宮城の外へ
王宮の外へ出るのは久しぶりだ。しかも飛燕としては初めてのことである。この国の皇帝の唯一の子である飛燕が一人で後宮を抜け出し、あまつさえ城下へ出たという事が誰かに知られれば、少なくとも後宮は阿鼻叫喚の場と化すのは明らかであるが、当の本人はうきうきしながら抜け道を歩いている。
「いやあ、街中へ出るなんて久しぶりだなあ。馮太史の話しだと、東安は俺が死んでからかなり発展したそうだし、本当に楽しみだ。」
隆飛が生きていた頃は、戦国時代の真っ只中だったので栄えた街というものを見たことがなかった。
飛燕は、馮太史が以前自慢してきた、街中の露店で売っている串焼きや流行りの菓子のことを思い出した。あの時のあの老人の顔と言ったらむかっ腹が立つが露店の飯は楽しみで仕方がない。
「お、あれは出口か?」
飛燕が食べ物のことを考えていたら、あっというまに王宮の外にある抜け道の出口に辿り着いたようである。
よっこらせと地上に上がると、どこか蔵なような場所に出てしまった。周りに人気はないが、何となく見覚えのある景色だ。なんだったっけと飛燕は首を傾げた。
「あ、思い出した!」
飛燕の記憶が正しければ、ここはあの場所である。飛燕は蔵の中に入って来る僅かな陽光を頼りに周囲を見渡した。
「あ、やっぱりこの巻子に付いている水仙の花・・・」
間違いなく、汀家の家紋である。この水仙は隆飛が主である英陵から下賜されたもので、当時、妻は水仙を下賜されたと聞き、首を傾げた。その理由は今でも忘れない。
『あなた、水仙の花言葉をご存じ?』
『俺が知っているわけなかろう。』
『ふふふ、ごめんなさい。あのね、水仙の花言葉は自己愛なのよ。』
『なんだとう!あの野郎には俺が自分大好き人間に見えているのかよ!』
『まあまあ、聖上は思慮深い方ですから。きっと、他に意味があるはずですわ。』
『むう、あいつのことだから寝所から出て最初に目に入った花だった、という可能性もあるぞ。』
『まあ、あなたったら。主が臣下に対して花を下賜することは大きな意味を持つことですから、決して適当な理由ではないでしょう。』
『そうかなあ、あいつ結構適当だぞ?』
『それはあなたを信頼している証ですわ。ふふふ。』
あの後、英陵にどうして水仙なのか聞いたが断固として教えてくれなかった。何か後ろ暗い所があるに違いないと隆飛は思ったが、面倒になったのでそれ以上に詮索はしなかった。
「この抜け道は、英陵の奴に命令されて俺が掘ったものだったな。」
しかも、この抜け道は隆飛が一人で掘り進めたものだった。今思えば無茶な命令である。
「苦労して掘った穴を、自分で使うことになるとはなあ」
これは、一生懸命掘った甲斐があったというべきなのかなと飛燕は思った。
それにしても、ここが汀家の屋敷となれば抜け出すのは難しいのではないか。今では、武人の家と言えば汀家だと言われている。飛燕の母が后妃となったため、汀家は外戚となり政治の中枢からは離れてしまったが后妃の兄である当主の凱炎は国で一番の槍使いだと言われている。
そんなわけで、警備の兵もいるだろうし簡単には行かないだろう。
「うーむ、困ったなあ。」
「おい、誰かいるのか?」
「!?」
後ろからいきなり声がしたので、飛燕は思わず物陰に隠れた。誰かが蔵の外にいるようだ。この足音、二人はいるだろう。
「おい、本当に人なんかいるのかよ。こんな物置、誰も使うやつなんていないじゃないか。」
「絶対何か聞こえたって!入ってみようぜ。」
「絶対に汚いぞ、ここ。」
外から聞こえてくる声は、同い年くらいの少年のものだ。それか、少年の様な話し方をする女か。
お願いだからこちらへ来てくれるなと飛燕が神頼みをしようとした瞬間、蔵の扉が開かれ、そこから光がゆっくりと漏れてくる。
蔵に入ってきた二人は、やはり少年だった。
「やっぱりこの物置、埃っぽいし最悪だ。」
「文句ばっか言うなよ、セイ。」
「お前が無理矢理連れて来たんだろうが凱竜!」
「そんなに声を荒げるなって、凱清。埃くらいなんだよ。ケッペキかお前は。」
「綺麗好きの何が悪い!」
二人の少年は言い合いをしながらも蔵の奥に来ようとしている。
これはまずい、と思った飛燕はこいつらくらいなら今の俺でもやれるんじゃないか?という考えがよぎる。恐らく親戚にあたるであろう少年達に対して物騒な事ではあるが、しょうがない。
「よっしゃ!やってやるか!」