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魑魅魍寮へようこそ!  作者: 山田えみる
第三章:おうまがどき!
39/99

小谷間さん、魑魅魍魎が跋扈するこの世界は驚きに満ちているね

 じっと手を見る。

 まだ透けたりはしていないようだ。


 『魑魅魍寮の座敷童たるぼくが消滅したということは、君をこの世界に繋ぎ止めているものが消滅したということだ。たった一ヶ月と少しの期間だったけれど、君は元いた世界に帰らなければならなくなる。ぼくの力の残滓が切れるのがいつになるのかはわからないけれど、その結果は変わらない。覚悟をしよう、山田九十九。それじゃあ、ばいばい』

 座敷童のひょん君の残した書き置き。


 この魑魅魍寮を襲った嵐のようなものは去った。けれど、取り返しのつかない出来事も起こっている。世界はサザエさんやドラえもんのようなぐるぐるアニメではない。わたしは何度もその置き手紙を読み返して、スマホを見つめている。


 あの、世界。

 わたしがこの世界に持ち込んだものはスマホとPocket WiFi。ひょん君曰く、隣人のような世界であるこの魑魅魍魎が跋扈する世界では、スマホをそのまま使えば、この世界のキャリアに接続して、人魂のような電波強度アイコンが現れる。が、Pocket WiFiはいまもなお、あの世界に繋がっているようで、それを経由して接続をすると、見慣れた電波アイコンが表示される。2ちゃんねるも、まとめサイトもあの世界の記事が読める。


 わたしは異世界ものの小説が好きだったので、読み専であったSNSに異世界転生妖怪アパート管理ものとして、日記を投稿している。そのモードではこの携帯電話は、FaithbookやLINNEではなく、FacebookやLINEに接続する。わたしが開かないだけで、元カレからの連絡は着実に数を増している。


 あの世界では、神隠しにあったような扱いになっているのだろうか。

 大学生のころの淡い恋心だった。

 初恋というわけじゃない。中学生の頃も高校生の頃も先輩に想いを告げて惨敗したことはよく憶えている。わたしは一人っ子だったためか、甘えられるような年上に憧れることが多かった。だから、大学に入って文芸部に所属したとき、優しく教えてくれたその先輩に恋心を抱くのはなかば必然だった。


 ちなみにショタコンというわたしが背負っている業は、きっとその裏返しなのだろう。同人誌や妄想で好き好んで色々なことをしたいのはショタっこであるが、リアルでそんなこともできるわけがないし、困ったときに頼りになるのはいつも先輩だ。


 それは一年生の頃の忘年会だったような気がする。クリスマス会も兼ねて催されたサークルの飲み会で、わたしは半ばやけっぱちになって告白し、玉砕するつもりが受け入れられた。そんなことはいままでなかったから、天にも昇るような気持ちだった。


 交際記念日はクリスマス。一年が経ち、二年が経ち、先輩がその春に卒業し、大学近くの市役所に就職を決めた。そのころには半同棲みたいなことをしていたので、わたしはうすぼんやりとその後の人生を思い描いていた。


 わたしの就職、結婚、出産、子育て――。

 妄想と言えばそれまでだけど、自ずと描いていたその未来の風景には、いつだって。そう、子供が大きくなって、わたしが年老いたとしても、彼がずっと隣にいてくれた。だからバイトを頑張ってお金もためたし、彼が就職した自治体の職員の試験も受けた。


 『わりぃ、職場の子と飲み会終わりにもにょもにょしてさ……、デキちゃったみたいなんだよねえ』


 わたしは逃げた。

 しかし現実世界というものは、死以外に逃げる方法がなかった。どんなに悲惨な目に遭ったとしても、わたしは4月1日付けであそこの職員であるし、配属先も彼に近いところに決まっていた(これは偶然だったが)。転居先の山田荘には叔母さんがいるし、逃げたところで、職場か家族から連絡が入ってしまう。


 そこに現れたのがひょん君だった。

 彼の誘いに乗って、わたしはチートな手段を取ることを選んだ。この現実世界を見捨て、魑魅魍魎が跋扈する世界に転送されるという選択を。そこでは、わたしは一からすべてをやり直せる。魑魅魍寮の管理人という役割を押し付けられたが、それもよかった。いつか、『生まれた頃からこの世界で暮らしている』と思えることを望んでいた。


 逃げたその事実すら忘れられる日が来ると思っていた。


 「……うぇ」


 吐き気を催して、部屋から飛び出す余裕もなく、ゴミ袋に顔を突っ込む。あの夜に飲んだくれて、この世界に転移してきた時は、毎日のように吐いていたものだ。どうやらびっくりするとげろげろしてしまうらしい。


 ――昔はそうでもなかったんだけどな。

 管理人として自堕落な生活を送っているためか、少し太ってしまったお腹をさすりながら、吐き気が通りすぎるのを待つ。


 わたしはもうずっとここには居られない。それもいいか、と混乱する頭で思ってしまった。

 平和な世界だと思っていた。でも、この世界には手には負えない恐ろしいことが隠れているような気がするのだ。その焦点は、自意識過剰なのかもしれないが、わたしに合っているような気がする。

