第7幕 伝えたいことがあるから
セスカは背中の痛みで目を覚ました。
見慣れない療養室のベットの上に仰向けで寝かされていた。
だが寝返りを打てるほどの回復はしていないようで、ずきずきと背中は痛みを訴えている。治療は施されているようだが、それが間に合わないほど、痛みが勝っているということだろう。
「大丈夫か?」
聞きなれない声がした。でも微かに耳に残る心地よい響きの声だった。
ベットの左側は窓。すでに日は沈み、窓越しに、微かな星の瞬きが見えていた。
右側に首を動かした。
そこには、自分とアレティを『ディアボロス』から救ってくれた、あの黒髪の少年――秋が心配そうにセスカを見つめていた。
「シュウ…」
セスカが微かに微笑んだ。
「背中痛むだろ?ずっと苦しそうな顔をしていた…」
心配そうに秋がセスカに問いかけた。
セスカは小さく頷いた。
「ごめんな。そう思ったんだけど…その…」
秋は歯切れが悪そうに、ぶつぶつと何かを呟いている。
「お願いがあるのだが……」
セスカはそれを遮るように秋に向かって頼みごとを告げた。
「あぁ?」
「私の体を抱き上げてくれないか?」
「はっ!?」
セスカのお願いに、秋の顔が一気に紅潮した。
「これでうつ伏せにされても、呼吸が苦しいだけだから…誰かに支えてもらっていた方が楽だ」
「…そっか…それもそうだな」
納得はしたものの、秋は困ったように覚束ない手つきで、セスカを毛布越しで抱き上げようとする。
「毛布はごわつくだろう?はいでいい。上半身を抱き起こして、抱きしめてほしい…」
「……いいんだな?」
「あぁ。いいよ…」
毛布をはぐと、あの治療着1枚の姿が出現するが、秋は極力見ないようにセスカをそっと上半身を抱き起こした。
そしてそのまま抱きしめると、セスカの体が冷えないよう、毛布を自分の体ごと包むように巻きつけた。
「ありがとう…」
「いいや……」
毛布を巻きつけたことは、セスカの体を見ないで済むという意味も存在していたのだが、
この際それは言わずにおいた。恥ずかしいので。
「……お前の体は温かいな…シュウ」
あれ?と秋は思った。
セスカを背負っていたときもそんなことを言われた――妙な親しみを感じるが、これって?!
「女の体を見るのは初めてじゃないだろう?そんなに恥ずかしがることはないんじゃないか?!」
何も話しかけてこない秋に、セスカはそんな問いかけをしてみた。
「ばっ…馬鹿野郎っ!!(生は)初めてに決まってるだろうっ!?妹の体も……見てねぇっ!!」
いきなりの核心に、秋の態度は完全に狼狽し、セスカの顔もまともに見られないほど、怒りと恥ずかしさで顔は真っ赤になっていた。
「そうか…ごめん。ちょっと困らせてみた…」
「困らせてどうすんだよ。ベットに寝かしつけるぞ」
「本当にごめんなさい……でも少し安心した」
「なんだよ。その『安心』って……?」
セスカは秋の胸に顔を預け、それ以上何も告げようとしなかった。
背中が痛んだのだろうか?秋は少し大人気なかったかと、セスカに無理を掛けないよう、そっと抱きしめ、楽であろう姿勢を保ち続けた。
「…シュウ。もうひとつお願いがある……」
しばらくして、セスカが再度の願いを告げてきた。
「さっきみたいなこと…言うなよ」
「うん…言わない。ただ…薬湯を飲ませてほしいんだ…背中の痛みがまだ少しあるからな」
「…そっか。この…ポットに入ってる…のか?」
「そうだ。それをそのカップに入れて飲ませてくれ」
ベットの脇にあるサイドテーブルにポットとカップが乗っていた。それにはキャスターが付いており、秋はそれをなんとか引き寄せると、セスカを抱きながらの不自由な左手でカップに薬湯を注いだ。
「これ…水差しみたいのあると楽なんだけどな……カップじゃ飲みづらいだろ?」
「そうだな…」
カップはちょっと大きく、秋は怪我人や病人が飲むには、量がありすぎる気がした。
「…口移しでいいぞ」
「口移しか……って、はぁっ!?おいっ!!正気か?!」
セスカの真紅の瞳はただじっと驚く秋を見つめていた。
「正気だ…。口移しでいい…そのカップ1杯分…」
よく見ると、セスカの頬に赤みが差しているのがわかり、秋は頬も顔も体も――火を吹きそうなくらい火照って火照って仕方が無かった。セスカはさっきから、一体何を考えているんだ。そう考えずにはいられない。
「…これは人命救助…じゃないか?」
「溺れたのかお前はっ」
セスカの言い訳に、秋は投げやりに言葉を返した。
「…お前だから頼むんだが……」
あぁぁもうっ。消え入るような声で頼むセスカの願いに、秋は腹を括った。
「どうなっても知らないぞっ!!俺は下手くそだっ!!初めてなんだからなっこんなこと!!」
「……うん。ありがとう」
秋は薬湯を口に含み――思わず吐き出したくなる苦味を我慢し、セスカの口へと運んだ。
えええい、ままよっ!!そのままセスカの唇に、自分の唇を当てがった。
秋は疲労困憊になりながら、カップの薬湯は残り僅かとなっていた。
口移しに飲ませるコツもなんとなく掴めて来た。もう少しっ!!
