攻防戦
2008年 獄界町
米田組本部の会議室は、逃げ場のない重圧に包まれていた。
沈黙を破ったのは、この場を仕切る若頭・星山だ。
「――皆、知っての通りだ。俺たちの血を分けた舎弟たちが、大北組の糸平に無残にバラされた」
並み居る直系組員たちが、一斉に深く頷く。その拳は白くなるほど握りしめられ、瞳には涙をこらえたような激しい怒りが宿っていた。
「糸平の排除は最優先事項だ。奴は極道以前に、抗争に関係ねえカタギまで快楽で切り刻むただの殺人鬼だ。摂津のおっさんはあの化け物を飼い慣らしているつもりだろうが、大きな間違いだ……。奴はここで仕留めなきゃならねえ。サツに突き出したところで、どうせまた『病気』扱いで精神病院に逃げ込まれ、脱走を繰り返すだけだ」
本部長の勝田が、重苦しく言葉を継ぐ。星山は深くため息をつき、地図を広げた。
「問題は潜伏先だが……情報屋の笹山さんによれば、あの野郎、図々しくも大北組の本部に居座りやがってる」
蔵部町
現在、原野率いる「善竜会」派閥によって占拠されている善輪会本部。
その奥座敷では、善竜会若頭・服部が、傘下組織のトップ5人を集めていた。
「オヤジ、話ってのは?」
相撲取りのような巨漢が尋ねると、服部は不敵な笑みを浮かべた。
「原野のオヤジがお前たちの腕を試したいそうだ。――いいか、この泥沼の抗争を終わらせる最短ルートは何だと思う?」
問いかけに、インテリ風の男が即座に反応した。
「……敵の首を取る。つまり、トップを叩くということですね」
「察しがいいな。穂村の叔父貴を誰が最初に仕留めるか。その首を持ってきた組は、原野の親分が直系団体への格上げを約束してくださるそうだ」
服部の冷たい視線が、男たちの野心を煽るように突き刺さった。
4日後 大北組本部周辺
「よし、小原一家、配置完了だ」
星山が短く告げると、トランシーバーから次々に報告が飛び込む。
『勝田一家、準備良し!』『荻野一家、いつでも行けます!』『烈火隊、スタンバイOK!』
全ての呼応を確認し、星山は深く肺に空気を溜めてから言い放った。
「――作戦開始。ぶちかませ!」
大北組組長室。摂津は、遠くで響いた破裂音にピクリと眉を動かした。
直後、けたたましい警報音が鳴り響く。
「何事だ!」
「火炎瓶です! 正門が燃えてる!」
組員たちが狼狽する中、摂津だけは悠然と、どこか楽しげに口角を上げた。
「ようやく来たか。待ちくたびれたよ……」
混乱に乗じ、小原一家はマシンガンを手に塀を越え、庭園へと侵入した。
本来なら鉄壁を誇るはずの大北組だが、四方からの陽動に翻弄され、防衛網は紙のように脆くなっていた。星山たちは、驚くほど容易に内部へと足を踏み入れる。
一方、事務所の地下室には地獄が顕現していた。
「頼む、韓国人にあんなことしたのは悪かった! 助けてくれ!」
作業台に括り付けられたチンピラ二人が、涙と鼻水にまみれて絶叫する。
だが、チェーンソーのエンジンをふかした糸平は、軽快な鼻歌を歌いながら獲物を見下ろした。
「外国人嫌いか何か知らないけどさ。親分からは『韓国人を差別するレイシスト共を、最高に痛いやり方で処刑しろ』って言われてるんだよねぇ」
「すまねえ……あんたらの身内だとは知らなかったんだ!」
「ふーん。まあいいや、ゴミが減るのは社会のためだしな」
狂った笑みと共に、チェーンソーの刃が振り下ろされる。
肉を断つ不快な音と絶叫が地下にこだまする中、一人の組員が扉を蹴り開けた。
「糸平! 敵襲だ。拷問は中止だ、小原一家を皆殺しにしてこい!」
「ヒハハハッ! やっと来たか! 待ってたよぉ!」
糸平は血濡れのチェーンソーを抱え上げ、軽やかな足取りで階段を駆け上がった。
庭では小原一家のマシンガンが火を噴き、大北組の防衛線を押し戻していた。
「よし、このまま押し切るぞ!」
星山が叫んだ瞬間、背後から凄まじい爆音が響き、敵味方問わず組員たちがなぎ倒された。
「おい、嘘だろ……。自分の仲間まで切り刻んでるのか?」
呆然とする星山の前に、バラバラになった身内の死体を踏みつけ、糸平が姿を現した。
「邪魔なんだもん、しょうがないじゃなーい」
糸平は改造されたチェーンソーを掲げて突進してくる。一人の組員がマシンガンで応戦しようとしたが、それより早く糸平の獲物が火を噴いた。
「ギャハハハ! 摂津の親分の人脈は凄げえぞ!優れた改造屋がいてねぇ! これが『マシンガン・チェーンソー』だぁ!」
回転する刃の隙間から弾丸が撒き散らされ、庭園は瞬く間に血の海と化した。
「まずい、一旦引け! 全員後退だ!」
星山の必死の命令に、組員たちが散っていく。
糸平は細めた目で星山を捉え、狂気じみた笑みを向けた。
「あんたは逃げないのかい? 勇気あるねぇ!」
「……逃げるかよ」
星山は冷静に懐から筒を取り出し、地面に転がした。
その様子を監視カメラで見ていた摂津と錦田。
「あの狂犬……味方まで殺しやがって」
錦田が吐き捨てる。摂津の顔からも余裕が消え、苦々しさが滲んでいた。
「……みくびっていたな。制御不能か。仕方ない、小原一家と相打ちにならなければ、国木田を動かして糸平を処分させるしかない」
その時、カメラ映像が真っ白に染まった。
「煙幕か……」
「星山、逃げるつもりでしょうか?」
錦田の問いに、摂津は目を細める。
「いや、あの星山が、仲間を殺されてただ逃げるとは思えんがね……」
煙の中に突っ込んだ糸平は、苛立ちを爆発させていた。
「卑怯だぞ星山ぁ! どこだ! 切り刻んでやる!」
チェーンソーを闇雲に振り回し、煙の薄い方へと走り抜ける糸平。視界が開けた瞬間、彼は前方の空き地を見渡した。
「逃げたか、腰抜けめ!」
「誰が腰抜けだって?」
背後からの声に、糸平が戦慄して振り返る。そこには、サーマルゴーグルを装着し、冷静に照準を合わせる星山が立っていた。
「お望み通り、地獄へ送ってやる」
マシンガンの銃声が、至近距離で連続して響く。
糸平の体に無数の風穴が開き、肉飛沫が舞った。朦朧とする意識の中、糸平はなおも星山を睨みつけ、チェーンソーを持ち上げようとする。だが、力が入らない。視界が真っ赤に染まり、地面が顔に迫ってくる。
どさりと、怪物が地に伏した。
頭部にまで被弾し、痙攣する糸平を見下ろし、星山は静かに吐き捨てた。
「――当然の報いだ。あばよ」
硝煙の匂いを残し、星山は背後を振り返ることなくその場を立ち去った。




