第74話 リアの過去②
ザアァァァ――……
ザアァァァ――……
波音だけが戻った夜の海を前に、リアはしばらく視線を落としていたが、やがて小さく口を開いた。
「……10年前……私が魔法を使えてたら……もしかしたら……家族は死なずにすんだかもしれません……。」
マーベリックは何も言わず、隣に立ったままリアの言葉を待つ。
「当時私は何もわかりませんでした。」
リアはゆっくり顔を上げ、暗い海の先へ視線を向けた。
「どうして……荷台を見てはいけなかったのか……。」
寄せた波が足元の岸壁に当たり、砕けていく。
「どうして……馬車の速度が上がったのか……。」
「どうして…………」
言葉が途切れ、リアの唇がわずかに閉じる。
「姉は泣いていたのか……。」
ザアァァァ――……
――10年前――
ヒヒィ――ン!
ドン!ガラン!ガラガラ――
ドシャアァァ――ン……
黒影の体当たりを受けた馬車が大きく傾き、そのまま横倒しになる。投げ出されたマーレは地面を転がり、身体を起こそうと腕に力を込めた。
「う……うぅ……リア……」
痛む身体を引きずるように顔を上げて周囲を探すと、少し離れたところに倒れているリアの姿が目に入る。
マーレはすぐに身体を起こし、よろめきながらそのそばへ駆け寄った。
「リア!……リア!!」
「うぅ……姉さん……。」
声を聞くなりリアの腕を取り、身体を支えながら立ち上がらせると、そのまま目の前に見えるハーベイの街を指差す。
「リア!街まで走るよ!」
額から流れた血が頬へ伝うのを見て、リアの目がそこへ止まる。
「あ……姉さん血が……」
「大丈夫!だから……」
ダン!
背後から響いた音に二人の身体が止まり、ゆっくり横転した荷馬車へ振り返る。
グルルル……
低いうなり声が聞こえた瞬間、二人の口から声が消える。
「…………。」
そのまま動けずにいる二人の耳へ、砂を踏む音が重なって近づいてきた。
ザッ……ザッ……ザッ……
荷馬車の後ろから一体、さらにもう一体と黒影が姿を現す。
グルルル――……
マーレは黒影から目を離さないまま、リアにだけ届くほどの声を絞り出す。
「早く……リア……」
リアは震えながら顔を横に振る。
ザッ……ザッ……ザッ……
黒影が一歩踏み出すたびに足元の砂が重みに沈み、そのまま二人を囲むようにゆっくりと歩き始める。
「リア!」
「む……無理だよ……行けないよ……」
「だって……足動かないもん……。」
リアの目から涙が溢れ、その場から動けずにいる身体をマーレが抱きしめる。
「お姉ちゃんが……いるから。」
「リアは走るだけでいいの。」
それでもリアは腕の中で顔を横に振り続ける。
マーレは身体を離すと微笑み、リアの顔へゆっくり近づいた。
「リア……私はリアの――」
その肩越しに黒い影が重なり、リアの視線が止まる。
マーレの真後ろで、黒影が大きく口を開いていた。
「あ……」
ブシュッ!
飛び散った血がリアの顔を濡らし、そのままマーレの身体が後ろへ引かれていく。
「…………。」
引きずられていく姉を目で追うしかないまま、やがて三体の黒影がその姿を囲んだ。
(……なにしてるの……ねぇ……)
目を背けようとしても身体は動かず、黒影の隙間から上がる血しぶきがリアの視界に入り続ける。
肩が細かく震え始め、息を吸おうとしても喉の奥で止まる中、一体の黒影がゆっくりとこちらへ顔を向けた。
グルルル……
砂を沈ませながら近づいてくる黒影が目の前で足を止め、大きく開いた口の奥に並ぶ牙から、まだ赤い血が滴り落ちていく。
荒い息が顔に触れ、リアは瞬きすらできないままその口を見上げた。
お願い――
私も殺して――
みんなを殺したように――




