覚悟をしよう、山田九十九。それじゃあ、ばいばい。
「なるほどね」
わたしは玄関の扉にもたれつつ、そんなやりとりを盗み聞きしていた。人の子――山田はじめがどんな能力を隠しているのかは知らないが、彼が殺されでもしたら、もうあとはない。『神性存在』ごとこの寮を瞬間凍結するつもりでいたのだけど――。
「ただの人間じゃあないな」
わたしは彼らにバレないように玄関の魚眼レンズで覗き込む。見慣れた山田はじめと、初めて見るような全身真っ黒のスーツの女性。教授と言っていた。そして、山田はじめは母と呼んでいた。山田はじめは山田九十九の従兄弟なのだから、山田九十九から見れば叔母さんということになるだろう。いったい何者なのかは知らないが、どこか、山田九十九と同じ『違和感』を覚える。
「……っ」
途端、その女性と目があったような気がして、わたしは咄嗟に魚眼レンズから眼を話した。玄関に背をぴたりとつけて、口を手で抑えこむ。背筋に冷たいものが走る。冬の神だというのに、寒気が止まらなかった。
稲荷いのの襲撃――、この事件に遭遇した魑魅魍寮の住民その他は数多くいるが、この結末を認識している者はわたししかいない。山田はじめはその女性の違和感に気づいていないか、気づいたうえで協力をしている。つまり相談はできない。
冷たい玄関に立っている裸足のつま先を見つめる。何かとてつもないものに脚を踏み入れているのではないか、そんな想いが溢れだして止まらず、わたしは足元に転がっているソレに気づくのが遅れてしまった。
「ふ。はは……、そういうこと。意地が悪い。それじゃ、情けない管理人を呼んできますかね」
※
「お前がひょんを殺した」
ヒトーさんはそう言った。
無表情な鈍色の鎧、何度かお話をしたあの柔らかさはもうどこにもなく、ただただ金属のように冷たい言葉。指をさす。わたしは眼をそむける。
「ニュー管理人、君がひょんを殺したんだ」
柊憂姫がそう言った。
いつもの芋っぽいジャージではなく、純白の着物を着て、まさにそれは冬の神様の出で立ちだ。雪だるまの髪飾り、猫のように細まった瞳。極寒のように冷たい言葉。指をさす。わたしは眼をそむける。
「ねーさんがひょんを殺したんだ」
はじめ君がそう言った。
学ランを着て、わたしを見下ろす。この高校生独特の若さ、純真さ故か、穢れきったものを見るような瞳で。ぎりりと歯軋り。殺意を封じ込めた冷たい言葉。指をさす。わたしは目を背ける。
「……わたしは」
「ぼくは外に出たいなんて一言も言ってない」
おうまくんがわたしを見上げる。差し出された両手には、小さな塊。人型。和装の人型。鮮血が乾いてどす黒く変色した和装を纏った、ひょんの亡骸。半分、肉が腐り落ちたその顔だったが、大きな眼だけはわたしをじっと見つめている。
「ぼくのともだちをかえして」
絶叫とともに眼が覚めた。
いつのまにかかけられていた布団を握りしめて、深く深く呼吸をする。
ぽたぽたと脂汗が布団に落ちる。朝? ここは魑魅魍寮の101号室、管理人室だった。わたしとおうま君はいつもこの部屋で暮らしている。外からはちゅんちゅんと鳥の鳴き声が聴こえ、暖かな光が注ぐ。目覚まし時計代わりの携帯電話がアラームを鳴らし、それはいつもの朝の風景だった。
「……ゆめ?」
どこから、どこまでが。
もしかしたら、こちらの世界に転移してからのそのすべてが――、なんて思いながら、重い頭を抱えて布団から出る。そうだ。あんな非現実的なことがあるわけがない。この世界は、わたしが不労所得を得ながら愉快な仲間たちと戯れる物語のはずだ――、刀で殺されるどころか、そもそも死者が出るはずはない。しかもいわば、魔法少女モノにおけるマスコット的キャラクターが。
「……あ」
