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魑魅魍寮へようこそ!  作者: 山田えみる
第五章:四季神の物語
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『観測の魔女』は知っている。けれど、知っていることと、行動することはちがうわ。

 アラミタマートのレジ袋に入っているアイスはもう少し溶けてしまっているいるかもしれない。立入禁止の鎮守の森を歩いている山田九十九は、額に浮かんだ汗を拭った。


 「でも、溶けかけが美味しいのよね」


 ガリガリ君の次元代替品つじつまあわせの『ふとっちょ君』とか、ハーゲンダッツの次元代替品つじつまあわせの『フサフサダッツ』とか、この世界でもやっぱりアイスは美味しい。残念なのは、山田の愛したレモンサクレがないことだけど、元の世界に帰る理由には成り得なかった。


 えのき夏姫なつき

 奇想天街に明るい夏をもたらす八百万の神様。四季神。もともと魑魅魍寮のひいらぎ憂姫ゆきとの親交がきっかけで知り合った彼女だったが、梅雨の終わりがけのときに、五穀豊商店街の『こっくり産婦人科』の待合室でばったりと出逢った。


 「あのときは気まずさマックスだったなぁ」


 それ以来少しずつお話をするようになり、LINNEでよくメッセージのやり取りを行っている。お互いの『そこにいた結果』については話せていないが、いくらなんでも察しはつく。


 このクソあつい夏のまっただ中に、古い社の中で祈らなければならない四季神の大変さに同情して、引きこもって魑魅魍寮から出てこない憂姫の代わりに、こうして差し入れを行っているのだ。まあ、クソあつい夏は、夏姫自身の所為でもあるが。


 「それにしても、夏姫ちゃん、張り切ってるね」


 この世界で迎えるはじめての夏という季節はやっぱりしんどく、まさに盛夏。これも夏姫の頑張りの成果なのだろうと思うと、クーラーのなかった生家を思い出す。


 「……あんまりお腹冷やすのも良くないのかな」


 わたしの問題。わたしの決断。

 先延ばしにできるようなものではなく、明確に期限が定められているものでありながら、わたしはお得意の見て見ぬふりを続けていた。それでも頭の片隅に、心の片隅に、それは居座り続ける。物理的に居座っているのだから、しょうがないだろうけど。


 「ん、あれは――、はじめ君?」

 ここにいるはずのない(この次元世界での)従兄弟だった。夏服のままで、大きな棒のようなものを持って、四季社のそばで佇んでいる。そういえば、寮をでるときに携えていたものだ。なんだろう。


 『それで、あなたはどんな選択をするのかしら。山田九十九』

 「ねーさん?」


 どこからともなく、あの黒い表紙の古書『件』を携えた山田 穢見えみルの声が聴こえる。蝉しぐれの中で、それだけはやけにクリアに聴こえる。


 はじめ君は信じられないと言ったように眼を見開いている。男子高校生にしては少し長い黒髪がざわめいている。いつも魑魅魍寮でさまざまな家事をこなしてくれるはじめ君。だけれど、こんな余裕のなさそうな姿を見るのは初めてだった。


 「何をしているの、はじめ君」

 「ね、ねーさんこそ」

 「わたしは――」


 はじめ君にこれを告げてもいいものなのか。わたしがまだ他の誰かに知られたくないように、夏姫さんも『こっくり産婦人科』にいたことを知られたくないのではないか。口をつぐむと、穢見ルの声が弾けた。


 『下手な小説の誰何すいかみたいなことしてんじゃないの、九十九。あなたは『観測の魔女』なのだから、『観測』すれば『箱庭を渡る黒猫』でさえ逃げられないわ』


 パチン、と彼女が指を鳴らすような音がして、わたしは全身がざわつくのがわかった。ああ、憶えている。これは魑魅魍寮の玄関で、稲荷いのと対峙したときのあの感覚。意志を持って物理法則を騙し通す――、いわば魔法を叶えられる状態。きっといまのはじめ君には、わたしの瞳孔が猫のように細まっていることがわかるだろう。


