49.アムネジアの後遺症
多少平静を取り戻した慎太郎に、
「え? どの辺から薬が切れてたの?」
そうだな、記憶がなかった間の記憶をたどってみる。
「実際、家に着くまでは完全“ドロシーちゃん”だった。お前の部屋に入ってから少しずつ切れてきて、命令云々してた時はだいたい戻ってた」
「てことは」
慎太郎がジロリと私を睨んだ。
「やっぱからかってたんじゃないか」
「あ」
いけね、バレた。
まあ、たまにはいいだろ。人形になってからお前も絵里香も、コッチはイジり倒されてばかりなんだからさ。
慎太郎は大息つきながら椅子の上で仰け反り、
「なァーんだよもー。だったらチューしてもらっときゃ良かった」
口ではそう嘯きつつ、
「けどドクターの薬も、人形には効きが短いんだ? いや人形に効く時点でスゴイ? くそっ、あの人に関してはどのポイントで驚くべきかで悩む」
内心でホッとしているのが、私にはわかる。
「ふふ、でもそうして私に記憶がないのに付け込まなかったのだから、お前はいい子だよ」
「ふん」
誉めてやると、息子は頬を赤くしてそっぽを向いた。
しかしそれはそれ、困惑半分の気持ちもある。
「と言うかお前、さっきの台詞。そこまでマジめなのか。『人形姫』に対して」
慎太郎が横目だけこっちに寄越した。ちゃんと姫が好きになってくれるんじゃないと、なんて、真摯な態度を見るに、
「忘れてくれるなよ? 私はこんな姿でもお前の父さんで、幾つになってもお前は可愛い息子、それ以上にはならないからな?」
時々、お前が冗談なんだか本気なんだかドキドキさせられるんだよ。親として、心配で。
「カラダは人形だ。心は父親だ。どうしたってそういう意味では受け入れることはない。それこそ完全に記憶が消えない限りはな」
座面をくる→りと回して、背を向けた慎太郎は肩越しに私を見る。
「頑張って、いずれ振り向かせてみせるさ、姫」
「うん、カッコいいふうに言ったけど、先に私が言ったこと聞いて? 『I am your father(低い声)』、そこ押さえとこう?」
「いずれ、それもそういう“設定”だと割り切ってみせる」
「割るな」
息子がニヤリとする。むう……どこまで冗談なんだか本気なんだか。
私は呆れながら、白銀の横髪をちょいと掻き上げた。
「で、ご主人サマ。オーダーはコーヒーでしたかね?」
「あ、頼める? オレは砂糖なしの牛乳ちょいで」
親に対して気安く注文する息子の……
ちゅ。
頬へ、音を立ててやった。
「へ……?」
慎太郎はしばしきょとんとしてから、
「え? えええ、ええーっ??」
椅子からずり落ちそうになった。
「男親だって男の子どもに、ちっさい頃にはチューのひとつくらいしたさ。ま、いい子だったご褒美ってとこだ」
人形姫は勝った気分でニッと笑ってみせる。
「幾つになっても、お前は私の可愛い息子だよ、慎太郎」
どさっ。ずり落ちた。
ふふふ、参ったか。この姿になってから揉まれたからな。私だってそろそろこれくらいのことはできるさ。
「……てえてえ」
「!」
「?!」
不意の声に私と慎太郎、弾かれたように振り向く。と、ドアの影に顔の右半分覗かせた絵里香のジトリとした片目があった。
固まる父と弟に、ニタ~っと笑い、娘は無言でフェードアウト。
「ちょ、待っ」
「コレは親が子どもにするアレで」
高笑いを追って、慎太郎と二人もつれ合うようにする。
ん、ちょっと調子乗り過ぎた(テヘペロ!
