part22 Emma
エマ夫人が開いているサロンに参加するよう手はずを整えるにはまず彼女との接触が必要だった。
だがウェルズ家に仕える身の上で彼女にどう近づくかそれが問題だった。
「って考えてもいいアイデアが出てくるもんでもないし」
頭を抱えながら独り言を呟く。端から見たら不審者だがこの際気にしない。
「界先生、しゃんとしてください」
案の定チャールズにたしなめられる。これではどちらが先生かと笑われそうだ。
「今日は僕の社交界デビューなんですから」
結局なんやかんやで心配していたチャールズもその日になったら予想外に落ち着いていた。
弱音をはいていたのが嘘のようだ。
「悪いな。緊張はしていないか」
「この僕に愚問ですね」
あれからダンスのレッスンだけでなくいかに若い女性の気を引くかの練習をした。
チャールズにはオットー家の末娘とダンスをしてもらわなければならない。
それが母であるマリー夫人が提示した条件だ。
「といっても無理にサラさまと踊らなくてもいいんだぞ」
サラというのがオットー家の末娘の名だった。
彼女の噂はあまり聞かないので控えめな人物なのだろう。
年齢はチャールズとよりひとつ上。
まだ成人しているわけでもないし結婚相手を探しているわけでもないだろう。
まず彼女には許嫁がいるはずだ。
ある意味ちょうどいいのかもしれない。
彼女の気を引くくらいでウェルズ家が有利に働くようになるのならば。
しかしいささか難しい課題でもあった。
面識のない人間同士が親しくなるのには時間が必要だ。
だがパーティーの華である彼女と時間をとれるのはわずかだ。
いかにしてその間に記憶に残るかそれが重要だった。
「界先生、早くしないと置いていきますよ」
「待ってくれ」
ボヤボヤしているうちに馬車の準備ができる。
今日は俺とチャールズ、そして彼の母であるマリー夫人がパーティーに向かうのだった。
「マリー夫人、急がないと出発しますよ」
「あんまりせかさんな。まだ時間はたっぷり残っているから」
俺とチャールズがそわそわしているのに対し彼女は余裕の表情だった。
当然だろう。彼女の条件次第で俺の待遇も変わってくる。
それが彼女が約束したことだった。
「約束覚えてますよね」
「ふふっ当然よ」
ゆったりとした仕草で馬車の乗り込むマリー夫人。
これが優美というものだろう。
まるで俺たちの焦りを無視するように、むしろ神経を逆撫でるように席に座る。
「私もエマのパーティーにはしょっちゅう顔を出しているけどこうして二人をつれてというのは初めてね」
エマ夫人とは親交があるのだろう。できればマリー夫人に取り次ぎを頼みたかったが。
「でも今回のパーティー私がいるからってすぐに頼ってはダメよ」
彼女もこう言う。俺の思惑を見透かされたようだ。
仕方がない。ここは俺たち二人で乗り越えるしかないだろう。
「せっかく初めての社交界なのだからウェルズ家として一旗挙げてちょうだい」
「母上も面白いことをおっしゃる」
まずい。また二人でバチバチしはじめた。
チャールズは自分の母を毛嫌いしている。それをマリー夫人もわかっているのだろう。
あえて関係を修復しようとはせず傍観者として振る舞い、遠くから見守るといったスタンスだ。
時おり面白がって口を挟むし彼を煽るようなこともいう。
根が子供っぽいのだろう。
だから実子であるチャールズは逆に大人びた少年になったとも考えられるが。
「さあ行くわよ」
馬車がガタンと揺れる。馬が走り始めたのだろう。
時おりリズミカルに蹄の音がなるのを耳にしながらサミー伯邸へと馬車は向かう。
その間の俺たちの空気はどこかなごやかとは違うが落ち着いたものだった。
口数は少ないがそれは各々がこれからのことを考えているからだったし不思議とこの時間が嫌いになれなかった。
移動魔法を使えば一瞬で着くのだがやはり馬車を使うのはいい。
馬も清潔に飼育されていて多少の臭いもあるが気にならない程度だった。
ガタンガタンとなり路の凹凸に合わせて馬車のも揺れる。
天気は快晴で外の景色は見えないが見えたらよい眺望だろうなと思う。
「着きましたよ」
運転手が声をかける。その声にハッとする。
いかんいかん。時間を忘れて物思いに耽っていた。
