上を滑って、手の届かないところに行ってしまったようだ。音が遠のく。


 ――まあ、いいか。


 ぬくぬくとしたお布団の中からいつまで経っても抜け出せず、わたしは胎児のように身体を丸めていた。外で雀のなく音がする。共同食堂で、はじめくんが包丁を使っている音がする。味噌汁の匂いも漂ってくる。


 「つくも、つくも、起きれ」


 ミノムシのように丸まった布団の上から、ぽふぽふとおうま君が叩いてくる。いつもの朝の光景だった。


 この魑魅魍魎が跋扈する世界の、魑魅魍寮の管理人。穏やかなことばかりではなく、生死の境を彷徨ったことも合ったけど、基本的には不労収入が約束されていて、しかも賑やかな住人たちのどたばたには飽きることがないのだ。


 「つくもー?」

 「んー、もう少し寝かしてよぅ」


 ※


 「九十九さん、九十九さんってば」

 「ふぇ」

 「起きてくださいよ。入庁式から居眠りってどういうことですか」

 「あ」


 眠気が吹っ飛んでしまったわたしは、その勢いで、パイプ椅子を倒して立ち上がってしまった。ちょうど新規採用職員に対する市長の訓示のタイミングであり、みんなの注目を集めたわたしは、顔を真赤にしておずおずと座る。


 「うわ」


 パイプ椅子が倒れていたのを忘れていたわたしはそのまま無様に転んでしまった。天井の無数のライトが見える。心配を通り越して呆れている市長が遠くに見える。


 見慣れた市の名前。入庁式。

 4月の、1日。


 「えへへ、ごめんごめん」

 「もう。あとすっごくお酒臭いですけど?」


 入庁式が無事(?)に終わり、わたしたちはこの市役所における所属を告げられて、職員の先導のもと、次々に会場を後にしていく。


 「あ、同じ所属じゃん。グループ違うけど。よろしく」


 さっきわたしを起こしてくれた女の子の辞令を覗き見ると、わたしと同じ課名が書かれていた。彼女は恥ずかしそうにすぐにそれを鞄の中に突っ込んだ。


 「ちょ、見ないでくださいよ!」

 「いいじゃない、減るもんじゃなし。わたしは山田九十九、よろしくねー」


 彼女は真面目そうな眼鏡を直しながら、こちらを向く。


 「わたしは――」


 その名前を聞いて、わたしはまじまじと彼女の顔を見つめてしまった。


 「……えっと。もしかして寡黙なマッチョ系が好き?」

 「そうですけど。悪いですか?」

 「いやいや。仲良く出来そうだなーと想ってさ」


 彼女が首を傾げるときに、長い黒髪に隠れていた首筋が少しだけ見えた。煙草を押し付けられたような跡が見え、わたしは、彼女によく似た誰かさんの境遇を思い出す。あの人は規格外の力でその状況を脱したそうだけど、この人はどんな人生を送ってきたのだろうか。


 ――飲み会かなんかで聞いてみようかな。

 きっと仲良くなれる気がした。


 さて、わたしたちの所属先の名前が呼ばれた。職員に引率されながら、五人ほどで講堂から庁舎へぞろぞろと歩いて行く。


 「九十九さんも、マッチョ系が好きなんですか?」

 「あーいや、そういう意味じゃなくてね」

 「ま、確かに一言でそう言っても、いろいろ流派がありますからね……」


 彼女の鞄には、某錬金術士の弟のストラップが揺れていた。


 庁舎内を歩いていると、住民の方や他の所属の人達ともすれ違う。わたしはきょろきょろと他の課を見渡しながら、逢いたいような逢いたくはないような、ある人影を探していた。


 「お、九十九じゃん、ほんとに入ったんだな」


 すれ違いざまに手にしていたバインダーで小突かれる。わたしはハッと振り向いて、唇をわななかせた。いいたいことが多すぎて、言葉にならない。


 「働くの嫌がってたお前だから、前日に疾走するんじゃないかと思ってたんだけど――、って、おいおい、なに泣いてんの?」


 あ、ダメだ。ダメなやつだこれ。

 おろしたてのスーツの袖でぐじぐじと涙と鼻水を拭う。引率の先輩も、彼女も戸惑ったような顔をしている。まわりの人達も。


 「……昨日のメール」

 「ああ、ごめんって。九十九なら悪戯か何かの間違いだって気づいてくれると思ってたんだけどなー」


 いい加減なやつだ。大学で出逢ったときからそうだった。約束に遅刻してもへらへらしてるし、記念日すっぽかしてもへらへらしてるし、わざと部屋にゼクシィ忘れていっても、へらへら返しに来るし。


