【或る冬神の追憶】
「ヒトと交わった神の行く末を、知らないとは言わせませんよ」
「ま、まってください、この子は……!」
まだ幼いわたしを抱きしめる、暖かな温もり。鎮守の森、四季社。先代冬の八百万にして、わたしの母。わたしはそのとき何が起こっているのかわからず、ただただ母に抱きしめられるままだった。
『ママ、わたしは神様なの?』
『そうよ、冬の神様』
『ってことは、えらいの?』
『ううん。神様はヒトと寄り添う存在でなければならないわ』
ひとつ、大きな衝撃音がしてわたしはしゃがみこんだ。母は微笑んでいたのだと思う。やがてそのまま表情は凍りついて、力を失ってわたしに倒れこんでくる。母の背中越しに、大鎌を構えたヒトの姿が映る。母の背中にはべっとりと紅いものがついており、それはその鎌から滴っているものと同じ。
「ママ?」
呼びかけても返事はなく、冬の神であったことが皮肉であるかのようにどんどんと体温は失われて冷たくなっていく。
「はじめましてお嬢さん。わたしは出雲政府から派遣された四季裁」
「しきさい?」
「そう、四季裁の山田――」
※
「……ッ、はぁー、はぁー」
飛び起きると、そこはわたしのいつもの部屋だった。ばくばくと暴れ狂う心臓を抑えながら、一張羅の芋ジャージのファスナーを下ろす。寝汗をびっしょりとかいていた。額から一滴、握りしめている布団にぽたりと落ちる。
「あの、夢なんて、久しぶり……」
外からは呑気な雀の鳴き声が聞こえて来る。大丈夫、大丈夫。とわたしは自分に言い聞かす。
椿桜姫が鎮守の森の四季社から降りてきて、このあやか市、奇想天街の春は終わりを告げた。然るべき緩衝期間を設けて、今度は榎夏姫が四季社で夏を奏でることとなる。
あんな夢を久しぶりに見たのは、季節の変わり目だからだろうか。起き上がる気力もないまま、そのままぐでーんと布団に横になる。大きなため息。梅雨も終わり、そろそろこの布団も夏仕様にしなくてはなと考えながらも、頭の片隅には、あのときの凄惨な感触が残っている。
「この街に冬が訪れることはもうない――」
それがここ数年の、奇想天街のキャッチフレーズだった。理由はもちろん、わたしが働いていないから。秋の楸が四季社を降りてから三ヶ月間は、この街は『なんでもない季節』に鎖されることになる。
この街から冬が消え去る前までは、非常に調和の取れた四季が織りなされていた。つまり、わたしたちの母の世代だ。各地域に設定された任期を終えると、人々の信仰は新たな四季神を生み出す。数年の伝達を終えて、親となった八百万は出雲政府へと還っていくのだ。そして、新たな子どもたちが四季神として就任するのだ。その際、素人であるから多少の災害を起こしてしまうかもしれない。地域によって周期的に災害が起こるのは、四季に限らずこれが原因となっているのだ。
「ママ……」
椿・榎・楸の母たちは通常定められたとおりに伝達を行い、出雲へ還っていった(もっとも楸だけは問題児だったようで苦労していたが)。わたしは成長が遅かったので、母はずっとわたしと一緒にいてくれた。他の三姫が四季神として活躍する中で、わたしだけはいつも母に任せきりで、遅れていた。
『どうしてわたしは四季神を継げないの?』
『焦らなくていいのよ、あなたは特別なんだから。いまにすっごい四季神になれるわ』
母はいつもそう言っていた。
そしてようやく四季神を継げるとなったときに、出雲政府からの刺客、四季裁がやってきた。母も薄々勘付いていたのかも知れない。いや、きっとこのような日がいつか来ることだけは確信していたのだろう。それがあの日に来てしまったことだけは、悲劇としか言いようがないが。
「ヒトと交わった神の行く末を、知らないとは言わせませんよ」
「ま、まってください、この子は……!」
