第八十七幕
——
「あの…… 本日は、いかがなさいましたか?」
シスターの女が扉の隙間から顔を覗かせる。姫は、さも以外かの様な態度を見せたシスターに眉間を寄せる。
「礼拝の時間に礼拝堂に来たんだけど?」
シスターは、首を傾げた。
「礼拝をされに来たのですか?」
「"礼拝の時間に礼拝堂に来たんだけど?"」
シスターは、そっと礼拝堂の扉を開けた。姫の高圧的な態度に圧倒されたのかシスターは僅かに後退りをした。……
「すまないシスター・リリー度々お邪魔している。ところで、ミーシャ様は、おられますか?」
「はい…… ミーシャ様でしたら、あちらに……」
護衛の男が、そう言うとシスターは一つの席を指し示した。その席に視線を向ければ、一人の幼い少女が真剣に聖書に向き合う姿が見える。姫は、ゆっくりと少女の側へと詰め寄った。背後から並走する男を横目に、姫は、座席に着いた。
男もまた、姫の隣に腰掛ける。
"バンッ"
「お姉様? お部屋から出られたのですか?」
何かを待っていたのか、ご令嬢は聖書を閉じると、驚いた様に姫に視線を向けた。
「てっきり監禁されているものかと思っていました」
「奇遇ね。私もそうなると思っていたわ。まあ、でもそれも時間の問題だけど……」
姫はそう言うと、じっとご令嬢を眺めた。
「……どうかされましたか?」
「ねえ。貴方、その格好は何?」
よく見れば、ご令嬢はいつもの様に姫の古着を身に付けていた。更に、髪を一束にまとめ後頭部で縛る。それは、姫が日常的にしていた髪型と同じものだった。
「ああ、この髪型ですか? どうですか? 似合ってますか?」
「なんで、私と同じ髪型なの。普通に嫌なんだけど……」
「別に、私だって同じにしたかった訳じゃないんですよ。ミリアさんが、第一皇女であるなら、それに相応しい格好が必要だと言っていたので仕方なく……」
「ふーーん。まあ、別に良いけど」
姫は、ふと目を逸らした。
私の代わりにミーシャを添えるとは思っていたけど、まさか形から入るとは思わなかった。お父様にしては珍妙なことをするのね。
「にしても神父さん遅いですね。そろそろ始めてもらいたいのですが……」
「あら、また不在だったの?」
「いえ。今は支度中みたいなんですよね。もうそろそろだと思うんですけど」
姫は、眼前に置かれた無人の演台を凝視する。しばらく、両者の間に静寂が流れる。
「随分と落ち着いてるのね貴方」
「え?」
不意に放たれた言葉に、ご令嬢はキョトンとした態度を見せた。
正直、考えもしなかった。いや、考えたくも無かった。ずっと無意識に考えない様にしていた事がある。万が一にも、この考えが正しかったなら、私は…… 完全に終わる……
「ねえ、ミーシャ。ふと思ったんだけど、お父様の部屋って私達の部屋より広いのかしらね。それとも、ビックリするぐらい狭いのかしら……」
姫は、頬杖を付き、じっと前を見たまま淡々と応え、全神経を聴覚に委ねる。
「……皇帝陛下の、お部屋ですか?」
ご令嬢は、言葉を詰まらせた。
「ええ。貴方は、どう思う? もちろん、こんなの実際に見たこと無ければ分からない事だし。勘でも良いから貴方の意見が聞きたいの」
「…………」
ご令嬢は、僅かに間を開けた。
何気ない質問。本来なら何と応えようと何の問題も発生しない、簡単な質問。それは、お父様の部屋という普通は見ることの無い部屋の内部を当てる無理難題。だから間違えても良い。
しかし、ミーシャ貴方はこの問いに間違えてはならない。なぜなら、昨日、貴方はその部屋に侵入しているから。
この問いに間違えるということは、即ち部屋に侵入していなかったということ。即ち、本を部屋に置いていかなかったということ。……それが、何を意味するか。
姫は、ご令嬢を横目に置いた。
「"きっと…… 私達の部屋なんかよりも、もっと広いと思いますよ"」