 「ねーさん、ちょっと待って。これは――」

 「わたしはあなたを『観測』した」


 パリン、パリン、とわたしたちのあいだの空間が弾ける音がする。光子を介してわたしの訴えは、物理法則に直に届けられる。わたしの想いが真摯であればあるほど、自分をも騙し通せるようなものであるほど、法則もそれを信じこみ、『ああ、ごめん。間違えていた。君の指摘が正しいよ』と改変を始める。その際に既存の法則から矛盾が生じるような境界面で、次元の断絶が起こっているのだ。


 『心配しないで、九十九。すぐに収まる。あなたの望む法則に支配された世界。ここではあなたは当然のように知っている』


 四季神を裁く四季裁。山田教授という女性。憂姫の事件。かつて山(狩猟)と田(採集)を統べるという意味で冠せられた、山田という役割。山田はじめ。その名を継ぐもの。


 「あなたは夏姫を殺そうと――?」

 『『観測の魔女』は知っている。けれど、知っていることと、行動することはちがうわ。さて、あなたはどんな選択をするのかしらね』


 役割。四季裁としての義務。ヒトと交わってはならない八百万の神々の掟。憂姫という忌み子。産婦人科で出逢った夏姫。はじめ君がここにいる意味。


 「ねーさん、これ以上、ぼくの邪魔をしないでよ。もう本当に延焼しちゃって困っているんだ。ぼくは火を消そうとしているのに」

 「……夏姫ちゃんを裁こうとはしていない?」

 「そりゃ義務は果たさなきゃならない。でも、やりようがあるはずなんだ。けど、それは爆弾の解体のようなもので、ひとつ間違えればすべてが終わってしまう」


 はじめ君はかぶりを振りながら、手に持っている長いものを抱きしめる。とりあえずは一安心といったところ。事情も聞かずに『鬼』を殺そうとしていた稲荷いのとは違って、どうにか事態を収集させようとしているようだ。


 「ねーさん、だから――」


 その証拠に彼は迷いのない動きで得物の布袋を取り外し、大鎌を思わせる刃を展開して、わたしに向け――。え? 反応が一瞬だけ遅れる。その瞬間に、彼はこの間合を一気に詰めて、大鎌の刃をわたしの背中側に潜り込ませた。


 「だから、消えてください」


 聞いたこともないようなその声に、鳥肌が立つ。まるで合成音声のような、温度のない声音。猫のような瞳で、わたしを見上げて、その大鎌を一気に引き抜こうとする。


 「なら、円環で」

 『ダメ、全力で避けて』


 防御円環を展開しようとしたわたしだったが、穢見ルのひとことが響いた。理由を問いている余裕もなく、無様に草を巻き込みながら転がった。息が上がる。わたしのいたはずの空間を、無慈悲な刃が通過するのが見えた。


 「……はじめ君?」

 『九十九』


 穢見ルの言わんとしていることはわかる。『観測』だ。いくつか再び法則の改変が行われて、わたしは知っていることとなる。可能性は収束し、ひとつのありようを垣間見せる。


 「なに、あの鎌、真っ黒」

 『神尽かみつき』


 稲荷いのが持っていた『鬼斬り』のような特殊な用途に用いられる神器。能力で劣る人間が、処断すべき八百万の神を殺せるように持たせた機能。矛と盾。


 『神憑かみつき』、それは矛の部分。身体能力で劣る人間のコントロールを強制的に得て、唯一絶対の結論のために、最短の過程を選択する。つまり、この動きは、あの神器が、夏姫ちゃんを殺すためにはわたしが邪魔だと判断し、はじめ君の意識を奪ったということ。


 さらに、盾である『神つ樹』。そうか、穢見ルが防御するのではなく、回避しろと言ったのはこのことかと納得をする。あらゆる法則改変のキャンセルアウト。


 『歴史の標。どんな箱庭世界でもその世界における根本原理が存在する。例えばこの惑星の存在、ヒトの存在、光速度、プランク定数、TOEセオリーオブエブリシング、そもそも観測されうる世界であるための絶対条件。それに加えて歴史の標として、文字の発明、社会性の発達、歴史の都合上、起こるべくして起こる事件』


 わたしの居た世界で言うところの、キリストとかヒットラーとかそういうこと?


 『安直な比喩だけど、そうね。いわばモブではない舞台演者。これらは、その箱庭が観測される価値を持つ絶対条件。これはその箱庭が箱庭たる根本原理であるからして、絶対に改変することができない』


 あの大鎌もそうなの?


