【第12回:マイグレーション完了と「確信」】
ついにその日が来た。 2026年2月21日(土)。母を特別養護老人ホームへと送り届ける日だ。
実は、申し込むその瞬間まで、私の心は激しく揺れ動いていた。母の状態が安定していたからこそ、「まだ自宅でやっていけるのではないか?」という淡い期待が、決断を鈍らせていたのだ。
しかし、ケアマネジャーの「このままでは共倒れになる」という冷静かつ優しいリスクアセスメントを受け、私はついに、母をプロの手へ委ねるという「最終的なマイグレーション(移行)」を決断した。
決断してからは、母の心にも「新しい環境」を少しずつ、何度も上書きするように伝え続けた。 「前、一緒に見学に行った綺麗な老人ホームに申し込んだよ。もうすぐ食事の心配もしなくてよくて、親切な人がいる場所にいけるからね」 当然、見学の記憶は消えていただろうが、繰り返し伝えることで母の中の不安は安心感へと書き換えられていった。「それはいいね~、感謝だね」と笑う母。数年前には「施設なんていらない」と怒っていた母自身もまた、新しい場所へ移るための「心のコミット」を済ませていたのだ。
1. 2026年2月21日、晴天の旅立ち
送り届ける前日、私たちは二人で準備をした。新生活で使う衣服の一枚一枚に名前を書き、収納ケースに仕舞っていく。「明日、言ってた安全で綺麗なところに行けるからね」と声をかけながら進める作業は、どこか遠くへ旅行に行く準備のようでもあった。
入所当日は、見事な晴天だった。 母を迎えに実家へ行くと、母は晴れ渡った庭に面したベランダに座っていた。数日前に渡した紅葉の写真を眺めながら、にこやかに笑っている。 「さあ、行こうか」 私が声をかけると、母は後ろ髪を引かれる様子もなく、家の中に戻ることさえせず、「行こうか」と笑ってそのまま車に乗り込んだ。家という物理的な拠点への執着を、母はもう手放していたのだ。まだ寒さの残る空気の中、庭に名もなき花が一輪、静かに咲いていたのを今でも鮮明に覚えている。
施設に到着すると、母は笑いながら「ありがとう」と言って、すんなりと中へ入っていった。私が帰る際も、笑顔で手を振って見送ってくれた。 後で聞いた話では、入所時に「騙された」とパニックになったり、ひと悶着起きたりするケースは非常に多いという。施設の方も、新しいケアマネジャーさんも、母の温和で晴れやかな入所風景を見て、「こんなにスムーズなケースは珍しい」と心底驚かれていた。それは、エンジニアとして私が積み重ねてきた「誠実な事前説明」という名のデバッグが、母の安心感という確かなアウトプットに繋がった瞬間だった。
2. 静寂の質が変わる
母を送り届け、一人で実家に戻ったとき、私を待っていたのは「圧倒的な静寂」だった。 これまで実家で感じていた静寂は、常に「次は何が起こるか分からない」というアラートの前兆のような、刺すような緊張感を孕んでいた。
しかし、母をプロの管理下(新サーバー)へと移した後の静寂は、全く質の異なるものだった。それは、本来の「安らぎ」としての静寂。「もう、母の安全を私一人のコードで守らなくていいんだ」と、張り詰めていたスレッドが次々と解放され、私の脳内に、数年ぶりに穏やかな余白が生まれた。 通信回線の解約、不要なコンセントを抜く。実家のクローズ処理を一つずつ進め、私は静かな実家を後にした。
3. 1週間後の再会:デバッグ完了
仕事に集中できる日々、静かに眠れる日々。そんな平穏のなかでも、長かった介護期間の癖で「母は問題なくいけているだろうか?」という考えが何度も頭をよぎった。
1週間が過ぎた土曜日、面会に訪れた私は、リビングにいる母の顔を見た瞬間に自分の「計算」が正解だったことを確信した。そこにいたのは、混乱し、怒鳴り散らしていた母ではなかった。プロによる適切なケアと規則正しい生活によって、刺々しさが消え、穏やかな「元の母」のパケットを取り戻していたのだ。
「あ、元気?」と声をかけると、母は他の入所者の方に私のことを「私の旦那」と父に間違えて紹介した。認識のバグは相変わらずだが、そんなことは些細なこととして流し、部屋の様子を確認し、差し入れを預けていく。その間も、母は職員の方と笑いながら肩を組んで話していた。
この瞬間、私の「介護編」における感情的なバッチ処理は、すべて正常終了(Success)した。私の構築したシステムは、この平穏な「再会」に辿り着くための、文字通り命を繋ぐためのインフラだったのだ。
【エピローグ:潜伏していた「実装」と、遊びながら日本を変える新章】
自宅での直接介護録としての物語はここで幕を閉じる。後はプロにお任せし、必要な手続きや面会を重ねていくだけだ。だが、エンジニアとしての私の物語は、この極限状態の裏側で、さらに未来のコードを書き続けていた。
潜伏していたバックグラウンド・プロセス
皆さんは驚くかもしれないが、あの壮絶な介護の合間、私はただ疲弊していたわけではない。「自分と同じように苦しむ人を、技術で救えないか?」という一心で、いくつかのプロジェクトを並行してビルドしていた。
母という「最優先ユーザー」を守るために必死で考えた知見は、今や「おでかけいこま」(Webで検索して頂ければ市役所の公式ニュースリリースが開きます)として市役所に採用され、介護施設や奈良県障害者総合支援センターでのVR体験教室(2024/3/16(土) VR体験会 第1回の様子 https://x.com/kazu555777/status/1771742920930103380)という形で社会に実装され始めている。共に活動しているのは、かつて父の入所時にお世話になった担当者の方だ。今の会社が副業禁止ということもあり、開発から運営まですべてボランティアで進めてきた。
個から公へ。自分のような経験をしている誰かのために
私の戦いは、私一人の家庭の問題(ローカル環境)から、社会(プロダクション環境)へとステージを移す。
自分の家族の尊厳を守るために必死だった日々は、今、誰かの尊厳を守るための「IT福祉システム」へと昇華しつつある。2026年12月、私は空き家となった実家を拠点に会社を立ち上げる。17年前、リーマンショックの煽りで散りぢりになった仲間たちと、まるで「ギルド」に集う冒険者のように個々に動きながら繋がる、新しい組織の形。それが私の新たな冒険だ。
介護は、私から多くのものを奪った。だが、それ以上に強力な「経験という名の重み」と「実装の力」、そして「ビジョン」を与えてくれた。
「遊びながら、介護の世界をITで一変させ、日本を変える」
先日の飲み会で元同僚には「バカでかいことを返してきたな!」と笑われたが、本気だ。 介護録は終わる。しかし、VRとAIを駆使して、身体や認知の不自由から人間を解放する「Cyber Dive Project」は、ここからが本番だ。
プログラムは、まだ終わらない。
#介護録 #認知症 #遊びながら日本を変える
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