28.戦闘
運ばれる。狭い路地裏を、突風のように。
何者かの大きな肩に担がれている。絵里香に理解るのはそれだけだった。疾走、跳躍。視界の天地は目まぐるしく入れ替わり、恐怖心は半ば麻痺してしまっている。
(ベア子……お父さん……)
気が遠くなる。目の前に薄膜が掛かったようだ。
ほどなく絵里香の世界は、息の詰まるような獣の匂い、それだけになった。
数分か、もっと長い時間が過ぎたのか。絵里香は固い地面にお尻を下ろされて、懸命に目を開いた。
四方をビルの壁に隔たれた、バスケットコートくらいの空間にいた。
隅っこに建築資材が積まれて、ううん、放置されて錆が浮いている。ビル街の真ん中に、こんな忘れ去られたような空き地があるなんて。
人の目から隠された“裏側の世界”。だとしたらそこに潜むのは当然――……
“怪物”だ。
一匹が背を向けて、仲間のところへ足を引きずるような歩き方で近づくところだった。こいつが絵里香を運んできた奴だろう。
ざっざっざ……立ち止まり、振り向く。黄色く濁った眼、突き出した鼻面、薄っすら開いた口に覗く牙。人狼だ。
残る二人は、小柄な体格の亜人・ゴブリンと、猛禽のクチバシと腕の代わりに翼を持つ鳥人間。魔物か、マモノビトか。突然の状況に怯えきった絵里香は、そんなこと考える余裕はない。頭が真っ白だ。
魔法人形のおとーさん。威張っているけどカッコいいボンダンスさん。
絵里香にとって、非現実の存在が出現した世界は、困惑させられつつも怖ろしいものではなかった。今日、この瞬間までは。
いつか……『魔王』が垂らした毒が、この世界に苦痛を与え始める時が来る。安治川大治郎のした懸念に、晒されたのが彼の娘であることは、皮肉か、運命か。
目を見開く絵里香に、人狼の口元が歪む。
「ヒヒヒ。怯えちゃって、カワウィーねえ」
仲間から、どっと下品な笑いが起きる。
「た、助けて……」
「……お父さん……!」
再びホワイトアウトしそうになる視界が……
ばさっ、真っ黒な布に覆われた。
トンと軽く地面を踏む靴音。さらりと白銀の髪が流れる。
黒い布地は、絵里香自身が選んだクラシックロリータのドレス。その後ろ姿はあまりに小さく、華奢だけど。
「お待たせ致しました、ご主人様」
心からの安堵、もう大丈夫。
虚空から出現した魔法人形は、絵里香を放心させ、三人組の怪物を仰天させた。
「な、何だコイツ?!」
「人形?! どっから現れた?!」
かちゃっ、かちゃっ、かちゃっ。クラロリを纏う魔導兵器は、絵里香とマモノ達の中間点でゆっくりと足を止めた。
その首が、グリン!と真後ろに回り、敵味方もろともに胆を潰させる。
「さあ、マスター。ご命令を」
**********
絵里香がいない。
歩道の敷石に落ちたスマホを拾い、異変を悟ったその時、私の中に新しい『感覚』が広がった。
……――マモノがいる。
これが俗に言う“気を感じる”ってやつか? 冗談言ってる場合ではないが、魔法人形の『感覚』が、そう遠くないところに異質なモノの存在を捉えている。そいつと一緒に、娘の気配が移動している。
「絵里香……!」
狼狽が、冷静な怒りに場所を明け渡した。どうすればいいか、それはマモノビトとしての私が知っている。絵里香の気配に手を伸ばす……
……“掴んだ”。
一度目を“跳”ぶ。近づいた、けど、まだ遠い。
二度目を“跳”ぶ。
絵里香を“目印”に“跳”んだ私は、ビルの谷間の空き地に出た。都会に真ん中に、こんな捨て置かれたような場所があるとは。しかし今はそんなことはどうでもいい。
今どうでもよくないのは、絵里香を見つけた、ただその一事のみだ。
心からの安堵、もう大丈夫。
さて、私とてマモノビトになってから、我が子やDrにイジられるだけの日々を送っていたワケではない。心の片隅には常に、いつか来る『魔王』との対決への懸念が淀んでいる。
そこで私は密かに、唯一の武器である“空間転移”でできることを模索していた。もっと遠くまで、もっと強く、と。そして編み出した新たな、というよりは応用能力。
カラダ丸ごと全部での“空間転移”、すなわち“瞬間移動”。
実は成功したのは今週の木曜、つまり一昨日が初めて。気配を追って“跳”ぶとか、ぶっつけ本番でよくやったよ。まあ、さっそく使う機会があって、良かったと思えばいいのか……
……いいワケがあるか。
無事取り返したとしても、私の娘に怖い思いをさせてくれたこと、きっちり後悔をしてもらうぞ。
首を180°回して絵里香を見る。幼い頃、迷子になったのを見つけた時と同じ顔をしている。
「マスター、ご命令を」
絵里香はぐいっと袖で目元を擦った。
「……やっつけて」
「御意」
そのまま一周させて、頭を正面向きに戻す。
「な、何なんだお前!」
その動きは、マモノ達をかなり脅かしたようだ。
「魔法人形、ベアトリーチェ・アルカネット・ドロシーローズ」
名乗りながら、スカートの右足をぶんっと蹴り上げた。
「どうぞお見知りおきを」
絵里香を拐かした狼男が、声もなく膝から崩れた。
その鳩尾、足首から消失した人形の革靴が、数メートルの空間を隔てて突き刺さっている。
唖然としたゴブリンが、次の瞬間見たのはクラロリのスカート生地だったろう。
飛び蹴りではない。“瞬間移動”でカラダごと、膝から鼻っ柱にぶつかっていってやった。
「ぐえ」
亜人はくぐもった声を上げ、後ろにひっくり返る。ふん、血は赤いんだな。
「う、うわあ!」
バサバサという音に見ると、鳥頭が地面から浮き上がるところだった。両腕の羽は飾りではないらしい。
「仲間を見捨てちゃダメだろう」
右足を戻し、左手を真っ直ぐ上に伸ばして……拳を握る。
“空間転移”。
かこーん、ビルの谷間にいい音が響いた。
打ち上げた拳は、鳥頭のクチバシの顎にまともに命中した。ご愁傷様、私のパンチは陶器製だが、巨人が踏んでも壊れない強度は製作者の保証付きだ。
3階くらいの高さから落下し、鳥人間は目を回した。
……ふむ。半分不意打ちではあるが、手加減はしたし、初めての“戦闘”にしては上出来ではないかな。
三人組を地べたに転がして、絵里香を振り返りVサインを出してみる。
「……お父さん」
おっ、そのキラキラした「パパ大好き」の眼差しは、何年ぶりだろう。
パパ、ちょっとは威厳を取り戻せちゃったりしたかな?




