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魑魅魍寮へようこそ!  作者: 山田えみる
第六章:『箱庭』と『観測』の物語
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『物語を終わらせるモノ』

 「すまない。小谷間ともえ、ともに行きたいところがある」

 「ぃぁ!?」


 小谷間ともえが邪神でも召喚しそうな声をあげたのは、よりにもよって新婚ほやほや(非公認だが)の尾裂課長から声をかけられたからだった。


 魑魅魍寮、共同食堂――、街は奇想天外な『夏』を終え、『秋』が深まっていこうとしている9月。四季神事件の傷がようやく癒えて、魑魅魍寮に再び平穏な日常が訪れていた時の事だった。


 箸でつまんだ沢庵を落としてしまったともえは、ぎこちないクビの動きで、尾裂課長のほうを振り返った。彼はいつもどおりの大真面目な顔で、彼女を見つめている。


 「ぃ、ぃぁ。もしかして、ふたりでですか?」

 「そうだ。何泊かするかもしれない」

 「ぃぁ!? わ、わたしにははじめ君というヒトが――、じゃなくて」


 ああ、このヒトはどういうつもりなのだろう。しかし、はじめ君との関係は彼が態度をはっきりさせないからいまも曖昧なままで、仲良くはしてもらっているけれど、友達以上のそれではない。仲良くしているのも、お互いに別人格を宿しているからで……。


 ぃぁ。


 不倫。という単語が、頭の中に虹色の創英角ポップ体ででかでかと表示されている。まだわたしが肉塊だったころに聞かされた物語で、恋というものを知った。その中には、お母さんがどういうつもりだったのかわからないが、不倫や禁じられた恋に関するものもあった。


 あ、でも。

 たしかわたしたちがアルバイトとして入って、姦姦蛇螺を退治したあと、この尾裂課長が、わたしの姉である小谷間まどかを『いなBAR』で口説いているところに割って入ったことがあった。


 くっそー、ちゃらんぽらんなやつか、こいつは!


 「ぃぁ! わたしは絶対ヤリチンになんて負けないもん――、“って昼間から何を言っているんじゃ”」


 彼女の瞳が、猫の瞳孔を思わせるかたちに引き絞られ、頭頂部の髪が狐耳のようにざわつきはじめる。稲荷いなりいの。この『箱庭』における神性存在スタッフであり、信仰(報酬ポイント)を恐怖で稼ごうとする『鬼』に対するカウンターだった。


 「どういうつもりじゃ、尾裂」

 「稲荷とうか師匠。実は狐狗里こっくりに向かいたく――」

 「馬鹿者、それを先に言わんか。あれを見よ」


 稲荷いのの指差す先には、晩ご飯の片付けをしていた夏姫が包丁を手首に当てて微笑んでいた。八百万の神とヒトとの隔たりを超えて結ばれた彼女のお腹の中には、尾裂との生命が宿っている。


 「……」

 「ねえ、あなた?」


 尾裂課長の表情は固まったまま、冷や汗をだらだらと流している。稲荷いのは、小皿に残った沢庵をつまみながら、片目で彼を見やった。


 「のじゃ。それで、わざわざ里抜けまでした跡取り息子が、どうしていまさら里になんぞ戻るんじゃ?」

 「出雲を滅ぼします」


 稲荷は盛大にため息をついた。


 「お主のまっすぐなところは長所じゃが、それがどれほどの迷惑を与えたのか忘れたのか。里抜け然り、四季神事件然り。そろそろ学んでもらわねば――」

 「学んだつもりです。だから、夏姫と暮らせる世界を創るために、ひとりで出雲には向かわなかった。そのためにも、反出雲の隠れ里、狐狗里に帰り、話を聞こうと思うのです」

 「奴らはお主を憎んでおるぞ」

 「それだけのことをしたつもりです」


 四季神事件で管狐を根こそぎ喪ったのも、彼にとっては痛い被害だった。里を抜けるときに持ってきた、管狐十匹、それが狐遣いたる彼を、ただの人間というカテゴリから外しているものだった。尾裂流結界術は狐がなければ発動しない。いまの彼は意志量子力学に基づいた魔法も使えない、九十九にも劣る、ただの人間に他ならない。


 「尾裂――」


 夏姫が彼を見つめる。


 「それがどれだけのことかわかっているの。魑魅魍寮にいれば出雲には気づかれない。もし気づかれたとしても、ここの戦力なら十分に護ってくれる。なのに、こちらから攻めに行くなんて……」


 忌み子である柊憂姫、ヒトと交わった罪深き四季姫である榎夏姫は、もう魑魅魍寮から一歩たりとも外に出られない2人だった。大雪害を巻き起こしたこと、全体への奉仕者が特定の個人に恵みを与えたこと、どちらも信仰(報酬ポイント)の授受がカオスになっているため、外に出ればすぐに検知される。


 「わかっている。それも含めて、狐狗里で対策を考える。お前を残していなくなるようなことは絶対にしない。が、出雲政府を潰さなければ多くの不幸を生むことになる」

 「尾裂」

 「もしすべてがうまくいったら結婚し――」


 「そ、それ以上は言わないほうがいいと思うよ、尾裂。そういうことなら、ひさぎを頼りなさい」

 「楸?」

 「憂姫ちゃんがあんなことになって、わたしたち奇想天街の四季姫はただ安穏と毎日を過ごしていたわけじゃないよ」


 話し込む二人を尻目に、稲荷いのは管理人室を見つめていた。出雲政府から追放された存在、『鬼』、すめらぎおうま。尾裂に四季姫たち、この魑魅魍寮に『たまたま』そういう因果の者が集ったというには、あまりに偶然ができすぎている。


