第3幕 あれっ?!出来るっ!?
こういうとき、本当の意味でベンジーは頼りになる。
人より遥かに優れた嗅覚と聴覚を駆使して、秋を目的の場所へと導いていく。
「たぶんこっちっ!!」
すでに木々を粉砕する音も近く、秋やベンジーにはほとんど馴染みがないが、じっとりとした――気分を害する粘着質の気配が、辺りに立ち込めていた。
こんな場所に長居するだけでも、確実に吐き気を感じるだろう。
秋は頭の中でふとオカルト番組の霊能力者がよく言う、『霊が溜まる』という場所はこういう所を言うのかと考えてしまった。本当にどうでもいいことだ。
「いたっ!!」
ベンジーの声が響く。
間を置くことなく、秋も『それ』を確認した。
1人の幼い少女と、1人の倒れた女性が今にもヒトガタの化け物に、潰されようとしている。
迷う間はいらなかった。「助けるっ!!」――。
そして刹那。秋の体の中で、何かが溢れ――爆発した。
先に動いたのはベンジーだった。
茶色の毛が、そのまま輝きとなって、目視不可能なスピードで少女と女性の眼前を通り過ぎた。
少女を押しつぶそうと振り上げた、ヒトガタの右腕は、褐色の閃光が走った直後に切り落とされ、大地へと落下した。
それを待つことなく、秋が動いた。
もう1体のヒトガタが2人を叩き潰すために、両腕を振り上げていたからだ。
秋は少女と女性の前へと体を踊り込ませる。
瞬間――それは当の秋でさえ、信じられない光景だった。
生身の体で、あのヒトガタの両腕を受け止めていたからだ。
余りに無我夢中だったため、秋は己の行動を把握出来るまもなく、本能が動いた。そんな感覚だった。
「あれっ…出来る?!」
これは秋の独り言。
その前に、秋にはやらなければいけないことがあった。
ヒトガタの両手をがっちり掴み、そのまま背後の2人の無事を確認する。
「…間に合った……かな?」
すでに涙目の少女が秋の顔を呆然と見つめていた。
「大丈夫か?」
安心させようと、秋は今現在可能な限りの余力で、「笑う」という顔の筋肉を駆使して動きを再現した。
どう見えたのかはわからないが――少女の顔がみるみる綻んでいくのがわかった。
女性も、なんとか意識は保っているようだ。
「…さて…」
ここからどうしたものか――秋は武器というものを持ち合わせていない。
腕力だけでいけるものなのか?
「…アレティ様……あの少年に…」
「そ…そうじゃ」
2人が何やら話しているのが聞こえたが、秋は見た目ほど余裕というものを持っていなかった。結構このヒトガタの奴、力がある。そう考えて焦っていたからだ。
「少年。これを持つが良いっ!!」
「おいっ!!危ないぞっ!!」
少女は秋の制止を聞かず、透明の棒を1本、秋の元へ持ってきた。
「きっと、おぬしの力になるはずじゃ」
この少女の言葉使いは、どこかの偉い――お姫様のような印象を受けた。
「おぬし」とか「そうじゃ」とか、こんな女の子が普通話す言葉とはとても思えないし。
親父の好きだった時代劇とかで、お姫様とか偉い身分の人が、そんな言葉使いしていたような。秋はそんな遠い記憶を引っ張り出して見た。
秋は少女を一瞥した。
このような場面でもその表情は凛々しく、じっと秋を見据えている。
見慣れぬラベンダー色の双眸は、見ているだけで秋に力を与えてくれる輝きを放っていた。それは『信頼』という想いの輝き――それは秋の思い込みなのかもしれないが。
「ありがとな。俺は秋。君の名前は?」
「…アレティじゃ」
「うわぁぁっ!!」
秋は両腕に力を込め、掴んでいたヒトガタの化け物の両腕を力任せに払い除け、アレティを抱いて倒れている少女の近くまで飛び退いた。
そして秋はアレティからその棒を受け取った。
重い。そしてひんやりと冷たい。それは金属などではない。
感触はガラス――ごつごつとした感覚は石。秋にはその感覚に思い当たる記憶があった。
これは水晶――しかも、それなりの重みとでかさを持った、見たこともない飛び切りの水晶。だが感慨に浸っている暇は無い。
秋はアレティに呼びかけた。
「アレティさがってろっ!!ここは俺に任せとけっ!!」
「わかった。頼むっ!!」
