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魑魅魍寮へようこそ!  作者: 山田えみる
第五章:四季神の物語
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【或る夏神の追憶】

 『ヒトと交わった神の行く末を、知らないとは言わせませんよ』


 ひいらぎ憂姫ゆきの母親を殺した四季裁しきさいの言葉を、まだ忘れてはいない。出雲中央政府は八百万の神の持つ威厳を何よりも重視している。そしてそれはさらなる信仰を産み、出雲中央政府へ恵みをもたらすこととなる。


 八百万の神々がヒトと交わりを持つのは最大の禁忌。ヒトと神は別格であるという信仰の基本原則を失いかねない暴挙。だから、出雲中央政府は各地方(鎮守の森単位)に官を置くことにした。その官によって裁かれるのは、一年の3/4をヒトに溶け込んで暮らしている四季神が多かったことから、やがて四季官だとか、四季裁だとか呼ばれるようになったという。


 『ヒトと交わった神の行く末を、知らないとは言わせませんよ』


 あの日、暴走する憂姫を、まだ子供だったころのわたしたちは三人がかりで抑えこんだ。その季節ではないが、鎮守の森の中の四季社しきしゃの近くであったから、90%ほどの出力で四季の能力を放つことが出来た。それが三人がかり。


 『……すべて凍り付けばいい』


 それでも彼女は止められず、奇想天街きそうてんがいは街が始まって以来の甚大な被害を受けた。結局、彼女の力がやんだのはわたしたちが押さえ込めたからではなくて、単純に彼女が忌み子として持つ力をほぼすべて出し切ったからに他ならない。気絶し、雪の上に倒れこむ。


 「ねえ、夏姫、これ……、マジなの?」


 桜姫ちぇりーぶろっさむの言葉はもっともで、わたしたちはその日、鎮守の森の丘から見下ろした、見慣れているはずの街の景色に絶句した。四季裁は姿を消していた。倒したというわけではないだろう、だが、中央政府から派遣された監察官ほどの力があったとしても、彼女の力を止められなかったということか。


 ヒトと神とでは子を為すことは原則的にできない。が、稀にそうして生まれる子がいて、それらは忌み子と呼ばれる。自らの信仰を食んで回り続けるウロボロスのように、通常の八百万の神よりも強大な力を行使できる彼らは、歴史の各場面で、英雄であったり、バケモノであったり、いずれにしても非常に強大な影響力を残していった。


 ――出雲政府はこの力を怖れている?


 そんなことも考えたことがあったが、出雲政府では感知できない魑魅魍寮に憂姫が入り、一切の力を行使しなくなってからは、そんなことも考えなくなっていった。目先のことでいっぱいいっぱいだったというのもある。


 「……あ、ぁあ」


 あの大災害の翌季節、桜姫の全身全霊をかけた活躍によって、どうにかこの奇想天街も冬を追いやることができた。遅い桜が咲き始める頃、街の復興も徐々に始まり、これからの暖かな季節に向けて歩みだそうとしていたそのとき、わたしは、その男性に出逢った。


 傷ついていた。すべてを喪っていた。光を宿さぬ瞳で、鎮守の森の門のそばで座り込んで、呻いていた。容易にあの事件の被害者なのだということはわかったけれど(事件当時彼のような者達は多かった)、いまもなおその傷を負って動けない者がいるとは思わなかった。


 近づくと浮浪者特有のすえた臭いがした。髪も服もぼろぼろだ。わたしは踏み出しかけた脚を引き返すことも考えたのだけど、なぜだか気がつけば、彼の手を取っていた。わたしのアパート『国士無荘』まで手を引っ張って連れて行き、シャワーを浴びせて、新しい服を着させた。ご飯をつくりながら、彼の様子を見ていたが、何が起こったのか理解できないようで、濡れた髪で座り込んで瞬きをするばかりだった。


 「ここは……」

 「うちの家。えのき夏姫なつき。あなたは?」

 「お。おぉ……さ、」

 「ああ、無理しなくていいよ。少し眠りな。ご飯は作っておく」


 彼が持っているものは少なかった。ほとんどの金が尽きた財布の中には、汚れた免許証と家族の写真が入っていた。妻と、子。この様子を見るに、あの大雪害で。免許証にはまだあんなにヒゲが伸びる前の清潔な写真が映っていて、名前もそこに書かれていた。


 「尾裂おさき課長くわなが……?」

 将来、どこかの事業所の課長にでもなりそうな名前だった。


 それと竹筒。これについてはあとで知ったことだが、管狐くだきつねという使い魔のようなものらしい。里の修行で身につけた技術だったようだが、術者の精神力に影響を受けるため、このときは干からびた小さなミイラのようなものしか確認できなかった。