 生と死のやり取りに比べれば、まだ元いた世界のほうがマシなのかもしれない、とわたしはまた逃げる算段を考えている。


 「おろろろ」


 胸の奥からこみ上げるものがあって、わたしは酸っぱい液体をゴミ袋に戻していった。


 ※


 「ひとつ、話があるんだけど、小谷間さん」

 「はい。なんですか、山田さ――ゲロ臭っ」


 随分ないわれようである。

 結局、その日ははじめ君が人数分食事を作ってくれて、一緒に夕ご飯を食べることになった。わたしにおうま君、憂姫さん、ヒトーさん、小谷間まどかさんにともえさん。それにはじめ君を加えた七人で食卓を囲んだ。


 共同食堂の古めかしいテレビでどうでもいい報道バラエティを見ながら、昭和の大家族のように、肉じゃがを頬張っていく。とても24時間前ほどに死闘を演じた面々とは思えなかったけれど、みな、思うところがあるのか、会話はあまり弾まなかった。


 食べ終わって、わたしは一服しに、玄関から外へ出た。おうま君は部屋に戻り、憂姫さんとゲームをしている。またあのゲームのフェスがあるらしく、『豚汁とんじる』か『豚汁ぶたじる』かで分かれて全世界で投票対戦が行われているそうだった。『豚汁』派が勝つと思う。


 共同食堂では、変身しかけるともえさんに、はじめ君がずっと印を切っていた。犬夜叉でいうところ「おすわり!」って感じだ。


 ヒトーさんはひとりで、熱い緑茶を筆舌に尽くしがたい方法で飲んでいた。

 そんな中で、わたしは小谷間まどかさんを誘って外に連れだした。今年のゴールデンウィークは夏のように暑くなったが、夜はまだまだ冷える。ポケットに両手を突っ込んで、駐輪場の柵に腰掛ける。空気は澄んでいて、星や月がよく見える。


 「あの、山田さん。とんでもないことに巻き込んでしまって申し訳ありません。すべてはわたしの不徳の致すところで――」

 「ああ、いいのいいの。そういうことを正したいわけじゃなくて」


 小谷間まどか。障害を持って生まれた妹をヒトのかたちにするために、『神性存在』と契約を交わした者。『鬼』の出現という非現実的な契約を結んだがゆえに、その非現実的なことが起こって、殺されかけたわけだが、そもそもこの件に関しては、ひょん君の言いつけを守らなかったわたしが悪い。迂闊なことひとつで、容易に生命がひとつ失われるなんて、あのときのわたしに想像できるはずもなかった。


 だから、小谷間さんのそれを糾弾したいわけじゃない。


 「タバコ吸ってもいい? 小谷間さんは気にするかな」

 「あ、いえ。どうぞ」


 スウェットのポケットからライターと箱を取り出した。慣れない手つきで一本取り出して、元カレの仕草を思い出しながら、ぎこちなく火をつける。ライターの灯りで、小谷間まどかの眼鏡が反射する。


 「小谷間さんも、どう? Marlboroだけど」

 「母がむかし吸っていましたが、わたしはちょっと。あまりいい思い出がないので」

 「そう」


 吐き出した紫煙が月明かりに照らされて、風に流されていく。カッコつけて吸ってみたものの、よくよく考えたら、この寮に灰皿とかあるんだろうか。慣れないタバコ。咳き込みそうになるのを我慢する。さっき、隙を見てアラミタマートで買ってきたものだ。


 わざわざこんなことをしているのには、わたしのある違和感を確実なものにしようと思ったから。


 「小谷間さん。魑魅魍魎が跋扈するこの世界は驚きに満ちているね」

 「……?」

 「この世界にはMarlboroなんてないよ。次元代替品つじつまあわせはWarlrobo」


 さっきはあえて手で隠していたパッケージを見せる。この世界では、同じようなフォントで一部の文字列が入れ替わっている。ワルロボ。悪そうな顔をしたダンボーみたいなロボットがロゴの、この世界ではメジャーな煙草だ。


 「ひとりだけだと思っていました……」


 小谷間まどかは、迷子になったスーパーでようやく親を探し当てたかのような安堵の表情を浮かべる。眼鏡を外して、眼を拭っている。そりゃそうだ。わたしと同じように座敷童に転送されたのならば、本当に孤独で心細かったことだろう。


 「さっき共同食堂で、『能力に覚醒めたからといって、ドラゴンボールみたいにうまくいきませんね』ってあなたは言った。単なる小さな独り言だったから聞き間違いかなにかだと思って、憂姫さんは気づかなかったけど、わたしはわかった。ちなみにこの世界だと、『ドラゴンスフィア』」