 『川をイメージして。ところどころにある大きな岩が歴史の標。川の流れを多少変えたところで、その岩の影響力は変わらず、それを消し去ることはできない。あの神器はズルをして、その川に大樹を建てたの。だから、あの神器が行うことは原理。りんごが樹から落ちるように、この惑星が恒星の廻りを回っているように、動かせない事実』


 法則の改変が出来ない。だから、あのとき防御円環を展開していたら、パリンとガラスのように割れて、大鎌にわたしの身体は両断されていた。


 『考えてみれば当然のこと。だって、人間が八百万の神を裁くんだもの。それくらいのチートがなければ、話にならないわ。逆にそれだけの脅威であるからこそ、神々は四季裁を恐れ、出雲中央政府を畏れ、秩序が保たれているとも言える』


 「なぜ邪魔をするのですか。罪深い四季神は排除しなければ」

 「あのね、大事な従兄弟の身体でそんな気持ち悪い声を出さないでくれる?」

 「ならばどうするのですか、異なる箱庭を渡るもの、プレインズウォーカー。あなたにとって、これは従兄弟でも何でもないでしょうに」

 「あんまりわたしを怒らせないで」


 ※


 ざわめく意識の中で、浮かんでは消えていく泡を数えていた。身体の自由は効かない。ぼくの口で勝手にあの『神憑き』が喋っているのが聴こえる。ねーさんの声も。


 やめろ!

 と何度も叫んでいるが、稲荷いのに囚われた小谷間ともえのように、ぼくの声は届かず、ただ役割を達成するためだけに動く『神憑き』が大事なねーさんを殺そうとしている。


 ――稲荷、いの。

 そうだ、これはあれと同じ。あのとき、ぼくは暴走する彼女の前に立ちふさがった。稲荷いのの中のともえが、ぼくを殺すのを止めてくれるのに、一種の賭けをした。彼女でそれができるのならば、きっとぼくにだって。取り返しのつかないことになってしまう前に――。


 「あのね、大事な従兄弟の身体でそんな気持ち悪い声を出さないでくれる?」

 「ならばどうするのですか、異なる箱庭を渡るもの、プレインズウォーカー。あなたにとって、これは従兄弟でも何でもないでしょうに」

 「あんまりわたしを怒らせないで」


 一瞬、何を言っているのかわからなかった。が、次第にクリアになっていく。クリアに見たくはなかった現実が見えてくる。魑魅魍寮の管理人になると言って再会した山田九十九という従姉妹。初恋の人。が、違和感はずっと拭えなかった。本当に、あのねーさんなんだろうか。もしかしたら違う誰かなんじゃないか。


 ねーさんも、それを否定しない。山田九十九であると、従兄弟のはじめ君だと、自分で言っておきながら、それがまったくの嘘であることを隠そうともしない。


 「うそ……、だろ」


 立ち上がろうとしたぼくの意識は、その瞬間、完全に虚脱した。『神憑き』、それは法則改変ができるらしい山田九十九(のような誰か)の天敵であろう。ここでぼくが立ち上がらなければ、ねーさん(のような誰か)が問答無用で殺されてしまう。


 『神憑き』の身体は、ぼくの筋組織への負荷をまったく考慮しないぬるりとした動きで鎌を構えて、彼女を射程に捉える。


 「私に抗う手段など持ちあわせていないでしょうに」


 地面を蹴りつける。ぼくと彼女のあいだにあった距離はそれで一気に詰められて、大鎌が彼女の喉を喰らおうとする。横薙ぎに、血塗られた刃が迫る。


 法則改変による防御は原理的に不可能。が、彼女は顔色の悪い表情で、まっすぐぼくを見つめているだけだ。諦めたのか。いや、『ぼく』を信じているのか。


 「……ねーさん」


 でも。だけど。もう間に合わない。彼女の身体能力ではすでに回避することすらできない距離に迫ったそれを、止める術はもうどこにもない。


 慌てて編んだであろう小さな緑色の円環が生まれては、刃に当たってパリンと割れた。問答無用の刃が、細い首筋に触れる。


 「ねーさん!」

次回:山田(山田)vs山田

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