35話 悪徳は潰え、救世は目覚める
アタシは納骨堂の石段を一段一段と踏みしめながら降りていく。しかし、その道のりは前に降りた時より明らかに長く感じていた。
懐には、何も入っていない。
代わりに、腰の剣と、溜めた魔力だけが、確かな重さを持っていた。
(アタシは、あの坊ちゃんを殺す)
口の中で、そう繰り返す。
二十年、金のために人を斬ってきた。仲間を斬った夜もある。今さら、手が汚れることを恐れる歳じゃない。
けれど、今夜だけは、金のためじゃなかった。
差し出した手を、取ってもらえなかった夜が、頭から離れない。
「私の何を知っているのですか」と言われて、何も言えなかった自分が、ひどく情けなかった。
知らないなら、せめて。
あの子を壊し続けるあの男を、この世から消す。
たとえ、それがあの子に恨まれることであっても。
アタシは薄暗く光が漏れる扉に手をかけた。
————————————
地下の研究室は、前に見たときと同じ場所のはずだった。
ただ、灯りが増えていた。燭台が壁際にずらりと並び、器具と薬瓶が、橙色に光っている。足元を、小さなネズミが数匹、走り抜けていった。
奥の机の前に、あの坊ちゃんが立っていた。
牢も、人の姿もない。がらんとした広間の中央で、金色の髪が、灯りを受けて柔らかく光っていた。
「ああ、いらっしゃい、ベルナデットさん。来てくれると思っていましたよ」
待ち合わせに遅れた友人を迎えるような穏やかな声であった。
まるで、アタシが来るのを予知していたかのようである。
「エティは」
「さあ。まだ……きていないですよ」
「……ほんとかよ」
「……そうですね。……取り繕う必要もないか」
そう言うと、坊ちゃんの雰囲気が変わる。先程までの穏やかな雰囲気は消えて、こちらを値踏みするような様子を見せていた。
「聞きたいことがあるんでしょう?わざわざ戻ってきたってことは」
「……どうしてアタシを選んだ。いや、なんでだ?」
アタシは一つ疑問に思っていたことを問いかける。
「んー。エティの世話を焼けるなら誰でもよかった……って言うのはまぁ、半分くらいかな?」
「半分?」
「そそ、一番の条件は善性の強さだからね」
「善性?」
アタシは気になって聞き返す。
「うん。他者に対して、なんだかんだ助けちゃう人がよかったんだ。だから、貴方を選んだ」
そう言うと、坊ちゃんは近くにあったナイフを手に取り、弄びはじめる。
「エティを色々弄ってきたけど、やっぱり、心までは弄れないからね。あの子の心は壊してきたけど、最後は派手にやらないとね」
「……アンタにとってエティはなんなんだよ」
「何って……作品さ。綺麗に作れたでしょ?」
「は?」
この男はなんて言った?
よりによって作品?
「アンタは、あの子を人間だと思ってないのかよ」
「別に思ってないわけじゃないよ。てか、だから、君と関わらせたんだよ。早く人間なんて言うものから卒業させたかったんだ」
「……そうかよ」
コイツはやはりアタシたちと違う。人間として、必要なものが無いのだ。だから、他者を道具か何かだと思っている。
アタシは手を目の前の怪物に掲げる。
「あれ?もう話さない感じ?よかったらお茶でも出そうか?」
「要らない。アンタと話すことはない」
坊ちゃんは、小さく首を傾げた。
何も話さず、ただ、楽しそうににこにこと笑っている。
その笑顔を見た瞬間、腹の底で、何かが冷えた。
アタシは右手を掲げ、短く唱えた。
「燃えろ、貫け——火の矢」
掌から、三本の炎の矢が放たれた。
まっすぐ、その細い胸へ。
————————————
矢は、届かなかった。
坊ちゃんの目前で、炎が真っ二つに裂けて散った。
その前に、小さな背中が立っていた。銀色の髪が、火の粉の中で揺れている。
「——エティ」
剣を横に振り抜いた姿勢のまま、あの子が立っていた。
(この子、こんな土壇場で、魔術を切るなんて芸当を)
感心している場合じゃない。そう思いながら、アタシは言葉を失っていた。
「お師匠様。ご主人様への攻撃は、おやめください」
エティはそう言うと、アタシの方をじっと見つめる。
このまま、戦いが始まる。そんな気がした。
しかし、そんな予想は、あっさりと裏切られた。
「エリウス様。降伏してください」
