50.ツーオークワトロエックス
20XX年X月X日。
その日付は後の日本史に刻まれる数字となり、未来の中高生が中間テストのために覚えなくちゃならない西暦がひとつ増えるだろう。
未来が存在する、人類の歴史がこの先も続くとして――……
慎太郎がたまたまつけたテレビ。キッチンの智香、ダイニングの絵里香とともに私はそれに目を釘付けにされている。
『予定を変更し、特別報道番組をお送りしております。今日正午過ぎ、XX県XX市に突如として“魔王軍”を称する武装集団が出現しました』
『その外見と言動から多くの人々に被害を及ぼした“魔王事件”の関係者、超常・別世界の存在とも見解されますが……繰り返して映像をお届けします――……』
『……――“マモノビト”に告ぐ』
49インチのテレビ画面、揺れる映像にアップになった人の顔を、無言で見つめる私の腕に、寄り添った絵里香が縋りついた。
「おとーさん……」
娘の肩を軽く抱き寄せ、画面を凝視する。リモコン片手の慎太郎も、身を強張らせている。
その砲弾型兜を見忘れるはずもない。車道に突き立てた大剣の柄に手を据え、威容で圧する黒甲冑の騎士の姿を。
ついにこの日が来た。“魔剣士”ジルバの再来だ。
テレビの中に見るジルバは、配下であろう戦士やモンスター群を背に、威風堂々とマモノに変えられた人間……マモノビトに対して声明を発していた。
『3日の期限を設ける。我らが麾下に加わらんと思う者は、3日の内に参じよ。この期日まで、我らは“この世界”を攻撃しないことを誓う』
魔剣士の言葉は朗々と静かな街に響き、“この世界”に伝えられる。
『手向かい無用、それに反さぬ限りは』
そう宣言する、魔剣士の背後に映る街並みは……クソめ。
私の会社の最寄り駅前。彼と私が初めて出会った思い出の場所。完全に私を意識してじゃないか。
そう思った途端、心の声が届いたか(録画だけど)。ジルバの目庇がこちら、勇気ある報道者のカメラに向いた。
『見ているか、人形?』
「う……」
思わず呻くと、取りつく絵里香の腕に力がこもり、智香と慎太郎も不安げに私を見る。画面のあっちとこっちから人形に視線が集中する。
『心は決まったか? お前の答えを訊きに来た』
ちょっとお。公共の電波で、名指しのラブコとかハズいからヤメて?
けど。
絵里香の肩を、そっと押して離す。
「おとーさん……」
伸ばした手が、寝室のクローゼットからリビングへ黒外套を引っ張り出す。
「あなた」
「姫」
フードを目深に被れば、防具の装備は完了。武器は既に装備している。心は決まったかと訊かれたら、答えてあげるが世の情け。世界の破壊を防ぐため、世界の平和を守るため、なーんてな。
「じゃ、ちょっと行ってくる」
軽く、いち営業マンとして出社してた時から変わらぬ挨拶で。
私は魔導兵器『人形姫』。戦いの準備は、心を決める、だけで済む。そちら、覚悟はいいか? 私はできてる。
「待って姫!」
「あなた」「おとーさん」
家族達はできていないようだが、時間だ。
迎えが来た。
バサ……バサッバサッ――……
風を打つ、羽撃きが聞こえてくる。私達がベランダに目を向けると、真っ赤で巨大な塊、深紅の火竜が翼バサバサで8階の高さに滞空していた。
「これは西九条さん」
会釈をすると、長い首がぐにゃりと礼を返す。ティラノサウルスみたいな爬虫類顔なのに、不思議と愛嬌があるのは、氏の人間性を湛えた目だ。
「足がご入用かと思いましてな」
「うふふ、竜に乗って登場とはまた派手だ。人形たん、映える」
ベランダに出ると、竜の巻き起こす突風に白銀の髪が煽られる。
「手も要りますかな?」
「借りられれば百人力。お貸し頂けますか?」
竜が笑うと怖ろしい歯列が剥き出される。
「足になりに来申した。前足貸すのも勘定の内さ」
芝居掛かった西九条さんの、瞬膜が閃いた目に、私と同じ決意を見た。私は家族、氏は奥様。その身に代えても失いたくないものがある。
「じゃ、行ってくる」
返事は待たない。これが最後になるかもしれないけど。
人形姫は、天翔ける竜の背に降り立った。
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私はこれまでに旅客機を利用したことはあるが、セスナやヘリなどの、いかにも飛んでるぞ感のある小型機の搭乗経験はない。言わずもがな、生き物に乗って飛んだ人間は史上初ではあるまいか。
「ドロシーちゃんさん、乗り心地はいかがですかなー?」
正直、けっしていいとは言えませんよ、西九条さんー。
自宅マンションのベランダから氏に飛び乗った時こそ、すっくと立ち、家族を振り返って、「行ってくる」とか気丈に微笑む人形姫の勇姿を見せましたが。
移動が始まると、もう余裕ねえわ。即首根っこにかじりつかないと、落ちる、これ落ちるって。
あのねえ、象くらいのサイズが空飛ぶと、バッサ!とバッサ!の間で一回ガクンと沈むんだわ。で、次のバッサ!でブワッと浮き上がるの。これ、カラダが人形だから我慢できた。人間だったら100パー酔ってゲボしてた。イメージ“竜に乗り天翔ける人形姫”だったんだけど、そんな優雅なもんじゃねえわ。
たぶん竜が飛ぶのって、物理法則を幾つか無視してる。
けど。
それでも竜の背中に乗っかって空飛ぶのって、自分の暮らしてきた町をこうやって眺めるのって、やっぱり感動する。
「西九条さん! いつもこんな景色を見てらっしゃるんですね!」
耳朶を圧する風に負けないよう声を張ると、
「ははは、いいでしょう。私など何度飛んでも驚きは褪せません。何十年も足着けて歩いてきた町、地べたをこーんな上から見ますとねえ、自分の人生そのものを、こう大きく俯瞰するよう気がしましてねえ」
竜は翼で風を撃ち、真っ直ぐ前に首を伸ばして、ポツリと呟く。
「ウチの口煩いばあさんなんざ、もう見えないくらいちっぽけだ」
ドラゴンの言葉は、前を目指して、悠然と泰然と。
「だから、つくづく思いますのさ」
「私が必ず守ってやんなくちゃいけない」
「同感です」
しがみつく竜の首の冷たい鱗の下に、ドクンドクンと、脈打つ重く熱い鼓動。魔法人形の生命無き胸の内でも、きっと同じ律動を心が打っている。
吹き荒ぶ風の中、その律動はやがて静まり、後にはただ決意だけが残った。