「…んっ」
毀れないよう、セスカの唇を覆うように自分の唇を当て、そっと流し込む。
やったっ!!ようやく役目を終え、秋が唇を離そうとしたとき、セスカの舌が絡んできた。しばらくの沈黙――。
「…はぁ……」
秋は大きく息を吐き出した。
セスカはますます秋の胸に自分の体を寄り添わせた。
カップをサイドテーブルに戻し、セスカの体を抱きなおし、毛布を体に巻きなおした。
「…これでもう初めてじゃないね」
「……何が?」
「キス」
最初、セスカが何を話しているのか的を得ていなかったが、『キス』という単語で、秋の顔面は爆発しそうに茹で上がった。
「あ、あ、あのなぁぁ」
「私も初めてだったんだ…キス」
「連呼するなっ」
手が震えて、セスカを落としそうになる。頼むから――恥ずかしいから、これ以上何も言わないでほしいっ!!切実に秋は思っていた。
「お前だから…なんだぞ、シュウ」
「ああ?そ、そうなのか?!」
「私のこと嫌いか?」
泣き出しそうな真紅の瞳が、秋を捉えて離さない。
秋の理性が吹っ飛びそうになる。何だ。何なんだ――この至福の瞬間は?!
「…それ以上言うと……俺は構わずお前を襲うから…それ以上は言わないでくれ」
「…襲え」
セスカは小声で…秋の耳元で言い切った。
うわぁぁぁっ!!ぷるぷると両の腕が震える。我慢の限界が来ていることがわかっていた。が――。
「い……今は無理。お前の背中が治ったら……」
「治ったら、襲うか?!」
「…言い切るなっ!!」
セスカの顔を見ないよう、自分の胸に押し付けるように抱きしめる。
もちろん力は極力込めないように。
「だから……俺は初めてだから下手だって…。何度も言わせるなよ……」
何を言ってるんだ自分っ!!意味がわかんねぇっ!!秋は叫びたかった。
「…構わない……一緒に上手くなればいいから……」
ぬあぁぁぁぁぁっ!!もう疑う余地はねぇぇっ!!こいつは俺に惚れているぅぅぅっ!!俺はぁ――俺はぁぁっ!!
「わ…わかった。怪我が治ったら…お…襲う。それで…いいか?!」
セスカはたどたどしい秋の台詞を聞き終え、ばっと顔を上げた。
「明日だっ。明日には治るっ!!明日だっ!!」
「だから…明日、明日言うなってっ!!」
あ、明日っ!?は、早すぎるっ!!