エティは手を掲げながら、目の前の悪魔に語りかける。その口調は震える様な声であり、言葉はどこか弱弱しかった。
「……………………エティ。君は自分が何をしてるかわかってる?」
目の前の悪魔はあくまで、口調は穏やかであり、話し方も優しいものであった。
しかし、アタシにはわかる。目が笑っていなかった。ゆえに目の前の悪魔が被っていた天使の皮が少しずつ剥がれている。
「……わかっています」
「……………………ふーん。なら、僕を助けて欲しいんだけど」
「……はい。だから。エリウス様を助けたいのです」
「……………………意味がわからないなぁ。君の言語野まで弄った記憶は無いんだけど」
目の前の悪魔は本当にわからなそうに呟く。言っている意味は全くわからないが、この部屋の有様を見ればロクな話じゃ無いことはわかる。
「エリウス様。私は貴方にこれ以上罪を——悪徳を犯してほしく無いのです」
エティの声は、とても小さいものだった。だが、その言葉に乗る意思は確かに強いものであった。
「…………………………悪徳?」
「はい。もうやめてください。多くの命を使うことは」
「…………………………エティ?君は僕の願いを知ってるよね?」
「はい。エリウス様の願いはとても高尚だと思っています。だからこそ、もっと方法があるはずです」
「……だから——」
「だから!私はエリウス様に悪に堕ちてほしく無い!」
エティは強い思いがこもった言葉を叫ぶ。
それは魂の叫びであった。
「私は!ご主人様に悪に堕ちてほしくない!私を助けてくれたご主人様は本当に美しく、それでいて気高かった!……貴方様に何か思惑があったとは思うけど。それでも、私は貴方から確かな気高さを感じたんです!…………だから!」
「…………………………………………………………ああ。くだらない話は終わった?」
それは、まるで地の底から響いて来る様な恐ろしい声であった。
目の前をみると、そこには笑っている悪魔がいた。
しかし、その笑顔に、今までの美しさはなかった。
まるで、獣が目の前の狩人を威嚇するかの様な牙を剥き出しにした笑顔であった。
————天使の皮は完全に剥がれていた。
「エティ——いや。エテルニティ」
その名前は聞いたことがある。確か、エティがご主人様からもらった名前であった。
しかし、目の前の悪魔は何か納得いかない様子で、首を傾げる。
「うんん。その名前は僕があげた名前だね。……名前なんて、いらなかったか」
ゾッとした。その言葉を聞いた瞬間、強烈な殺意が目の前から感じた。
もはや、笑顔はない。あるのはどこまでも冷たい無表情であった。
「君は二つ勘違いしてるよ」
「か、勘違い?」
「一つは、君は特別じゃ無いってことだよ。どこまで言っても君は僕の作品の一つなんだよ。数多ある中のね」
「……」
「君の価値は、僕のために働くことのためにあったんだ。それを君は勘違いして、自分の中に何か才能のような何かを感じたのかもだけど、それだけで、君は僕は対等だと勘違いしたみたいだね。だいたい君は——」
「もうやめろ!!」
アタシは我慢できず叫んだ。
「そんなんだから!アンタは見限られたんだよ!誰よりもアンタのことを考えていた子から!」
アタシは我慢できなかった。この男は今までの薄ら笑いをやめて、明確に相手を傷つける言葉を選んで話していた。
それが、アタシはたまらなく許せなかった。
「アンタみたいな救い難い存在を、この子は、必死に救おうとしてるんだよ!それなのに!アンタは!」
アタシは声に詰まり、そこから声に出なかった。
「だから?」
「はぁ?」
「だからって言ったんだよ。……だいたい、僕は君を助けた恩人だよ?しかも、君に力を与えたのも僕だ。だったらそんな大恩を返すために、僕のために人生の全てを捧げたっておかしく無い筈だろ?…………はぁ。だから恩知らずは嫌いなんだ。助けてもらった恩を忘れて、与えられた力を自分のものだと勘違いして、上に立ったつもりになる。……君もそうだったんだね」
アタシは言葉が出なかった。目の前の男が、途端に小さく見えた。
恩を着せて縛りつけ、思い通りにならなければ恩知らずと罵る。それが人のすることか? ならば、そうして人を壊してきたお前はなんなんだ?
