パパ、そんなもの吸っちゃ身体を悪くするよ!
鎮守の森、春の終わりに姦姦蛇螺の暴走事件があって以来、より厳重に『立ち入り禁止!』と表記されているその門の前で、男は煙草を吸っていた。梅雨は終わったが、まだ夏の匂いは感じられない。
夏の姫がまだ四季社に入っていないのだろう。男には容易に理解が出来た。あの一件以来、出雲中央政府が保管している文献やあらゆる古文書を漁って、四季神という存在については研究をしていた。理由を知りたかった。
――あの神のいたずらとしか思えない豪雪で、どうして妻子は死ななければならなかったのか。
男は携帯灰皿を取り出して、灰を落とす。
「パパ、そんなもの吸っちゃ身体を悪くするよ!」
ぷんすかと怒る声が聴こえて、慌てて振り返るがそこには誰もいない。ただ手のひらに残る感触は、男の努力もむなしく、冷たくなっていく子供の身体。夏至に生まれたから、向日葵という名をつけた。明るく、暖かな子に育って欲しいと願ったのであって、こんな冷たくなれとは言っていない。
妻はとっくに事切れていた。
自然という手出しのできない大きなものに対して、ヒトとという種族は、畏れから神々を生み出しながらも、どうにか折り合いをつけてきたのではなかったのか。八百万の神というのは、人々に恩恵を与えるために存在するのではないのか。
慟哭を嘲笑うかのように、ただただ横殴りの雪風が吹いていた。
灰を落とす。
「あれ以来、この街に冬はやってこない」
私は毎年、そのときを待っている。この街が再び冬を思い出すそのときを。そうすれば、あの大災害を起こした者の居所がわかる。鎮守の森、四季社、その中で術を行使するために無防備になっているやつに、問い詰めることができる。何故、こんなことをしたのかと。こうしてくれと、私たちはお前を信仰したのではないと。
――四季神を、八百万の神を、赦せはしない。
口に咥えたたばこが短くなってくる。ここでの追憶は一本吸い終わるまでと決めていた。でないと、あの事件が起こった直後のようにずっとここに立ち尽くしてしまうことになる。人間の力がまったく及ばない聖域、鎮守の森の圧倒的な存在感にただただ立ちすくんでしまう。
「……それに健康にも悪いしな」
自虐的な笑いを浮かべて、男が鎮守の森を立ち去ろうとすると、胸ポケットの携帯電話がなった。仕事用の特殊なアプリの入っているスマホだ。短くなった煙草を携帯灰皿に入れて、取り出したスマホを耳に当てる。
「はい、天網恢恢の尾裂。あー、そのくらいのことだったら、ヒトーとバイト二人で十分だ、連絡を回しておいてくれ」
それだけ告げて家に帰ろうとするものの、やはりどこか不安で、いま連絡のあったポイントに脚が向かってしまう。師匠の過酷な訓練のこともあり、管狐は常に携帯しているから、ヒトの身とはいえ、最低限のサポートはできる。
「五穀豊商店街でいざこざ、飽きないね、特異生物も」
冬の大災害で妻子を失った私は、ほとんど廃人のような暮らしをして、ひょんなことから出逢った少女に拾われた。少女というとあの娘は怒るだろうから、女性と言っておこうか。彼女の健診もあってようやく立ち直ってきたころ、天網恢恢相談事業所を立ち上げた。出雲中央政府の給付金を受けるため、県の指定を受けなければならなかったが(その手続が煩雑で何度もやめようかと思ったが)、いまではどうにか軌道に乗せることが出来た。いまでもその女性には感謝しているし、情けないことに、まだ居候は続いている。
ヒトの身でありながら、尾裂の里の生まれであったことが幸いし、自ら戦力の一つと数えられた(経営の知識はないから所長は友人に任せて、課長として実働に回った)。稲荷師匠の修行に耐えられず、里を逃げ出した半端者であったが、まあ、まわりまわってよかったのかもしれない。もっともこんな街で、受肉をした師匠に遭うとは思っても見なかったけれど。