ホント、記憶失くすのコワイよねー。ついうっかりが事故の元。“今日も事故る!”とか言ってる場合じゃないよ。
**********
某所、カフェ。
「へっきし!」
「ん、風邪か?」
くしゃみをした店員さんを、カウンターからマスターが振り返る。
「やー、何かウワサされた気がして」
「お前、くしゃみオッサンみたいだな」
「う、うっさいよ、りょーにぃ///」
**********
家を出て、私は並んで歩く慎太郎の横顔を見上げる。
「言っとくぞ、私は女の子のカタチをしてるモノで、女の子じゃない。性別は変わったんじゃなくて、無くなったんだからな」
「無生物で無性別」
絵里香が口を挟む。
「上手いこと言わなくていい。そんで、40年そうだったんだから、精神的には男なんだ。いっそ親子ってこと横に置いても、ナイからな」
横に置いていい話でもないが。
そこで私はふと首を傾げた。
「オッサンの入った少女人形を好きになったら、足し算でバイセクシャルってことになるんだろうか」
「むしろパンセクシャルなんじゃない? 性別関係ないんなら」
娘が耳新しい単語を口にした。
スマホで調べてみると……
パンセクシャルとは、端的に言うと「誰かを好きになる時、相手の性別に囚われない人」のことらしい。バイセクシャルが「男も女も好きになる」なのに対し、パンだと「好きになるのに性別は関係ない」。
まず好きになることが先にあって、それがたまたま男であったり女であったりするのだとか。
私は逆側に首を傾ける。
「それを俗に節操がないと言わないか?」
「ダメだよ、おとーさん。多様性の時代にそんなこと言ってちゃ」
うぅむ、そういうもんか? 当の慎太郎、
「拙僧、節操なしにござれば南無」
「自分で言うとるぞ」
息子は悟り澄ました表情で合掌する。
「人はPanのみにて生きるものに非ず」
「うん、仏教じゃなくてキリスト教だな……かな?」
全方位から罰が当たりそうだ。しかし慎太郎は微笑んで言う。
「心のままに愛せばいい。男、女……老いも若きも……二次元、獣、ドラゴン、カー、セッ……愛のジャンルに貴賤などない」
「それだと、私一番近いカテゴリー自動車になるんだけど」
ジャンルて言うてる時点でオカシイからな。そんで最後言い掛けたのよ。何で知ってるんだ。それだと私×西九条さんになっちゃうだろ。
特殊ジャンルに過ぎるわ。そんな薄い本出ても困るわ。
対話は実りを結ぶことなく、我々は道をたどって――……
**********
「はいっ、というワケで」
「ここに戻ってきたワケですが」
「穏やかじゃないわねー」
Drの根城、総合病院前である。諸悪の根源に会うと言ったら、夕食時を控えた慎太郎に絵里香までついてきた。
「で、どうすんの?」
「とりあえず一発殴ってから、何発で赦すか決める」
「殴るのは確定なのね」
右の拳を固め、“空間転移”で離したり付けたり。新品になったこの腕、初めての攻撃対象は魔剣士ではなく創造主です。
ロビーに入る、と、あっちの廊下がざわざわしている。
「? 何だ?」
報復はともあれ様子を見に近づいてみると……
「先生、準備ができました!」
「宜しイ。第二、第三、第五手術室に患者を入れたまエ」
「……! ど、同時にですか?」
「手術の二つ三つ、この吾輩、並行でどうとでもなるワ」
慌ただしい空気の中心から、聞き覚えのある声と口調と一人称が、傲岸さも頼もしく指示を飛ばしている。
「この天才を信じたまエ。吾輩の“至宝の指”は目の前の命を救う為にあル」
「Dr.ボンダンス……!」
感極まった看護師さんの肩を軽く叩き、
「ボンヤリするナ。行くゾ、クランケが待ちくたびれておル!」
「「「イエス、Dr.ボンダンス!」」」
叱咤、一団を率いて白い巨塔の総回診のノリでやって来る。
「あーね……」
「うん……」
「察し……」
慎太郎と絵里香と、顔を見合わせる。どうやら、誤って自分も飲んでしまったらしいな、例の魔法薬入りのお茶を。
Drは私に目もくれず通り過ぎる、が、すぐそこで車椅子の、中学生くらいの少年の傍らでぴたりと足を止めた。
顔を上げる少年、目を合わせぬDr。
「……言っておク。今の儘なら貴様は日常生活に支障のない程度には恢復すル。だガ再手術に臨めバ、再び走れルようになるカ、立つことも叶わなくなルかは、正直五分ダ」
少年を車椅子の肘掛けを強く握り、決然と言った。
「お願いします……僕は、もう一度フィールドに立ちたい!」
Drは冷ややかに少年を見下ろし、
「ソレを聞きたかっタ」
そしてニヤリと笑った。
「看護師、彼を第6手術室へ。大船に乗った気でいたまエ。吾輩必ず貴様を、数カ月後ソコには元気に走り回ル貴様の姿にしてやル!」
絵里香がジト笑いで振り返った。
「ブラックジャックみたいなこと言ってるし」
「すげえイキイキしてるなー」
Dr、周りに自分が医者だと暗示を掛けているから、思い込ませたよう扱われているようで、とんだ瓢箪から駒だ。
「あの男は記憶のない方がなんぼか世の為になるな」
魔界の自称大天才は伊達でなく、医術にも精通しているらしい。
「で、どーすんの?」
「んー……」
「おかーさん、あんまり遅くならないようにって」
そうして我々は、駅前で妻にケーキでも買ってくことにして、帰途についた。晩ごはんはカレイの煮つけと、小松菜と厚揚げの炒め和えだった。
じゃあとりま、たまにはその無駄に有り余る才能を、人々の役に立ててくれ。おやすみ、Dr。
Drは――……
3日間記憶が戻らなかった。
おクスリ多めに処方しました(笑)が仇となり、また人形と生身では効き方も違ったのだろう。その間にDrは病院に後々まで語り継がれる逸話を幾つか残したそうだが……ま、それは別のお話だし、私には関係ないな。
記憶、二度と戻らなくて良かったんだけどな。




