どうして、つくもは泣いているの?
小谷間ともえと尾裂課長が謎の不倫旅行に出かけ、哀しみくれる夏姫さんを慰めるために、四季姫たちは魑魅魍寮の二階に集まっていた。姦姦蛇螺はまだ釈放されていないみたい(ひょん君の見たてでは、四季姫事件のどさくさで忘れられているんじゃないかということだった)。
はじめ君は所用でおらず、一階のこのフロアには、ヒトーさんと、寮から出られないおうま君しかいない。ヒトーさんは共同食堂で緑茶を啜りながら(筆舌に尽くしがたい方法で)、煎餅を食べて(記述するにはこの余白では足りない方法で)、大相撲を見ていた。オトーさんか。
おうま君はそのとなりで、わたしのスマホを使って遊んでいた。成長期なのか、わたしと出逢った4月の頃に比べると、確実に背が伸びていた。もう『こども』と呼ぶことのできる期間は長くはないのだろう。そう思うと、わくわくする一方で少しだけ寂しくもあった。
さて、そんなわたし、魑魅魍寮の管理人『山田九十九』は、畳んだ布団をクッションにして管理人室で座っていた。もう誤魔化しきれないほど大きくなったお腹、宿ってしまった新しい生命。魑魅魍寮の面々はわたしに優しくしてくれるが、考えなければならないことが多すぎた。
身体や体調の変化も明確に変わってきていて、わたしの身体が、自分を作り変えてまで、この子のために備えようとしていることがわかる。
――それが怖かった。
お腹を撫でると穏やかな気持ちになる、この仕組みが怖かった。つらいことがあったあの世界を捨てて、わたしはこの魑魅魍魎が跋扈する世界で、すべてを忘れて幸せになるはずだった。けれど、わたしの脚を掴む漆黒の腕があったというわけだ。
『わりぃ、職場の子と飲み会終わりにもにょもにょしてさ……、デキちゃったみたいなんだよねえ』
布団を殴りつける。
誰だか知らないが、わたしが就職をしようとした市役所のその同僚の女は、きっと幸せなのだろう。その子も望まれて生まれ、彼も祝福をするのだろう。
それに比べて、わたしはなんと惨めなのか。
20週を数え、もうこの子は『異物』ではなくなってきている。除去するには、わたしの身体の危険も十分に考慮しなければならないときだ。
『観測』は早い段階からできていた。だって、この世界に来てから月のものがなかったんだから。だから、同じ異世界から来た小谷間まどかに『この世界だと生理来ないの?』って聞いて、きょとんとされた。とっさに誤魔化したけど。
でも、『選択』はいつまでたってもできなかった。
「でも、やっぱり、ムリだよね」
わたしはまだ二十二歳。この世界で生きると決めて、一年生だ。ここでも素敵な出逢いはあるだろうし、なにより、元の世界のものを引きずっているのは、わたしにとって何のメリットもないだろう。
ごめんね――、と心の中でつぶやくと、機嫌を悪くしたのか、吐き気がこみ上げてきた。
「……おろろろろろろr」
「つくも、スマホが壊れた。って、おろろろろろ」
おうま君までもらいゲロをするありさまで、ちょっとどうかしてる状況だった。ヒトーさんがすかさず雑巾を持って走ってきて、事なきを得た。
「何を食べたらこんな色になるんですか」
「はじめ君がいないから、九十九オリジナル料理を」
「自殺行為ですか」
おうま君と2人で口をゆすいで、共同食堂に戻る。管理人室は、いまヒトーさんが必死に畳を拭ってくれていた。おうま君が、わたしの(もといた世界から持ってきた)スマホを掲げた。
「壊れた」
「見せて」
見れば、(いまとなっては)見慣れないアイコンが並んでいた。FacebookにLINE。次元代替品(つじつま合わせ)のFaithbookやLINNEではない。電波強度も人魂ではなくなっていた。
「あー、誰かルーターの充電を抜いたのね」