手のひらが泥で汚れていた。ヒトーさんたちに助けられてから、必死こいて裏口から逃げて、おうま君を探したあのときの。ということは。わたしの手のひらで光子となって消えていったひょん君の姿がフラッシュバックする。
「やっぱり……」
膝から崩れ落ちると、「うぅん……」という声が聞こえた。布団の中には、おうま君が眠っている。わたしがうるさくしたので、わたしに背を向けるように寝返りを打った。途端に、それだけは守り切ることができたのだと脱力感が襲う。
ゲーム機が置かれているちゃぶ台には、紙切れに小さな文字が並んでいた。
『この手紙を見ているということはぼくはもういないということだ』
から始まる短いメッセージ。
『何があって、どのような結末を迎えたのかはわからない。君が生きているのかどうかもわからないけれど、生きているならば、君に伝えたい事はひとつだけだ。山田九十九』
急いでいたのか、その文字列は殴り書きのようになっている。
『魑魅魍寮の座敷童たるぼくが消滅したということは、君をこの世界に繋ぎ止めているものが消滅したということだ。たった一ヶ月と少しの期間だったけれど、君は元いた世界に帰らなければならなくなる。ぼくの力の残滓が切れるのがいつになるのかはわからないけれど、その結果は変わらない。覚悟をしよう、山田九十九。それじゃあ、ばいばい』
「……は?」
ちょっと待ってよ。
そっちの都合でこの世界に呼んでおいて、勝手に魑魅魍寮の管理人に仕立てあげて、やっと楽しくなってきたところにこの仕打なの……。予想もしなかった結末に愕然とする。こんなこと、おうま君にフード付きの服を買ってきたときには、想像もしなかった。あの裏切られた世界とはきっぱり縁を切ったはずなのだ。
それなのに、いまになって――。
わたしが狐の化物と出逢わなければ。おうま君を無理に連れださなければ。そもそもあの公園でひょん君の誘いに乗っていなければ。寝取られていなければ。たったひとつのボタンの掛け違いで様々なものが狂っていき、挙句の果てにこの結末だ。
「ひょん君、それはあんまりだよ……」
管理人室の扉が開いた。
「起きた?」
「憂姫さん」
そこに立っていたのは、冬の八百万、柊憂姫。夢に出てきたような格好ではなくて、いつも見るような芋ジャージ姿だった。
「結局一日中寝ていたね。どこか痛むようなところはない?」
「はい、ないです。はい」
「そう。それじゃあ、事情をまとめよう」
連れだされた共同食堂には、眼鏡の少女が座っていた。伏し目がちに、わたしに視線を送る。あのとき、狐の攻撃をデュラハンのヒトーさんが防いでくれたときに、ヒトーさんの鎧内に挿入っていた女性だった。
「小谷間まどかといいます」
「どうも、山田九十九です」
「まずは謝らなければなりません。わたしの身勝手のせいで、こんな状況に」
「いやいや、謝るのはわたしだ。あんなことさえしなければ、よかったんだ」
わたしは席について、小谷間さんの対面に座る。事情がまったく見えてこず、なぜ小谷間さんが謝らなければならないのか、わからない。わたしの命を守ってくれたのは、紛れもない彼女のはず。それに、わたしは小谷間さんイン・ザ・ヒトーさんが現れたあとの出来事を知らない。あの狐はどうなったのか。とりあえずいまが平穏なことだけはわかるけれど――。
「あなたたち、ふたり、少し似ているね」
冷蔵庫の容器から麦茶を出して、コップに注ぐ憂姫さん。わたしたちの分も注いでくれると思ったが、結局自分だけのコップをどんと机に置き、椅子に座って、小谷間さんのほうを向く。
「まずは小谷間さん。君から話して欲しい」
「は、はい。まずは――」
次回:その後、稲荷いのと小谷間ともえはどうなったのか。
あと今回の話、第二段落が史上まれにみるレベルの山田の多さ。




