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第4話:朝食の温もりと拡大する境界(後編)

 夕暮れの冷たい風が『灰のヴェール・ガルド』の荒涼とした空気を激しく揺らし始める頃、セトとミリアの手によって作り上げられた仮小屋の周囲には、圧倒的な密度を誇る見事な木製の防壁がぐるりと完成していた。


 セトが最後の杭に自身の魔力をしっかりと定着させ、ガチリと地中深くへ固定し終えたところで、大きく息をつく。


「ふう……これでひとまず、夜間の防備は完璧だな。どんな魔獣が来ようとも、そう簡単には突破させない」


「わぁ……すごいよセト! これなら本当に、外の怖い魔獣たちも一歩も近づけないね!」


 ミリアは完成したばかりの頑丈な木柵をぽんぽんと嬉しそうに叩きながら、パタパタと楽しげに尻尾を大きく揺らした。


 長旅の汚れや泥すっかり綺麗に落ち、今や彼女の艶やかな銀色の髪と美しい獣耳は、沈みゆく夕日の光を受けてふんわりと黄金色の温かな輝きを放っている。人間の少女とはひと味もふた味も違う、野生の神秘性とあどけない愛らしさが絶妙に入り交じったその姿は、殺伐とした死の開拓地に一足早い春が訪れたかのような、鮮烈な彩りを与えていた。


「ああ。お前が一緒に手伝ってくれたおかげで、予定していたよりもはるかに早く作業が片付いた。よくやったな、ミリア」


 セトがねぎらうように彼女の頭をポンポンと優しく撫でると、ミリアはこそばゆそうに小さな耳をピクピクと動かし、嬉しそうにその場で小さく身を縮こまらせた。


「えへへ……あたし、ちゃんと役に立てたかな? 足手まといになってないって、そう思っていいの……?」


「当然だ。お前がいなければ、この広範囲の防壁を組み立てるだけでも半日以上は余分にかかっていた。お前は俺にとって、なくてはならない最高のパートナーだ」


「ぱーとなー……っ! うんっ! あたし、セトの最高のパートナーとして、もっともっとお仕事頑張るからね!」


 ミリアは胸の前で両手をギュッと小さく握りしめ、まるで忠実な小動物のように目を輝かせて力強くうなずいた。


 その純粋でひたむきな好意は、王国の権謀術数や冷酷な裏切りにまみれた環境で育ち、心を閉ざしかけていたセトの凍てついた内面を、心地よい温もりで優しく溶かしていく。


(……この世界では、裏切りや打算こそが当たり前の日常だった。だが、こうして打算なく自分を信頼し、まっすぐに寄り添ってくれる存在がいるというのは……悪くない、いや、思っていた以上に温かいものだな)


 セトが微かに目を細めて感慨に浸っていると、ミリアはふっとくんくんと小さな鼻を可愛らしく鳴らした。


「ねえ、セト……なんだか、さっきからすごく甘くて美味しそうな匂いがしない……?」


「……あぁ、そういえばそうだな。見ろ、足元を」


 セトが視線を地面へと向けると、先ほど『聖地創生・拡張』の魔力を通したばかりの新しい黒土の畝(うね)から、目を見張るような驚異的現象が起きていた。


 ほんの数分前まで何もない無機質な土だった場所から、色鮮やかな新緑の芽が勢いよくスルスルと地上へ顔を出し、みるみるうちに美しく熟した黄金色の果実と、瑞々しい糖度の高い栄養根菜へと驚異的なスピードで成長していったのだ。


 通常の植物であれば数ヶ月、優秀な魔術師が魔力を注いだとしても数日を要するはずの成長プロセスが、セトの血筋に伝わる魔力回路と「星の種子」の共鳴によって、わずか数秒という圧倒的な時間短縮で目の前で現実のものとなっている。


「うそ、でしょ……っ!? 目に見えるすごい勢いで、次から次へとお野菜が大きくなってるよ……!」


 ミリアは驚愕のあまり目を丸くし、自分の大きな耳をぴんと立てて信じられないものを見るように声を上げた。


「これが俺の農業魔術だ。この死の土地をただの不毛な流刑地ではなく、大陸最高の豊穣の地へと変える――その第一歩の記念すべき収穫だな」


 セトはゆっくりとしゃがみ込み、最も美しく大ぶりに実った黄金色の魔力果実を丁寧に摘み取った。


 まだほんのりと温かく、濃厚な蜜のような甘い香りが辺りにふわりと広がり、冷え切った空気を心地よく満たしていく。


「ほら、ミリア。今日の夕食のメインだ。まずは味見をしてみろ」


「わぁ……! じゃあ、いただきまーす!」


 ミリアは両手で大切そうにそれを受け取ると、待ちきれないといった様子で大きな一口にかじりついた。


「――んんっ……! 甘くて、ジューシーで……噛むたびに美味しい果汁がいっぱいに広がって……それに、身体の内側からぽかぽかと温かいものが満ちていくみたい……! すっごく美味しいよ、セト!」


 美味しいものを食べたときに、嬉しそうに耳がぴこぴこと動くその愛らしい癖は、何度見ても全く飽きることがない。


 セトは微笑ましそうにその様子を見守りながら、自分も別の果実を手に取り、ゆっくりと口に運んだ。


 濃厚な甘みと爽やかな酸味が絶妙に調和し、一日中過酷な肉体労働を続けた疲労感が嘘のように身体からスッと抜けていく。かつてはこの世界中の誰もが敬遠し、足を踏み入れただけで絶望すると言われていた不毛の荒野が、今や自分たちを温かく養う最高の楽園へと生まれ変わりつつあった。


「ふう……お腹いっぱい、すごく美味しかったぁ。なんだか、美味しいものを食べたら急に安心して、眠くなってきたかも……」


 お腹をしっかりと満たしたミリアは、小さく可愛らしくコテンとあくびを一つし、トコトコとセトの足元に近づいてその頑丈な服の裾をキュッと両手で掴んだ。


 トロンと潤んだ眠たげな瞳でセトを見上げながら、甘えるようにその体へすり寄ってくる。


「そうだな。今日は一日中動き通しだったし、もう遅い。今夜はゆっくりと休むとしよう」


 セトが立ち上がり、ミリアの冷えていない小さな手を優しく引いて仮小屋へと促すと、少女は嬉しそうにその大きな手のひらに自分の手をしっかりと重ね合わせた。


 外では相変わらず冷たい夜風が荒野の闇を吹き抜けているが、小屋の中には二人の温かな息吹と、誰にも引き裂けない確かな絆が満ち満ちている。


 ――この『灰のヴェール・ガルド』の開拓は、まだ始まったばかりのほんの小さな一歩にすぎない。


 ここから先、世界中から様々な事情を抱えた者たちがこの地に流れ込み、彼の元へと集結することになる。そして、この死の荒野は、大陸全土を揺るがす巨大な王国へと変貌を遂げていくのだ。

 運命の歯車は、いま、確実に、そして力強く回り始めていた。

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