第44幕 甘えと優しさと
メルの案内でその屋敷に着いたのは、北門をくぐって四半刻(15分)程度歩いた頃だった。
その屋敷は驚く程――広かった。
メルを当主とするハッター家は、エリュシオンでも十二騎士家と同等の扱いを受ける、名門騎士家なのだそうだ。
メルはそういうことを知られるのはとても嫌がるので、これはこっそりアックスが秋に教えてくれたのだが。
「遠慮せず入れ、入れ」
メルはいつもと変わらず勧めてくれるが、秋にはその庭の華さに気後れしてしまう。
門を入って屋敷まで続く石畳を、人工の雑木林や小さな噴水、花々が咲き乱れる庭を抜け、しばらく歩かなければ豪華な屋敷の建物は見えない。
「無駄に広くてよぉ」
とメル。
無駄に広いというより、それだけメルがすごいということなのだろう。
さずがは『鋼の甲虫 (アツァリ・スカサリ)』という名を轟かせるだけの騎士である。
「まぁ…あなた。いつ、お戻りになられたのですか?
お客様を連れてこられるのなら、連絡の一つでもよこしてくださいな」
温和な人柄を表すように、穏やかな声でメルの妻、ナターシャが出迎えた。驚いたように――それでもあまり動じることなくメルを出迎えたあと、後ろに立っていた秋たちを見て笑顔を見せた。
「狭いところですけど、どうぞ。ゆっくりしていってくださいな」
ナターシャは優しげな笑みを絶やすことなく、アレティがいても変わらず皆同じのように振舞い、屋敷の広さとは不釣り合いなほど暖かで和やかな歓迎に、秋たちは恐縮しながらも、昨日からの緊張を解きほぐし、一息つくことが出来た。
◆◆◆
メルの屋敷に寄った一番の理由は、クララを休ませたいということだ。
メルから理由を聞いたナターシャは、すぐに意識のないクララにバスケットとクッションを用意。その中に寝かせ、静かな部屋へと移動させた。
メルの孫たちは、同じ敷地内の別に居を構える長男クロコスの子供たちらしく、今はその別宅にいるとのことだった。
「6人も孫たちがいたらうるせいし、クララもゆっくり休めんだろ。丁度いいさ」
メルはそんなことを言っていたが、本当は孫の顔を見たいのではないだろうか?
秋はそう考えていた。
「今日はここへ泊りなさいな。お城へはもう連絡が行っているなら、問題はないでしょう?」
さすがはメルの奥さんである。
驚く秋たちをよそに、メルは連れてきた客人たちが来たことが嬉しい様子で、終始笑顔で対応してくれた。
「メルさん。俺たちがここでいることで、奥さんたちに迷惑がかかる可能性が…」
「野暮なこというんじゃねぇよ。どっちにしても、クララが元気にならなきゃ動けねぇんだ。焦ってもしかたねぇ。ここはどんと構えときゃいいんだ」
秋の申し出をメルはそう言って断った。
いずれにしても、クララだけではない。ぎくしゃくしているアレティやベンジーのこともどうにかしないといけない。
メルはそのことを承知の上で、この屋敷に連れてきてくれたのだろう。
秋はセスカたちとも話し、しばらくメルの屋敷で休息を取ることにした。
◆◆◆
「お久しぶりです、アレティ様」
ナターシャが塞ぎ込んでいるアレティに歩み寄った。
「もう何年ぶりかの?」
「2年ぶりですね。本当に主人が無理を言ってご迷惑をおかけいたしまして…」
「そんなことはない。わらわも少し考える時間がほしかったので助かった」
秋たちからは少し距離をおいた、部屋の角。
秋はそんなアレティとナターシャを静かに見守っている。
「話は聞きました。大変でしたね」
「そんなことはない。ほとんど大変な思いなどしてはおらん」
「大変な思いをしたのはクララだけ?」
「そうじゃ」
「シュウくんたちは?」
「……宿では大変だったとは思うが……」
アレティはそう言って、ますます顔をナターシャから俯けた。
ナターシャはそんなアレティを、微笑みを浮かべて見守っている。
「あとはベンジーが心配をしておる」
「アレティ様も?」