 「どうして、助けてくれた?」

 「……気まぐれ」


 一ヶ月もすれば、彼は喋れるようにはなっていた。服も清潔なものを用意し、きちんとご飯も食べられる。夜中にフラッシュバックすることは多々あったが、それでも最初よりはマシだった。身だしなみにさえ気をつければ、なかなかのイケメンだった。


 なぜ、彼を助けたのか。明確な理由は、いまでも自分の中ではっきりはしていない。ただ、大切な友達の起こした事件の罪滅ぼしなのは確かなのだが、自分がひどく偽善者のように思えて口に出すことはできなかった。


 結果的にそれで良かったのかもしれない。四季神を深く憎む彼に、あの事件はわたしの友人が起こしたもので、わたしもその四季神の一柱なのだということを伝えてしまえば、きっと彼は発狂してしまっただろう。


 「事業所を起こそうと思う。相談支援事業所だ。ツテはある。礼はきちんとする、もう少し待ってくれ」

 「気にしなくてもいいのに」


 とはいうものの、元気になって仕事をバリバリと進めている彼の姿を見るのは楽しかった。わたしからのお祝いは新品のスーツ。あとは彼のもといた家の使えるものを引き上げて、そのマンションの売却益で必要な資金を揃えていった。わたしは出雲政府からの給付金ではとてもやっていけなくなったので、バイトを掛け持ちするようになった。忙しかったけれど、充実した歓びがあった。


 「おはよう」

 「おやすみ」

 「尾裂、誕生日おめでとー!」

 「明けましておめでとー!」


 一緒に暮らすということ。日々のイベント、季節のイベントをともに共有するということ。それが何を意味するのかわかっているつもりだったが、彼が自立できるまで――、と自分に言い聞かせていた。友達のせいで家族を喪ったヒトを、ここで見捨てるわけにもいかない。曲がりなりにもわたしは四季神なのだから。


 『ヒトと交わった神の行く末を、知らないとは言わせませんよ』

 その度に、四季裁のあの言葉が蘇る。


 「……読めないんですけど」

 「天網恢恢てんもうかいかい相談支援事業所だ」

 「ふぅん」

 「君のおかげだ、君がいなければ私はあのとき野垂れ死んでいた」


 このときにはわたしの中で、尾裂の占める割合は非常に大きなものになっていた。なってしまっていた。そりゃそうだ。夏だけは「悪い、いいバイトがあるから泊まりでいくね〜」とごまかしていたが、それ以外は年がら年中一緒にいて一緒に暮らしていたのだ。悩んだ。彼に妻子がいたということも悩ませた。しかし、他の四季神はもとより、誰にも相談することはできずに――。


 「事業が軌道に乗ったら、どうか、私と」

 「ひぇ、あ、ダメだって、尾裂……」

 「いつまで私を苗字で呼ぶんだ?」

 「……だって。く、くわなが。さん」


 『ごめんなさい』

 彼を受け入れるときに、暗闇のベッドの中で彼の温もりを感じながら、心のなかで呟いた『ごめんなさい』は誰に宛てたものだったのだろう。尾裂に四季神であることを黙っていること? それとも彼の妻子に? それとも罪深い階段を一歩降りるわたしの大切な友人たちへ? でも、そんなことどうでもいいほど、結ばれたその夜はかけがえのないもので、わたしは。


 わたしは。


 「痛いんですけど。命の恩人に対して押し倒すなんてどういうこと!?」

 「……すまん」

 「次は優しくしてよね」


 幸いにして(?)、月の物は来たので最悪の事態は避けられたのだが、わたしは自分の欲望の深さというものに絶望することになる。ひとつ奪えば、十が欲しくなり、十を奪えば、百が欲しくなる。もっと。もっと。口には出さないものの、尾裂はその感情の機微を読み取ってしまう。彼はわたしが四季神だとは知らないから。わたしは優しくされると、振りほどけないから。


 いつわたしの首を刈り取る大鎌が来るのかと怯えながら、わたしは幸せな毎日を暮らしていた。


 なぜ、ふさわしいときに出逢えないのか。わたしが四季神でさえなかったら――と、妄想するときはあるのだが、そうすればおそらく浮浪者となった彼と出逢えずに居ただろう。他の何かがちがったら――、彼はもともとの妻子とともに幸せな日々を送っていただろう。


 「まだ起きているのか、夏姫?」

 「うん、ちょっと寝れなくて。あなたは寝なよ、明日はやいんでしょ?」


 彼の無邪気な寝顔を見つめながら、わたしはわたしのしでかしたことの大きさを実感していた。実感? いや、『なんとかなるかも』とわたしは思い始めている。もう二年も四季裁にバレなかったのだ。それなりに対処しているから、忌み子を孕む確率も少ない。だから――。どうか、この幸せな日々を、赦して欲しい。


 なんて、『四季神を赦さない』と言っている彼の隣で願うのも馬鹿らしいけど。


次回:本格的な夏が到来。

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