1話 死を恐れた少年
「永遠とは美しい言葉である。しかし、それは呪いでもある。神が作った不文律の中には永遠は存在しないからである。しかし、生き物は永遠を求める。数多くの犠牲を払い。それは呪いである。」
――――ヘルザス・ロバート
———ああ、苦しい。
落ちていく絶望的な浮遊感と、あらゆる光を拒絶した暗闇の中で、男はただ漂う。
……いや、「漂う」なんて生ぬるいものではない。
自分という存在が、生きたまま肉の塊として破砕されていく地獄だった。
全身のあらゆる皮膚が、内側からの異常な圧力によって一斉に爆ぜ破れる。ぶちぶちと毛細血管が弾け飛ぶ音が脳内に直接響き渡り、両の眼球は内圧に耐えかねてズルりと裏返り、ドロドロの液体となって目蓋の裏へと溢れ出した。
視界は一瞬で、ドロリとした濃密な赤と黒に染まりきる。
「――っ、―――っ!?」
叫ぼうにも声が出ない。肺気胸を起こした胸孔には、酸素ではなく自らの粘つく血と吐瀉物が逆流し、気管を焼き切りながら詰まっていた。
ゴボリ、ゴボリと肺胞が一つずつ潰れていく絶望的な窒息感。
だが、本当の惨劇はここからだった。足の指先から、錆びついた極太のノコギリを強引に叩き込まれているような痛みが襲いかかる。
ミシミシ、ミシミシと音を立てて足指の骨が砕かれ、肉が引きちぎられ、神経がズタズタに引き裂かれていく。
痛みの波は留まることを知らない。すねの骨を縦に割られ、膝関節をすり潰し、太ももの巨大な筋肉群をミキサーにかけられたように肉沫へと変えながら、徐々に、しかし確実に上へと昇ってくる。
全身のあらゆる筋肉が、激痛によって狂わんばかりに硬直していた。
背骨は弓なりに反り返り、あまりの収縮に自らの力で肋骨が内側へとバキバキに折り折れていく。折れた骨の尖端が心臓や内臓をズブズブと深く突き刺す感触。
生きたまま内臓を掻き回され、潰される感覚に、脳の神経が焼き切れるほどの激痛が走る。
痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い――ッ!!
自分という肉体の境界線が、どろどろに溶けた肉と血の塗れ泥となって崩壊していく。
自分が自分ではなくなっていく。生きたまま肉片へと解体されていく恐怖と苦痛。そして、肉体という器が完全に破壊し尽くされた後、残された魂にまで『それ』はやってきた。
絶対的な「無」
それは静寂などではなかった。冷たく腹を空かせた巨大な口だ。
肉体を失い、惨めに剥き出しになった男の意識と存在を、バリバリと生きたまま咀嚼し、砕き、飲み込もうと顎を鳴らしている。
記憶が、感情が、愛したものの顔が、積み上げた人生が、その巨大な口に噛み砕かれ、汚泥のように汚されて消えていく。
――いやだ。いやだいやだいやだいやだいやだ!!!
こんなことのために生きてきたんじゃない!こんな、ゴミのように踏みにじられ、すり潰されて消えるために生きたんじゃない!!
――嫌だ……! 誰か……たすけ……て……っ!!
薄れゆく暗闇、無の顎に飲み込まれかける絶望の果てで、男は必死に手を伸ばした。神への祈りではない。ただの、惨目で汚らしい往生際の悪さ。
誰も掴むはずのない、もう肉体すら持たない虚空の手。
――しかし。意識が完全に途切れ、存在が消滅するコンマ一秒前。男の手は、確かに「何か」の触感を捉えた。
――――――
意識が少しずつ覚醒する中、僕は飛び起きた。全身を嫌な汗が濡らしていることに気づく、周りを見ると数年前から見慣れるようになった石造りの薄暗い部屋であった。
吐きそうな気分のまま、近くに会った椅子にもたれかかる。
ギィッと木の軋む音と共にひんやりでした感触が背中を冷やす。暑くもないのに出ていた汗は少しづつではあるが引き始めていた。
「…………イヤなことを思い出したなぁ」
僕ーーエリウス・シュルナン・ド・アルセースは薄暗い地下の中で天井を見上げる。
あれは8年前に見た過去の夢である。しかし、脳裏に刻まれたあの感覚は今でも、僕に薄暗い悪夢を見せつける。
ふと、近くにあった蝋燭に手をかざす。じんわりとした火の温かさを感じる。そして、目の前に映るのはかつての手とは違う小さな手であった。
指は短く、少し丸みを帯びた小さな手は今の僕の状況を象徴するかのようであった。
――――生まれ変わり
非科学的ではあるがそんな事態に見舞われていた。昔の僕は少なくともこんな子供ではなかった。
薄くなる昔の記憶を思い出してみてもそうだ。成人した大人であり、地味で害のない社会の歯車として働いていた。あるとすれば好奇心が強かったくらいだ。しかし、それも極められて何者かになれるほどでもなかった。
そんな、僕はひょんなことからわけもわからない世界に放り出せれたわけだ。
何故、生まれ変わったのか?何故過去の記憶や人格を有しているのか?何故、何故、何故?