サラさまとお近づきになる方法を考えるべきだったのに。
だが一応チャールズと事前に話しておいた作戦がある。
「チャールズ、作戦のこと覚えてるか」
「もちろんですよ」
言わなくても分かるだろうとは思っていたが彼は自身ありげな様子で答える。
これで失敗しないといいが。
「僕より先生の方が気が抜けてますね。本当にそれで大丈夫ですか」
「悪いな、心配かけて」
いつも通りの関係性。俺が抜けていても彼がしっかりしているから大丈夫だろう。
俺はそう思うことにした。
「心配だなんて別に。僕には大事な任務があるので」
「俺も君をサポートするから近くで助太刀するのを待っている」
「先生の力もお借りするかもしれませんが僕ありきの作戦でしょう」
そんな心配してませんよとチャールズは笑う。
「あら最初はどうすることかと思っていたけど案外余裕があるわね」
マリー夫人も扇子をあおぎながら口許に笑みをこぼす。
「これでも彼の家庭教師ですから」
「頼もしいわね」
彼女は俺の肩をポンと叩きふふっと笑う。
「これでウェルズ家も安泰かしら」
再び扇子で口許を隠すと意味ありげな視線を向けてくる。
「それを決めるのは僕たち二人でしょう」
やや険のある態度でチャールズは答える。
敬語を使っているうえにこの態度だと普通の人は面食らうはずだが彼女は動じない。
「そうね。楽しみにしているわ」
マリー夫人はチャールズに微笑みかけるが相手にされない。
「いらっしゃいませ」
パーティー会場からやって来たのは招待主のエマ夫人だった。
晩餐会ということで紺のナイトドレスを身に纏い美しい装いだった。
「あらこちらがチャールズさまね」
「本日はよろしくお願い致します」
チャールズが頭を下げる。
いかにも礼儀正しい少年といった風情で今までのどこか澄ました様子は鳴りを潜めていた。
「こちらは母のマリーと家庭教師の界です」
同時に俺たちの紹介まで済ましてくれる。
「あら界さまは初めましてですね。妹の紗々さまがアリサ姫の騎士であらせられるとか」
どうやら紗々のことは有名らしい。悪い意味でではなければいいがと俺は心配する。
「此度の東方遠征ではご活躍されたとお聞きしています」
「恐れ入ります」
誉めてもらうのが恐縮だったので俺も殊勝な顔つきで頷いておく。
「まあ堅苦しいお話はここまで。今日は楽しんでいってください」
サミー伯のエマ夫人はそういうと屋敷のなかに案内してくれる。
中にはすでに人がいて早速軽い食事を楽しんでいるようだった。
「チャールズ食事はほどほどにするんだぞ」
「わかってますよ」
彼に耳打ちすると当然のように返事がやってくる。
「あとそのツンケンした態度をサラさまの前でとるんじゃないぞ」
「それもわかっています」
小声でやり取りをしていると小さな少女がやってくる。
「ねえねえ何をお話ししているのかしら」
赤いドレスを着た少女は金色の髪を揺らしながらこ首をかしげる。
「彼は社交界が初めてなので俺が案内をしているんです」
なるべく丁寧に対応して次のチャールズの印象をよくしようとする。
「あら社交界は初めて?それは不運だったわね」
少女はにこにこしながらチャールズとの間合いを詰めていく。
「それはどうしてですか」
「だって楽しいのは大人ばかり。私も兄に無理矢理連れてこられて辟易しているの」
言葉とは反対に表情はどこか楽しげだった。
「でも今日は初めての子が来るって聞いたから楽しみにしていたの」
そして彼女は手を差し出す。
「ねえ一曲踊ってくださらない?」
弦楽器がならびワルツの音楽を奏でている。
「ここは男から誘わせてください」
「あら紳士ね」
チャールズが改めてダンスの誘いを申し込む。
「お名前をうかがってもよろしいですか」
「リサよ」
彼女はにっこり微笑みながらドレスの裾を軽くつまむ。
「ではリサさま。一曲踊りませんか」
「ええいいわよ」
そしてタイミングを見計らってダンスが始まる。
チャールズもうまくリードをして小さい彼女の動きにあわせている。
短い練習時間のわりには上出来だろう。
優雅な動きとともに会場の中心で踊っている。
時おりターンが入るがそれもうまくこなしている。
これは予想以上にうまくいくんじゃないか。
その時俺は目の前のことしか考えていなかった。