 それでも、嫌いになれなくて。


 「10ヶ月後を楽しみにしていろ」


 自分でも信じられないほどドスの利いた声でそう言うと、彼は何か会議でもあるらしく適当に返事をして走って行ってしまった。


 「なに、九十九さん、呪術の使い手?」

 「一部でわたしは魔女と呼ばれて――、おろろろr」

 「九十九さん!?」


 もっと――、そう、予言書を持っている誰かさんがいうところの、二話か三話くらいかけて、劇的に再会するものだと思っていた。でも、そんなことをされたら、どれだけ吐いても吐き足りないし、きっと、言わなくてもいいことを言ってしまうだろう。


 ※


 その十時間前。


 わたしは公園の適当なベンチに倒れこんでいた。ただでさえお酒を飲めない体質のわたしが、今日に限ってはもう思い出せないほどのアルコールを摂取している。働くのが嫌だからというわけではない――、いや、その理由もちょっとはあるけどさ。


 「死ぬぅ、死んでやるぅ」


 仰ぎみると、人を馬鹿にしたような月がまんまるく輝いていた。公園の時計はすでに4月1日であることを示しており、いわゆる丑三つ時であることがわかる。エイプリルフール。すべて嘘だったらよかったのに。わたしは手の持ったよくわからない銘柄の缶を飲もうとし、仰向けであったことを忘れておもいっきり顔にぶっかけてしまった。


 「ぶへ、げほっげほ! はぁ。死ね!」


 怒りに任せて空になった缶をゴミ箱に投擲しようとしたら、ふらっふらのわたしは大幅に狙いがそれてしまった。自慢じゃないが、普段は1%のチューハイを飲んでもふらついてしまうわたしだ。その空き缶はわたしの人生のように無計画な軌道を描き、茂みの中に吸い込まれて――。


 「痛っ!」


 という、可愛らしい声が、草むらから、聞こえなかった。

 そこでわたしはすべてを思い出した。魑魅魍魎が跋扈する異世界で不思議な体験をして、そして、迫るタイムリミットの中で、この世界に帰る選択をしたことを。


 「……ゆ、め?」


 座敷童の皇帝、すなわち『童帝』ことひょん君に逢う直前だ。ここで空き缶がひょん君にぶつかって、諸々あってスカウトされて、あの世界に飛ばされた。この世界を見限った。


 凍える手で、iphoneを取り出す。


 『わりぃ、職場の子と飲み会終わりにもにょもにょしてさ……、デキちゃったみたいなんだよねえ』


 というメールが誤りであることを示すメールは、このタイミングで届いていた。もし、あのときわたしが何気なくいつもの癖で携帯電話を開いていたら、『物語』は大きく変わっていた。


 「正しい『観測』と、『選択』を」


 iphoneの明かりがわたしを照らす。そこに表示されている時刻は、不思議と3月31日ではなく、4月1日でもなく、半年ほどずれているものだった。


 「ゆめじゃない、……ありがとう、みんな」


 信じられないような出来事の連続だったし、いまとなっては現実味のない『物語』。滅びた世界。意志が物理法則を凌駕する箱庭。


 ひとつひとつを思い出そうとしてみるが、それよりなにより、わたしは、この世界のわたしとして、やるべきことをやらなければならないと思った。


 ベンチから立ち上がり、電話を掛ける。


 『あ、もしもし、九十九?』

 「ばかー!」


 あらん限りの声で叫んで、電話を切ってやった。数カ月ぶりの晴れ晴れとした気持ちで、わたしは転がっている空き缶をゴミ箱に捨てて、何の変哲もない夜の街を、『山田荘』に向かって歩き始めていた。


 ※


 あ。


 山田 三四ミヨ叔母さんに代わって管理人を務めることとなった『山田荘』には、とても個性的な住人たちが棲んでいた。


 ものすごくブラック企業に務めているようでほとんど逢うことのない、絵に描いたような社畜のガタイのいいひとや、もちろん従兄弟のはじめ君。二階にはほとんど出てこない青ざめたような顔をしている芋ジャージのニートがいたり、駆け出しのプロ漫画家さんも住んでいる。彼女は仕事が通常の三倍早く、まるで腕が六本あるようだと業界で噂になっているらしい。


 彼らと繰り広げるドタバタ劇や、市役所で働き始めたわたしの苦労話や、急いでいろいろな準備をしなくちゃいけなくなったわたしたちの日常風景は、また別のお話。


 ※


 ――もう、別の、『物語』。

 九十九の語りはこれで、おしまい。

つくものがたり。

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