出雲政府は、ヒトと八百万の神との線引は非常に厳格に引いている。神は人々の信仰によって形造られるが、しかし神は人々に自然現象をはじめ恩恵を与える者である。出雲政府はいまもむかしも、その後者ばかりを見つめて統治をしているのだ。だから、八百万の神々の唯一のネックである、信仰を喪うような行為を決して赦さない。
ヒトと交わる、それは最大の禁忌だ。
『ねえ、ママ、わたしのパパは?』
『遠くへ行ってしまったわ。でもあなたがいるから寂しくはないの』
『わたしもママがいるから大丈夫!』
そしてヒトとのあいだに生まれた八百万は、ヒトでも神でもない、忌み子となる。
多くの場合、子は為せないことが多いと聞く。それは母が殺された後で古文書を紐解いて調べた結果だ。だが、稀に忌み子として生まれることがあり、そのような混血児は神としての力が桁外れに発揮される。それは信仰の主体としてのヒトと、信仰の受け取り手としての神を併せ持っているからだと言われていた。自らが自らに力を与えることができ、自らが自らに恩恵を与えることができる、そんな自己回帰が起こっているのだと。
だから。
『……すべて凍り付けばいい』
そこから先の記憶は曖昧なものだったが、頭に血がのぼったわたしはわたしの中にあるすべてを犠牲にして、あらゆる冬の力を解放した。母を殺した四季裁がどうなったのかは知らない。他の四季神の子たちが必死にわたしを止めてくれたけれど、わたしの力は一向に収まる気配を見せず、信仰と恩恵の正のフィードバックによる暴走でますます力を強めていった。
気がつけば、四季社で倒れていて、胡散臭い座敷童が目の前に立っていた。
『四季神の忌み子か、ふむふむ、君ならボクの寮で匿ってあげてもいいよ。四季裁を追い返したとなれば大問題だ、それにこれほどの大災害。魑魅魍寮なら彼らの探索網に感知されなさいから――』
『だいさいがい……?』
わたしはそこで街を見下ろして愕然としたのだ。どこかの豪雪地帯と見紛うほどの大積雪に、街のあらゆる機能が停止していた。車のクラクションが遠く鳴っており、停電でもしたのか、街の電気は消えており、ゴーストタウンのよう。いまだ止まない暴風雪。救急車の音が遠くから聴こえる。
あとで知った死者行方不明者の数に、わたしは泣き崩れた。
※
「鬼の子、ゲームするわよ」
「つくもが寝てる」
「……もう。じゃあ、うちの部屋に来なさい」
座敷童の言うとおり、出雲政府から身を隠す必要があった。まさか駆逐されたはずの『鬼』まで居るとは思わなかったが、わたしはすぐにこの子に自分を重ね合わせるようになった。事情は異なるが、出雲政府により『存在』自体を赦されていない者。
いつまでもこんな生活が続くとは思ってはいないが、わたしはこの生活を割りと気に入っているのだ。ただ、こころの奥に重く沈殿する、母を殺された怒りと大災害を起こしてしまった罪悪感の氷はいつまで経っても解けてはくれない。
※
『ママ、どうしてわたしは、憂姫なんてむずかしい名前なの?』
『それはね、いつか『人』と寄り添って、『優』しいお『姫』様になって欲しいから』
母のことを恨むわけではないが、随分と皮肉な名前を刻んでくれた。わたしらしいと言えば、わたしらしいのだが。母がどういう経緯でヒトと交わったのかは知らないが、そもそもヒトという種に対する不信感はいまでも拭いきれていない。ヒトがいなければ――、なんて恩恵を与えるはずの四季神が思ってはいけないのだろうけど。
そんなことを思っても、わたしの中に流れる血の半分は、紛れも無いヒトなのだけど。
「ゆき、こわいかお」
「あんたとわたしで出雲政府を潰しにいこうかしらね」
鬼の子は笑わなかった。
次回:【或る夏神の追憶】か、他の既存キャラのお話。




