不信感
2009年 桜零街
大北組の緊急幹部会は、怒号とともに幕を開けた。
「金山組派のクズどもが! 生越を殺りやがったか!」
机を叩き、野獣のような声を上げたのは本部長の柏原だ。対照的に、組長の摂津は冷徹な眼差しで応じる。
「生越は残念だったよ……奴らは相当に強いな。私と柏原が手塩にかけた『駒』を、こうも易々と殺すとは」
その口調には、部下を失った悲しみも怒りも微塵も感じられない。ただ損害を計上する、事務的な響きがあった。
「オヤジ、直ちに奴らを叩き潰しましょう! カエシ(報復)ですよ!」
逸る柏原を、摂津は諭すように遮る。
「気持ちは分かるが、相手は星山だ。穂村襲撃部隊の包囲網を単身で突破し、ターゲットを逃がした男だぞ。従来通りのカエシでは返り討ちに遭うのが関の山だ」
「ですが! 奴らはうちの身内を殺しすぎた。これ以上、仲間が転がるのを見たくねえんです!」
柏原の叫びに、摂津は口角を歪めて不気味な笑みを浮かべた。
「……だからこそ、カエシをしようじゃないか。ただ、少し『頭』を使わんといけないがね」
その時、沈黙を保っていた若頭の松原が口を開いた。
「そもそも生越は、善竜会から『絶縁団体の粛清』を請け負い、深口組を罠に嵌めたはずです。小原一家はその情報をどこかで掴んだのでしょうが……なぜ星山が深口組のために動くのか、理由が見えません」
「それについては私にも分からんな。恐らく絶縁されたタイミングを狙って、金山派が取り込もうとしたのだろう」
摂津は即座に答えた。松原がさらに「しかし、事前に話を……」と食い下がろうとすると、摂津は「それは追い追い調べよう。なあ、柏原?」と話を打ち切った。
「ええ! カシラ、今は効果的なカエシを考えるのが最優先でしょうが!」
柏原の恫喝に近い声が、会議室の空気を震わせた。
割って入ったのは、副本部長の貝妻だった。
「オヤジ、知略によるカエシであれば……経済的アプローチはどうでしょう。正面からぶつかるのではなく、奴らの『シノギ』を根こそぎ潰すのです」
「ほう、名案だね。よろしい、第一陣のカエシは貝妻に任せよう」
1時間後:若頭執務室
「またやられたのか」
松原は、執務室へ駆け込んできた貝妻を見て眉をひそめた。
彼の両頬は無残に腫れ上がり、唇の端からは鮮血が滴っている。
「へい……。柏原の兄貴は、俺がカエシの指揮を執るのが気に入らねえようで……」
「佐渡、氷嚢と絆創膏を。早くしろ!」
松原は補佐に命じると、椅子に沈み込む貝妻の前に屈んだ。
柏原は大北組屈指の武闘派であり、摂津が組長に就任する前からの「懐刀」だ。だが、短気でプライドが高く、自分より下の世代や穏健派を徹底的に見下す傾向があった。一方の貝妻は松原が引き入れた弟分であり、暴力より理屈を重んじる。柏原にとって、最も鼻に付く存在なのだ。
「……いつも、すみません」
「気にするな。お前を守るのが兄貴分としての務めだ」
手当てを終え、退室しようとする貝妻を松原が呼び止める。
「待て。まだ柏原の頭には血が昇っている。……少しここで休んでいけ」
ソファに腰掛けた貝妻に対し、松原は何かを言いかけて躊躇した。
「兄貴、どうしやした? 俺で力になれることなら何でも聞きますよ」
「……実はな、先ほどの幹部会で違和感を感じたんだ」
「違和感?」
「ああ。小原一家の侵入について疑問を呈した時、オヤジは焦って話を打ち切ったように見えた。まるで、それ以上踏み込まれたくない何かがあるように」
「実は……俺も同じことを感じていました」
二人の間に重苦しい沈黙が流れる。
「オヤジは、深口組に関して何か致命的なことを隠している……」
松原の呟きは、誰にも届かぬほど静かだった。
4日後 獄界町
押し寄せる野次馬の波を、星山は必死にかき分けていた。
「どいてくれ! すまん、道を開けてくれ!」
ようやく視界が開けた先で彼が見たのは、紅蓮の炎に包まれ、崩れ落ちていく旅館の無残な姿だった。
「……なんてことだ」
立ち尽くす星山の横で、数人の少年たちが警察官に拘束されていた。高校生らしき若者の一人が、鼻水を垂らしながら泣き叫んでいる。
「……知らなかったんだ! テキストボイスで、時給が高い仕事があるって募集されてて……火をつけるだけでいいって……!」
同時刻、米田組長は、受話器を握る手が震えるのを止められなかった。
「なんだと!? あんたの所に強盗が入っただと!?」
電話の主は、傘下の闇金を仕切る深沢。
『ええ……しかも、従業員が3名、撲殺されました。客のリストも奪われて……』
混乱はそれだけに留まらない。
獄界町の路地にあるキャバクラ。客で賑わう店内に、突如として大型トラックが轟音を立てて突っ込んだ。
「キャーーーッ!」
阿鼻叫喚の地獄絵図と化した店内に、荷台から屈強な男たちが飛び降りる。彼らは無言でスタンガンを振り回し、抵抗できない女たちを次々と気絶させては、ゴミ袋でも扱うように荷台へ放り込んでいった。
火災、強盗、拉致――。
卑劣極まる「波状攻撃」が、獄界町を奈落へと突き落とした。