自分の様子には疑問が尽きないがそれを考えていてもしょうがない。いずれは解き明かすつもりだが、今ではない。それよりも大事なことがある。
――――僕には死の記憶がある。
過去、何者であったかは薄れつつあるが、その記憶はべったりと僕の中にある。それは何よりもおぞましく、何よりも絶望的な感覚であった。
自分が自分でなくなるような感覚、自分の全てが失われる喪失感、何かが失われる度に与えられる想像を絶する痛み。あの時与えられた感覚は消える事なく僕にこびりついていた。
――――ガタッ
ふと音した方を見るとそこには片足の欠けたネズミが檻の中にいた。
僕は嫌な気持ちを払拭するためにネズミへと手を伸ばした。可愛がる為?違う必要な実験をする為であった。
「こら、暴れるなって……」
掴んだネズミが手の中で暴れる。この小さな生き物の小さな脳みそでも自分の足を切り落とした男を覚えているようであった。
僕は近くの棚からいくつかの材料を取り出す。鉄の粉、豚の肉の切れ端、そして、僕の切った爪。それを捕まえたネズミの切れた足の近くへ持っていく。そして手をかざして慣れた感覚として体内の魔力を練る。
「錬金」
そう唱えるとネズミの足の近くにあった材料たちが一斉に溶け出し、形を形成する。数秒ののち欠けた足を持っていたネズミは失われたはずの足を持って元気に暴れたていた。前世の感覚からするとまるで、あり得ない事が起こっているはずなのに、僕は驚くことはなかった。
そうこれがこの世界の普通であった。この世界に魔法と呼ばれるものがある。いや、今の状態を正確に言うと魔法や魔術と呼ばれるものがある。
この世界に生まれた時、それはそれは驚いた。まるで前世の感覚と違うことが二つあったからである。そのうちの一つがこの世界にある二つの“異能”である。
1つは 魔術。
空気のように満ちる「魔力」を操作し、炎を灯し、風を操り、水を生み出す。努力と理論で学べる体系だ。だからこそ多くの人間に門戸が開かれている。
だが魔術はあくまで“紛い物”の術だ。魔力という素材をどう使うか、練度と工夫次第でしか成果は出せない。
そしてもう1つは 魔法。
それは生まれながらにして人に刻まれた異能であり、神の悪戯とも呼ばれる。努力や理論はなく、自然と使えるものである。火を操る者もいれば、傷を癒す者もいる。総じて、魔術よりも強力であり、努力や訓練では決して得られないものであった。
そして、今僕が使っているのが魔術の一系統――錬金術。
鉛や鉄を金へと変える術、物資をより高次な物へと変える術。極めれば魂の製造、果ては不老不死へと至れる伝説があるほどであった。前の世界では眉唾ものであったが、今はちがう。魔法や魔術といった前の世界ではオカルトの類い出会ったものが実際にある世界なのだ。
であれば、可能性をかけるには悪くない。
……それこそが、死を拒む僕にとって唯一の道なのだ。
しかし、そんな研究は少し行き詰まっていた。何かの物質を使って足りない何かを補う。それはここ最近の研究でできるようになってきた。だが、所詮はその程度であった。今の僕なら材料があればネズミだろうが、牛だろうが、果ては人間でも失った手足の復活も可能だろう。
ただ、それだけではダメなのだ。こんなことは上位の神聖魔術や回復系の魔法でも可能だ。それどころかそれらであれば材料など必要なく手足の復活ができる。だから、こんなもので満足できないのだ。
「……やはり、研究のレベルをあげるしかないか」
そう言うと僕は後ろの方に目を向ける。この部屋は元々研究のために近くの洞窟を改造して作ったものである。なので壁は削り出した石が剥き出しであった。
不気味なほど静かな部屋の中で中央に目を向ける。木製の拘束台の上には人型の何かが安置されていた。
「さて…うまく行くといいけど」
僕は拘束台に近づき、手に持った蝋燭台をかざす。うっすらとしたオレンジ色の光は拘束台に拘束されたそれを照らす。
照らされた光がうつしたのは醜い状態の少女であった。全身は怪我だらけ、手や足もあらぬ方向に曲がっている。特筆するべきはその顔である。
多分殴ったあと、火で皮膚を燃やして、そこから魔術か魔法で回復させたのだろう。
いや、魔法での回復はないだろう。回復系の魔法を持つ人間は少なく、ましてやたとえ弱いものであっても元に戻せていただろう。これは魔術の仕業であった。
(わざと魔術で直したのかもなぁ……)
あまりにも徹底的にやられた状態を見て、僕はそんなことを思った。魔術なら下位の回復術を使える者は多くいる。そして、下位の回復術は傷を塞ぐことに特化しており、術者がうまく使わないと歪な形で治る。今回の件を見てそんな感じがした。
(果てさて、なんでそんな事をされたのか甚だ疑問だけど……ま、どうでもいっか)
僕にとって彼女?の事情なんて瑣末な事である。それよりも必要な事があるのだ。
そう考えると僕は手術道具を持った。
「さ、始めるね…えーっと……実験体ちゃん」
そう言うと僕は手術道具を手に持ち手術を始めた。僕は初めての人体実験にワクワクしながら手を動かしながら彼女との出会いに思いをはせ始めた。
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