『天網恢恢』という事業所名は私が望んでつけたものだ。読みづらさはよくクレームを受けるところであるが、こればっかりは譲れなかった。『天網恢恢疎にして漏らさず』の言葉のようにあらゆる特異生物の相談事に乗ってやられる事業所――というのは、表立った理由。本当のところは、この街に潜んでいる冬の神を捜索することが目的だった。天網は、お前の罪を赦しはしない。あれほどの問題を起こす者なら、すぐに引っかかると思っていたのだが、どうも身を隠すのが上手いようだ。
スマホの画面は、五穀豊商店街の南アーケード、噴水のあたりを指示している。このあたりは特に治安の悪いことで有名で、よくトラブルが起こる。まあ、いつも喧嘩をするようなやつらはこちらでも把握はしているから、特に問題もなく対処ができるだろう。
スマホにLINNE経由で着信があった。
『あ、尾裂課長ですか? 現場には到着したんですが――』
「どうした」
事務要員として雇っていた小谷間まどかだった。おそらくヒトーの中に挿入って、そこから電話をかけているのだろう。電波の通りが悪い。
『その、駆けつけたときには、こてんぱんになってました。加害者側はもう立ち去ったようで』
「わかった、ちょうど近くまで来ているから向う。そのまま待機」
たいして珍しい事例ではない。
市民には特異生物自立支援法上の通報義務があるから、もし仮に自分が特異生物絡みのトラブルを起こしたら、相談支援事業所の実働部隊が来る前に姿を消すだろう。もっともこの街は特異生物に開かれてはいるが、出て行くものは少ない、顔なじみの多い街だ。聞きこみをすれば、すぐに捕まるだろう――。
「……見慣れないやつ?」
「はい。何人かに聞きこみをしましたが、みな口をそろえて」
人だかりをかき分けて現場に到着すると、噴水の中に倒れている特異生物を、アルバイト二人が起こそうとしているところだった。噴水にもおそらく打撃と思われる傷がつけられている。特異生物固有の能力ではないようだが、おそらく威力の高い打撃だっただろう。
「……ぽぽぽぽ」
「あー、動かないで」
倒れていたのは、異様に背の高いすらりとした女性で、麦わら帽子に白のワンピース。その白のワンピースは噴水の水に透けてあらわになっていたので、眼をそむける。彼女には見覚えがあった。五穀豊商店街の飲み屋のひとつ、『居酒屋ぽっぽ』のマスター、八尺様だ。店の中では0.八尺様として、25センチの姿で走り回っている彼女だったが、特異生物としての本質は2.5メートルの大女。
「ぽぽ、ぽっぽ」
「それじゃわからん」
『見慣れない奴が店を潰す勢いで酒を飲んで、挙句いまは金がないとか言い出したんだぽ。問い詰めたら、出雲中央政府に請求してくれればいいからって出ていこうとするから、八尺になって懲らしめてやろうと思ったら、めっちゃ強かったんだぽ_(:3」[_]』
というLINNEが即座に入った。
「ヒトーとまどかは彼女を病院まで。バイト二人は聞きこみを続けてくれ」
『人型で何の特異生物かはわからなかったんだぽ( ˘ω˘) 』
「そうかい」
『でも、髪は鮮やかな紅葉色だったんだぽ!₍⁽⁽(ી( ・◡・ )ʃ)₎₎⁾⁾』
ヒトーにお姫様抱っこで運ばれながら、手は光速でLINNEを打っていた。というか、0.八尺様になればいいのに、ダメージを受けているとSD化できないのだろうか。煙草に火をつけながら、私は情報を整理していた。
※
「ただいま。お、今日はカレーか?」
「そうだよー。早く手を洗ってくるのだー。というかタバコ臭い、そんなもの吸っちゃ身体を悪くするよ!」
「悪い悪い、赦してくれ、夏姫」
「もー!」
次回:或る夏神の追憶。




