第76話:土地神VS討伐隊
休憩が終わり、隊列が動き出す。
ディクソンは数日前に過ぎた街の女の子を懐かしみながら、トボトボと歩いていた。
「ハァ~。もう何日女の子と会ってないんだろう。街を離れると、女の子との出会いが少なくなるな〜」
「おい、女の子ならここにいるだろう」
ディクソンに腹を立てたミラが声を上げる。
ディクソンは、ミラの足先から頭の天辺まで一通り確認したあと。
「あ、うん。そうだね」
何とも返答に困るとでも言いたげに苦笑いした。
「あぁ!?何だその態度は!」
そのあまりに無礼な態度に、ミラはディクソンの胸ぐらを掴み自分の方へと向き寄せる。
「いや、駄目とかじゃないんだよ。強気な女の子とかも可愛いと思うし、ただ趣味じゃないと言うか。トラウマを呼び起こすというか。俺にとって女の子っていうのは、天使のように優しくて、愛嬌があって、笑っただけで癒してくれるような存在であって、厳つくて、ガサツで、暴力的で、地位や権力を主張するクセに、都合が悪くなると男のクセにとか、女の子だからとか謎理論を展開する厚かましい女の子が好きじゃないというか」
「てめぇは何の話をしてんだ!だいたい、優しくて、愛嬌がいい女なんて実際にいるわけねぇだろ!」
「男は居ないとわかっていても追い求めたくなる生き物だからな。ほら、トレジャーハンターとかまさに――」
ディクソンがそれ以上の言葉を紡ごうとすると、ミラから腹部に一撃を入れられた。
「ったく、これだから男は嫌いなんだよ。」
力なく沈むディクソンを背に、行軍を続けようとした――その時、先頭を歩いていた兵が足を止めた。
樹海に満ちていた鳥の声が、いつの間にか止んでいた。
アンダーズと討伐隊のメンバーは警戒レベルをMAXへと引き上げる。
しかし、違和感があった。
鳥たちが一斉に飛び立つでも、脅威を察知して泣きわめくでもなく、この区域に入った途端静寂に包まれた。
まるで、主がそう命じているように。
ディクソンの呼吸は浅くなっていた。
危険種と呼ばれるモンスターとは何体か対峙したことはあった。
そのいずれも、凶暴で手に付けられない猛獣の類であった。
だが、この先にいるであろう何かは今までのモンスターとは明らかに一線を画す。
姿を見ずとも分かる。
品性にも似た慎ましさを感じる。
森の主でもいるかのようなその区画に、野生の勘を持ち合わせない人間ですらこれ以上の侵入を躊躇わせる。
「どうするの?」
「どうするってそりゃあ」
「何をしているのですか!早く行きなさい!」
前方にいる兵士が戸惑っていると、革命軍討伐隊並びに危険種討伐隊隊長の任を賜る総司令官たる男、ローレンは無粋にも突撃を命じる。
どうやら彼にはここら一帯に漂う気配すら感知できていないようであった。
一行はそのまま進み続けると、湖についた。
そして、そこに佇む巨獣が一頭。
湖の先にある巨木を住処にしているのか、剥き出しになっている根の間から確かにこちらを見据えていた。
「デカい。アンナモンスターは初めて見た」
「あ、ああ」
「何をしているのですか!早く囲みなさい!」
ローレンが命じると、隊はそれぞれ散開し湖ごと囲みこむ。
おそらく、ローレンには確信にも似た絶対の自信があったのだろう。
負けない。万が一にも負けるはずがないと、どれだけ生きた巨獣か知らないけど、これだけの手駒を揃えて負けるはずがないと。
むしろ彼にとって気がかりなのは、この巨獣を護らんと馳せ参じる革命軍の方だったのだろう。
だが、腕に覚えがあるものなら分かる。
明らかに目の前に対峙している獣は危険種なんて生半可な生物ではない。
神秘の獣。
そう呼んで然るべき相手だ。
ディクソンは槍を持つ手が震えているのがわかった。
ふざけるなよ!