この世界に転移をしてきたときに、気づいたこと。一緒に転送されてきたPocket WiFiを繋いでいればこの世界のネットワークに接続され、そうでなければ、元いた世界のネットワークに接続してしまう。
もうあの世界のネットワークに接続をしてもしかたがないと思っていたから、ずっとPocket WiFiを使った運用をしていた。共同食堂の電子レンジの近くで常に充電状態だったのだが、誰かがつまずいたかなんかして抜けてしまったのかもしれない。
「ゆきが冷凍ピッツァ出すときに、脚をひっかけてた」
ほらね。
電源に挿入すと、『Waking up』みたいな表示が出て待合の時間となる。わたしのiphoneはおうま君の手の温もりからか、ほのかに暖かい。
「つくも?」
メールもLINEもたぶん表示限界までの件数がバッチで表示されていた。もちろん迷惑メールもあるのかもしれない。なにせ、二十週放置していたのだ。家族。そう、家族からの心配のメールもあるだろうし、大学とか、内定式で知り合った職場のヒトからとか。
「どうして、つくもは泣いているの?」
「……わかんない。変だよね」
もしかしたら。
その淡い期待が、そしてわかりきった絶望が、わたしの指を凍らせる。タップして、開いて、絶望するだけでいいのだ。そうするだけで、このもやもやはきっと消える。殺せる。あの世界との決別を誓える――。
「おうま君、ちょっとでいいから、わたしの手を握っていてもらっていいかな」
「わかった」
ぎゅっと。わたしがかがむと、iphoneを持っている方の手を彼は両手で握ってくれた。わたしの動揺が理解できずに、表情は戸惑っているようだけど、少しでもわたしに力をくれようと、まっすぐ眼を見つめてくれている。
指が、画面に、触れ――。
ぴんぽーん。
「もしもーし? ご不在ですかー?」
咄嗟に指を離した。心臓が口から出てきそうなくらいばくばくと鼓動をしていて、ついでに残りの胃液がリアルに口から出てきた。
「……ッ、はぁー、はぁー」
「つくも?」
「ごめん。ありがと。わたし、出るから、ヒトーさんを手伝ってきてくれる?」
頷いたおうま君は管理人室に走っていく。わたしは玄関を見やり、iphoneに目を落とす。そのころにはPocket WiFiがすでに起動をしていて、電波強度は人魂のアイコンだったし、FaithbookにLINNEだった。
「……馬鹿みたい」
「もしもしー?」
「はーい、いま行きますー!」
随分しつこいようだ。もといた世界でいうところのNHKの集金か何かだろう。わたしは玄関先でつっかけに脚を入れて、引き戸に手をかけた。
「ん?」
この世界に転移してきてから二十週。一度でも、魑魅魍寮のチャイムが鳴ることがあっただろうか。NHKの集金? そんなものがいままで来たことがあったか。
魑魅魍寮は出雲中央政府の眼を逃れる建造物である――、それがこの『物語』の大前提であったはずだ。そう易々とチャイムが押せていいのか。
逡巡していると、向こうから引き戸が引かれた。
「ご在宅でしたか。どうも、『物語』を終わらせに参りました」
「なに、を……」
目の前に居たのは、外套を纏った少年だった。フードを目深に被っていて、表情は伺えない。しかし、わたしは見逃さない。そのフードの隅に絵の具のようなもので描かれた『二重亀甲に剣花角』の紋章は、紛れもない、出雲のもの。
頭の片隅がチリチリと騒ぐ。以前よりも遥かに使い慣れたこの力の発動を感じる。世界を説き伏せる力。瞳が猫のように引き絞られるのがわかった。
「わたしはお前を『観測』し――」
『どうして、お前が!?』
わたしの言葉を遮ったのは、他の誰でもない、山田 穢見ルだった。予言の書を持ち、いつも飄々とヒトをはぐらかすようなことばかり言う彼女の、初めて聞くような余裕のない声音だった。
他のみんなは幸せに出来るけど、九十九だけは。