その言葉がどれだけアレティの心に勇気と安心を与えたか、このとき秋は考える暇もなかった。
「大丈夫だった?!」
アレティの足元に、子犬――ベンジーが駆け寄ってきた。
それもその子犬が流暢な人語を話したので、アレティは一瞬頭の中が真っ白となり、ベンジーを凝視した。
「…そっか。僕はあの秋の相棒でベンジー。何故かここに来たら話せるようになってた…」
ベンジーはアレティの置かれている状況と混乱を考え、簡単ではあったが、自己紹介と状況説明を施した。
「…こ…子犬か?」
「失礼な。僕は立派な大人だいっ!!」
ふんとベンジーはアレティの前で顎を上げ、2本の前足に力を入れ、ベンジーなりに胸?を張ってみせた。
「これは失礼した…」
アレティは素直にベンジーに頭を下げた。
これがアレティをより安心させる行為だと見抜いていたのは、今ようやく上半身を起こした少女だった。
「セスカ、大丈夫か?」
「はい、アレティ様…」
駆け寄るアレティに、力ない笑みだったが、セスカはどうにかという様子で答えていた。
「ベンジーと言ったね…彼…シュウは1人で大丈夫なのか?」
背中の痛みを隠し、セスカは極力平然とした態度でベンジーに臨んだ。
「うん。こういうときの秋は強いよ…たぶん。でも。大丈夫。それより…貴女の方が平気なの?」
「私は大丈夫だ…。ちょっと背中を強く打ってな……。一瞬、呼吸が苦しくなっただけだ」
とてもそうには見えない。
顔面は蒼白で、額からは脂汗が滲んでいる。
強打したのだろう背中の痛みで、上半身を起こしていることすら苦しいはずだ。
「大丈夫。秋は強いよ」
ベンジーはセスカを安心させようと、再度その言葉を繰り返した。
「…信じるよ」
セスカは秋の背中を見つめた。
その想いは、確信に近い意味を持っていた。「彼なら……」何故かそう思えた。
そしてそうでなければ――この場にいる全員が死ぬ。
それは戦士としてのセスカの――それまでの経験から得た――感想だった。
「…ぐぅ」
なんだ、これ!?
秋が右手に持つ――長柱状の水晶の長さは約70センチほどか。
長さだけなら、1本の剣と同等かもしれない。だが、『重み』が違う。
やたらに重い――というわけではない。『存在感』が格段に違う。
真剣も手にするだけで、ぴりぴりとした緊張感と、高揚感と――畏怖の感情を持っていたが――。
この水晶は、この長さに到達するだけでどれほどの時間を費やしたというのか?
想像するだけ無駄かもしれない。この水晶に『共感』など抱けない。だって『格』が違いすぎる。それだけは実感する。
だが、それだけでは説明の付かない――この溢れ出る――体の奥底から溢れ、漏れ出す圧倒的な『力』の海に、今、自分の意識が押し流されようとしている。
押さえるなんて無理だ。それはわかる。ではどうする?相手はたぶん――17年の人生の中で感じたことも無い――『神』というのか?そんなものに近い感覚の『存在』。たぶん、そう。
どうする?抑えられない。押さえつけられない。ならば――。
「…こうしてやらぁぁっ!!!」
秋の判断は迅速だった。どうにも出来無いならば――その力の渦に飲み込まれ、行き着くまで――。俺は俺。見失ったりしない。見失うはずがない。『高守秋』はどの世界でも、俺1人しかいないはずだから――っ!!!
横一線。その振りに迷いはない。背後には護るべき存在がある。
1歩も引けないなら、前に出る。1歩前へ。前へ。そして開き直りの右から左へ。
たった70センチの水晶は、秋の一振りでその長さを十数メートルへと変化させる。
白銀の輝きは長大な刃と化し――秋は腕に掛かる重圧を押しのけ、咆哮とともにそのまま力任せに振りぬいた。
大きく息を吐き出し、秋は目の前の景色へと視線を移した。
そこにはすでに、あのヒトガタの化け物たちの姿はない。
秋とその水晶の発する光の剣の輝きに耐え切れず、分断される前に消滅を招いていた。
そしてその剣風は、背後の木々まで広範囲に渡り――その幹をスッパリと切り裂いていた。
「…あ。俺…自然破壊した?」
それが初めてヒトガタの化け物――『ディアボロス』を倒した秋の――漏らした感想だった。