こんな怪物、どうやって相手にするんだ!
これを相手に出来るのは、それこそ万の軍を率いる大将軍かナンバーズぐらいであろう。
その心中はディクソンだけでなく、この場の兵の総意であったことだろう。
出来ることなら、この場から今すぐ逃げ出したいほど。
面々が怖気付いていると悟ったのか、それとも気まぐれか巨獣は伏せていた身体を起こしこちらへと這い出てくる。
その際、明らかにその巨獣で入り込むことが出来ない木の根の隙間が開閉され、ついに全体像が露わになる。
シカ?それともトナカイか?
動物に詳しくないディクソンがどちらなのか分からなかったが、シカ科の巨獣であった。
角は蒼く、いや、赤く、緑に、様々な色が宿り、綺麗な色を放ち立派な角と相まって息を呑むほど美しい。
「行きなさい!」
ローレンは革命軍用の兵を残し、残りのメンバーに一斉攻撃を命じる。
片腕を大きく振り下ろす仕草は、どこまでも自信に満ちていた。
そして、その号令に従い兵たちが湖畔へ突撃を開始した。
「「あああ!!」」
十人余りの兵が突撃すると、巨獣は角を持ち上げる素振りを取る。
ただそれだけの、拍子抜けするほど静かな動作だった。
すると、途端に身体に力が入らなくなる。膝が笑い、槍の石突きが力なく地面を叩いた。
アンダーズであるディクソンも同様であった。
その感覚と同様、恐怖が全身を包み込む。冷たい水に頭から沈められたように、息が詰まった。
この場にいること自体が恐ろしく、己が愛刀で命を断ち切りたいと思うほど。
「あはは、あははははは!」
突撃した兵士の数人が突如として奇妙な笑い声をあげ、笑顔のまま、己の首、心臓と部位は違えど自決を図った。
肉を裂く湿った音が、静まり返った湖畔にやけに大きく響く。
ディクソンはその内の一人を抑え込む。腕の中の男は笑いながら、なおも刃を己へ押し込もうとしていた。
「な、何ですか?何なのですか!」
ローレンが情けない声をあげる一方で、ディクソンが抑えられなかった者達が次々と自決する。湖面に赤が滲み、ゆっくりと広がっていく。
「クソ!これがあの獣の能力か?」
陣形が完全に崩れ、戦闘どころではなくなった討伐隊の面々は、一時は自決を耐えたものも次々と自決する。悲鳴と笑い声が入り混じり、誰の声かも判別がつかない。
三十人ばかりいた兵は、十五人と少しばかりにまで減らされた。ほんの数十秒前まで隣にいた顔が、もう動かない。
「何がどうなっていやがる!」
ミラが声を上げると、巨獣はゆっくりと湖の上を歩き始め、指揮官たるローレンへ歩みを進めた。水面には波紋だけが広がっている。
腕利きの兵が戦場で培ってきた強靭な精神をもってしても抗う事が難しいあの能力に、ローレンが耐えられるはずがない。
にも関わらずローレンに変わった様子はない。
あの精神汚染の効果範囲は約三十メートルか?
