第九十四幕
「姫様? やっと話せる様になったのですか?」
男は呆れた様に応えた。腕を組み、壁にもたれながら姫を横目にした。
「別に…… 話すことなんて無いわ」
「そうですか………… 姫様は、それで良いのですか? 明日には、皇帝陛下がご帰宅される。本来は黙っておくようにと言われておりましたが。私は、貴方に伝えました。しかし、今日まで姫様が何か行動を移すような姿を私は一度も見ていません」
「何が言いたいの……」
姫は、呟くように応えた。
「明言はしません。ただ…… やれることがあるのなら、もう動く必要があるかと。あまり憶測で話をするのは好きではありませんが、おそらく姫様は監禁されることになるでしょう。そうなれば、もう何も出来ません。明日が最後です。よくお考え下さい」
「…………」
室内に、再び静寂が戻る。
「"ッ!?"」
突如、男が姫の眼前に迫る。
「姫様! 時間がありません。いつまで、そうしているおつもりですか。何か考えがあるのでしたら私にも、お聞かせ下さい」
その圧に押されたのか、姫は視線を逸らした。
「……もうすぐ消灯の時間でしょ。早くッ!?」
「"すでに消灯の時間だッ"」
男の声に姫は、目を見開いた。姫は、思わず固唾を飲んだ。
「まだ…… 見回りは来てない……」
「私が止めた。今日の見回りは全て私が一任している。すでに消灯の時間は過ぎた。誰一人、ここには来ない。聞き耳一つ立てようものなら、誰であろうと、その場で"始末"する」
姫は、唖然とした。何言ってるの…… 何よ、その目…… 見たことが無い。真剣な眼差し。怒っているのか、冷静でいるのか一目では判別がつかない。視界が一点に集中する。
「全て、お話し下さい。必ず、お力になります。この命にかえても」
その言葉に姫は、拳を握った。
「で………… なんで…………」
囁くような声に男は耳を傾けた。
「なんで、何もしなかったの…… お父様が部屋に入った時、なんで私を助けなかったの! 私を庇うことぐらい出来たはず…… なのに、貴方はただ静観してた。私よりも、自分の身の安全を優先した……」
「違うッ あの時は、私も突然のことに整理が追いつかなかった。下手に動けば帰って姫様が不利になる恐れもあった」
「嘘よ。全部知ってたんでしょ。知ってた上で、何もしなかった。もし、私が犯人でなくなれば次に容疑がかかるのは部屋の鍵を持っていた貴方になる。だから、何も言わなかった……」
「……」
男は、僅かに言葉を詰まらせた。
「私は、何も知りませんでした。しかし、必ず力にはなれます。どうか、私を信じて下さい……」
その時、姫は徐に嘲笑うかの様な表情を浮かべた。
「……分からない? 貴方、嘘をつく時、一瞬言葉を詰まらせる癖があること気づいてないの? あの時もそうだった……」
私が、お父様から預かった鍵を貴方に聞いた時、最後の鍵だけ貴方は知らないと言った。でも、お父様の側近とも言える貴方が、部屋の鍵を知らないはずがない。
「それに、もう良いの…… 私が悪かった。罪は償うわ…… だから…… もう帰って、寝るから……」
男は、じっと姫の瞳を見つめた。
「"誰に脅された"」
姫は、視線を逸らした。
「誰にも…… 早く出てってよ……」
男は無言のまま立ち上がると、姫に背を向けた。
「失礼しました」
男は、部屋を後にした。これで良い…… 明日、ミーシャの身に何も起きなければ全て上手くいくはず…… そうよね…… 神様……
姫は、持っていた聖書を強く抱きしめた。