 「まるで名探偵ですね」

 「コナン君か金田一君かってところかな。それで聞きたいことがあるんだ。あなたがこの世界に連れてこられた経緯を。もちろんわたしも話す。それで、もし、仮に、仮にだよ、元の世界に帰れる手段があったときにあなたはどうするのかを聞きたいんだ」

 「帰れる、手段……?」


 小谷間まどかは、聞き慣れない異国語でも聞いたかのように小首を傾げた。


 小谷間まどかは児童虐待を受けていたようだった。あの世界でも魑魅魍魎たちは次元をはみ出して実は存在していたようで、彼女はそれを認識することができていた。この世界では当たり前のそれも、あの世界では到底受け入れられるものでもない。共同体からも親からも気味悪がれ、しかし、だからこそ、彼女は唯一の理解者である座敷童たちとの交流を深めていった。


 ある日、彼女はひょんなことから母親に殺されそうになってしまう。それを助けたのが座敷童たち。不可視の力で母親は事故死し、警察等が部屋に殺到する直前に彼女はこの魑魅魍魎が跋扈する世界へ移住することを選択した。


 この世界では魑魅魍魎を感じ取れる彼女を蔑視する者はいない。勉強することのできる家庭環境を手に入れた彼女は、魑魅魍魎に関する学問を修め、狐神いのに出逢い、妹と暮らす道を志す。


 「だからわたしにもし、帰れるという選択肢があったとしても、決して選ぶことはないでしょう。あの世界にわたしの居場所はもうありませんし、わたしはこの魑魅魍魎の世界で20年以上暮らしているわけですから」

 「そっか。そうだよね」


 わたしのこの一ヶ月程度の生活と、小谷間さんとは比べることはできない。同郷に出逢えたことはよかったが、彼女はあまりにもあの世界での思い出がなさすぎる。それに彼女は妹のことなど問題に立ち向かうだけの勇気と力を持っている。


 わたしとは、大違いだ。


 あの堅物(物理的な意味も含めて)のヒトーさんが、デートなんて行くのも頷ける気がした。


 「山田さんの話も伺っていいですか」

 「……わたしの話なんて聞いてもつまらないよ」


 かっこよく紫煙を吐いたつもりだったが、すっげえ咽た。


 ※


 「そそそ、そんなにエロく話さなくても」

 「小谷間さん、同い年なんでしょ~? 真っ赤になっちゃって面白い。わたしの話が終わったら、ヒトーさんの話も聞かせてもらおう」

 「ヒ、ヒトーさんとは、まだ挿入れさせていただいたことしか……」

 「ヒトーさんが受けっぽい表現」


 ※


 山田九十九さん。


 まさかあの世界から座敷童によって転送されてきた者が、他にもいるとは思わなかった。この世界に転送されてもう二十年余り。始めの頃こそ、設定のすりあわせでずっと一緒にいてくれたあの座敷童だったが、わたしが大学に入る頃には見なくなってしまった。


 「あの、山田さん。座敷童は魑魅魍寮にいますか。久しぶりなので挨拶をしたく」

 「もう、いない。わたしのせいで、稲荷いのに殺されたの」

 「殺され――、座敷童がですか!?」


 座敷童が稲荷いのに殺されるという事態。


 山田さんに聞かずとも推察はできる。稲荷いのに殺されたということは、彼女の鬼討伐の邪魔立てをしたということだ。『神性存在』の怖ろしさを知っていてもなお、この魑魅魍寮に鬼の生き残りを匿っていることを隠し、敵対した。おそらくこの平和な時代に、受肉した『神性存在』が存在するとは思わなかったのだろう。アストラル体だと舐めてかかり、殺されたに違いない。


 ――わたしのせいだ。

 唇を噛む。

 そこまでして魑魅魍寮に鬼を隠したかった理由はわからないけれど。


 「『鬼斬り』で刺されて光になって消えたの。さっき眼が覚めたときには置き手紙があって。だから、ひょん君は……」

 「ひょん君?」


 聞き慣れない名前だった。


 「へ? 座敷童のひょん。座敷童界の帝王で童帝の異名を持つ――」

 「……いえ。すみません。だとしたら、世界間の転送を行う座敷童は複数いるということになりますね」


 ひょん。聞いたことがなかった。


 わたしをこの世界へと導いた座敷童はいまごろどこで何をしているのだろうか。手のひらに乗るくらいの背丈で、雛人形のような和装を羽織っていて。契約者としては丁寧にこの魑魅魍魎の世界を説明してはくれるけれど、いちいち含みをもたせるような言い回しの。


 『まどかはこの魑魅魍魎が跋扈する世界に、本当に最初から『彼ら』が居たと思っているのかしら。まぁ、いいわ。さて、あなたがどんな手段を用いても妹を救いたいというのなら、山田教授を頼りなさい。時が満ちれば、きっとどうにかしてくれるはず。吉と出るか凶と出るかはまた別の問題だけどね』


 『ぬらり』はどうしているだろうか。

次回:小谷間ともえ、十五歳。一世一代のピンチである。

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