 「ま、わらわのやることはひとつじゃがな」


 稲荷いのは、出雲政府に封印されてながらも、意識だけは狐狗里の神降ろしの巫女に同期されることはできていた。反出雲の隠れ里にとって、わらわの情報は何にも代えがたいものだった。だから、精神的に負担の大きい神降ろしの巫女を何代も使い潰していき、その結果、飯綱ひまわりという巫女を助けるために、尾裂は里を抜けだしたのだが。


 「因果なものじゃな」


 おうまが『鬼』にさせられ、出雲を辛くも逃げ出したとき、手引をしたのは他ならぬ稲荷だった。皇妃の末期の願いが、『おうまを護って』というものだったからだ。


 それが、魑魅魍寮という、いわばバグのようなエリアにいるとは思わなかった。いずれにせよ、いまの出雲政府は信仰を守るために住民を圧迫するという、基本原理から外れたことを行っている。狐狗里に力を貸したのもそれを正すためだった。


 この『箱庭』の未来を『選択』するのは、『大人』ではなく、『こどもたち』であるべきなのだ。


 「時が満ちたのかもしれぬな。狐狗里、しばらく顔は出しとらんが、元気にやっとるじゃろうか」


 ※


 山田 四三よみ


 俗に山田教授と呼ばれる彼女は、自室で紫煙を吐き出した。照明を消した暗い部屋に、いくつものディスプレイが煌々と輝いている。画面には無数の文字列が走っており、『Gargantua』『Imaginary』『the Key of Sephiroth』『Witch Hunting』などの単語が表示されていた。


 「……ここの空気も慣れたものだな」


 ため息ひとつ。

 わたしはこの魑魅魍魎が跋扈する箱庭世界とは違う箱庭世界から転送された。もう20年以上の前のことだ。


 わたしの生まれた箱庭は、科学に特化していた世界だった。おそらくあの大災害を経て、スタッフが世界観を明かし、ガルガンチュアのシステムをきちんと説明したのだろう。この世界のように、滅びを隠し、信仰と恵みのシステムを信じこませるのではなく。


 それは自らが滅びた世界を歩く箱庭の中にいるのだと気づかせる残酷な教育だったかもしれないが、そのおかげで、こどもたちはきちんと世界を理解する術を手に入れた。


 もともとの箱庭のモチーフがSFなだけあって、科学技術の素地はあった。が、この世界とちがい、『誰もが扱える、箱庭を滅ぼしかねない力』の存在は大きく――。


 当然、この箱庭が滅びれば生きていけないことは知っていたはずだ。が、旧世界の人類が地球のことなどまったく考えずに闘争していたように、ヒトのサガなのか、あの箱庭でも大きな戦争が起こっていた。


 わたしたちのガルガンチュアは、そのとき、この魑魅魍魎が跋扈するガルガンチュアを見つけたところだった。超巨大移動都市同士はわたしたちの思惑など構わず交接を行う。が、その新たな世界での覇権を巡って、戦争が起こった。


 「お前をここで使ってやる、女」


 結局その戦争がどう終結したのかはわからなかった。交接を狙っていたのか、わたしはこの箱庭に転送され、ガルガンチュアの構造を含めた知識が重宝された。


 「……すめらぎ」


 信仰という名の報酬ポイントの一点集中。この箱庭の人々は世界が滅んでいることも、六脚機械の背中にいることも知らず、ただ、神々(スタッフ)の恩恵のもとに暮らしている。その頂点に立つ少年が、わたしを迎い入れた。


 ――もう20年以上の前のことだ。


 それを『圧政』と呼ぶのか、『秩序』と呼ぶのか、わたしにはわからなかった。きっとそのどちらもであり、どちらでもないのだろう。少なくとも、この体制が確立されてからは、箱庭を滅ぼすような戦争が『一度を除いて』起きていないのは、事実だった。


 手元には、古びた巻物がある。


 「お前はその力をどう使う?」


 紫煙を吐く。


 「お前はまだ空に啼いているのか」


 ※


 数日後。

 狐狗里を訪れた尾裂課長と小谷間ともえは、それを見下ろす丘で立ちすくんでいた。「え、なに。なんなんですか、これ……」と声を震わす小谷間ともえに、尾裂課長は一言も発することができなかった。


 集落が、滅ぼされていた。


 火は上がっていない。が、滅ぼされていた。死体はここからでは確認ができない。が、滅ぼされていた。アイスクリームディッシャーでも使われたかのように、里の地面は大小さまざまに抉られていた。


 気配がした。


 咄嗟に振り返った2人の前には、闇色の外套を纏った少年が立っていた。表情は窺い知れない。が、ただならぬ存在感がそこにはあった。


 小谷間ともえの瞳孔が引き絞られる。


 「何者じゃ、お主」

 「『物語を終わらせるモノ』」


 芝居がかった礼をしながら、その少年は「以後、お見知り置きを」と呟いた。

『アイスクリームをえぐるやつ』でググるえみるさん。

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