「だって…お前はいつ……いなくなるか…わからないから……」
あっ。秋はセスカをそっと離した。
「お前は自分の世界に帰るのだろう?その前に……してしまいたいんだ……」
「そ、それなんだが……」
セスカが妙に異常に積極的だった理由がわかり、動悸は治まらなかったが、秋はなんとか直人から言われた事実を告げた。
「…そうか。それはそれで、お前とベンジーが大変だ」
「だから焦るな。もう少しはここに居そうだし。その…あの…も、もう少しよく考えて、自分を大事にしろって。ここにはお前に惚れてる奴多いんだろ?あの…アックスって奴も……」
「…それ……嫉妬か?」
セスカが冗談まじりに呟いた。
「う…うん。たぶん……」
「ほ、ほんとか?!」
秋の答えに、セスカの声が上ずった。期待をしていなかったらしい。
秋は恥ずかしそうに、この世界に来た顛末をセスカに話した。
アンナやアレティには告げなかった――セスカが自分とベンジーをこの世界に誘ったことも。
セスカは小さく笑ったあと、それは覚えていないと秋に告げ、「でも私はきっと心の中で、秋に会いたかったんだ」と微笑みながら続けた。
「でもそれは…私とシュウは、こうして会う前から繋がっていたってことじゃないか」
「まぁ…うん…たぶん。あのとき一目ぼれは…したな。うん…した」
「なら…遠慮はいらないな」
「なんだよ?」
怪訝な顔で、秋は笑みの耐えない幸せそうなセスカの顔を見た。
いくら一目ぼれとは言え、あんな口移しや「襲え」と強要されるなど、秋は理性を試されているようで堪ったものではない。
「お前たちが自分の世界に帰るとき…私も連れて行け。いや……連れて行ってくれ」
セスカの熱っぽい真紅の瞳が秋を映し、悩ましげに揺れている。
もう我慢の限界が臨界点を突破――しそうになった。
が、答えは急に出せるものではない。そのおかげで、秋は半歩のところで踏み止まることが出来た。
「だから…俺はお前に伝えたいことがあってここに来たんだよ…どうしてこうなるかな」
秋は腕の中のセスカから視線を逸らし、ふてくされた様子を見せた。
「なんだ?訊くから言って……」
先ほどと違い、セスカの口調に落ち着きが生まれた。
逆に秋自身の落ち着きが欠落した。
「……ありがとう。お前のおかげで俺とベンジーが助かった……それを言いたかったんだ」
一瞬の間。そしてセスカが再びくすくすと笑い出した。
「な…なんだよ」
「だって…すごく可笑しいじゃないか」
「なにが?礼を言うことがか?」
「違うよ」
セスカが身を乗り出し、秋の首に両の腕を絡めた。
「お…おい。背中は?」
「大丈夫…」
耳元で甘く囁かれ、秋はびくりとした。
「なんか…こんな畏まっていうことがなんか…可笑しい」
セスカはきゅっと絡める腕に力を込めた。
「私たちは会いたくて会ったんだから…違うか?!」
「…ど、どだろか?」
「そうだよ。だって私もお前に一目ぼれしたんだから」
「そなのか?」
「そう…だから」
さっきから自分の会話内容が情けない。秋はまるで体中が心臓になったかのような、鼓動の勢いと激しさを感じていた。
「私を……離すな」
怪我人とは思えない情熱で、セスカはずっと秋を圧倒し、押し捲っていた。
もうなんかどうでもいいかもしれナイ――秋は理性を手放しそうになっていた。
「…んっ」
セスカの呻き声を合図に、秋の理性が一気に盛り返し、状況把握出来るだけの思考が戻ってきた。
「大丈夫か?無理するから……」
そっとセスカを離し、元の体制に戻し、秋がセスカを抱きしめた。
「離さないか?」
「……大丈夫だ。離さない…安心しろ」
そうか。怪我をして不安になっていたのか。じゃなきゃ、『あんなこと』になるはずがねぇ。秋はそっとセスカの髪の乱れを直しながら、そう言い、セスカを安心させようとした。
「じゃ…お前の部屋に行く」
「……はっ?!」
「お前の部屋に行く…と言った」
「あ…あのな。俺の部屋なんて決まってないぞっ。このあと、直人さんの屋敷には行くけど……」
「じゃ、行こう。私が案内をする」
「おいっ!!お前は怪我人なんだそ。安静にしてろっ」
「ならば一晩、こうして私を抱いていてくれるか?」
強気のセスカに、秋が両目をひんむいた。セスカは、どうしても秋から離れたくないらしい。
「ひ…一晩かっ!?俺もここに来たばっかで疲れてるしなぁ」
「なら行こう。ナオトの屋敷ぐらいは歩ける。着替えるから手伝ってくれ」
痛みで顔を顰めながらも、セスカは秋から体を起こし、薄い治療着に手をかけた。
「ま…待てっ!!待てってっ!!ちょっ、ちょっと待てっ!!!」
大胆すぎるだろうがっ!!秋は、もう混乱とか狼狽とかそんなレベルの慌てぶりではない。
「女の裸が初めてなら、ここで慣れればいい。どうせ明日にはお前の物になるのだから」
迷いのない顔でセスカはそう断言し――秋は卒倒しそうになった。
そしてセスカが潔く治療着を脱ぎ、惜しげもなく秋の前に――均整のとれた美しい裸体を晒す。直後、勢いよく――秋は鼻血を噴出す羽目になった。




