暗黒期
2009年:獄界町
「なん……ですって……」
押坂医院のベッドから半身を起こした星山は、絶句した。
見舞いに訪れた米田組舎弟の室谷の口から語られたのは、組長・米田のあまりにも呆気なく、そして残酷な訃報だった。
「事務所に行ったら、無数の組員が転がってた。米田の兄貴も……そこで……」
室谷は声を詰まらせ、目元を濡らした。
「生き残っていた部屋住みの若い奴の話だと、襲撃者は……韮澤本部長を血祭りにあげた野郎と同じだ」
「なんですって!? あの野郎……原山太闘会のトップに続いて、直系のオヤジまで……!」
星山は負傷した腕の痛みを忘れたかのように、固く拳を握りしめた。
原山太闘会、そして米田組は、星山にとって己の人生そのものと言える場所だった。
かつて実家が闇金の餌食となり、行き場を失った星山は自暴自棄に陥り、地下格闘技場で対戦相手を殺めるような荒んだ日々を送っていた。そんな彼を、格闘技場のパトロンだった組員・山城がスカウトし、引き入れたのが原山太闘会だった。
山城は、当時の幹部・米田が率いる「米田派」に属していた。
山城から星山の凄惨な生い立ちを聞かされた米田は、静かに言った。
『そうか……。実はな、オヤジと相談して新しく組を旗揚げしようと思ってるんだ。俺がお前の親になり、お前の居場所を作る。警察やカタギから見れば、俺たちヤクザなんてただのクズだ。だがな、ヤクザってのはお前みたいな行き場を失った奴らに“家庭”を与える場所でもある。俺を……オヤジ、と呼んでくれないか』
その一言に救われた星山は、兄貴分の山城とともに米田組の結成に加わり、自らの生涯を米田組という「家族」に捧げると心に誓ったのだった。
「叔父貴……親父に代わって、俺に米田組を預からせてくれ。これ以上、俺の“家族”に無駄死にはさせられねえ。どれほどの手練れだろうが……大串の野郎は、この手で絶対に叩き潰す」
「ああ……俺たちで、兄貴の残した家族を守り抜こう」
室谷は重々しく頷き、星山の肩に手を置いた。
翌日:蔵部町
善竜会本部。若頭の服部は、すでに獄界町へ入り込んでいた西坂組組長・稲垣からの電話報告を受けていた。
『手際がいいな』
『ハハハ! 岸田組の援軍なんて大したことねえッスよ。すでに事務所をひとつ奪い取りやした。そこを拠点にして動きやす』
『よし。だが油断するな。奴らへの支援は武力だけじゃない。我が派閥を離脱した大北組から、定期的に資金が供給されている』
『なんですって!? 中立のフリして裏で横槍を入れてきやがったか……叩き潰してやりますよ!』
『表向きは“詫び金”の分割払いという名目だ。直接大北組を叩けば、中立派を擁護する白鳥組がしゃしゃり出てくる。直接攻撃は控えろ』
『そんなの関係ねえでしょうが! 中立だろうが何だろうが、大北組が俺たち善竜派を裏切った事実に変わりはねえ! 奴らにはたっっっぷりお仕置き(反省)してもらわねえとなあ!』
『おい、今は獄界町を完全に手中へ収めることに集中しろ。米田組はその詫び金を使って街の再建と武器の調達を進めるはずだ。奴らが息を吹き返す前に追い出せ。特に若頭の星山……あいつは危険だ』
『あー、それで思い出しましたけどねぇ、米田のタマを取った奴、本当に心当たりねえんスか? 米田は俺が直接殺るつもりだったんスけど』
『心当たりだと……? 少なくともウチの指示ではない。米田には敵が多い。抗争のドサクサに乗じて、どこかの勢力が介入してきた可能性がある。警戒を怠るな』
電話を切った服部は、深くため息をつき、思索の海に没頭した。
(軍服姿の男……まさか、あの“秘密部隊”の奴らか……?)
限られたごく一部の幹部にしか存在を明かされていない、善竜会の裏の切り札。通常の組員とは一線を画す、原野直属の暗殺部隊だ。服部のような組織の中枢にいる幹部でさえ、その構成員の素性や規模は一切知らされていない。
「組の存続が脅かされた時の最終兵器」と目されていた彼らが動き出したということは、この泥沼の抗争がいよいよ最終局面——互いの息の根を止める殲滅戦に入ったことを意味していた。
3日後:黄弁街
小さな和風家屋の静寂な座敷で、ひとりの男が妖しい光を放つ刀を研いでいた。
顔面に刻まれた無数の刀傷、そしてギラギラと獲物を狙う野獣のような双眸。男は異質な殺気を纏っていた。
「私は……やはり血に飢えているのかもしれんな」
男は独りごちると、鼻歌を口ずさみながら、懐から取り出した手裏剣を庭の植え込みへと一閃させた。
シュッ——!
「さすがだな、伝説の万蔵」
植え込みの影からぬっと姿を現したのは、これまた異様な雰囲気を漂わせる忍者風の男・風馬だった。
「風馬か。何だ、大北組の組長代行に雇われて私を始末しに来たか?」
「大北組……?」
「そうか、お前は知らんのか。あんたに大北組幹部の東条を拉致するよう直接依頼したのは、組長代行ではなく単なる仲介人だよ」
「やはり……あの仲介人を殺したのはあんたか」
「まあ、ただの仲介人だ。あんたの真のクライアントは無事に生きているよ」
万蔵は不気味な笑みを浮かべた。風馬は鋭い視線で問い詰める。
「なぜ依頼人を殺した?」
「殺したくなったからだ。理由などない。……で、お前はたかが仲介人を殺された程度で、その仇討ちでもしに来たのか?」
「真相を知りたいだけだ」
「真相? 我々のような裏の人間が、クライアントの背景に踏み込むのはタブーのはずだが?」
「そうだ……だが、依頼人が途中で殺害されたとなれば、『直接手を下したくない』という真のクライアントの意向を汲み切れなかったことになる。例外的に調査させてもらう」
「そうか。だが安心しろ風馬、お前の元々の依頼主はピンピンしている。だからこの件からは足を洗え」
万蔵は刀の刃を静かに見つめながら、声を落とした。
「私の勘だがね……我々が見ている表層の背後には、想像も及ばない強大な存在が潜んでいる。単なる誘拐やヤクザの縄張り争いなどではない。まるで巨大な“眼”が、高みの見物でこの惨劇を楽しそうに眺めている……そんな気がしてならんのだよ」