アタシはそんな言葉が浮かんできた。しかし、あまりの惨めさ、そして、哀れさに言葉もでなかった。
目の前にいるのは自分のおもちゃを取り上げられて駄々を捏ねるガキそのものであった。
「え、エリウス様」
エティも同様だってのだろう。その声色には動揺と、どこか哀れさを含んでいた。
「…………もういい。ここで引導を渡してやる」
アタシは、掌にもう一度魔力を集めた。エティがどんなに言っても、アタシはこの男を殺すとここで決めた。
コイツはここで殺さなければ、また、大きな悲劇を産むだろう。今度はより狡猾に。
「ああ、そうだ。勘違いは二つあるって言ったよね」
その声に、指が止まった。
悪魔が、首を傾げて笑っていた。さっきまでの牙を剥いた笑みじゃない。いつもの穏やかな天使の笑みを、顔の上に貼り直している。
「二つ目。君たちは、この状況が自分たちに有利だと思ってる」
「……何を」
「ここは誰の部屋? 僕が、一人で、無防備に、君を招き入れたと思った?」
床が、揺れた。
いや、揺れたんじゃない。壁の向こうで、床の下で、何かが爪で石を引っかいている。
目の前の影がボコボコと動き出しているのがわかる。
(……待て)
アタシがこの部屋に踏み込んだのは、エティの様子がおかしいことに気づいたからだ。自分の意思で選んだ道のはずだった。
けれど、もし、あの不自然にあった薬の匂いも、地下から漂う血の気配も、牢の女たちが運ばれていく様子も。全部、アタシが気づくように、置かれていたんじゃないのか。
(アタシは、ここに招き入れられたわけか)
「お疲れさま」
悪魔が、指を鳴らした。
壁が崩れた。隠し棚が、床板が、天井裏が開き、黒い影が溢れ出す。顔の半分が腐った男、焼けただれた女、首のない騎士。うつろな眼窩が、一斉にこちらを向いた。
二十。いや、もっといる。
「エティ! 下がりな!」
「お師匠様、出口は——」
「階段だ! アタシが道を開く!」
火の矢を連射する。三体が弾け飛んだ。けど、後ろからその倍が奴の陰から湧いてくる。
エティが飛び出した。剣で一体の頭を叩き割り、もう一体を蹴り飛ばして壁に叩きつける。この悪魔によって育てられた腕は、やっぱり化け物じみていた。それでも、多勢に無勢だ。
「エティ、後ろ!」
騎士の影が、エティの背に大剣を振りかぶっていた。エティは別の二体を相手にしていて、気づいていない。
考えるより先に、体が動いた。
エティの背中を突き飛ばし、アタシは剣の下へ滑り込む。
熱い。
そう感じた次の瞬間、右腕の感覚が消えた。
床に落ちた自分の腕を、アタシは他人のもののように見ていた。
「お師匠様!!」
「……泣くな。生きてるだろ」
噴き出す血を、左手で押さえつける。
引退したら、小さな家で土をいじるつもりだった。あの腕で、鍬を握るはずだった。そんな隠居を考えていた。
(……ま、いいさ)
腕一本で、この子が助かるなら安い。そう言い聞かせて、アタシは立ち上がり、叫んだ。
「走れ、エティ!」
階段を駆け上がる。エティがアタシを肩に担いだ。小さな体なのに、驚くほど軽々と。
背後から、うめき声と足音が追ってくる。地上へ出る扉まで、あと数段。
「…………エティ」
声が、背中に届いた。
振り返ると、階段の下に悪魔が立っていた。アンデットの群れの、さらに後ろに。一歩も、前に出ていない。
「………………」
何も言わない。それが、いちばん背筋を凍らせた。
エティの肩が震えた。でも、足は止まらなかった。
扉を、蹴破る。
月明かりと、森の冷たい空気が、肺に流れ込んだ。
アタシは、振り返った。
追ってくるはずのアンデットは、誰一人、扉の外へ出てこない。闇の奥で、悪魔が、立っていた。
(……追わないのか)
理由は分からない。ただ、あいつの目はわからなかった。
————————————
森の奥の、古い炭焼き小屋だった。
お師匠様は、床に敷いた外套の上で、浅い息をしている。切り口には、私が覚えたばかりの回復魔術で、どうにか血を止めた。傷口をつなぐ、それだけの魔術。元には、もう戻らない。
右腕は、あの部屋に置いてきてしまった。
(私のせいだ)
私を庇って、お師匠様は腕を失った。
窓の外で、風が木を揺らしている。誰も、追ってこない。
助かったのだ。それなのに、胸の奥が、ぽっかりと空いていた。
あの部屋は、私の居場所だった。
ご主人様の隣。檻から出してくれた人の隣。私には、そこしかなかった。
それを、自分の足で、捨ててきたのだ。
あの沈黙が、忘れられない。
あの人は、本当に優しい声で、私をいつも呼んでくれた。私を人形にしようとしたあの手で、私の頭を撫でてくれた。
あれが全部、嘘だったとは、思いたくなかった。