「無論じゃ」
「カエナも?」
「もちろん」
「シュウくんたちは?」
ナターシャにそう問われ、アレティは笑顔のナターシャの顔を見た。
「シュウくんたちは全然心配をしていないですか?」
「……してはおると思う…」
「クララに無理させたことを、全然後悔はしていませんか?」
「…してはおると思う……」
「クララを心配するアレティ様やベンジーを見て、全然心を痛めていないと思いますか?」
「痛めて…おると思う……」
アレティはナターシャの笑みを見ることが辛くなり、顔を俯ける。
「それでも、わらわは大丈夫だったんじゃ。クララが無理せずとも、歩いてだって、イオには来られたのじゃ」
「……それでもクララが無理をしたのは、アレティ様のため「だけ」?」
「それはシュウたちも命を狙われておるし……」
「なら…クララは大好きな仲間の皆の命を護りたくて、無理を承知でここまで来たのではないのでしょうか?」
アレティは唇を噛み締める。
それはわかっていたことだ。わかっていたから――話してほしかった。
「…話してほしかったのじゃ。クララがそのことをシュウたちに話していた同じ場所にいたかったのじゃ」
「ではアレティ様がその場所にいて…猛反対されたのではないですか?私は大丈夫だ…と」
「する!!当たり前じゃ」
「ではクララはそのことをわかっていたから、どうしても皆を助けたいから、シュウくんたちだけに話した…とはなりませんか?
それがどうしても許せない?」
「……わからぬ」
いや、わかっているのだ――本当は。
アレティの頭に、優しくナターシャの手が乗る。
「わからなくて…でも今、アレティ様に出来ることは何?」
アレティは顔をますます俯ける。
「……シュウたちに謝ること…」
「謝らなくても、アレティ様がいつものように話してくれることを、シュウくんたちは待っているのではないかしら?私はそう思うのですよ」
「そうかもしれぬ……」
◆◆◆
「俺の奥さんはその昔、孤児院で子供たちの面倒を見ていた経験があってな。
俺は剣を振り回すしか能がねぇが、子供らはグレずに育ったのも、全部あいつのおかげなんだよ」
ダイニングテーブルの椅子に腰掛けながら、メルがそんなことを呟いた。
アレティとナターシャの会話している姿を見つめているメルの表情は、いつにも増して穏やかで優しく感じる。
「それで…アレティを?」
秋が訊くと、メルは恥ずかしそうに「はは」と笑った。
「久しぶりにイオの街に来たんでな。あいつの顔を見たくなっただけだ」
「ラブラブじゃないっすか」
「お前とセスカほどじゃねぇーよ」
突如真顔で言われた秋とセスカは、顔を見合わせて――今更ながら照れていた。
「お前とセスカの惚気は、周りに迷惑なときもあるからな」
ここぞをばかりにアックスがメルに続く。
「うるせぇーよ。何が俺も許嫁が…だ」
「うるせぇ」
秋に逆にツッコミを入れられ、アックスは頬を赤く染らがら怒っていた。
「そういえば、アダ。お前も許嫁どのに会いにいかなくていいのか?」
セスカにそう訊かれ、アダは「そうなんだよね」と迷っている顔をしている。
「割とここから近いからさ。行けないこともないけど……もう少し時間があるときに改めて行きたいと思うんだ」
「そんなこと言ってると…会えずにロバロに帰ることになるぞ」
「……そうとも思う」
セスカの言葉は、アダの耳には痛い。
「どうせだったら、ここから使いを出してその許嫁殿を呼ぶか?」
「いや…それは遠慮したいというか……」
恥ずかしそうに断るアダに、メルがにやりと笑う。
「いや、是非呼びたいなぁ。俺もそのイサベルさんを拝見してみたい」
「えっ…そんなっ」
と、アダがメルの申し出に驚き、辺りを見回して更に驚いた。
セスカだけではない。言い合いをしていた秋やアックスまでもにやにやしながら頷いていた。
このとき、メルの屋敷に来客を知らせる呼び鈴の音が響いた。




