後編
剣竜と知っても、特に気に留めない主はやはり愉快な人間だ。
「こいつの名前はナナシだ。」
なおも騎士に詰め寄って訂正を求める主が愛おしいと思う。
「そうだよな?ナナシ。」
「そうですね、今の私はナナシです。ナナホシの名は捨てました。」
殺気はなりを潜め、優しくアレックスに微笑み返すナナシ。
その顔を見た騎士は驚きを隠せない。
戦場で見た彼女の姿からは想像もしてなかった微笑みだ。かつて見た彼女は血に塗れ、鬼神のような出で立ちだった。その冷たい顔に微笑みというものが宿ったことはないのでは、とさえ思ったことがある。
その彼女が笑っていた。
それほど、主の存在は彼女の中で大きなものなのだろう。
「失礼しました。ナナシ様。」
そんな彼女の様子に騎士も謝罪を述べて、そう呼ぶことに決めた。
「それより、草食で大人しいドラゴンがどうしてここまで怒ったんでしょうね。」
クー クー
ドラゴンがその背に守っていた洞窟から小さな鳴き声が聞こえてきた。
4人が奥へと踏み入った先には、傷付いたドラゴンの子供が鳴いていた。ドラゴンの鱗が強靭なものとはいえ、幼少のドラゴンの鱗はまだ柔らかい。その身体には明らかに人の物と思われる矢が突き刺さっていた。
そして、その先には古代の遺跡らしき台座に据えられた大きな青い宝玉が飾られていた。
「これが原因ですか。」
おそらくドラゴン退治のおふれを出した貴族は、この宝玉を手に入れるため、ドラゴンの子供を射掛けて親ドラゴンの怒りをかったのだろう。
ドラゴンが暴れて収集がつかなくなって婿探しと称したドラゴン退治を提案した、そういったところだろう。
娘の想い人である騎士もそれなりに実力のある人間のようなので、対外的に派手な演出になることも算段に入れているに違いない。
「ドラゴンを退治したついでに宝玉を持ち帰れとでも言われましたか?」
「それは・・・」
騎士が言葉に詰まる。それは肯定も同じだった。
ナナシはドラゴンの子供を抱きかかえ、暴れて傷をつけられるのにも構わず矢を抜いて治癒の呪文を唱えた。柔らかい光が傷を覆って修復していく。光が収束する頃、そこには真新しい皮膚が形成されていた。
「これで、あの親ドラゴンの怒りも静まるでしょう。この宝玉はここに置いておきなさい。」
「しかし、」
「持っていかない方が良いですよ。この宝玉はこの地の水の守りをつかさどるモノです。台座から動かせば、水の害がこの領地を襲うでしょう。」
「そんな話は聞いたことがありません。」
ナナシの話に眉唾の騎士に、
「ではためしに持っていきますか?」
台座から宝玉を外して洞窟の外へ出た。
先ほどまで晴れていた空は厚い雲に覆われた曇天に変わり、小雨が降りだしていた。
「このままいくと豪雨に変わり、多くの民が水害に苛まれるでしょう。」
「本当だったのか・・・。」
淡々と状況を説明するナナシに騎士は茫然と空を見上げた。貴族に宝玉を持ち帰らねばメアリとは結婚させられない、とでも言われているのだろう。
ナナシは革の手荷物から、先日宿で絡まれた際に男達から巻き上げた宝石のうち、大振りの青い宝石を取り出した。
「これを差し上げますから、おふれを出した貴族にはドラゴンの洞窟にあったのはこれだと言って渡しなさい。」
そして非常食用に取っていた小型爬虫類の尻尾もついでに渡す。
「これをドラゴンの尻尾の先だと、退治した証拠に差し出せば向こうも納得するでしょう。あちらもワザワザ危険を侵してまで確認に来ることはないでしょうし、ついでにメアリ嬢が貴方がドラゴンを退治したのを見たと証言すれば良いんじゃないですか。実の娘の言う事ですし信憑性も増すでしょう。」
騎士は感動してペコペコと頭を下げた。
「ありがとう。助けてもらった上、ここまでしていただけるなんて・・・。」
「私からもお礼を。一緒に戻って、報奨の話をいたしましょう。」
「いいえ、結構ですよ。一緒に行って、変に疑われては困るでしょう。私達はここで別れた方が賢明です。」
首を振って、それを断るナナシにメアリは「何てお優しい方。」と感動の涙を浮かべた。
「いずれ困ったことがあれば、私達の領地を訪れてください。」
ラブラブなピンク色オーラを放って去っていく騎士とメアリに手を振って見送る。
自分に目もくれなかったメアリに、アレックスは自分が失恋したことにようやく気付いたのか、地面にノノ字を書いて項垂れていた。
「そんなに落ち込むこともないでしょう。こんなに大きな宝玉も手に入ったことだし、今日は街に降りて豪勢な食事でも摂りませんか?」
ナナシの手には青い宝玉が握られたままだった。どうやら彼女は宝玉を元あった台座に戻す気はないようだ。
「それ持っていくのか?いいのか、そんなことして。」
宝玉を手に歩き出すナナシにアレックスが問いかける。
「あぁ、先ほどの水害の話ですか?あれウソですよ。」
「ウソ!?」
しれっと答えて振り返るナナシの顔には、してやったりといった笑みが浮かんでいた。
「では、今の雨は?」
ナナシがサッと腕を振れば、雨は止み空の雲がはれて日が差し込んできた。
「ここ一体に雨雲を作成しました。」
さも簡単なことのように言うが、一人の人間の魔力量でここまでのことが出来る者はそうはいない。
剣だけでなく、その魔力すらナナシは一般をさらに上回ったものを持っていた。
「これ、売ったらいったい幾らになるでしょうね。」
貴重な宝玉をお手玉のように投げてはキャッチしながらナナシは笑った。
「ははっ。お前、本当に鬼だな。」
立ち上がり、ナナシを追い越して前を行くアレックス。
前を行く主の姿を追うナナシは思う。
(私の道を指し示すのは坊ちゃんだけでいい。それが間違った方向でも構わない。)
行く先もなく、ただ力を持っているというだけで剣竜と呼ばれていた自分はもう過去のもの。
うつろな自分の行く先を決めるのは主であるアレックスただ一人。
今回の旅もまた面白かった。
次はどんな道を行くのか先の見えない主の後を追うのは面白い。
アレックスは元来た道とはまったく逆の方向へ進んで行く。
従うとは言っても、最低限の道の修繕は必要だろう。
主の目指す方向が決まっているときは、その道を教えるくらいの裁量は持っているつもりだ。
「坊ちゃん、道が間違っています。」
愛しい主の後を追うナナシの姿を雨上がりの水滴だけが映していた。
詐欺師まがいなナナシ。
彼女のおかげで、アレックスの家は貧乏に戻ることはない様子。
得た宝石やお金はアレックスが無駄遣いしてすぐに目減りします。