でも、嘘かどうかは、もうどうでもよかった。
あの人の目は、あの部屋の中でも、私を見ていなかった。
私は、あの人にとって、数多ある作品の一つ。彼はそう言った。
(それでも、私は)
あの人に助けられたことを、なかったことにはできない。
あの人の気高さを感じた日を、嘘にはできない。
だから、止めなければならない。
あの人が、これ以上、人を壊してしまう前に。
あの人を止められるのは、あの人に一番近くにいた、私だけだ。
その時、お師匠様のまぶたが、かすかに動いた。
「……エティ」
「お師匠様。動かないでください」
「アンタ、これから、どうするつもりだい」
かすれた声だった。私は、少しだけ迷って、それから、はっきりと答えた。
「あの人を、止めます」
「……そうかい」
お師匠様は、ふっと息を吐いて、笑った。
「なら、その名前は、置いていきな」
私は、ハッとして顔を上げた。
「アンタの名前は、あいつがつけたんだろう。あいつを止めに行く奴が、あいつの名前を背負ってちゃ、始まらないよ」
胸の奥で、何かが、動いた。
エテルニティ。
永遠という名前。ご主人様がくれた名前。そして、ご主人様が与えた最初の鎖であった。
「……はい」
私は、小さくうなずいた。
名前を、一つずつ、頭の中で手放していく。
代わりに浮かんだのは、昔、読んだ絵本の言葉だった。救う者。檻の外で、誰かの手を引いて歩く人の名前。
「私は、これから、ソヴーズと名乗ります」
「ソヴーズ……」
「これから出会うみんなには、ソヴィーと呼んでもらいます」
お師匠様が、目を細めた。
「……救う者……か。いい名前じゃないか、ソヴィー」
その響きを、胸の中で繰り返す。
私は、もう、エティじゃない。
あの人の隣にいた少女は、あの部屋に置いてきた。
窓の外に、月が出ていた。
その月は美しく満月であった。私は月光に照らされた自分の手を見つめる。
アマリアと呼ばれたメイドを殺した時も同じ月だった気がする。
私の手は血に汚れている。
あの人のために短い期間だったけどたくさんの命を奪ってきた。
決して、正当化されるわけじゃない。
だから。全てが終わったらエリウス様と一緒に地獄へ堕ちよう。
あの人のいる屋敷の方角を、私は、まっすぐに見つめた。
(待っていてください、エリウス様)
――今度は、私が、あなたを助けにいきます。
貴方を覆う闇から。
————————————
エティたちが去った地下室で、僕は一人佇んでいた。
アンデットたちに追わせようかと思ったが、そうは行かない。
こんな夜中にアンデットに追わせれば何がありましたと自分から喧伝するようなものだ。
さっきは怒りのあまり、すごく取り乱して、色々言っていたが、だんだんと落ち着いてきた。
僕は何がいけなかったのか、思考を纏めようとしたが、中々、まとまらなかった。
エティの魂は確かに、濁っていた筈だ。あのメイドを殺させたあの時から確かに。
計画は順調だったはずだ。あの師匠と名乗った女も予想通り、エティの理解者になった筈だ。
そう思うようにお膳立てもしてきた。
——————なのに。何故?
僕は本当に悩んだ。何故?何故?何故?頭の中でハテナは浮かぶが明確な答えは出なかった。
——いや、答えはなんとなくわかっていた。見ないフリしようとしただけだ。
——————自由意思
それは、厄介である。他者からの干渉を嫌がる思い。自分で何かを選択したいという思い。
そんな不確かで、でも、人間にとっての大事なもの。それが最後のあの選択を後押ししたのだろう。
(自由意思はうまく使えば、洗脳を強化できると思って、選ばせてたけど、まさか、選ぶ意思そのものがあそこまで強くなるとはね)
「……人間は難しいね」
そう、人間を支配するのは難しい。自由意思があり、どこまでも利己的な存在であるからだ。
「……まずは姉上を洗脳するか」
もう、悠長な話はしていられなくなった。
まずは、あの不快な姉を支配することにする。あれが手駒になれば色々楽になる。
本来だったら大きいリスクではあるが、エティがいなくなった今、そんなことも言ってられない。
敵対している存在同士でくっつけばピンチになるのは僕だ。なら、あの姉の自由意思を剥奪して、完全な人形にしてしまえば、僕の不安も一つは減る。
(大至急、僕はこの侯爵領を手に入れないとね)
それでこそ、僕は本当の意味での安全が手に入るのだ。
そう決めた僕は早速、あの姉を捕まえに動き出した。
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1章あとがきを活動報告にあげますので、よかったらぜひご覧ください。