「何をしている!早く逃げろ!」
ディクソンは喉が裂けるほどの声で叫んだ。
「逃げる?逃げられるわけがないでしょう!今作戦は誰が計画したと思っているのですか!突撃しなさい!」
ローレンは青ざめた顔のまま、それでも革命軍用に温存していた兵たちに突撃命令を出す。すると、彼らは一斉に突撃し、その約半数が自決し、残りの面々は気でも触れたかのように発狂し始めた。絶叫する者、地面を掻きむしる者。整然としていた隊列は、もはや見る影もない。
「な!何が起きているのです、本当に!」
ローレンの私兵がローレンから離れ、裸同然になったその瞬間――待っていた。
そう言わんばかりに、ミロットが森を抜け、目にも止まらないスピードでローレンへと刺突を繰り出した。
が、ミロットの前に立ちはだかったルミが刺突を防いだ。
金属がぶつかる甲高い音が、湖畔の静寂を裂く。
「革命軍!?やはり来ていたのですね!」
「ローレン卿、撤退のご指示を」
ローレンの視線が、忌々しげに森の奥と巨獣の間を行き来する。
「何を言っているのです!あれだけ大々的に公表しておいて今更――」
「今は貴殿の身の安全を最優先にすべきでは?」
正論だった。ローレンの唇が悔しげに歪む。
「くっ!正気を保っている者は私のもとへ来なさい!撤退します!それと、森に火を放ちなさい!」
「しかし!」
兵の一人が戸惑いの声を漏らす。
「いいからやりなさい!革命軍が来ているとわかった以上、どこから襲われるかわかったものではありません。火でも放てば多少の撹乱にもなるでしょう?運が良ければあの獣も勝手に死ぬかもしれませんしね」
残った兵が火矢を放つと、火は一斉に広がった。乾いた枝葉を舐めるように、炎が樹海を駆け上がっていく。
この森はエーテルが濃い。濃いエーテルは炎の燃料にも等しく、火矢が一本放たれるたびに火勢は常より速く、貪るように膨れ上がっていった。
すると、ローレンへ歩んでいた巨獣の足は止まり、炎へと視線を向けた。
巨獣は再び角を持ち上げると、湖の水を使い消火活動へ移っていた。湖面が大きくうねり、持ち上がった水が炎へ降り注ぐ。白い蒸気が視界を覆った。
それと同時に、大気がかすかに軋んだ。巨獣の角へ向けて、周囲のエーテルが渦を巻いて吸い寄せられていく。燃えるための糧を奪われた炎は、先ほどまでの勢いが嘘のように痩せ細っていった。
その直後、先ほどまで狂喜乱舞していた兵士達は一斉に正気を取り戻した。荒い息と嗚咽が漏れ、仲間の亡骸の前で膝をつく者もいる。ディクソンは頭を振り、霞んだ意識を無理やり引き戻した。
「何ですって?物体操作までできるのですか?」
ディクソンは乱れた呼吸を整えながら、周囲へ意識を巡らせた。肌にまとわりついていた濃密なエーテルの重さが、妙に薄い。炎が弱まったのは水のせいだけではない。あの巨獣が、辺り一帯のエーテルを吸い尽くそうとしているのだ。
「ローレン卿、どうやら奴は能力は多いようですがあまり複数の能力は扱えないようです!ここら一帯のエーテルの枯渇を感じます!おそらく、同時に扱える能力は二つ。今は物体操作とエーテル操作の二つです!今のうち撤退しましょう」
ディクソンが撤退を促すと、ローレンは不敵に笑う。この状況で笑える神経が、ディクソンには理解できなかった。
「それは確かなのですか?」
「は?」
「だから、同時に扱える能力は二つなのですか?」
「おそらくは。実際、精神汚染は解けています」
「そうですか。ならば!このまま危険種討伐作戦を続行します!奴は今、消火活動に心血を注いでいる今が好機です!」
「待ってください!革命軍がまだ何人いるかわからない状況で――」
「うるさい!あなたは私の言うことを聞いていればよいのです!」
その目に映っているのは勝算ではなく、己の面子だけのように見えた。
ローレンは残った兵士達へ振り返り、指示を出す。
「あなたたちは絶えず火矢を放ち、こちらへ意識を集中させてはなりません!残りはそこの革命軍の相手をしておきなさい。アンダーズはアヤツの首を取ってきなさい。できますね?」
「それが命令なら」
ディクソンは槍を握り直した。掌は汗で濡れ、指先はまだ震えている。それでも、視線は湖の上を行く巨獣から外さなかった。




