九十九は全然、洒落(しゃらく)になれないね
少し汗ばむようになってきた七月の中旬だったけれど、その日は何故か妙に涼しく、河原を歩くのは気持ちが良かった。まるで夏の四季神が一日だけお暇をもらっているかのよう。
この日は平日で、はじめ君とともえちゃんは百鬼夜高に登校していて、ヒトーさんと小谷間まどかさんは天網恢恢に出勤している。よって、魑魅魍寮に残っているのは、わたし、山田九十九とおうま君と柊憂姫。ひょん君はあの事件以来蘇りはしたものの、やはり魑魅魍寮にいる期間は短い。
「ごめん。ちょっと行きたいところがあるから、おうま君のお世話を頼んでいいかな、柊さん」
出かける前に、この世界の『どん兵衛』の代替品を献上して、そう、柊憂姫に頼み込んだ。
「いいけど。それに、いつも鬼の子と遊んでるし。でも、ニュー管理人、独りでお出かけなんて珍しいね。鬼の子の一件以来、ほとんど外に出なかったじゃない?」
「そう、だけど。ごめんね、頼めるのが柊さんしか居ないんだ」
「引き換えに家賃をさらに負け――」
「ないけど!」
この魑魅魍寮にはじめてやってきたときの、彼女とのやり取りを思い出す。たしか不審人物に間違われて、警察に通報されそうになったところを、家賃を負けるということで辞めさせたのだ。結局、彼女は新しい管理人が来ることを前の管理人の話から知っていながら、そういう芝居を打ったというわけだ。
いま思い返すと、むかむかしてきた。――って、『前の管理人』って誰だったのだろう。元いた世界の『山田荘』は叔母さん(つまり、はじめ君のお母さんだ)が管理していたけれど、この世界で彼女の名前を聞いたことはない。
「まぁ、いいか。おろろろろろろ」
そういうわけで独りで魑魅魍寮を出て、河原を歩いている。魑魅魍寮から川沿いに歩いて、右折をすることで、この奇想天街の中心地である、五穀豊商店街へとたどり着く。
スマホを見ると、たしかにその商店街の中に目的の医院がある。
「洒落にならないって」
わたしが考えている予想が当たっているのならば、これは大変冗談にもならないことだ。残念ながら日付を計算しても、その他もろもろの体調を考慮しても、わたしの手元にはその仮定を否定する材料がまったくない。だから、外部の意見を聞きに向う。
『九十九は全然、洒落になれないね』
少女の言葉が耳元で囁かれて、わたしははっと振り返る。が、静かな川のせせらぎが聴こえるだけで、あたりには誰もいない。
しかし、その声は聞いたことがあった。あの夢のなかで、鳥居が無数に立ち並ぶ階段ばかりの世界で、『件』と書かれた黒い表紙の古書を携えた、少女。山田の姓を刻まれた、穢れを見る者、穢見ル。
「しゃらく?」
「こころやふるまいがさっぱりとしていて、深く執着しないさま。あなたはこの世界に来ても、執着をしたり、迷ってばっかり。呆れちゃうわ」
「……うるさい」
ひょん君が一度消えてしまったときに残した言葉、『穢見ルを頼れ』。そしてひょん君が魔力で編まれた使い魔だったということから推測するに、この少女がわたしをこの世界に招いた張本人なのだろう。
「件、ヒトの顔に牛の体。不吉な預言をして死んでいく妖怪」
「あら、詳しい」
「小さいころ天才てれびくんで見たわ。穢見ル、あなたはいいわね。きっとその本には未来のことが書いてあるのでしょう。それを片時も離さない。けれど内容は一片も話さない。洒落でしょうね」
「九十九、あなたに覚悟があるのなら、見せてあげてもいいけど。どのページがいい、やっぱり九十九話?」
「……わたしは」
もともとの世界で将来を誓い合った相手が脳裏によぎる。忘れようとしても忘れらないその表情は、温もりは、わたしの全細胞に焼き付いている。酷い裏切りがあってもなお、わたしは。でも、だから、わたしはひょん君の手を取った。この世界で、魑魅魍魎が跋扈するこの世界で――
何をするため?
「わたしは……」
逡巡の末、石のように固まった唇を震わせるが、言葉にはならない。わたしの意志はまだ固まってはいない。穢見ルという少女には、それがわかっている。わかっているから、試したのだ。
気がつけば、彼女の声は聴こえなくなっていた。
※
五穀豊商店街、前に来たときにはおうま君と一緒だったから、名物のからあげを食べて、アラミタマートに寄って帰ったっけ。あのときは夏姫さんが強く注意をしてくれたから、長居をせずに済んだ(ん? あのタイミングで撤退したから、学校帰りの嗅覚お化けこと、ともえさんに遭遇したのでは?)。まぁ、商店街でどんな危険な目に遭ったかもわからないし。
「……いろんな店があるな」
休日や夕暮れ時の賑わいこそないものの、様々な店が立ち並んでいた。いつもは決まりきったアニメグッズ専門店に立ち寄るばかりだったから、こっちの方面を歩くのは初めてに等しかった。
『コトリバコーヒー』『居酒屋ぽっぽ』『因BAR』という看板が立ち並ぶ飲み屋街を抜けると、比較的静かなところに辿り着いた。
その中でも、わたしが脚を止めたのは、『獏がバックバク』という店だった。『あなたの悪夢、食べます!』というキャッチコピーと、可愛らしい獏のデフォルメされたキャラクターが踊っている。
「すべて、忘れて……」
すべてただの悪い夢だったのだとして。いや。わたしは首を横に振った。それはきっといまじゃなくていい。迷ってばかりで、何も決められなくて、何の役にも立たなくても、わたしは。
目的の『こっくり産婦人科』はその隣にあって、わたしは知りたくはなかった真実を知る。
どうする。告げられた『期限』は思っていたよりも遥かに短く、わたしはわたしのこころと身体のために、決断をしなければならないことを知る。
ふらつきながら商店街を彷徨い、『金剛独鈷書店』でそれに関する書籍を購入し、魑魅魍寮へと向かった。
※
「あ、ねーさん。おかえり」
「どうしたの。っていうか、学校は?」
「尾裂課長から緊急連絡。どうやらボクだけみたいだけど」
「その、大きな長い物は?」
「代々受け継がれてる仕事道具。一度取りに帰ってきたんだ。それじゃ!」
次回:尾裂課長と夏の神様




